吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起のプロフィール :満84歳0か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 上掲の自己紹介リンクは2012年6月付のもの。爾来、3年半近くが経過しましたが、そこからが本番って感じの生活ぶりで過ごしています。
  ある縁を得て、フィリピン家族(総勢半ダース余)と共同生活を送っています。英語の契約書も交わして弁護人介在の約束事です。題して「相互信頼精神に基づ く運命共同体生活」がそれです。ヨシダの終生面倒見がかれらの約束事。一方のヨシダの約束事は、かれらを貧困から脱却さすことにあります。ヨシダの年金等 をかれらに管理委託してのことですが、事実上は、そっくり任せっきりということです。相互信頼の最たるものと自負します。でも、こんな芸当はだれかれでき るシロモノではないでしょうよ(笑)。 
 僭越ですが貧困からは完全に脱却させています。自家用車も月賦完済。次は土地。その次は持ち家・・・といった意気込みで頑張っているところです。
 ・・・ と、こんな生活設計を描いて現在に至るヨシダですが、ヨシダの義務は長生きすることにあると自覚しています。そのためには満40歳から動機を得て始めて現 在に至る自己流のストレッチング体操に一層の磨きをかけるなど、加えて長年に及ぶステッキ使用で肩にかかった重荷による肩こり解消に集中努力をして通算7 年。お陰で99.9%の達成振りです。でも、ちょっと真似のできない自助努力と自負します。
 肝心のボケ防止のための独特の手法を編み出したのが2012年3月!題して「インタネット情報&ヨシダブログ」がそれです。詳細はクリックしてご覧ください。「こんなことをしているなんて、カッコいいボケ防止!」と賞賛されると確信します。(2015.11.13.記)

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                         English               
            2015年11月22日(日)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.
28.   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った11月22日の「できごと」 
                          November 22, Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。

   5「Charles I」の画像検索結果「Grand Remonstrance」の画像検索結果 「Oliver Cromwell」の画像検索結果「Oliver Cromwell resolution」の画像検索結果「Oliver Cromwell resolution」の画像検索結果
            「Grand Remonstrance」の画像検索結果 「国王チャールズ1世の処刑」の画像検索結果
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(1)498年 - 第51代ローマ教皇シンマクスが即位。
845 – The first King of all Brittany, Nominoe, defeats the Frankish king Charles the Bald at the Battle of Ballon near Redon.
(2)1220年 - フリードリヒ2世神聖ローマ皇帝に即位。
1307Pope Clement V issues the papal bull Pastoralis Praeeminentiae which instructed all Christian monarchs in Europe to arrest all Templars and seize their assets.
(3)1497年 - ヴァスコ・ダ・ガマが第一次航海で喜望峰に到達。
(4)1557年弘治3年11月2日) - 織田信長清洲城で弟の織田信行を暗殺する。
1574 – Discovery of the Juan Fernández Islands off Chile.
1635Dutch colonial forces on Taiwan launch a pacification campaign against native villages, resulting in Dutch control of the middle and south of the island.
(5)1641年 - 長期議会: 国王チャールズ1世の悪政を挙げ議会改革を要求する議会の大諫奏(大抗議文)がイングランド議会で可決。
1718 – Off the coast of North Carolina, British pirate Edward Teach (best known as "Blackbeard") is killed in battle with a boarding party led by Royal Navy Lieutenant Robert Maynard.
(6)1757年 - 七年戦争: ブレスラウの戦いが行われる。
1812War of 1812: Seventeen Indiana Rangers are killed at the Battle of Wild Cat Creek.
(7)1821年 - イギリスパーマー式モノレールが特許登録される。
(8)1830年 - 第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイイギリスの首相に就任。
1837 – Canadian journalist and politician William Lyon Mackenzie calls for a rebellion against the United Kingdom in his essay "To the People of Upper Canada", published in his newspaper The Constitution.
1858Denver, Colorado, is founded.
1864American Civil War: Sherman's March to the Sea: Confederate General John Bell Hood invades Tennessee in an unsuccessful attempt to draw Union General William T. Sherman from Georgia.
(9)1869年 - ダンバートンで帆船「カティーサーク」の進水式。
(10)1908年 - アルバニア語アルファベットの標準化を目的としたマナスティル会議が終了。(アルバニア語アルファベットの日)
(11)1928年 - モーリス・ラヴェル作曲の「ボレロ」がパリで初演。
(12)1929年 - 近鉄花園ラグビー場の開場式が行われる。
1931Al-Mina'a SC was founded in Iraq.
(13)1935年 - パンアメリカン航空マーチン M130(チャイナクリッパー)による初の太平洋横断定期航空便(サンフランシスコ - マニラ)を就航。
1940World War II: Following the initial Italian invasion, Greek troops counterattack into Italian-occupied Albania and capture Korytsa.
1942 – World War II: Battle of Stalingrad: General Friedrich Paulus sends Adolf Hitler a telegram saying that the German 6th Army is surrounded.
(14)1943年 - 第二次世界大戦: 日本の戦後処理についてのカイロ会談が行われる。
(15)1943年 - レバノンフランスから独立。
(16)1946年 - 埼玉県北足立郡蕨町(現蕨市)で「青年祭」が開催。成人式の発祥とされる。
(17)1950年 - 第1回日本シリーズが開幕。
1954The Humane Society of the United States is founded.
(18)1955年 - ソ連初の水爆実験(コード名RDS-37)に成功。
(19)1956年 - 第16回夏季オリンピックメルボルン大会開催。12月8日まで。
(20)1958年 - 関西テレビ放送(KTV)開局。
(21)1963年 - テキサス州ダラスケネディ大統領暗殺事件が起こる。
(22)1965年 - ミュージカルラ・マンチャの男』がブロードウェイで初演。
1967UN Security Council Resolution 242 is adopted, establishing a set of the principles aimed at guiding negotiations for an ArabIsraeli peace settlement.
(23)1968年 - 日本航空DC-8が操縦ミスからサンフランシスコ沖に着水、死傷者無し(日本航空サンフランシスコ湾着水事故)。
(24)1968年 - ビートルズ10枚目のアルバムザ・ビートルズ』が発売。
1973 – The Italian Fascist organization Ordine Nuovo is disbanded.
(25)1974年 - 国際連合総会PLOオブザーバー資格が与えられる。
(26)1974年 - 部落解放同盟系の活動家が兵庫県立八鹿高等学校の教職員の下校を阻止し、13時間にわたり糾弾。教師48名が負傷(八鹿高校事件)。
(27)1975年 - 11月20日に死去したフランシスコ・フランコの遺言により、フアン・カルロス1世がスペイン国王に即位。
(28)1975年 - 韓国学園浸透スパイ団事件徐勝ら18人の留学生が北朝鮮のスパイであるとして国家保安法違反容疑で逮捕される。
1977British Airways inaugurates a regular London to New York City supersonic Concorde service.
(29)1978年 - 巨人は前日結んだ江川卓との契約をコミッショナーが却下したことに抗議して、ドラフト会議ボイコットした。
(30)1983年 - 静岡県掛川市のレクリエーション施設つま恋ガス爆発、死傷者42人を出す(つま恋ガス爆発事故)。
1986Mike Tyson defeats Trevor Berbick to become youngest Heavyweight champion in boxing history.
1987 – Two Chicago television stations are hijacked by an unknown pirate dressed as Max Headroom.
1988 – In Palmdale, California, the first prototype B-2 Spirit stealth bomber is revealed
1989 – In West Beirut, a bomb explodes near the motorcade of Lebanese President René Moawad, killing him.
(31)1989年 - NECホームエレクトロニクスPCエンジンシャトルを発売。
(32)1989年 - 岡山県美星町で日本初の「光害防止条例」が公布・施行。
(33)1990年 - マーガレット・サッチャー英首相が辞任を表明。
(34)1993年 - 将棋棋士の森安秀光九段が自宅で殺害される。(森安九段刺殺事件
1995Toy Story is released as the first feature-length film created completely using computer-generated imagery.
・1995 – A 7.3
MW earthquake strikes Gulf of Aqaba between the Sinai Peninsula and Saudi Arabia, the largest tectonic event in the area for many decades.
(35)1999年 - 文京区幼女殺人事件が起こる。3日後、近所の主婦が殺害したと警察に自首。
(36)1999年 - 航空自衛隊入間基地に所属するT-33Aの墜落事故が発生。機体が墜落する際、送電線を切断したために埼玉県南部及び東京都西部を中心とする約80万世帯が停電、信号機及び鉄道が停止した。
2002 – In Nigeria, more than 100 people are killed at an attack aimed at the contestants of the Miss World contest.
2003Baghdad DHL attempted shootdown incident: Shortly after takeoff, a DHL Express cargo plane is struck on the left wing by a surface-to-air missile and forced to land.
(37)2004年 - 前日の2004年ウクライナ大統領選挙決選投票の結果を受け、ウクライナ各地でデモが発生。オレンジ革命が始まる。
(38)2004年 - ジョゼ・マヌエル・ドゥラン・バローゾ欧州委員会委員長に就任。
(39)2005年 - アンゲラ・メルケルドイツ首相に就任。ドイツ初の女性首相
(40)2005年 - 広島小1女児殺害事件が起こる。
(41)2006年 - UEFAチャンピオンズリーグで、セルティックの決勝トーナメント進出が決定。同チーム所属の中村俊輔は日本人初の決勝トーナメント出場者に。
(42)2007年 - 日本で初めてのミシュランガイド『ミシュランガイド東京2008』が発売される。
2012 – Ceasefire begins between Hamas in the Gaza Strip and Israel after eight days of violence and 150 deaths.
(43)2013年 - ラトビア、リガ市内のスーパーマーケットの屋根が崩落。死者50人以上。
(44)2014年 - 長野県神城断層地震


                          インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 


只今、 5878件です。 
2015年11月22日(日)掲載分

昨日11月21日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

  本日「11月22日のできごと」 でヨシダが特にマークしたいのは(5)1641年 - 長期議会: 国王チャールズ1世の悪政を挙げ議会改革を要求する議会の大諫奏(大抗議文)がイングランド議会で可決」、「(21)1963年 - テキサス州ダラスケネディ大統領暗殺事件が起こる」です。前者は国王と言えども悪政を許さない民主主義の精神を垣間見ます。後年チャールズ国王は処刑されるのですが、1641年と言えば日本では、 徳川家光の時代。お上主義の日本と民主主義に根ざした西欧なかんずくイギリスの国情との格差を痛感させます★後者はケネディー大統領の暗殺直後は数分後と も思える時間にクルマを運転しながら聴いていたAFRS(Armed Forces Radio Service:駐留軍英語放送)で誰よりも早くに耳にしたことが強烈な想い出です。何か音楽を伴う番組だったように記憶するのですが、ある瞬間に突然雰 囲気がガラッとかわったように低音の重苦しい感じの音楽にシフトしました。!?と感じた次の瞬間に悲壮感を伴うような語調でアナウンサーの声が流れたのを 記憶します。"President Kennedy has been assassinated ....."で始まりました。ア サシネイという動詞を当時知らなかったのですが、不吉な予感で殺害されたと感じ取りました。じじつ、その直後のアナウンサーの言葉にkilled(殺害) という言葉が何度も出てきたものでした。と、いったことからですが、恐らく日本人でケネディー大統領の暗殺事件を一番早くに知った日本人、と内心秘めてい ます★1993年に一ヶ月間米国取材旅行をした際に、アメリカ人友人とのダラスでの再会を機にこの歴史的な事件の現場を参観しました。特に印象強くしたの は、かのオズワルドが狙撃したという当時の教科書倉庫を訪れたこと。ケネディー記念館になっているのですが、館内に入った途端に耳に入ってきたのは、かの AFRSのアナウンサーの重苦しいトーンのアナウンスの繰り返しでした。瞬間、当時のクルマの中で聴いた声だと直感しました。ちなみに、多くの写真を選択 する中で、そのアナウンサーの人物と思しき画面にヒットしました。重苦しい表情がみてとれます★この記念館(旧・教科書倉庫)の参観を終えて玄関に差し掛 かった時のエピソード。当時は両足に補そう具を着けて、ステッキ無しの1ヶ月間米国滞在でしたが、玄関のマットに足をとられて重心を失い、前のめりに倒れ ました。でも、幸いにして、両腕をさっと伸ばして支えて事なきを得ました。四つん這いフォームってところでしたが、そのフォームそのものも平素の自己流体 操で保ち得たことでして、その備えがなかったら、顔面をフロアに叩きつけられただろう、と現在にして想起します★・・・と、長文の「ひと言ダイアリー」 コーナーですが、ケネディーさんへの追憶の気持ちで続けてブログします。ケネディーさんの「名言」があります。大統領就任スピーチの中で言われた「国家が 国民に何をしてくれるかを問うのでなく、国民が国家に対して何ができるかを自問するべきだ・・・」といった趣旨のことば。当時のヨシダはトラック協会の要 職にありました。広島県トラック協会や全日本トラック協会の役員立場にあり、加えて、業界の規制緩和(個人トラック制の認可<最低車両台数規制の撤 廃>)関連の論文や講演を頻繁にしていたことら、よく同大統領のあの言葉を引用したものです。曰く、「トラック協会が会員に何をしてくれるのかを問 うのでなく、会員として協会に何ができるかを問うべきだ!」と。これって、全ての組織運営に大事な思想足り得ますね★それにしても多くの写真を何時もより 大きめに選択して添付しました。同大統領への敬愛の念を込めつつのひと時でした。貴重な歴史回想機会でした。★追伸ですが、この大きな事件は英語版では明 日です。日米の時差のためですが、二日間に亘る同大統領への回想機会とします。(21日23:00)
 今朝一番の記事は「No.5874:決起した元会員、貫く沈黙 肩の刀傷…今も悔いなく 取り残された会員「無念」産経ニュース2015.11.22.編集委員 宮本雅史)」 です。長文のヨシダブログになりましたが、三島さん没後45年にしてその自決が何を意味するのか?と、深い想いにかられる記事です。現代では「憲法改正是 非論議」にオーバーラップされるのが三島さんの気持ちだろうな・・・とは、ヨシダのブログです・・・が。(10:55)
 オッチョコチョイ!と批判されるのを承知の上の編集者ヨシダのイタズラ心!どっちみち、多くの人は見ていないこのウェブサイト。ひとり言をブログしてイイさ、とばかりのブログです。興味のある方はクリックして、そうでない方は素通りで・・・。その記事は、「No.5875:ロバート・デ・ニーロという米国の性格俳優を初見したのは、『タクシー・ドライバー』…千葉日報「忙人寸語」2015.11.22.)」です。編集者の特権を乱用して(?)ブログしました。(12:15)
 「No.5877パリ同時多発テロが起きるほどにIS膨張を許した戦犯は誰か?DIAMOND Online015.1.21.北野幸伯 [国際関係アナリスト] (20日付))」を編集しながら人間の性の恐ろしさを感じます・・・。(14:10)
 「No.5878ミャンマーに今、必要な“新しい開発独裁”の形 日本経済新聞2015.11.22.編集委員 後藤康浩)」で辛口ヨシダブログをしました。本記事筆者の後藤康浩さんご免なさい。なにせ、高齢者の意地悪ブログに過ぎませんので・・・。(17:30)



No.5878
ミャンマーに今、必要な“新しい開発独裁”の形  
日本経済新聞2015.11.22.編集委員 後藤康浩

ヨシダブログ:本コラムでのヨシダのアン・サン・スー・チーさん評はどちらかと言えば辛口です。同氏の経験不足が主たる批評源ですが、「大統領を上回る権限を云々」に至っては些か首を傾げざるを得ない点は否定できません。でも、本記事筆者・後藤康浩さんは好意的です。果たして・・・ですが、末尾の言葉がそれを表しています。曰く、「自 らが強権的な軍政に虐げられてきたからこそ、アウン・サン・スー・チーさんは、行き過ぎない、国民を第一に考える“新しい開発独 裁”、“やさしい開発独裁”を編み出せる可能性があると思います」がそれですが、果たして・・・と疑問を呈するヨシダです。▼「中見出し」は、■21世紀のアジアの奇跡、■経済成長を加速させるチャンス・・・と続きます。 写真4枚添付ファイル
   「 NLDのアウン・サン・スー・チー党首」の画像検索結果「 NLDのアウン・サン・スー・チー党首」の画像検索結果「ヤンゴン市内」の画像検索結果 「後藤康浩」の画像検索結果
No.5877
パリ同時多発テロが起きるほどにIS膨張を許した戦犯は誰か?
DIAMOND Online015.1.21.北野幸伯 [国際関係アナリスト] (20日付)
ヨシダブログ:「中 見出し」は、■突如現れて広大な地域を占領したIS 米国は過去に彼らを支援していた、■ISを含む「反アサド派」に6000億円もの支援をしたのは誰 か?、■やる気のない欧米の空爆を尻目に勢力を拡大 プーチンの本気の攻撃でピンチに、■「パリ同時多発テロ」で世界情勢はどう変わるか?、■自称“国 家”のISは消滅するが テロは今後も続く・・・と続きます▼末尾の言葉は、「ISという、自称“国家”は消滅するが、そのメンバーは、これからも世界各 地でテロを行い、民衆を恐怖させるだろう」と▼「テロ」について考えます。民主主義の世にあって、支配に反抗するためのテロはなくなりませ ん。極端に言うと人類の歴史が始まって以来、絶えたことがありません。「きょうのできごと」編集で学びます。特に異教徒の介入を嫌う過激派のイスラム原理 主義者は、宗教の名の下に、また宗教の教義を利用してテロを行っているとみます。殉教という自爆テロがその典型と言えるでしょう。テロにどう対処すればい いか、それは民主 主義という統治機構を共通の価値とする諸国にとって、大きな課題だ・・・ということ等を編集しながら学びます。(写真4枚添付ファイル
  「北野幸伯」の画像検索結果「北野幸伯」の画像検索結果「北野幸伯」の画像検索結果「北野幸伯」の画像検索結果
No.5876
意味ある人生
福島民報「あぶくま抄」2015.11.21.

ヨシダブログ:何 となくひきつけられ、足踏みしつつ、どうしょうか・・・と考えました。到達した結論は文中の一行「(奥さんの言葉)家族を立派に養ったじゃあない・・・」 がそれ。ヨシダに言わせば、定年後の色んな悩みがあっても、「家族を養てたからどんなことが起きてもイイんじゃない・・・?」とでも言いたげな言葉が気に なります▼定年後人生が「余生」とは言えない長い年数。その間をその奥さんの言葉だけを頼りに生き甲斐だったと思って残りの20年、30年、人によっては 半世紀も!!??▼サラリーマン人生家族と経営者人生家族(と言うよりご本人のこと!)との差異を垣間見ます。酷な言葉を辞さずの弁になりますが、サラ リーマン人生では「個人を犠牲にして働いた・・・」という想いが否定できません。ところが、経営者の場合は、「今日あるのは従業員からお得意さん、それに 仕入れ業者等々のお陰の賜物」といった思想が強くあります。その想いが社会奉仕活動とか、少なくとも何らかの社会への還元めいた老後のあり方を招来します ▼と、くだらぬご説教は別にして、通算60余年間を経営者人生で過ごしただけに、サラリーマン諸氏とは異質の定年後人生観を抱いています。それが何で あるかはブログしません。現在のご本人(ヨシダ)の生き様だけでご想像できると考えます。この差異はほかならぬ、「経営者は環境即応業」であり、かつ、 「今日あるは従業員・顧客・仕入先等々の関係者とのご縁あってのこと」とすれば、自分本位の老後でなく、何らかのお役に立ち得る晩年人生のあり方への模索 ではないかと思考します▼「余生」から「与生」へ、更に「世生」へ、という人生哲学も選択肢のひとつと心得ます。「自利から他利へ」へのヨシダの晩年人生 観にも通じます。ごめんなさい、生意気なブログになって・・・。でも、これって本当のホント、正真正銘の経営者OBの弁です。ボケ防止にもイイですよ!
No.5875
ロバート・デ・ニーロという米国の性格俳優を初見したのは、『タクシー・ドライバー』…
千葉日報「忙人寸語」2015.11.22.
ヨシダブログ:え~、 ただ今からヨシダの駄洒落のブログ!ロバート・デニーロさんとヨシダの顔がチョッと似たところがあると思いませんか?フィリピンの手元にあるヨシダの写真 はたったこの5枚だけデスが並べてみるに満更似ないでもない・・・と▼ 意識したことは全く無かったのですが、離日前にあるフィリピン人家族と食事した時のこと。次女さんは同志社大学生の英才女。その彼女がヨシダの顔をしげし げ観ながら笑い転げて言いました。「ミスター・ヨシダはロバート・デニーロにそっくり!」と。お母さんまでが娘の言葉に乗って、そうだ、そうだ!と▼正直 な話、 以前にも同棲16年間の女性とその娘に言われたことがあるのです。別段、自慢するほど大人気ないヨシダではありませんが、青年時代に懇意にしていたフラン ス系アメリカ人医師でフィンチさんという人物がよく言ったもの。「ミスター・ヨシダは海外に出てその英語でやるとイタリア人に見られますよ・・・」と▼ハ ワイ生まれで、102歳で天寿を全うしたお袋がよく口にしていたことに、吉田家にはギリシャ人の血が混ざっている・・・とも。ウソ~!が当時のヨシダの反 応でしたが・・・▼お遊び気分の弁ですが、4歳上の姉(故山下博子)が学校からよく泣いて帰ったのを記憶します。「母ちゃ~ん、また<毛唐の 子>と言われた・・・」と。「毛唐」は当時、「外国人の異称」でイイ印象ではなかったことからでした。彼女の原爆症で抜け落ちた髪の毛は、現在にし て広島市原爆資料館に展示されているとかです。本記事ブログの添付写真で末尾に添えるプライベート写真。編集者のイタズラ心に免じてご寛容ください。写真15枚添付ファイル 
   「『タクシー・ドライバー』」の画像検索結果  「ロバートデニーロ」の画像検索結果「ロバートデニーロ」の画像検索結果「『タクシー・ドライバー』」の画像検索結果「『マイ・インターン」の画像検索結果    「『タクシー・ドライバー』」の画像検索結果      「『マイ・インターン」の画像検索結果
    「「1億総活躍社会」」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果 「山下博子」の画像検索結果 「山下博子」の画像検索結果    
No.5874
決起した元会員、貫く沈黙 肩の刀傷…今も悔いなく 取り残された会員「無念」
産経ニュース2015.11.22.編集委員 宮本雅史
ヨシダブログ:今月25日で45年になる三島さんの事件。当時のヨシダは人生第二毛作のトラック運送事業経営者時代、なかんずく労働組合結成等々でてんやわんやの時代でした。少 年時代から働くことにがむしゃらを余儀なくし、文学にも疎遠だったヨシダ。週刊誌の表紙に軍服姿で激を飛ばす三島さんのカラー写真を観て??と感じたもの でした▼人生第三毛作に転じてのこと、各地を講演旅行なかんずく、東京新橋に長年続いたクライアントがあったことなどから、前職時代から親しくしていた運 輸省の高級官僚氏との接点があり、同関係機関がくだんのビル(陸 上自衛隊市ケ谷駐屯地)にあることから、同氏を訪問し、問題のバルコニーを眺めたものでした。でも、当時のヨシダは三島事件には疎かったこともあり、「あ あ、これがあの三島さんの・・・」ってくらいの感情でした▼NTT子会社社長だった当時の友人が、自慢気に写真を見せて語っていたのを想い出します。「三 島由紀夫のボディービルはおれが指導したものだ」と▼失礼を弁えずの弁ですが、「天才と○○ は紙ひとえ」と感じないでもありません。あまりにも先が見え過ぎる故に生じる虚無感とでも言えるのかな・・・と▼相当な時間を本記事編集に費やしながら三 島さんの人柄へを追憶に浸りました。近年のヨシダは「ヨシダブログ&当該写真」の本コラム書き込み編集ゆえに、古今、洋の東西を問わずの残酷な写真から目 を逸らすことはできません。三島さんのそれを拝見して想うことは、極めて温厚そうなお顔であって、怨念とか悔しさとか、悲しさとかいった印象を全く与えな いのが救いと感じます。でもその写真は添付しませんでした▼ふと、ヨシダが想うことに、本コラムなどで時おりヨ シダがブログする言葉があります。「ワンス・アポン・ア・タイム、ニッポン人という優秀な民族が居ったゲナ・・・」はくだらない幻想であって欲しいも の・・・。と、スケールこそ異なれど、母国の現状を憂う一人であると密かに胸に抱くある種の不安感ではあります。本記事末尾の元会員の言葉がそれを象徴し ているとブログしたら言い過ぎでしょうか?曰く、「三島らの思いは今も、日本人の喉元に刃を突きつけている」がそれ。先のコラムでヨシダがブログした「No.5870102歳の奥野誠亮・元法相「そろそろ自前の憲法作ろう」産経ニュース2015.11.20.)」に通じるものを感じる・・・と言ったら(ブログしたら)、あらぬ誤解を招来するでしょうか?ともあれ、長文の本記事は後刻後日にでも、しっくりと読む必要を痛感します。写真20枚添付ファイル 
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      「三島由紀夫」の画像検索結果「三島由紀夫」の画像検索結果   「三島由紀夫遺書」の画像検索結果     「三島森田事務所」の画像検索結果 「昭和45年11月25日 ~陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地~」の画像検索結果
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 昨日21日の記事編を下記に掲載していましたが、本日22日の第一記事掲載(10:45)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             「末尾の特別情報お知らせコーナー」     従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    

       
      ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。
 そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健 康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、それでも思い出したようにやりますが、見事に(?)暗誦しています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
  「主の祈り」に蛇足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学 天文学教授の娘さん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいた人物。後年、出版社が募集した懸賞論文に応 募して「佳作」になった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
  
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"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代っ子は・・・」と、肩をすくめました。
 
ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 
 「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果    「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果     「Lincoln Memorial」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果
 ちなみに、このゲティスバーグ演説に関する書籍があります。在日中に吹田市にクライアントがありましたが、その副社長さん(社長夫人)がこのことを知られて関連著書を贈呈してくだされ、フィリピンに持ち寄った数少ない書籍のひとつです。題して「
リンカーンの3分間」(共同通信社刊・376頁」 (原本名:LINCOLN AT GETTYSBURG THE WORDS THAT REMADE AMERICA by GARRY WILLS 北沢栄訳)

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred! と。「ヨシダ流に、百歳にして若く死す」と付け加えて自分のモノにしています。

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  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクします

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレの人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿。
 蛇足の弁で恐縮ですが、ヨシダの「君呼ばわり」に対する日本 語 評論があります。「敬語・へりくだり語・蔑視語・優越語Etc.」の使い分けは日本語の持つ悪癖と断じて憚りません。議長ポストの優越感や権威を意識した かのような「君呼ばわり」。その背後に見え隠れするのがその日本語の複雑な使い分け。「君呼ばわり」は「対等・ 若干の議長ポストを意識した優越語」。そう言えば、「君呼ばわり」は相手が年齢的に地位的に「目下」の場合が普通であるからです。この辺りへの「配慮」で 「○○さん」呼ばわりしたのは土井さんのお人柄・・・と強く評価するのが社会党でもないヨシダの気持ちです。今は天上で朗々とこの「マイウエイ」を歌って おられることと想像しています。
    
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。) 
         

                       2015年11月22日(日)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                                        吉田祐起

                  
       (満84歳0ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.co