吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起のプロフィール :満84歳1か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 


 この国フィリピンを終の棲家と定めて住み着いたのは2009年2月1日でした。

 数年間の自立単身生活を経て、ある縁を得て、現在ではフィリピン家族と共同生活を送っています。題して「相互扶助精神に基づ く運命共同体生活」がそれです。ヨシダの終生面倒見をかれらにしてもらうかわりに、皆さんには貧困から脱却してもらってお互いに幸せになりましょうという相互扶助の共同生活です。 

 ・・・ と、こんな生活設計を描いて現在に至るヨシダですが、ヨシダの義務は長生きすることにあると自覚しています。そのためには満40歳からある動機を得て始め て現在に至る自己流のストレッチング体操に一層の磨きをかけるなど、加えて長年に及ぶステッキ使用で肩にかかった重荷による肩こり解消に集中努力をして通 算8年。お陰で99.9%の達成振りです。でも、ちょっと真似のできない自助努力と自負します。

 肝心のボケ防止のための独特の手法を編み出したのが2012年3月のこと。題して「インタネット情報&ヨシダブログ」がそれです。詳細はクリックしてご覧くださいませんか?「こんなことをしているなんて、カッコいいボケ防止!」と自我自賛しています(笑)。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                         English               
            2015年11月30日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
 

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った11月30日の「できごと」 
                          November 30, Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。

          2「1783, Treaty of Paris」の画像検索結果「1783, Treaty of Paris」の画像検索結果「1783, Treaty of Paris」の画像検索結果「1783, Treaty of Paris」の画像検索結果 「1783, Treaty of Paris」の画像検索結果      「1783, Treaty of Paris」の画像検索結果
7 「1872, first in history the football international game between england and scotland」の画像検索結果 「1872, first in history the football international game between england and scotland」の画像検索結果       「1872, first in history the football international game between england and scotland」の画像検索結果   「1872, first in history the football international game between england and scotland」の画像検索結果「1872, first in history the football international game betweeen england and scotland」の画像検索結果
10「1892年 - 福沢諭吉」の画像検索結果 「1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立」の画像検索結果       「1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立」の画像検索結果「1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立」の画像検索結果  「1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立」の画像検索結果「1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立」の画像検索結果 「1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立」の画像検索結果
                 「東京大学医科学研究所」の画像検索結果「東京大学医科学研究所マーク」の画像検索結果「東京大学医科学研究所」の画像検索結果「東京大学医科学研究所」の画像検索結果「東京大学医科学研究所授業」の画像検索結果
  22関連画像「Hodges Meteorite」の画像検索結果 「Hodges Meteorite」の画像検索結果  「Hodges Meteorite」の画像検索結果    「Hodges Meteorite」の画像検索結果      関連画像
        41「Andres Bonifacio」の画像検索結果 「Andres Bonifacio」の画像検索結果  Churchill HU 90973.jpg  「Sir Winston Leonard Spencer-Churchill」の画像検索結果  「土井たか子」の画像検索結果「土井たか子」の画像検索結果
3340 BCEarliest believed record of an eclipse.
(1)1700年 - 大北方戦争: ナルヴァの戦い
1707 – The second Siege of Pensacola comes to end with the failure of the British to capture Pensacola, Florida.
1718 – King Charles XII of Sweden dies during a siege of the fortress of Fredriksten in Norway.
1782American Revolutionary War: Treaty of Paris: In Paris, representatives from the United States and the Kingdom of Great Britain sign preliminary peace articles (later formalized as the 1783 Treaty of Paris).
(2)1783年 - アメリカ合衆国イギリスアメリカ独立戦争の講和条約・パリ条約を締結。
(3)1786年 - 神聖ローマ皇帝レオポルト2世が、ヨーロッパでは初めて死刑制度の廃止を宣言。(シティズ・フォー・ライフの日
1803 – In New Orleans, Spanish representatives officially transfer the Louisiana Territory to a French representative. Just 20 days later, France transfers the same land to the United States as the Louisiana Purchase.
1804 – The Democratic-Republican-controlled United States Senate begins an impeachment trial of Federalist Supreme Court Justice Samuel Chase.
(4)1814年 - フランツ・シューベルトが『羊飼いの嘆きの歌』を作曲。
1824 – Ground is broken at Allanburg, Ontario, for the building of the first Welland Canal.
1829First Welland Canal opens for a trial run, five years to the day from the ground breaking.
(5)1853年 - クリミア戦争: シノープの海戦オスマン帝国の軍港シノープをロシア黒海艦隊が奇襲。これ機にイギリスフランスがクリミア戦争への介入を決意。
(6)1864年 - 南北戦争: 第二次フランクリンの戦い
1868 – A statue of King Charles XII of Sweden is inaugurated in Stockholm's Kungsträdgården.
(7)1872年 - 史上初のサッカー公式国際試合となるイングランドスコットランドの試合を開催。
1886 – The Folies Bergère stages its first revue.
(8)1888年 - 日墨修好通商条約締結。日本初の対等条約。
(9)1892年 - 日本海軍の水雷砲艦千島がイギリス商船と衝突、千島は沈没し商船側も損傷を受けた。(千島艦事件
(10)1892年 - 福澤諭吉の後援で北里柴三郎が大日本私立衛生会伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立。
1902American Old West: Kid Curry Logan, second-in-command of Butch Cassidy's Wild Bunch gang, is sentenced to 20 years imprisonment with hard labor.
1908 – A mine explosion in Marianna, Pennsylvania, kills 154.
(11)1908年 - 日本の駐米大使高平小五郎アメリカ合衆国国務長官エリフ・ルート高平・ルート協定に調印。
1916Costa Rica signs the Buenos Aires Convention, a copyright treaty.
(12)1919年 - 食品工業(現キユーピー)が創業。
(13)1920年 - 高山義三の除隊を迎えに来た鍋山貞親ら社会主義者の集団が警官と衝突し、治安維持法違反などで逮捕。(京都赤旗事件
(14)1926年 - 日本ラグビーフットボール協会設立。
1934 – The LNER Class A3 4472 Flying Scotsman becomes the first steam locomotive to be authenticated as reaching 100 mph.
(15)1936年 - 水晶宮が焼失。
(16)1939年 - 第二次世界大戦: ソビエト連邦軍がフィンランドに侵攻し、冬戦争が勃発。
1940Lucille Ball marries Desi Arnaz in Greenwich, Connecticut.
(17)1942年 - 第二次世界大戦・ソロモン諸島の戦い: ルンガ沖夜戦。(1942World War II: Battle of Tassafaronga; A smaller squadron of Japanese destroyers led by Raizō Tanaka defeats a U.S. cruiser force under Carleton H. Wright.)
(18)1942年 - 横浜港ドイツ軍艦爆発事件がおこる。
(19)1943年 - 第二次世界大戦: テヘラン会談で米英ソ首脳が1944年フランスへのオーバーロード作戦を行うことで合意。
19471947–48 Civil War in Mandatory Palestine begins, leading up to the creation of the state of Israel.
(20)1948年 - 68歳の歌人の川田順が弟子の大学教授夫人とともに家出。川田が詠んだ歌から「老いらくの恋」が流行語になる。
(21)1949年 - 対共産圏輸出統制委員会(ココム)設立。
1953Edward Mutesa II, the kabaka (king) of Buganda is deposed and exiled to London by Sir Andrew Cohen, Governor of Uganda.
(22)1954年 - ホッジス隕石がアメリカ合衆国アラバマ州に落下。
(23)1962年 - ウ・タント国際連合事務総長に選出。
(24)1966年 - バルバドスイギリスから独立。
(25)1967年 - 南イエメンがイギリスから独立。
・1967 – The Pakistan Peoples Party is founded by Zulfikar Ali Bhutto, who becomes its first chairman.
・1967 – Pro-Soviet communists in the Philippines establish
Malayang Pagkakaisa ng Kabataan Pilipino as its new youth wing.
(26)1970年 - 南イエメンが国号をイエメン人民民主共和国に改称し、社会主義国家を宣言。
(27)1970年 - 北海道の国鉄根北線がこの日限りで廃止。
1971Iran seizes the Greater and Lesser Tunbs from the United Arab Emirates.
1972Vietnam War: White House Press Secretary Ron Ziegler tells the press that there will be no more public announcements concerning American troop withdrawals from Vietnam because troop levels are now down to 27,000.
(28)1974年 - エチオピアアウストラロピテクス化石人骨「ルーシー」が発見。
(29)1977年 - 米軍が使用していた東京・立川基地が32年ぶりに全面返還。
1981Cold War: In Geneva, representatives from the United States and the Soviet Union begin to negotiate intermediate-range nuclear weapon reductions in Europe. (The meetings end inconclusively on December 17.)
1982Michael Jackson's second solo album, Thriller is released worldwide. It will become the best-selling record album in history.
(30)1984年 - 電電公社がキャプテンシステムの実用サービスを開始。
(31)1984年 - 国鉄高砂線宮原線妻線がこの日限りで廃止。
(32)1987年 - 茨城県つくば市が市制施行。
1989Deutsche Bank board member Alfred Herrhausen is killed by a Red Army Faction terrorist bomb.
(33)1990年 - 台風28号紀伊半島に上陸。観測史上最も遅い時期の台風上陸。
(34)1990年 - 日本衛星放送(JSB)がサービス放送を開始。(現・WOWOW)
(35)1993年 - オランダで、世界初の安楽死を認める法律(改正埋葬法)が成立。
(36)1993年 - アメリカで、銃規制を目的としたブレイディ法が発効。
1993 – American National Football League awards 30th franchise to the Jacksonville Jaguars.
1994MS Achille Lauro catches fire off the coast of Somalia.
1995 – Official end of Operation Desert Storm.
・1995 – U.S. President
Bill Clinton visits Northern Ireland and speaks in favour of the "Northern Ireland peace process" to a huge rally at Belfast City Hall. He calls terrorists "yesterday's men".
1998Exxon and Mobil sign a US$73.7 billion agreement to merge, thus creating ExxonMobil, the world's largest company.
1999 – In Seattle, United States, demonstrations against a World Trade Organization meeting by anti-globalization protesters catch police unprepared and force the cancellation of opening ceremonies.
・1999 –
British Aerospace and Marconi Electronic Systems merge to form BAE Systems, Europe's largest defense contractor and the fourth largest aerospace firm in the world.
2001 – In Renton, Washington, United States, Gary Ridgway (aka The Green River Killer) is arrested.
2004 – Longtime Jeopardy! champion Ken Jennings of Salt Lake City, finally loses, leaving him with US$2,520,700, television's biggest game show winnings.
・2004 –
Lion Air Flight 538 crash lands in Surakarta, Central Java, Indonesia, killing 26.
2005John Sentamu becomes the first black archbishop in the Church of England with his enthronement as the 97th Archbishop of York.
(37)2007年 - 衛星アナログハイビジョンテレビの放送が終了(停波)。
(38)2008年 - 初代新幹線車両0系が定期運用を終了。
(39)2008年 - 東日本フェリーが国内フェリー事業から撤退。
(40)2009年 - 朝鮮民主主義人民共和国デノミネーションを実施。
2012 – An Ilyushin Il-76 cargo plane belonging to Aéro-Service, crashes into houses near Maya-Maya Airport during a thunderstorm, killing at least 32 people.
(41)ヨシダが選んだ著名人の誕生日;1863年 - アンドレス・ボニファシオ1874年 - ウィンストン・チャーチル1928年 - 土井たか子

                      インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5894件です。 
2015年11月30日(月)掲載分

昨日11月29日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

  本日「11月30日のできごと」 でヨシダが特にマークしたいのは、「(17)1942年 - 第二次世界大戦・ソロモン諸島の戦い: ルンガ沖夜戦。(1942World War II: Battle of Tassafaronga; A smaller squadron of Japanese destroyers led by Raizō Tanaka defeats a U.S. cruiser force under Carleton H. Wright.)」、「(22)1954年 - ホッジス隕石がアメリカ合衆国アラバマ州に 落下」・・・といったところです★前者は日本語vs英語版の微妙な差異のサンプルです。英語版では「タナカ・ライゾー率いる小規模の戦艦隊がチャールト ン・ライト率いる米戦艦隊を撃沈」に対し、日本語版では「ルンガ沖屋夜戦」のみで、海戦の結果に言及していません★後者は隕石が人間の身体に当たったとい う稀有なケースとしてです。
 今朝一番にヒットした記事を編集して想うこと。本日の取材はこの1編でヨシ!って気分です。何せ、ヨシダ持ち前の皮肉屋ブログを余すことなく披瀝したからです。気分サッパリと言ったら、関係者に失礼でしょうか?「No.5892:生涯現役の時代でも20代の4割は「定年後働きたくない」DIAMOND Online2015.11.30.編集部 林 恭子)」 がそれです。同ブログに入れていないヨシダ論をもう一つ此処で!「人生80年時代 余生から「与生」へ、さらに「世生」へ!」がヨシダの人生観。その解釈 は無用と心得ます。・・・おっと、今、ヒントを得ました。このトップー末尾のメッセージ(末尾の情報コーナー)の「毎月の28日はヨシダの・・・」は本日 月末までを期限としたもの。明日からのそれを「「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」にシフトすることを思い付きました。ヒントは「仕掛け」にあり・・・とは今のヨシダの心境です。(9:40
 「No.5893
昨年の夏、天皇、皇后両陛下の対馬丸記念館訪問を取材した。慰霊碑に頭を…沖縄タイムス「大弦小弦」2015.11.30.阿部岳)」を編集しながらブロガー・ヨシダの余計な(?)毒舌ブログを禁じませんでした。ご無礼のほど・・・。末尾の「追伸ならぬ、追ブログ」は必読の価値ありと自負しますよ!(11:25)
 ・・・先ほどの記事「No.5893昨年の夏、天皇、皇后両陛下の対馬丸記念館訪問を取材した。慰霊碑に頭を…沖縄タイムス「大弦小弦」2015.11.30.阿部岳)」 を本サイトに掲載して直後のこと。突拍子もないことを編集者ブロガーの立場でブログする気に至 りました。かねてヨシダの胸の内に収めていたことではあるのですが、この際、ディスクローズ(開示)することにしました。ま、あまり多くの人の目には触れ ない本サイトを意識するから出来得ることですが、もし、然るべき立場の人物が発言(執筆)したら、「大物議」を招来すること間違い無しと確信します。何方 か目に付いて、ある種の「ご同感」を得られるならば、然るべき処なり、人物なりにこのブログの「お目通し」の差し渡しをお願いたい心境です。以下、歯に衣着せぬ感じでブログしまくります・・・To be continued........(この続きは、あるところ(リンク)をクリックするとご覧いただけるシロモノですよ!笑)(12:05)
 沖縄問題が此処まで拗れてきている理由は様々です。基地建設の見返りの現地巨額投資・助成金等々がその事の始まりでした。現地の声はそれはそれとして甘受してきたが、これ以上では耐えられない・・・という図式と思考します。
 ブロガー・ヨシダが独特のブログを進める前に強調したいことがあります。一連の当該コラムを下記に列記しますので、先ずはそれからのスタートとさせていただきます:
1.「No.5520:長老が発する言葉琉球新報「金口木舌」2015.6.11.)」

2.「No.5655:沖縄県の翁長雄志知事は自民党出身で県連幹事長などの経歴を持つ。…山陽新聞「滴一滴」2015.8.7.)」
3.「No.5816:沖縄への禁じ手朝日新聞「天声人語」2015.10.28.)」
  上掲の沖縄問題関連記事で強調かつ再認識する必要があるのは、沖縄開発庁初代長官・自民党の山中貞則さんの言葉です。曰く、「沖縄にどんなことをしてもイ イ」がそれ。官房長官などを務めた野中広務氏は何度も沖縄を訪れ、「申し訳ない」と頭を下げた。「はらの中から話をしてくれていう」と翁長氏には感じられ た・・・。橋本龍太郎首相は党総裁室の前で順番待ちをしていた翁長氏らを行列の最後に回し、1時間にわたって話を聴いてくれた。「沖縄を5分(通常の面接 時間)で済ませるわけにはいかない」という橋本首相の心遣い。時間制限をしない最後の面接で存分に話しを聴こうという姿勢でした。
 さて、ブロ ガーのヨシダが此処でこの場で強調したいことは、前述のブログ通りに、終戦後の天皇陛下(昭和天皇)が「沖縄基地問題」を称して「・・・それでよ い・・・」と言われた歴史的事実に接したことをもっ て、ヨシダはそれゆえにこそあったのが山中貞則さん、野中務さんに橋本龍太郎さん3人のご人物だったのではないだろうか・・・という憶測です。天皇の御心 を受けたそれは臣下としての果たすべきこととしてのあのような「沖縄基地観」ではなかったのだろうか、がヨシダの推理です。
 現代の現役政治家は 二代目・三代目だけに、そういった「裏話」には疎く、肌で感じないことが否定できません。
  さて、肝心の昭和天皇の「沖縄でよい・・・」なるご発言ですが、前述したように、ある人物が週刊誌インタビュー(天皇に関する自身の著書出版記念インタ ビュー)で語った言葉があるのです。「昭和天皇は・・・それでよい・・・と語った」 なる字句です。雑誌の片隅に見つけた言葉でしたが、以来、二度とそのお言葉がマスメディアに登場したことは現在にしてもありません。マスメディア界で「封 印」された感じでさえ受けとめるヨシダです。
 日本列島を地図で眺めても言えることに、ド素人のヨシダですら、沖縄が日本列島の防衛基地としては ベストな「ロケーション」にあることは容易に想像できることです。それは他ならぬ「地政学的な見地」からのものであるからです。地政学の地の字も分からな い、学んでいない者でも容易に想像できる「最善の防衛基地」足り得ると想像できるからです。
 ちなみに、この「地政学」とやらですが、戦後の マッカーサー総司令官が発したのが「日本人の『地政学』禁止条例」でした。案外と話題にならないことですが、どうやら、戦後70周年にして「時効」となっ た感じです。大っぴらに国内・日本人間で口にされてきています。「地政学(Geopolitics)」とは、「地理的な位置関係が政治国際関係に与える影響を研究する学問である(ウィキペディア)」です。
 古今、洋の東西を問わぬ人類歴史にみる「争いや戦争」等々は全てこれを発祥としているのが事実です。とりわけ、中東のそれは顕著と言えるでしょう。
  さて、じゃあ、それらの事実を踏まえてどう処していけばよいのか?が大問題です。政治家のセの字の知識や経験も持ち合わせぬヨシダのブログをズバリしま す!政府予算の思い切った今までにない「大判ふるい」を提示するしかないと思いますがどうでしょう?今まではある条件提示で了解されていたものが、何 故!?式のものでなく、当該県沖縄が要求しないほどの予算を提示することしかないとさえ極言することを憚りません。具体的には沖縄と 同県人をして、そんな多額の助成金は欲しくない・・・と、言わしめるほどの大予算計上です。本土人からみれば「涎もの」とでも言える高額地域振興助成金予 算で、「迷惑料」とでも言えるでしょう。
 もう一歩進んで言えば、「沖縄が基地問題で嫌なら、本土のしかるべき土地建物を提供します」といった類 の政策提示。万一、それが住民過疎化を招来するとすれば、本土(内地)の人たちへの「沖縄移住政策参画」の呼びかけ・・・と、考えれば両サイドの人たちに 満更でもない案が出てくるのではないでしょうか?チビチビ、勿体ぶった予算執行でなく、第三者がみても、そこまで国が強力に推進せねばならないのだった ら、俺も私も相談に乗りまっせ・・・がヨシダの究極の提言です。
 言い出しぺ、無責任発言と断じて言うなかれ!後ろに控えてエールをおくるのが、 今は亡き山中貞夫初代沖縄開発庁長官であり、橋本元総理であり、野中さん足り得るからです。何時ものことながら、「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほ ど」に加えて「暴論発言はご勘弁を!」とします。でも、こんな考え方もあるんだ!をお忘れなく!かくいうブロガーのヨシダはお陰で欲求不満は皆無!って按 配です(笑)(13:50)

 本日はこれにてオワリ!と思っていたら、日経メルマガの飛び込み。「No.5894:「まず行動すべきは日銀」 賃上げ促進へ黒田総裁日本経済新聞2015.11.30.編集委員 清水功哉)」がそれですが、ヨシダの得た副産物は1年半も前のウォール・ストリート・ジャーナル紙記事。前日銀総裁の白川さんの弁にヒットしてビックリするやら、やっぱし・・・とレスポンスするヨシダです。まずはご覧ください。(21:50)

No.5894
「まず行動すべきは日銀」 賃上げ促進へ黒田総裁
日本経済新聞2015.11.30.編集委員 清水功哉
ヨシダブログ:経 営者の端くれとして60余年間、なかんずく中小企業では稀有な労組を擁しただけに、少しは「物価と賃金関係」には認識を持つと自負します。がしかし、日銀 が言うからわが社もそれに従って・・・とはなかなか決断ができないのではと感じます▼例えばの話、わが社は運送会社でしたから、こんなことが想像されるで しょう。運送業界における「日銀政策への協力の在り方」を考えてみましょう。「日銀政策に協力してドライバーの賃金を上げるから運賃を(も)上げてくださ い」と。予想される荷主側の弁はこうでしょう。「冗談じゃあない、燃料価格は下落していることから、二重取りのメリットを運送業者は得ることにな る・・・」と▼物価のメカニズムは「賃金や原料価格が上がるから販売価格の値上げ」というのが自然の経済原則。その原則を無視したように、先に賃金をあげ て、だから運賃を上げて・・・」では説得力に欠けると思いますがどうでしょうか?日銀方式にいけば、誰かが率先してリスク覚悟の先手値上げしか方法がない 感じです。運悪く、原油の国際価格は下落気味▼肝心の賃金は世界人口が暴発しているのですから、大局的にも賃上げにブレーキがかかります。加えて産業ロ ボット化は一層高まりつつあるし、日本ではまだその心配はない感じですが、難民や移民の受け入れは国際的なニーズとさえ言われる時代。 安 価な労働力調達を目の前にしての政府日銀の誘導政策には死活問題になるだけに慎重にならざるを得ないでしょう▼それにしても、中央銀行のさじ加減一つで簡 単に、絵に描いたモチのようにものごとが巧くいくとは言えないでしょう。ヨシダの好奇心の最たるものは、前日銀総裁の白川さんは内心どんなことを思ってお られるだろうか?・・・です。グーグルで検索してヒットしたのは昨年5月15日の記事。実に早い時点で黒田批判をされているのに気付きました。当該記事は 「白川前日銀総裁、金融政策による景気刺激の限界を指摘(ウォール・ストリート・ジャーナル)です。知らぬはヨシトだけだった?トホホ・・・です▼「中見出し」は、■官民対話を意識した発言、■労組にも発想転換促す・・・と続きます。写真5枚添付ファイル
 「中部経済界の会合で質問に答える黒田総裁」の画像検索結果「中部経済界の会合で質問に答える黒田総裁」の画像検索結果 「黒田総裁語録」の画像検索結果   「上念司」の画像検索結果「清水功哉」の画像検索結果
No.5893
昨年の夏、天皇、皇后両陛下の対馬丸記念館訪問を取材した。慰霊碑に頭を…
沖縄タイムス「大弦小弦」2015.11.30.阿部岳
ヨシダブログ:昭 和のひと桁族爺さん・ヨシダに免じての辛口ブログで失礼します。両陛下の皇太子時代と二回に亘る「対馬丸記念館のご拝観」関連記事なかんずく、関係写真を 追いながら胸に刺さるものを感じます。ほかでもありません、本記事筆者(末尾の沖縄タイムス紙章&筆者写真) を横目に感じることですが、「日本語の乱れ」を感じないでもありません。筆者・阿部岳さんの年代からすれば違和感がないのかもしれませんが、ヨシダ爺ちゃ んにとってはヒヤヒヤ表現が随所です。ご本人さんが日常生活でご自分の恩師とか、インタビューする高貴の人物に対しても同じような表現(言葉)をお使いに なるのだろうか・・・?と、正直、首を傾げます▼日本語に敬語があることをもって得意漫然とするセクトにヨシダが皮肉るのは、その裏返しにあるのが、日本 語独特の「優越語・蔑視語・謙り語・阿り語Ect.」です。更にヨシダに言わせれば、そうした相手を見て言葉の使い分けを必要とする日本語ゆえに、日本人 は「自己表現力」が上手いとは言えません。ましてや英語もです。ヨシダの弁は、それを上手に適切に使い分けることのできる人こそが教養ある人物と言えるの であって、十把ひとからげの一本調子の日本語表現で平静を装うニッポン人には違和感を抱きますがどうでしょうか?▼ 蛇足のブログをもうひとつ!日本語(?)にはジャンジャンとカタカナ新語が若者連中間に生まれています。これなどは、折角の日本語の良さを自らの手で崩壊 さす行為と映るのですが、思い過ごしでそうか?・・・▼(追伸ブログ)本記事文中にある天皇陛下が皇太子時代の沖縄訪問に際してのお言葉、「石ぐらい投げ られもいい・・・」のお言葉がヨシダの胸に刺さるものを痛感します。ヨシダがよくブログする言葉を想起します。ある著名な作家で知らない者のいない人物の 弁がそれです。天皇に関する著書出版の折の記者会見の場での発言です。ある雑誌の片隅に見つけた貴重な言葉です。「(沖縄の基地選定に関して)それでよ い・・・」という天皇のお言葉があったとか、です。地政学的にも万人の認めざるを得ないのが沖縄基地問題の原点とも言えるもの。ヨシダの存念は、この辺り のコンセンサスとそれへの代償をどをようにするか、が現代日本(人)に求められる所以と心得るのがヨシダです。(写真16枚添付ファイル
   「天皇、皇后両陛下の対馬丸記念館訪問」の画像検索結果  「天皇、皇后両陛下の対馬丸記念館訪問」の画像検索結果     関連画像 「天皇、皇后両陛下の対馬丸記念館訪問」の画像検索結果    関連画像
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             「矢部宏治」の画像検索結果「須田慎太郎」の画像検索結果「「戦争をしない国-明仁天皇メッセージ」矢部宏治」の画像検索結果  「「戦争をしない国-明仁天皇メッセージ」矢部宏治」の画像検索結果   「沖縄タイムス」の画像検索結果「阿部岳(沖縄タイムス)のプロフィール」の画像検索結果
No.5892
生涯現役の時代でも20代の4割は「定年後働きたくない」
DIAMOND Online2015.11.30.編集部 林 恭子
ヨシダブログ:ヨシダの在 日中は人生第3毛作で演じた経営コンサルタント人生の初期、「健康・生きがいづくりアドバイザー」という厚生労働省関連の公的資格を取得しました。定年後 のあり方を巡る助言活動を事業の一角に据える考えのものでした▼受講者の殆どは大企業OBでした。皮肉なヨシダ分析を辞しません。大企業勤務者は定年後で も自身の存在感を何らかの形で維持したいという願望が背景です。なんらかの「肩書き・資格」を持って存在感や自負心を確保したい、というのが動機と分析し たものです。じじつ、中小企業OBは皆無でした。かれらは定年制そのものもないような職場。働けるまで働く、働ける、働かねばならない・・・というのが人 生環境であるからです。換言すれば、働けるまで何かをしてでも働く、働かねばならない、といった根性がその背景とみたものです。だって、年金は別として、 退職金は大企業族と比べたら比較にならないほど低額ですから、働き続けざるを得ないのが実態です▼・・・と、まあ、皮肉な分析は横に置いといて、のこと。 本記事にヒットして正直って84歳のヨシダにとって痛感しかつ余計なことですが、些か不安感を禁じえないのが現代母国ニッポンの同胞の「職業観」、という より「人生観」そのものです▼話はそれますが、現代若者が留学を好まないことを危惧している一人です。その背景にあるのが、少子社会・一人っ子時代にあっ て、若者たちのホンネは「親の財産はいずれはボク・ワタシのもの。とすれば、シンドイ想いをしてまで海外留学や勤務までしなくても・・・」といったホンネ は否定できません▼そう言えば、本記事中にみる言葉に愕然(とは、大袈裟な!でも昭和一ケタ族のヨシダにとってはデス!)とする一節があります。曰く、「定年後働きたくない」20代は4割も!・・・」がそれです。イヤハヤです▼・・・とブログすればキリのないテーマですので、この辺りで、くだんの「中見出し」は、■40 代超が知らない20、30代の本音 「定年まで働ける会社で働きたいけど…」、■「定年後働きたくない」20代は4割も! 働かない という選択肢はありえる?・・・と続きます。一方、「定年後、働ける間はどのように過ごしたいですか?」という問いに対する回答は、「仕事はしたくない 37.04%、自営業・」フリーランスで仕事をしたい24.07%、定年前とは異なる会社(組織)で定年後は働きたい20.37%、今の会社で定年後も働 きたい16.67%、定年前までに転職した会社で定年後も働きたい0%」と、複雑多岐の選択肢です▼さて、読者の反応は・・・?ちなみに、本記事の参考資 料をかつかつ読める程度に圧縮したものを添付資料とします▼再度の84歳ヨシダのボヤキ。「ワンス・アポン・ア・タイム、ニッポン人という名の優秀な民族 が居ったげな・・・」が世紀後の話題にならぬことを・・・▼意地悪いヨシダブログをもう一つを追記します。人生80年時代にあって、定年後人生のン十年の 過ごし方が気がかりです。エッ!?「余計なお世話だ!」と?ハイ、失礼しました。シャット・マイ・ブログします・・・。写真3枚添付ファイル
   
                          
 昨日29日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日30日の第一記事掲載(9:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


     毎月の28日はヨシダにとって意義深くしているもの その理由(わけ)は!?
                (この記事は月末まで掲載継続します。)
 プライベートなことでかつ、単純で大人気ない(?)とも思えるようなことをヨシダは執拗に意識して現在に至ります。ほかでもありません、「28日」という日は吉田祐起の誕生日のそれに当たることから、この日を中心にわが人生の歩みが刻まれている、という自覚や認識です。
 つまり、年に12回の誕生日を意識して「満83歳○ヶ月」とウェブサイトにも掲載し、自身もそれを意識して送っているのです。あと、何日で28日・・・といった具合にです。これって、ちょっと、ユニークはモノの考え方だと自負します。
  時が経つことで、洋の東西を問わず、意味深長なのが「光陰矢の如し」という言葉。英語でも"Time flies like an arrow" と人々は口にします。矢の如く時が去った、と感じることは、その分、人生を短く送っていることを意味するのであって、まさか、時が早く去って歳をとったか ら ヨカッタとは誰も思わないハズです。
 強いてそれをポジティヴに解釈すれば、苦しい時もあったけど、あっと言う間に過ぎ去った、苦しいこと を 克服 してきた、開放された、といったくらいの解釈も成り立つでしょうが、それとて、味わうべき喜怒哀楽の人生がその分、短く去ったことを意味する結果でしかな い、というのがヨシダです。
 折角この世に生を受け、与えられた人生ならば、その喜びを文字通り、日々味わいつつ、感謝しつつ過ごす(消化する)という考え方のほうが、その逆の苦しい人生、早くに過ぎ去って欲しいもの・・・よりもずっと、ハッピーだと思うのです。
  さらに、こんなことも頭に描かれると思います・・・。例えば、何かを達成するとか、成し遂げるものを持っているとします。ヨシダ流の処し方は、優先順位の 見 極めです。沢山ある仕事の優先順位を頭にしっかりと入れて処す方法。ストレスもなくなります。計画的にというのは誰でも言いますが、その処し方の基本はな んと言ってもターゲットとする日の設定でして、ヨシダの場合は毎月の28日がそれになっているという感じです。
 その日(28日)が来たら、ウン、オレはあれもやった、これもやり遂げた、出来なかったことは次の月の28日をひと区切りに・・・といった按配です。これって単純なモーチベーションに過ぎませんが、案外と効果的です。
  結果的には、折角与えられた人生期間を感謝の念をもって着々と消化して事を成し遂げる、といった図式です。同じ1年サイクルで巡ってくる自身の誕生の 「日」をハッピー・バース・デイ!と心の中で呟きながら日々の経過を味わいつつ・・・といったシナリオです。こうした考え方がヨシダが永年、心に入れてい るキーワードに繋がるのです。「生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ」がそれです。
 ところで、これも他愛もないことですが、10月 28日はかのマイクロソフトのビル・ゲイツさんの誕生日(1955年)を早くに認識してきたものです。人間のスケールからすれば、ドダイ比較対象する何も のもないのですが、誕生日だけは同じ!と言える(思える)のがイイ味ってところです(笑)。ヨシダはビル・ゲイツさんと同じ誕生日って思うだけでも、思わ ないよりずっとマシって按配です。
 ふと、この記事を書きながら好奇心旺盛なヨシダは即座にヨシダの認識するその他の著名人を平素世話になるグーグルさんから拾い出しました。多くある人物の中からヨシダの好みに従って人物名と写真を列記して誕生日の味わい方を増幅さす次第です。
 1.徳川 慶喜(1837:江戸幕府第15代将軍)、2.横河民輔(1864:横河電機創業者)、3.ジェイコブ・D・コックス(南北戦争北軍将軍・共和党・第28代オハイオ州知事・第10代アメリカ合衆国内務長官)、4.エルザ・ランチェスター(1902:イギリスの女優)、5.東富士欽壹(1973:大相撲第40代横綱)、6.浜田 晃(1941:俳優)、7.小池真理子(1952:女優)、8. ビル・ゲイツ(1955:マイクロソフト創立者)、9.吉田都(1955:バレリーナ)、10.吉田里琴(1999年:女優)・・・と。ハイ、末尾11は吉田祐起(1931:本サイト編集長)で~す!
 ヨシダって好奇心旺盛 でしょう。こんなことに時間を使うから超多忙人間(?)。日々をかみ締めながら生きるから「光陰矢の如し」は無縁たる所以です(笑)。

  Cox, Jacob D. M.C. Ohio (Secty of Interior in Grant Adm.).jpgエルザ・ランチェスターElsa LanchesterAzumafuji 1950 Scan10025-2.JPG   http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 

ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。) 

                      
2015年11月30日(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                       
 吉田祐起
            
             (満84歳1ヶ月)  

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.co