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 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりな りにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切りに、同族企 業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しました。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月8日(木)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催のAPEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK  WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?)対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同 大統領の任期は2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と 勝手に思っているところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダ です。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月8日の「できごと」 
                          October 8 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「カルケドン公会議451年」の画像検索結果2         「比企能員の変」の画像検索結果      「比企能員の変」の画像検索結果 3「日野富子」の画像検索結果「足利義政」の画像検索結果 「足利義政・日野富子の墓」の画像検索結果 5「1813年林清」の画像検索結果「1813年林清」の画像検索結果
  6「the arrow incident of 1856」の画像検索結果 「the arrow incident of 1856」の画像検索結果 7「Battle of Perryville」の画像検索結果「Battle of Perryville」の画像検索結果 「Battle of Perryville」の画像検索結果 「Battle of Perryville」の画像検索結果「Battle of Perryville」の画像検索結果        「Battle of Perryville」の画像検索結果 「Battle of Perryville」の画像検索結果 
8「1862,  Otto Eduard Leopold Fürst von became prime minister」の画像検索結果「プロイセン王国1860年」の画像検索結果「Blut und Eisen」の画像検索結果 「1862年 - オットー・フォン・ビスマルク」の画像検索結果 「プロイセン王国1860年」の画像検索結果「プロイセン王国1860年」の画像検索結果「プロイセン王国1860年」の画像検索結果  「プロイセン王国1860年」の画像検索結果「プロイセン王国1860年」の画像検索結果9
  10   「母成峠の戦い」の画像検索結果      「母成峠の戦い」の画像検索結果   「母成峠の戦い」の画像検索結果「母成峠の戦い」の画像検索結果「母成峠の戦い」の画像検索結果 「母成峠の戦い白虎隊」の画像検索結果 「母成峠の戦い白虎隊」の画像検索結果「母成峠の戦い」の画像検索結果  
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「乙未事変」の画像検索結果「乙未事変」の画像検索結果         「乙未事変」の画像検索結果    「乙未事変」の画像検索結果        「乙未事変」の画像検索結果           「乙未事変」の画像検索結果     14「第一次バルカン戦争1912」の画像検索結果「第一次バルカン戦争1912」の画像検索結果関連画像
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「1950年 - 朝鮮戦争: 国連軍が38度線を突破」の画像検索結果
22「内郷丸遭難事件」の画像検索結果「内郷丸遭難事件」の画像検索結果  「内郷丸遭難事件」の画像検索結果  23「1956年 - ニューヨーク・ヤンキースの投手ドン・ラーセンがワールドシリーズ初の完全試合を達成」の画像検索結果   「1956年 - ニューヨーク・ヤンキースの投手ドン・ラーセンがワールドシリーズ初の完全試合を達成」の画像検索結果      「1956,  don larsen, newyork yankees pithcher made perfect game」の画像検索結果「1956,  don larsen, newyork yankees pithcher made perfect game」の画像検索結果27 「第一次羽田事件佐藤総理東南アジア訪問」の画像検索結果
 「第一次羽田事件」の画像検索結果「第一次羽田事件佐藤首相東南アジア訪問」の画像検索結果  28「1967年 - チェ・ゲバラがボリビアで政府軍に捕まる。翌日処刑。」の画像検索結果   「1967年 - チェ・ゲバラ」の画像検索結果  「1967年 - チェ・ゲバラがボリビアで政府軍に捕まる。翌日処刑。」の画像検索結果30  「佐藤栄作元首相にノーベル平和賞決定」の画像検索結果 「佐藤栄作元首相にノーベル平和賞決定」の画像検索結果33 「1985年 - 『アフタヌーンショー』」の画像検索結果「1985年 - 『アフタヌーンショー』」の画像検索結果34「千代の富士ベルサイユ宮殿」の画像検索結果
  「ベルサイユ宮殿」の画像検索結果   38「上祐史浩」の画像検索結果 45   「Linate Airport disaster」の画像検索結果   「Linate Airport disaster」の画像検索結果「Linate Airport disaster」の画像検索結果       「Linate Airport disaster」の画像検索結果    46「小柴昌俊にノーベル物理学賞新聞記事」の画像検索結果48 「下村脩ノーベル賞」の画像検索結果 49「「Winny」開発者金子勇」の画像検索結果
                                      61「山中伸弥のノーベル生理学・医学賞受賞決」の画像検索結果  52「三鷹ストーカー殺人事件」の画像検索結果「三鷹ストーカー殺人事件新聞」の画像検索結果     
314Roman Emperor Licinius is defeated by his colleague Constantine I at the Battle of Cibalae, and loses his European territories.
(1)451年 - カルケドン公会議が始まる。
1075Dmitar Zvonimir is crowned King of Croatia.
1200Isabella of Angoulême is crowned Queen consort of England.
(2)1203年建仁3年9月2日) - 源頼家外戚として権力を誇った比企能員が滅ぼされる。(比企能員の変
1322Mladen II Šubić of Bribir, defeated in the battle of Bliska, is arrested by the Parliament.
(3)1455年康正元年8月27日) - 日野富子足利義政正室になる。
1480Great stand on the Ugra river, a standoff between the forces of Akhmat Khan, Khan of the Great Horde, and the Grand Duke Ivan III of Russia, which results in the retreat of the Tataro-Mongols and the eventual disintegration of the Horde.
1573 – End of the Spanish siege of Alkmaar, the first Dutch victory in Eighty Years' War.
1582 – Because of the implementation of the Gregorian calendar this day does not exist in this year in Italy, Poland, Portugal and Spain.
1600San Marino adopts its written constitution.
1645Jeanne Mance opened the Hôtel-Dieu de Montréal, the first lay hospital in North America.
(4)1716年享保元年8月23日) - 江戸幕府の役職として御庭番が新設。
1806Napoleonic Wars: Forces of the British Empire lay siege to the port of Boulogne in France by using Congreve rockets, invented by Sir William Congreve.
1813 – The Treaty of Ried is signed between Bavaria and Austria.
(5)1813年嘉慶18年9月15日) - 林清率いる天理教徒北京紫禁城を攻撃。
1821 – The government of general José de San Martín establishes the Peruvian Navy.
1829Rail transport: Stephenson's The Rocket wins The Rainhill Trials.
(6)1856年咸豊6年9月10日) - アロー戦争のきっかけとなる「アロー号事件」が起きる。
1860Telegraph line between Los Angeles and San Francisco opens.
(7)1862年 - 南北戦争: ペリービルの戦いが行われる。
(8)1862年 - オットー・フォン・ビスマルクプロイセン王国首相となる。
(9)1866年慶応2年8月30日) - 廷臣二十二卿列参事件が起こる。
(10)1868年(慶応4年8月23日) - 会津戦争: 母成峠の戦いに勝利した官軍が若松城下に到達。白虎隊二番士中隊員20人が飯盛山で自刃。
(11)1871年 - シカゴ大火。シカゴ中心部を焼失し、死者250人を出す惨事となる。
(12)1879年 - 太平洋戦争 (1879年-1884年): アンガモスの海戦が行われる。
(13)1895年 - 乙未事変により閔妃が暗殺される。
1904Edmonton, Alberta is incorporated as a city.
・1904 –
Prince Albert, Saskatchewan is incorporated as a city.
(14)1912年 - 第一次バルカン戦争が勃発。
1918World War I: In the Argonne Forest in France, United States Corporal Alvin C. York kills 28 German soldiers and captures 132, for which he is awarded the Medal of Honor.
1921KDKA in Pittsburgh's Forbes Field conducts the first live broadcast of a football game.
(15)1923年 - ベルリン・テンペルホーフ国際空港が開港。
1928Joseph Szigeti gives the first performance of Alfredo Casella's Violin Concerto.
(16)1931年 - 満州事変: 関東軍錦州を爆撃。
(17)1932年 - インド空軍が発足。
(18)1937年 - 寿屋(サントリー)が「サントリーウイスキー12年」(サントリー角瓶)を発売。
1939World War II: Germany annexes Western Poland.
1941 – World War II: In their invasion of the Soviet Union, Germany reaches the Sea of Azov with the capture of Mariupol.
1944 – World War II: The Battle of Crucifix Hill occurs just outside Aachen. Capt. Bobbie Brown receives a Medal of Honor for his heroics in this battle.
(19)1945年 - インドネシア人民治安軍結成。
(20)1946年 - 文部省が教育勅語の奉読廃止を通告。
(21)1950年 - 朝鮮戦争: 国連軍38度線を突破。
1952 – The Harrow and Wealdstone rail crash kills 112 people.
(22)1954年 - 内郷丸遭難事件相模湖で定員の4倍以上の客を乗せた遊覧船・内郷丸が沈没。22人死亡。
(23)1956年 - ニューヨーク・ヤンキースの投手ドン・ラーセンワールドシリーズ初の完全試合を達成。
(24)1958年 - 日本政府が、警察官の権限を大幅に強化する警察官職務執行法改正案を国会に提出。
(25)1959年 - 1959年イギリス総選挙の投票が行われる。
(26)1962年 - アルジェリア国際連合に加盟。
1962Spiegel scandal: Der Spiegel publishes the article "Bedingt abwehrbereit" ("Conditionally prepared for defense") about a NATO manoeuvre called "Fallex 62", which uncovered the sorry state of the Bundeswehr (Germany's army) facing the communist threat from the east at the time. The magazine is soon accused of treason.
(27)1967年 - 佐藤栄作首相の東南アジア歴訪に反対する新左翼各派羽田空港機動隊と衝突、1名の死者を出す。(第一次羽田事件
(28)1967年 - チェ・ゲバラボリビアで政府軍に捕まる。翌日処刑。
1968Vietnam War: Operation Sealords: United States and South Vietnamese forces launch a new operation in the Mekong Delta.
1969 – The opening rally of the Days of Rage occurs, organized by the Weather Underground in Chicago.
1970 – Vietnam War: In Paris, a Communist delegation rejects US President Richard Nixon's October 7 peace proposal as "a manoeuvre to deceive world opinion".
(29)1970年 - アレクサンドル・ソルジェニーツィンノーベル文学賞受賞が発表される。
1973Yom Kippur War: Gabi Amir's armored brigade attacks Egyptian occupied positions on the Israeli side of the Suez Canal, in hope of driving them away. The attack fails, and over 150 Israeli tanks are destroyed.
・1973 –
Greek military junta of 1967–74: Junta strongman George Papadopoulos appoints Spyros Markezinis as Prime Minister of Greece with the task to lead Greece to parliamentary rule.
(30)1974年 - 佐藤栄作元首相にノーベル平和賞が贈られることが決定する。
1974Franklin National Bank collapses due to fraud and mismanagement; at the time it is the largest bank failure in the history of the United States.
1978 – Australia's Ken Warby sets the current world water speed record of 317.60 mph at Blowering Dam, Australia.
・1982 –
Cats opens on Broadway and runs for nearly 18 years before closing on September 10, 2000.
(31)1982年 - 国道24号奈良バイパスが全通。
(32)1982年 - ポーランド国会労働組合法を改正。連帯が非合法組織とされる。
(33)1985年 - ワイドショー『アフタヌーンショー』で放送された暴行事件に関わったとして逮捕された少年3人が、やらせであったことを告白。(やらせリンチ事件
(34)1986年 - 大相撲横綱力士・千代の富士関が渡仏、フランスパリヴェルサイユ宮殿にて当時の同国首脳陣に四股を披露。
(35)1990年 - 国勢調査員殺害事件が発覚。
1990Israeli–Palestinian conflict: In Jerusalem, Israeli police kill 17 Palestinians and wound over 100 near the Dome of the Rock mosque on the Temple Mount.
1991Croatia votes to sever constitutional relations with Yugoslavia, rendering the country fully independent.
(36)1994年 - 日本プロ野球史上初の最終戦同率首位優勝決定戦中日巨人10.8決戦)が行われる。
(37)1994年 - ウェスティンホテル東京東京都渋谷区恵比寿ガーデンプレイスに開業。
(38)1995年 - オウム真理教教団幹部の上祐史浩が逮捕される。
(39)1997年 - 金正日朝鮮労働党総書記に就任。
(40)1998年 - アメリカ議会でデジタルミレニアム著作権法が成立。
(41)1998年 - オスロ空港が開港。
(42)1998年 - プロ野球・横浜ベイスターズが38年ぶりにセ・リーグ優勝。
(43)1999年 - 検察が甲山事件の第二次上訴を断念。事件発生から25年目で無罪が確定。
(44)2000年 - リトアニア議会選挙が実施。社会民主連立政党が勝利をおさめる。
(45)2001年 - リナーテ空港事故が起こる。(–A twin engine Cessna and Scandinavian Airlines System (SAS) jetliner collide in heavy fog during takeoff from Milan, Italy, killing 118 people.)
・2001 – U.S. President George W. Bush announces the establishment of the Office of Homeland Security.
(46)2002年 - 東京大学名誉教授小柴昌俊ノーベル物理学賞が贈られることが決定する。
(47)2005年 - パキスタン地震。パキスタン北部を中心にM7.6。
(48)2008年 - 下村脩ノーベル化学賞を受賞。(前日のノーベル物理学賞に続き2日連続の日本人の受賞)
(49)2009年 - 「Winny」開発者金子勇に対する著作権侵害行為への幇助に関しての裁判で、大阪高等裁判所が逆転無罪判決を下す。
(50)2010年 - 中国の民主活動家劉暁波ノーベル平和賞を受賞。
(51)2012年 - 山中伸弥ノーベル生理学・医学賞受賞決定。
(52)2013年 - 三鷹ストーカー殺人事件

                     インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5774です。    
2015年10月8日(木)掲載分
昨日10月7日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月8日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(8)1862年 - オットー・フォン・ビスマルクプロイセン王国首 相となる。」です。恥を承知の告白ですが、ヨシダは世界史に限らず日本史もろくに組織的な勉強をしていません。生活力把握が最優先の宿命でした。ですか ら、この「できごとコラム」は現在にしてヨシダの格好の勉強の場でありますが、オットー・フォン・ビスマルクという傑物の片鱗に触れました。かつて経験し たことのないほど長文の人物像をグーグルに観ます★同コラム編集体験で痛感するのが、世代を問わず権力者の末期は概して悲劇に終わります。「暗殺」という 暗い側面を歴史上の人物にはよくつきまといます。権力を長期間欲しいままにすれば、その分、反対勢力の恨みをかうのでしょう。ビスマルクもその一人になり かけた人物ですが、犯人からピストルを取り上げて難を逃れた辺りは(も)異例の存在です。その巨大人物の現在にして存在する「小さな動く映像」は興味です ★さて、本日の「情報探索・取材」はどんなものになるでしょう?ヨシダのささやかな楽しみです。(8:30)
 「No.5772「説得力のある話し方」、どうすればできる?アナウンサー+人気落語家の「秘訣」教えます東洋経済ONLINE2015.10.8.魚住 りえ :アナウンサー)」はヨシダに得難い機会を与えてくれた感じです。ほかでもありません、かの著名な「魚住りえ」さんはヨシダ郷土広島県が誇る(輩出した)人材!今までにヒットしなかったのが不思議な感じです。必読の価値ある記事としてご推薦します!(11:25)
 「No.5773:ノーベル賞期待のハルキ文学、原文とは違う英訳本の魅力読売新聞2015.10.8.東京学芸大学准教授 小澤英実)」を編集しながら自身の無知を恥じる想いを禁じえないのが本記事の言わんとするもの。どなたか無知なヨシダに教えてくださいませんか?・・・(12:55)
 「No.5774TPPのメリットとデメリットをあらためて整理するDIAMOND Online2015.10.8.高橋洋一 [嘉悦大学教授] )」 を編集しながら思うこと。ホンに国際協調って難しいもの。でも、何ごとにもプラスマイナスは同居するもの。イイことずくめがあるとしたら、そのトバッチリ を受けて損するセクトが不可避です。・・・とすれば・・・ですが、その選択肢も与野党・賛否両者があるから厄介ですよね★ま、そんな世界に身を置きたくな いというのが、門外漢であり海外居住の高齢ニッポン男児のヨシダの言い草ではある感じです。無責任発言と言われるかもかもしれませんが、応分の苦労を母国 で惜しまずしてきたヨシダの言い草とご寛容のほど。(15:10)

 

No.5774
TPPのメリットとデメリットをあらためて整理する
DIAMOND Online2015.10.8.高橋洋一 [嘉悦大学教授]
ヨシダブログ:日本を含めて12カ国が大筋合意した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)ですが、そのプラスマイナス面を理解するに相応しい記事として編集しました。後日の証といった気分でもあるのが編集者・ヨシダのホンネでもありますので、傍線引用抜きで掲載しています「中見出し」は、■メリットは輸出者と消費者にGDP増は累積3兆円“ではない”、■反対派の懸念点はほとんど杞憂 ただし政府の十分な説明が重要、■割を食うのは中国と韓国 TPPは中国の民主化も促す、■景気対策と合わせて 臨時国会で急ぎ経過説明をすべき・・・と続きます▼「質 問1 TPPの日本にとってのメリットとデメリットについて、あなたはどう思う?」に対する回答は、「メリットのほうが大きいと思う59.96%、現時点ではど ちらとも言えない18・68%、デメリットのほうが大きいと思う12.65%、プラスマイナスゼロ程度だと思う6.69%、その他、分からない 2.03%」と続きます。さて、あなたは?▼と、その前に大事なことは、メリットがあるとすれば躊躇することなくですが、デメリットも否定できないから足 踏みが生じるのであって、全てがメリットなら、逆に言えば、その制度で損する国も出るハズ。国際協調ともなれば、メリット・デメリットは不可避ですよね▼ふと、片方のパソコンに入ったメルマガ曰く、「TPP大筋合意で<亡国>へ進む日本。現状を変えるために必要な2つのこと=三橋貴明」と。もし、日本が門外漢になったら・・・?では(も)ありますよね・・・。げに、国際協調って難しいものですよね。(写真10枚添付ファイル
 高橋洋一の俗論を撃つ!
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No.5773
ノーベル賞期待のハルキ文学、原文とは違う英訳本の魅力

読売新聞2015.10.8.東京学芸大学准教授 小澤英実

ヨシダブログ:「文学」には疎いヨシダ。でも英語となるとウッ!?と反射的になるヨシダ。この記事が言わんとする村 上春樹さんの人間像と英語を巡る翻訳のあり方等々」はどうやらヨシダは門外漢って感じです。それにしてもですが、本記事筆者の小澤英実さんの写真がどうし ても見つかりません!意図的にクローズしておられるのでしょうか?これだけ著名な方なのに・・・どうして?が節介屋ヨシダの率直な感想です▼ちなみに、ヨ シダにとって、本記事を読んで理解するにはヨシダの読解力欠如を否定できません。別世界の人たちの論議のようで仕方ありません・・・。トホホです▼どなた か教えてくださいませんか?ヨシダの無能さが何であるかを?・・・。蛇足の弁ですが、あれだけ毎回、ノーベル文学賞候補と騒がれる村上春樹大先生ながら、 何故に?・・・が無知なヨシダの?です。どなたか、教えてくださいませんか?(写真4枚添付ファイル
   「NHKラジオ「英語で読む村上春樹」」の画像検索結果「NHKラジオ「英語で読む村上春樹」」の画像検索結果「「英語で読む村上春樹」」の画像検索結果
No.5772

「説得力のある話し方」、どうすればできる?アナウンサー+人気落語家の「秘訣」教えます
東洋経済ONLINE2015.10.8.
魚住 りえ :アナウンサー
ヨシダブログ:わがヨシダの出生県広島県が輩出した「」魚住さん」の素敵な記事にヒットして大喜びしています!今までヒットしなかったのが不思議なくらいの心境です!▼「見出し」等は、「説得力のある話し方」2つのアドバイス、「説得力」が増す5つのコツは?ー1.迫力をつけるには、「いつもより大きめの声」で2. 「高すぎる声」は説得力が弱い、3.「笑いながら」「スピード感を持って」話す、4.相手の「目」ではなく「顔」を見る、5.相手が複数の場合は、「ひとりに向かって」話す・・・ と続きます▼話すことを本職(?)みたいにしてきたヨシダ。つまり、経営者人生を貫いた人間だけに、従業員であれ、顧客であれ、「説得力」の強弱有無は生 命線。かく大胆に言えるのがヨシダです▼ヨシダがハッとするような手法の一つを本記事に発見しました。それは複数の人たちに向かって話すときは「ひ とりに向かって話す」という点です。でも、ヨシダが気にすることは、もし、終始そうしたら、他の人たちは置いてけぼりになってしまうのでは?という疑問。 時おりちょっと、皆さんに目線を移し、再び当該人物へ視線を集中するといった按配と解釈します▼もう一つの大事な点を教えられました。「相手の目でなく顔 を見 て」がそれ。「射すくめる」になってはいけない、と解釈します▼と、そう(相手の顔を見る)は言っても、前述した終始それでは他の人たちを無視した印象を 与えかねないでしょう。そこら辺りは多少の加減が必要だろうとは、ヨシダの弁です。他の人たちが無視された印象を与えるのは禁物であるからです・・・▼本 文章はふと文字やカラー文字があしらわれていることから、下手な余計な編集者の「傍線引用」は無用と考えます。一読必読をお勧めします。話の達人・わが広島県輩出の魚住りえさんに最大のエールを送りつつ・・・!(写真12枚添付ファイル
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 一昨日6日の記事3編を下記に掲載していましたが、本日8日の第一記事掲載(11:15)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                        
2015年10月8日(木)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                      
                                吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com