吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳0か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 上掲の自己紹介リンクは2012年6月付のもの。爾来、3年半近くが経過しましたが、そこからが本番って感じの生活ぶりで過ごしています。
  ある縁を得て、フィリピン家族(総勢半ダース余)と共同生活を送っています。英語の契約書も交わして弁護人介在の約束事です。題して「相互信頼精神に基づ く運命共同体生活」がそれです。ヨシダの終生面倒見がかれらの約束事。一方のヨシダの約束事は、かれらを貧困から脱却さすことにあります。ヨシダの年金等 をかれらに管理委託してのことですが、事実上は、そっくり任せっきりということです。相互信頼の最たるものと自負します。でも、こんな芸当はだれかれでき るシロモノではないでしょうよ(笑)。 
 僭越ですが貧困からは完全に脱却させています。自家用車も月賦完済。次は土地。その次は持ち家・・・といった意気込みで頑張っているところです。
 ・・・ と、こんな生活設計を描いて現在に至るヨシダですが、ヨシダの義務は長生きすることにあると自覚しています。そのためには満40歳から動機を得て始めて現 在に至る自己流のストレッチング体操に一層の磨きをかけるなど、加えて長年に及ぶステッキ使用で肩にかかった重荷による肩こり解消に集中努力をして通算7 年。お陰で99.9%の達成振りです。でも、ちょっと真似のできない自助努力と自負します。
 肝心のボケ防止のための独特の手法を編み出したのが2012年3月!題して「インタネット情報&ヨシダブログ」がそれです。詳細はクリックしてご覧ください。「こんなことをしているなんて、カッコいいボケ防止!」と賞賛されると確信しますよ(笑)。(2015.11.13.記)

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                  English               
            2015年11月23日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.
28.   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った11月23日の「できごと」 
                          November 23 Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。

6   関連画像   「1889, first music box installed in Palais Royale Saloon」の画像検索結果  「1889, first music box installed in Palais Royale Saloon」の画像検索結果     「1889, first music box installed in Palais Royale Saloon」の画像検索結果「1889, first music box installed in Palais Royale Saloon」の画像検索結果「1889, first music box installed in Palais Royale Saloon」の画像検索結果「1889, Palais Royale Saloon」の画像検索結果
 「1889年の日本」の画像検索結果「1889年の日本」の画像検索結果「1889年の日本」の画像検索結果「1889年の日本」の画像検索結果9    「1936, magazine LIFE first edition」の画像検索結果
17「1963, first satellite tv between japan and america」の画像検索結果「1963, first satellite tv between japan and america」の画像検索結果「1963, first satellite tv between japan and america」の画像検索結果  「1963, first satellite tv between japan and america with kennedy assassination new」の画像検索結果    「kennedy assassination tv」の画像検索結果    「1963, first satellite tv between japan and america with kennedy assassination new」の画像検索結果  関連画像
20「1976, Jacques Mayol,」の画像検索結果「1976, Jacques Mayol,」の画像検索結果「1976, Jacques Mayol,」の画像検索結果 「1976, Jacques Mayol,」の画像検索結果31「2009年 - フィリピン・ミンダナオ島・マギンダナオ州にて虐殺事件」の画像検索結果「2009年 - フィリピン・ミンダナオ島・マギンダナオ州にて虐殺事件」の画像検索結果「2009年 - フィリピン・ミンダナオ島・マギンダナオ州にて虐殺事件」の画像検索結果「2009年 - フィリピン・ミンダナオ島・マギンダナオ州にて虐殺事件」の画像検索結果 
534 BC Thespis  of Icaria becomes the first recorded actor to portray a character onstage.
1174Saladin enters Damascus, and adds it to his domain.
(1)1227年 - ポーランド大公レシェク1世が暗殺される。
1248 – Conquest of Seville by Christian troops under King Ferdinand III of Castile.
1499 – Pretender to the throne Perkin Warbeck is hanged for reportedly attempting to escape from the Tower of London. He had invaded England in 1497, claiming to be the lost son of King Edward IV of England.
1510 – First campaign of the Ottoman Empire against the Kingdom of Imereti (modern western Georgia). Ottoman armies sack the capital Kutaisi and burn Gelati Monastery.
1531 – The Second War of Kappel results in the dissolution of the Protestant alliance in Switzerland.
1644John Milton publishes Areopagitica, a pamphlet decrying censorship.
1733 – The start of the 1733 slave insurrection on St. John in what was then the Danish West Indies.
(2)1808年 - トゥデラの戦い英語版フランスワルシャワ公国スペインに勝利。
1810Sarah Booth debuts at the Royal Opera House.
(3)1837年 - オーストリア初の鉄道開業。
(4)1863年 - 南北戦争: 第三次チャタヌーガの戦いが始まる。( - 11月25日
1867 – The Manchester Martyrs are hanged in Manchester, England, for killing a police officer while freeing two Irish nationalists from custody.
1876 – Corrupt Tammany Hall leader William Magear Tweed (better known as Boss Tweed) is delivered to authorities in New York City after being captured in Spain.
(5)1885年 - 大阪事件。旧自由党指導者・大井憲太郎らの朝鮮開化派支援計画が発覚し大阪で逮捕。
(6)1889年 - サンフランシスコのパレ・ロワイヤル・サルーンに世界で初めてジュークボックスが設置される。
(7)1890年 - オランダ国王・ルクセンブルク大公ウィレム3世が男子の後継者がないまま死去。オランダは王女ウィルヘルミナが王位を継承し、ルクセンブルクでは遠縁のアドルフが大公位に就いたため、両国の同君連合が解消。
1910Johan Alfred Ander becomes the last person to be executed in Sweden.
1914Mexican Revolution: The last of U.S. forces withdraw from Veracruz, occupied seven months earlier in response to the Tampico Affair.
1918Heber J. Grant succeeds Joseph F. Smith as the seventh president of The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints.
(8)1918年 - リトアニアにおいてリトアニア国軍が創設される。
1924Edwin Hubble's scientific discovery that Andromeda, previously believed to be a nebula within our galaxy, is actually another galaxy, and that the Milky Way is only one of many such galaxies in the universe, was first published in a newspaper.[citation needed]
1934 – An Anglo-Ethiopian boundary commission in the Ogaden discovers an Italian garrison at Walwal, well within Ethiopian territory. This leads to the Abyssinia Crisis.
(9)1936年 - 雑誌『ライフ』の創刊号が発売される。
1939World War II: HMS Rawalpindi is sunk by the German battleships Scharnhorst and Gneisenau.
(10)1940年 - 第二次世界大戦: ルーマニア日独伊三国軍事同盟に加盟し、枢軸国の一員となる。
(11)1940年 - 大日本産業報国会設立。
(12)1941年 - 第二次世界大戦・真珠湾攻撃: 南雲機動艦隊単冠湾に集結する。
(13)1941年 - 宮城県塩竈市が市制施行。
(14)1943年 - 第二次世界大戦: タラワの戦いが終結、日本軍守備隊が玉砕する。
1943 – World War II: The Deutsche Opernhaus on Bismarckstraße in the Berlin neighborhood of Charlottenburg is destroyed. It will eventually be rebuilt in 1961 and be called the Deutsche Oper Berlin.
1946 – French naval bombardment of Hai Phong, Vietnam, kills thousands of civilians. This was to lead to the First Indochina War.
(15)1954年 - 茨城県高萩市が市制施行。
(16)1955年 - ココス諸島の施政権がイギリスシンガポールからオーストラリアに移管される。
1959French President Charles de Gaulle declares in a speech in Strasbourg his vision for "Europe, from the Atlantic to the Urals".
(17)1963年 - 通信衛星による日米間のテレビ中継に成功。最初の衛星ニュースは同日(米時間22日)のケネディ大統領暗殺事件
(18)1963年 - イギリスSFテレビドラマドクター・フー』の放送がはじまる。
1971 – Representatives of the People's Republic of China attend the United Nations, including the United Nations Security Council, for the first time.
1972 – The Soviet Union makes its final attempt at successfully launching the N1 rocket.
(19)1973年 - 静岡県の富士スピードウェイでの富士GC最終戦で衝突事故。4台が炎上し、レーサー中野雅晴が死亡。
1974 – Sixty Ethiopian politicians, aristocrats, military officers, and other persons are executed by the provisional military government.
(20)1976年 - ダイバーのジャック・マイヨールが人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録を達成。
(21)1978年 - 協定世界時午前0時をもって、南北アメリカを除く全世界でAMラジオの周波数が10kHzおきから9kHzおきに一斉に変更される[注釈 1]
1978Cyclone kills about 1000 people in Eastern Sri Lanka.
1978: The Geneva Frequency Plan of 1975 goes into effect, realigning many of Europe's longwave & mediumwave broadcasting frequencies.
1979 – In Dublin, Ireland, Provisional Irish Republican Army member Thomas McMahon is sentenced to life in prison for the assassination of Lord Mountbatten.
1980A series of earthquakes in southern Italy kills approximately 3,000 people.
1981Iran–Contra affair: Ronald Reagan signs the top secret National Security Decision Directive 17 (NSDD-17), giving the Central Intelligence Agency the authority to recruit and support Contra rebels in Nicaragua.
(22)1985年 - エジプト航空648便ハイジャック事件
(23)1992年 - 風船おじさんこと鈴木嘉和が、鳴き砂の保護を訴えて、風船を多数つけたゴンドラでアメリカをめざして出発し、以後消息不明となる。
1992 – The first smartphone, the IBM Simon, is introduced at COMDEX in Las Vegas, Nevada.
1993Rachel Whiteread wins both the £20,000 Turner Prize award for best British modern artist and the £40,000 K Foundation art award for the worst artist of the year.
(24)1995年 - マイクロソフトWindows 95の日本語版を発売。
(25)1996年 - バンダイたまごっちを発売。
(26)1996年 - エチオピア航空961便ハイジャック墜落事件
(27)2001年 - ハンガリーブダペストサイバー犯罪条約に調印。
(28)2002年 - ジュビロ磐田がJリーグ初の両ステージ完全制覇。
2003Rose Revolution: Georgian president Eduard Shevardnadze resigns following weeks of mass protests over flawed elections.
2004 – The Holy Trinity Cathedral of Tbilisi, the largest religious building in Georgia, is consecrated.
2005Ellen Johnson Sirleaf is elected president of Liberia and becomes the first woman to lead an African country.
2006 – A series of bombings kills at least 215 people and injures 257 others in Sadr City, making it the second deadliest sectarian attack since the beginning of the Iraq War in 2003.
2007MS Explorer, a cruise liner carrying 154 people, sinks in the Antarctic Ocean south of Argentina after hitting an iceberg near the South Shetland Islands. There are no fatalities.
(29)2007年 - JR東日本E655系電車「なごみ(和)」デビュー。
(30)2008年 - 第16期倉敷藤花戦里見香奈女流二段が清水市代倉敷藤花を下し、16歳8カ月の史上3番目の年少記録で初タイトルを奪取。
(31)2009年 - フィリピンミンダナオ島マギンダナオ州にて虐殺事件が発生。
(32)2010年 - 北朝鮮韓国延坪島を砲撃、韓国側も対抗射撃。(延坪島砲撃事件
2011Arab Spring: After 11 months of protests in Yemen, Yemeni president Ali Abdullah Saleh signs a deal to transfer power to the vice president, in exchange for legal immunity.

                          インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5879件です。 
2015年11月23日(月)掲載分

昨日11月22日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

  本日「11月23日のできごと」 でヨシダが特にマークするのは「(9)1936年 - 雑誌『ライフ』の創刊号が発売される」、「(17)1963年 - 通信衛星による日米間のテレビ中継に成功。最初の衛星ニュースは同日(米時間22日)のケネディ大統領暗殺事件」、「(31)2009年 - フィリピンミンダナオ島マギンダナオ州に て虐殺事件が発生」です★前者は二十歳代に「ライフ誌」を購読したものです。と言っても熟読でなく、写真と文章の見比べ・・・といった程度。当時の日本人 社会は英語熱盛ん。羨ましがられたのを得意満面(?)の若者時代。じじつ、その英語力でアメリカの同業者得流して新技術を習得して日本全国に広めた貢献者 です★ケネディー暗殺報道が日米間テレビ中継の成功の第一報だったのは知りませんでした。昨日の本欄で沢山の当該写真を添付して想起したできごとでした★ 三番目のできごとはヨシダがフィリピンに移住して間もない時のことで鮮明です。
 「No.5879:鑿と槌で岩を砕こう長崎新聞「水と空」2015.11.23.信)」 を編集しながらふと想うことに、同じヒバクシャでも生き方は全く別。でも、それは表現方法は異なれども、最終的にその異なる生き方を通じてヒバクシャなら ではの、なにか独特のものを表現することはできるものと感じます。ヨシダのそれは、現在の、この生き様を貫くことにあり、と再認識する次第です。 (10:55)
 今日は「勤労感謝の日」。海外に7年も居ると母国の伝統祝日の感覚が失せそうです。昭和の一ケタ族にとっては「新嘗祭」でして、「収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代皇極天皇の時代に始まった新嘗祭の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。新嘗祭は1872年明治4年)までは旧暦11月の2回目のの日に行われていた。1873年太陽暦グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年か らは11月23日に固定して行われるようになった。11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11 月の2回目の卯の日が11月23日だっただけのことである(ウィキペディア)」と再勉強しました★食事の際のヨシダ流感謝のマナーをひとつ(笑)。一日二 食の最初は「ブレンチ(ブレクファスト・ランチの合成語)」では居間に出てのこと。世話をしてくれるアーネルの姉を横目に、「(手を合わせて)日本語 で<イタダキマ~ス!>」。済んだ時は、セニーを前に手を合わせて「サンキュー!セニー・・・」と心を込めて口にします★午後3時目安の 「ディナー」はヨ シダの部屋にセニー用意してくれますが、手を付けるのは彼女が部屋を出てしばらくのこと。ひとり言で手を合わせて「いただきま~す」、済んだ時は同じく手 を合わせて「ご馳走様でした・・」と。セニーが食器を引き上げて入ってきたら、「サンキュー、セニー!」と★「感謝の心」と言えば、自分でも不思議なほど 頻繁にしている近年のヨシダです。一瞬一瞬を感謝の念を強くします。4百回の両足膝屈伸運動時にも、数を数えならが同時に感謝の念をいだきます。一日に何 千回にもなる感じです。こんな体験は初めてだし、それができることは感謝です★もう一つ蛇足の弁。虫歯の気配は無かったのですが、かなり前から右奥歯に痛 みを感じ案じていました。「これも歳のセイだろう・・・」と割り切ったのですが、どうでしょう!くだんの右肩の極度な石みたいに硬くなっていた局部目がけ て必死にゴルフボールをあてがって体重を掛けるヨシダ流儀の努力が奏功してか、正常になったのです!異常な肩こりが肩に至近距離の歯茎に悪影響を与えてい たものと素人考えではありますが、体感してきました。足かけ8年間の長期に及ぶヨシダ流の肩こり解消努力ですが、不思議なほどの体験をしてきています。で も、ちょっと、真似はできないでしょうね。独特の生活環境と本人のそれこそ石みたいな強烈な意志と実行力あればこその成果と自負し、心底感謝しているとこ ろです★・・・と、こんな長文の「ひと言ダイアリー」ですが、あっという間にブログできるのが嬉しい限りです。有言実行を貫くヨシダの生き様の一端です。 感謝の念も心にとどめるだけでなく、文章化することに一層の「効果」を自覚する始末です(笑)。(11:50)
 本日の取材は、ナガサキ・ヒバクシャの故・今田斐男さんの関連記事。「青の洞門」を貫いた禅海僧に見立てた小さな運動の主。ヨシダのやっていることは自己満足的なウェブの書き込み。でもまあ、継続は力なり。ボケ防止あるのみです。No.5879:鑿と槌で岩を砕こう長崎新聞「水と空」2015.11.23.信)」を編集しながら今田さんの霊に合掌しました。(20:45)

No.5879
鑿と槌で岩を砕こう
長崎新聞「水と空」2015.11.23.信
ヨシダブログ:本記事主人公のナガサキ・ヒバクシャである故・今田斐男さんの業績を追いながら文中に出てくる「青の洞門」を貫いた江戸時代の僧・禅海の業績とオーバーラップして偲びました何 ごとも小さなことから始まることをあらためて痛感します▼ふと、わが身を振り返ります。人生第一、第二、第三毛作なかんずく、3人の子を設けながら離婚 し、育て上げたグループ企業はそっくりとかれらに譲り、挙句の果ては(?)、16年間同棲した女性には年金等の全てを譲渡して、裸一環でこの国・フィリピ ン に渡って間もなく7年目。最終段階の人生では、「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」に身を置き自身の個人財産はゼロ同様(笑)の生活を甘んじて選択。 文字通り、「自利から他利」を生きるヨシダ。そのお陰か、現在のヨシダは隠居生活がこんな贅沢な(?)選択肢にあることを満足しています。世の中って良くしたもんですよね~、がヨシダがシミジミ感じることです。今田さんの霊安かれと祈ります。合掌(写真19枚添付ファイル
 「今田斐男、」の画像検索結果「今田斐男、」の画像検索結果  「今田斐男」の画像検索結果 「今田斐男座り込み、」の画像検索結果「今田斐男座り込み、」の画像検索結果「今田斐男、」の画像検索結果 「「ピーストーク きみたちにつたえたいV」」の画像検索結果  「「ピーストーク きみたちにつたえたいV」」の画像検索結果 
     「「青の洞門」禅海」の画像検索結果「青の洞門」の画像検索結果 「青の洞門」の画像検索結果 「「青の洞門」禅海」の画像検索結果 「青の洞門」の画像検索結果 「「青の洞門」禅海」の画像検索結果  
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 昨日22日の記事5編を下記に掲載していましたが、本日23日の第一記事掲載(10:50)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


        ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。
 そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健 康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、それでも思い出したようにやりますが、見事に(?)暗誦しています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
  「主の祈り」に蛇足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学 天文学教授の娘さん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいた人物。後年、出版社が募集した懸賞論文に応 募して「佳作」になった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
  
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"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代っ子は・・・」と、肩をすくめました。
 
ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 
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 ちなみに、このゲティスバーグ演説に関する書籍があります。在日中に吹田市にクライアントがありましたが、その副社長さん(社長夫人)がこのことを知られて関連著書を贈呈してくだされ、フィリピンに持ち寄った数少ない書籍のひとつです。題して「
リンカーンの3分間」(共同通信社刊・376頁」 (原本名:LINCOLN AT GETTYSBURG THE WORDS THAT REMADE AMERICA by GARRY WILLS 北沢栄訳)

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred! と。「ヨシダ流に、百歳にして若く死す」と付け加えて自分のモノにしています。

  「samuel ullman youth poem」の画像検索結果
  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクします

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレの人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿。
 蛇足の弁で恐縮ですが、ヨシダの「君呼ばわり」に対する日本 語 評論があります。「敬語・へりくだり語・蔑視語・優越語Etc.」の使い分けは日本語の持つ悪癖と断じて憚りません。議長ポストの優越感や権威を意識した かのような「君呼ばわり」。その背後に見え隠れするのがその日本語の複雑な使い分け。「君呼ばわり」は「対等・ 若干の議長ポストを意識した優越語」。そう言えば、「君呼ばわり」は相手が年齢的に地位的に「目下」の場合が普通であるからです。この辺りへの「配慮」で 「○○さん」呼ばわりしたのは土井さんのお人柄・・・と強く評価するのが社会党でもないヨシダの気持ちです。今は天上で朗々とこの「マイウエイ」を歌って おられることと想像しています。
    
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。) 

                      
2015年11月23日(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                       
 吉田祐起
                  
       (満84歳0ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.co