吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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     吉田祐起(Yuuki Yoshida) (満84歳0か月) 
   "生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
 上掲の自己紹介リンクは2012年6月付のもの。爾来、3年半近くが経過しましたが、そこからが本番って感じの生活ぶりで過ごしています。
  ある縁を得て、フィリピン家族(総勢半ダース余)と共同生活を送っています。英語の契約書も交わして弁護人介在の約束事です。題して「相互信頼精神に基づ く運命共同体生活」がそれです。ヨシダの終生面倒見がかれらの約束事。一方のヨシダの約束事は、かれらを貧困から脱却さすことにあります。ヨシダの年金等 をかれらに管理委託してのことですが、事実上は、そっくり任せっきりということです。相互信頼の最たるものと自負します。でも、こんな芸当はだれかれでき るシロモノではないでしょうよ(笑)。 
 僭越ですが貧困からは完全に脱却させています。自家用車も月賦完済。次は土地。その次は持ち家・・・といった意気込みで頑張っているところです。
 ・・・ と、こんな生活設計を描いて現在に至るヨシダですが、ヨシダの義務は長生きすることにあると自覚しています。そのためには満40歳から動機を得て始めて現 在に至る自己流のストレッチング体操に一層の磨きをかけるなど、加えて長年に及ぶステッキ使用で肩にかかった重荷による肩こり解消に集中努力をして通算7 年。お陰で99.9%の達成振りです。でも、ちょっと真似のできない自助努力と自負します。
 肝心のボケ防止のための独特の手法を編み出したのが2012年3月!題して「インタネット情報&ヨシダブログ」がそれです。詳細はクリックしてご覧ください。「こんなことをしているなんて、カッコいいボケ防止!」と賞賛されると確信します。(2015.11.13.記)

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                   English               
                2015年11月16日(月)
        
   
                            コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.
28.  

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った11月16日の「できごと」 
                          November 16, Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。

3「William Becknell」の画像検索結果「William Becknell」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果   
    「william becknell santa fe trail」の画像検索結果     
関連画像       「william becknell santa fe trail」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果「william becknell santa fe trail」の画像検索結果        「william becknell santa fe trail」の画像検索結果
4「フョードル・ドストエフスキー著書」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「未成年」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「貧しき人たち」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「百夜」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「死の家の記録」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「虐げられた人々」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「地下室の記録」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー著書「賭博者」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー「妻マリア」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー「ポリーナ・スースロワ」」の画像検索結果「フョードル・ドストエフスキー「二番目の妻・アンナ」」の画像検索結果関連画像「フョードル・ドストエフスキー「皇帝ニコライ1世」」の画像検索結果 7「1885, Louis. Riel persecuted」の画像検索結果 「1885, Louis. Riel persecuted」の画像検索結果   「1885, Louis. Riel persecuted」の画像検索結果関連画像
(1)534年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が編纂させた新勅法彙纂が公布。
1272 – While travelling during the Ninth Crusade, Prince Edward becomes King of England upon Henry III of England's death, but he will not return to England for nearly two years to assume the throne.
1491 – An auto-da-fé, held in the Brasero de la Dehesa outside of Ávila, concludes the case of the Holy Child of La Guardia with the public execution of several Jewish and converso suspects.
1532Francisco Pizarro and his men capture Inca Emperor Atahualpa at the Battle of Cajamarca.
(2)1632年ユリウス暦11月6日) - 三十年戦争: リュッツェンの戦い
1776American Revolutionary War: British and Hessian units capture Fort Washington from the Patriots.
・1776 – American Revolution: The
United Provinces (Low Countries) recognize the independence of the United States.
1793French Revolution: Ninety anti-republican Catholic priests are executed by drowning at Nantes.
1797 – The Prussian heir apparent, Frederick William, becomes King of Prussia as Frederick William III.
1805Napoleonic Wars: Battle of Schöngrabern – Russian forces under Pyotr Bagration delay the pursuit by French troops under Joachim Murat.
(3)1821年 - 西部開拓時代: ウィリアム・ベックネルが西部の交易路・サンタフェ・トレイルを開く。
1822American Old West: Missouri trader William Becknell arrives in Santa Fe, New Mexico, over a route that became known as the Santa Fe Trail.
1828Greek War of Independence: The London Protocol entails the creation of an autonomous Greek state under Ottoman suzerainty, encompassing the Morea and the Cyclades.
(4)1849年 - フョードル・ドストエフスキーに対し死刑判決。後に執行直前に特赦によりシベリア流刑に減刑。
(5)1874年 - ドーラ・E・スクーンメーカー学校法人青山学院の前身である「女子小学校」を創設。
(6)1876年 - 東京女子師範学校附属幼稚園(現・お茶の水女子大学附属幼稚園)開園。日本初の官立幼稚園
1852 – The English astronomer John Russell Hind discovers the asteroid 22 Kalliope.
1857Second relief of Lucknow – twenty-four Victoria Crosses are awarded, the most in a single day.
1863American Civil War: Battle of Campbell's Station near Knoxville, TennesseeConfederate troops unsuccessfully attack Union forces.
(7)1885年 - カナダの反乱指導者ルイ・リエルが処刑される。
(8)1899年 - フランスから広州湾一帯(広州湾租借地)を99箇年租借することを定めた「中仏互訂広州湾租界条約」を締結。
1904 – English engineer John Ambrose Fleming receives a patent for the thermionic valve (vacuum tube).
・1907 –
Cunard Line's RMS Mauretania, sister ship of RMS Lusitania, sets sail on her maiden voyage from Liverpool, England, to New York City.
(9)1907年 - オクラホマ準州インディアン準州オクラホマ州としてアメリカ合衆国46番目の州となる。
(10)1911年 - 辛亥革命鎮圧のため、袁世凱の第2代内閣総理大臣に就任。
(11)1913年 - マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』第1巻刊行。全13巻刊行までに14年。
(12)1914年 - アメリカ合衆国の各連邦準備銀行 (FRB) が営業を開始。
(13)1938年 - スイス人化学者アルバート・ホフマンLSDを初めて合成。
(14)1920年 - カンタス航空設立。
(15)1930年 - 富士瓦斯紡績川崎工場の労働争議で男が40メートルの煙突に昇り演説を行う(煙突男)。6日後に工場側が妥協し、130時間ぶりに地上に降りる。
(16)1934年 - 群馬県桐生市昭和天皇誤導事件
(17)1939年 - アル・カポネアルカトラズ刑務所から釈放。
(18)1940年 - 第二次世界大戦: 2日前のドイツ軍によるコヴェントリー空襲英語版に対し、イギリス空軍ハンブルクを爆撃。
(19)1940年 - ナチスがワルシャワ・ゲットーを封鎖。
・1940 – New York City's "Mad Bomber" George Metesky places his first bomb at a Manhattan office building used by Consolidated Edison.
1943 – World War II: American bombers strike a hydro-electric power facility and heavy water factory in German-controlled Vemork, Norway.
1944 – World War II: Operation Queen, the costly Allied thrust to the Rur, is launched.
・1944 – World War II:
Dueren, Germany, is destroyed by Allied bombers.
(20)1945年 - 国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)創立総会で「ユネスコ憲章」採択。翌年11月4日に発効。
(21)1945年 - 日本進歩党結成。
(22)1946年 - 内閣が「現代かなづかい」と「当用漢字表」1850字を告示。
(23)1957年 - エド・ゲインによる連続猟奇殺人事件が発覚。
(24)1965年 - ソ連が史上初の金星表面着陸を目指した宇宙探査機ベネラ3号」を打ち上げ。
(25)1972年 - 世界遺産条約がユネスコ総会で採択。
(26)1973年 - スカイラブ計画: NASAが宇宙船「スカイラブ4号」を打ち上げ。
1973Skylab program: NASA launches Skylab 4 with a crew of three astronauts from Cape Canaveral, Florida for an 84-day mission.
・1973 – U.S. President
Richard Nixon signs the Trans-Alaska Pipeline Authorization Act into law, authorizing the construction of the Alaska Pipeline.
1974 – The Arecibo Message is broadcast from the Arecibo Radio Telescope in Puerto Rico. It was aimed at the current location of the globular star cluster Messier 13 some 25,000 light years away. The message will reach empty space by the time it finally arrives since the cluster will have changed position.
(27)1979年 - ブカレスト地下鉄の最初の開業区間、M1号線ティンプリ・ノイ - セマナトアラ6.2kmが開業。
(28)1984年 - 世田谷ケーブル火災発生。
(29)1985年 - 国鉄明知線が第三セクター鉄道明知鉄道に転換。
1988 – The Supreme Soviet of the Estonian Soviet Socialist Republic declares that Estonia is "sovereign" but stops short of declaring independence.
・1988 – In the first open election in more than a decade, voters in
Pakistan elect populist candidate Benazir Bhutto to be Prime Minister of Pakistan.
1989 – A death squad composed of El Salvadoran army troops kills six Jesuit priests and two others at Jose Simeon Canas University.
(30)1990年 - 創価学会会長・池田大作日蓮正宗宗門批判を開始。本件を11.16と呼称。
1992 – The Hoxne Hoard is discovered by metal detectorist Eric Lawes in Hoxne, Suffolk.
(31)1993年 - ソニー・コンピュータエンタテインメント設立。
(32)1994年 - 国連海洋法条約発効。
(33)1997年 - サッカー日本代表が、W杯フランス大会に向けたアジア第3代表決定戦に勝利、W杯初出場を決める(ジョホールバルの歓喜)。
1997 – After nearly 18 years of incarceration, the People's Republic of China releases Wei Jingsheng, a pro-democracy dissident, from jail for medical reasons.
(34)2000年 - 米大統領ビル・クリントンが米大統領ではベトナム戦争終戦後初めてベトナムを訪問。
(35)2001年 - マイクロソフトOSソフト・Windows XP発売。
(36)2004年 - NASAの無人極超音速実験機X-43が航空機の最大速度記録であるマッハ9.68を記録。
(37)2006年 - NHK国際宇宙ステーション (ISS) からの世界初となるハイビジョン宇宙中継を実施。
(38)2012年 - 第181回臨時会にて衆議院解散

                  インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5857件です。 
2015年11月16日(月)掲載分

昨日11月15日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

  本日「11月16日のできごと」 でヨシダが特にマークするのは「(3)1821年 - 西部開拓時代: ウィリアム・ベックネルが西部の交易路・サンタフェ・トレイルを開く。」と「(4)1849年 - フョードル・ドストエフスキーに対し死刑判決。後に執行直前に特赦によりシベリア流刑に減刑。」、「(7)1885年 - カナダの反乱指導者ルイ・リエルが 処刑される。」の3つのできごとです★(3)西部劇にも出てきたシーンを想起します★(4)の「ドストエフスキー」は、文学(読書)とは縁を深くすること ができなかったヨシダの人生ゆえの反動(?)かもしれません(笑)。でも、これを機会にグーグルであらためてドストエフスキーの人物像を学びました。ヨシ ダにできることといったら、彼の著書表紙写真を並べ見入ることで、読んだ気分を味わうといった魂胆です(笑)、それにしても天才は往々にして異常な生き方 が無きにしも非ずと感じます。彼が死去するまでに遺した著作は全部で35編。添付写真4人の女性は彼と縁を結んだ女性。その次の紳士は死刑執行直前に特赦 を与えた皇帝ニコライ2世★(7)の処刑されたリエルは、「カナダにおける連邦政府の父とも連邦に対する反逆者ともいわれるが、カナダの歴史の文脈上、その評価については最も複雑で難解な一人として論争の種は尽きず、また悲劇的な人物として捉えられている(ウィキペディア)。後世の人物評はいろいろとあるものだと痛感します。
 「No.5856安政7年(1860年)1月15日、直弼は安藤信正を老中に昇進させ、この日に登城し…日本経済新聞「春秋」2015.11.16.)」 を時間かけて編集するなかで感じることは、このようなコラム編集が編集者のヨシダに与える得がたい勉強機会にほかありません。井伊大老の誕生日が旧暦で一 日の差!と、こんな他愛もないことでもカンドウするヨシダは幸せ者ですよね。何ごとも時間をかけてしながら、無感動より、感動する、できるほうが得ですよ ね。(13:30)
 「No.5857:直弼と柳京都新聞「凡語」2015.11.16.)」を編集して想うこと。本日は「井伊家の日」と、勝手に解してご満悦の編集者ヨシダです。(16:30)
  先ほど、家長・アーネルの実兄が夫婦で来て、ヨシダの調髪をしてくれました。養魚場経営を細々している人物ですが、男気盛んな人物です。同じお金を払うな ら身内に・・・という考えでのこと。フィリピン人は概して器用です。本業そちのけって感じのハサミさばきです。おかげでサッパリ気分。なにせ、年中・24 時間が「ステテコ&半そで」だけに、頭髪がのびても一向、気にしないのが近年のヨシダ。でも、サッパリ気分です★先ほど広島の友人からメール。数日前に 送ったヨシダ論に「輪廻転生論」があるのですが、同人はヨシダ以上の体験信者で大いに感じ合えるものがあります。「死んだらそれまでよ・・・」というドラ イな考えの人は少なくありませんが、それでは後も先もない非建設的な人生観になる感じですね・・・。と、余計な講釈はやめときます。今夜は早めに日付変更 に入ります。(19:00)

No.5857
直弼と柳
京都新聞「凡語」2015.11.16.
ヨシダブログ:直前記事「安政7年(1860年)1月15日、直弼は安藤信正を老中に昇進させ、この日に登城し…日本経済新聞「春秋」2015.11.16.)」の姉妹記事って感じになります▼「埋木舎の門前に植わる柳」は写真にみる川沿いに並ぶのがその柳と判断します。「柳はしなる。風になびいても折れることはない。風がおさまればもとに戻ってしな垂れている」ってイイ雰囲気の表現ですね▼ふと気がつくに、添付した白黒写真に観る昔の「埋木舎」の前の川沿いには現在のようには柳が見えません。?って感じではありますが、余計な詮索は無用と自身を嗜めます(笑)▼「直 弼は鎖国主義者だった。鎖国を続けるにはいったん開国して他国をはねのける国力を養う必要があると考えた・・・」という辺りはまさに柳的政策。さすがは戦 略にたけた政治家。柔軟性は何時の世でも大事。でも、それを理解できないセクトが多いのも世の常。ま、だからドラマが展開されるのだ・・・とヘンに気取っ てのヨシダブログ▼NHK大河 ドラマ「大河ドラマ おんな城主直虎」 が観れないのが残念です。戦いの度に男の城主が殺されたことから、姫が男の名(直虎)を名乗って奮戦する物語とか▼ふと、思うに、本コラム編集を思い立っ てここまできているヨシダだから、歴史に興味を抱く、抱からざるを得ないのであって、歴史への開眼といった意味ではいささか遅過ぎたって感じがしないでも ありません。でもま、何ごとも遅きに失することはないと思います。しないことよりはるかに大事と考え、これでヨシ!って気分です。写真5枚添付ファイル 
        「母利美和著「井伊直弼」」の画像検索結果「母利美和著「井伊直弼」」の画像検索結果 「埋木舎」の画像検索結果   「埋木舎」の画像検索結果「埋木舎」の画像検索結果
No.5856
安政7年(1860年)1月15日、直弼は安藤信正を老中に昇進させ、この日に登城し…
日本経済新聞「春秋」2015.11.16.
ヨシダブログ:幕末の大老、井伊直弼のことをあらためて学ぶ機会を与える本記事です。「生誕 文化12年10月29日1815年11月29日) 死没 安政7年3月3日1860年3月24日(満44歳没)」。大老の旧暦の誕生日はヨシダのそれの翌日。何となくそれだけで親しみを覚えるヨシダは単細胞的?▼真っ先にグーグル検索するに、曰く、「安政7年(1860年)1月15日、直弼は安藤信正を老中に昇進させ、この日に登城した慶篤に対して重ねて勅の返納を催促した。そして1月25日を期限として、もし遅延したら違勅の罪を斉昭に問い、水戸藩を改易するとまで述べたという。 これが水戸藩の藩士を憤激させるのに決定的となり、2月に水戸藩を脱藩した高橋多一郎関鉄之介らによって直弼襲撃の謀議が繰り返された。水戸藩脱藩浪士らの不穏な動きは幕府も関知はしており、2月下旬にはかつて水戸藩邸に上使として赴いたことがある松平信発が直弼を外桜田邸に訪ね、脱藩者による襲撃の恐れがあるため、大老を辞職して彦根に帰り、政情が落ち着いてから出仕すべきと勧めた。また辞職・帰国が嫌ならば従士を増やして万一に備えるように述べるも、直弼は受け入れなかった(中略)この日、彦根藩側役の宇津木左近は、直弼の駕籠を見送った後、机上に開封された書状を発見した。それには、水戸脱藩の浪士らが襲撃を企てている旨の警告が記されており、宇津木が護衛を増派しようとしたとき、凶報がもたらされた(ウィキペディア)」▼本記事文中にある「暗殺前日に詠んだこの歌(咲きかけし たけき心の ひと房は 散りての後ぞ 世に匂ひける)の裏づけと理解します▼本記事がヨシダをして井伊大老の大ファンにしたことは事実として、本コラム編集でその縁を得たことを嬉しく思います。(写真27枚添付ファイル 
 関連画像   「井伊直弼 首」の画像検索結果   「井伊直弼 首」の画像検索結果  「井伊直弼 首」の画像検索結果     「井伊直弼 首」の画像検索結果      「井伊直弼 首」の画像検索結果
   「桜田門」の画像検索結果「桜田門」の画像検索結果「桜田門」の画像検索結果「桜田門」の画像検索結果「桜田門」の画像検索結果「松平信発」の画像検索結果「松平信発」の画像検索結果「宇津木左近」の画像検索結果
  「屋敷「埋木舎」」の画像検索結果 「屋敷「埋木舎」」の画像検索結果「屋敷「埋木舎」」の画像検索結果「屋敷「埋木舎」」の画像検索結果「屋敷「埋木舎」」の画像検索結果「屋敷「埋木舎」」の画像検索結果
  「井伊直弼著書「茶湯一会集」」の画像検索結果  「井伊直弼著書「茶湯一会集」」の画像検索結果「井伊直弼著書「茶湯一会集」」の画像検索結果「井伊直弼著書「咲きかけし たけき心の ひと房は 散りての後ぞ 世に匂ひける」」の画像検索結果「井伊直虎」の画像検索結果「井伊直虎」の画像検索結果「井伊直虎像」の画像検索結果
 昨日15日の記事3編を下記に掲載していましたが、本日16日の第一記事掲載(13:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

               「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


             フィリピン人の「自己防衛精神」はバツグン!             
  フィリピンに来て真っ先に目に飛び込んできたことで、日本では全く想像することさえできない光景!ご覧のような「過積載(?)バイク」デス!当初はこんな 姿を見たら「オー・マイ・ゴッド!」ってな調子でしたが、見慣れるに従って違和感は失せました。逆に微笑ましさでニンマリって按配です。
 朝夕はこの「ベルエア・ヴィレッジ」(表と裏にガードマン付きの開閉バール出入り口がある住宅団地)の玄関先に車いすで出て、前のメイン通り(4車線)で クルマや人の往き来の「ウォッチング」を楽しみます。とりわけ、ショートパンツでスラッと伸びた美脚と魅力的なデッカイおヒップで颯爽と歩くフィリピナの姿等々を鑑賞するのはヨシダの趣味。そういった野外の雰囲気の中で思わず微笑みが出るほどの光景が下部に添付したようは「バイク相乗り光景」です。
 家中の者たちに尋ねてみることに、「幼児たちが落っこちて怪我したというのを見た り聞いたりしたことがあるかい?」と。異口同音に、NO!!!!と、明快な返事しかかえってきません。ホントか?と問い質すしまつ。
 幼児たちの乗る様をみるに、かれらの自己防衛精神はあっぱれのひと言に尽きます。バイクの何処かや運転するパパの胴回りをシカと捕まえているのです。「シッカリ持ちなさいよ」などの声すら聞きません。親子ともに「自己防衛精神&自己責任責任」は確か、とみます。
 「規制」の厳しい国(民)とそうでない国の「自己防衛意識」は大きな格差が生じるのは世の常。規則の有無をせいにして自己防衛精神を疎かにするのとはドエライ差異を痛感します。もっとも、家
長のアーネルが言うには、あるにはあるけど、警官と罰金を交渉をするとか。彼はバ ランガイ事務所の行政管理官であることからそういった実態は心得ています。でもジープ二ーのステップやトラックの荷台に乗っている者までは追求しないとかです。この微笑ましい(?)光景をお楽しみくだい。
                                     
                            

                                おわりにもう一つのフィリピン情報!
                  Another big news about Philippines Beauty!!
 
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Trixie Maristela of Philippines waves after being crowned Miss international Queen 2015 beauty contest in Pattaya, Thailand on Friday. Miss international Queen is the world’s largest beauty pageant for transgender(性転換) women. AFP Photo(The Manila Times, Sunday Nov. 8, 2015)
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。) 


                       2015年11月16日(月)

                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                        
吉田祐起
                  
       (満84歳0ヶ月) 
                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.co