Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりなりにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切り に、同族企業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しまし た。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月6日(火)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
 フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                 グーグルから拾った10月6日の「できごと」 
                          October 6 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
 こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「ルキウス・リキニウス・ルクッルス」の画像検索結果「ティグラネス2世」の画像検索結果   3関連画像「Jacopo Peri」の画像検索結果「Jacopo Peri」の画像検索結果「1600, filenche」の画像検索結果「1600, フィレンツェ」の画像検索結果4「Battle of Forts Clinton and Montgomery」の画像検索結果    関連画像
     「Battle of Forts Montgomery」の画像検索結果        関連画像「Battle of Forts Montgomery」の画像検索結果6「母成峠の戦い」の画像検索結果「母成峠の戦い」の画像検索結果「松平容保」の画像検索結果 「新撰組」の画像検索結果  「新撰組」の画像検索結果         「母成峠の戦い」の画像検索結果
    「母成峠の戦い」の画像検索結果   7「1889, Thomas Alva Edison first tried movies」の画像検索結果「1889, Thomas Alva Edison first tried movies」の画像検索結果 「1889, Thomas Alva Edison first tried movies」の画像検索結果   「1889, Thomas Alva Edison first tried movies」の画像検索結果11       1「the jazz singer 1927」の画像検索結果「the jazz singer 1927」の画像検索結果「the jazz singer 1927」の画像検索結果「the jazz singer 1927」の画像検索結果「the jazz singer 1927」の画像検索結果
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「1948年 - 昭和電工事件新聞記事」の画像検索結果 「1948年 - 昭和電工事件新聞記事」の画像検索結果   17「United Airlines Flight 409」の画像検索結果「United Airlines Flight 409」の画像検索結果 「United Airlines Flight 409」の画像検索結果 関連画像      「United Airlines Flight 409」の画像検索結果20「ショスタコーヴィチ」の画像検索結果
 
「ショスタコーヴィチの交響曲第14番」の画像検索結果22「1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始。『ザ・トップテン』『歌のトップテン』」の画像検索結果「1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始。『ザ・トップテン』『歌のトップテン』」の画像検索結果「『ザ・トップテン』」の画像検索結果「『歌のトップテン」の画像検索結果「『歌のトップテン」の画像検索結果24「1976年 - 中華人民共和国で江青ら四人組が逮捕」の画像検索結果「1976年 - 中華人民共和国で江青ら四人組が逮捕」の画像検索結果
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「Cubana Flight 455」の画像検索結果「Cubana Flight 455」の画像検索結果「Cubana Flight 455」の画像検索結果      関連画像28   「アッコにおまかせ!」の画像検索結果   「アッコにおまかせ!」の画像検索結果34「鳥取県西部地震」の画像検索結果
    「鳥取県西部地震」の画像検索結果       「鳥取県西部地震」の画像検索結果   「鳥取県西部地震」の画像検索結果「鳥取県西部地震」の画像検索結果39 「貨物船「ジャイアント ステップ」」の画像検索結果   「貨物船「ジャイアント ステップ」」の画像検索結果    「貨物船「ジャイアント ステップ」」の画像検索結果 40「Idelphonse Nizeyimana arrested」の画像検索結果     関連画像
                          関連画像関連画像   「2009年 - ルワンダ虐殺」の画像検索結果   41「2010年 - ノーベル化学賞を鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。」の画像検索結果「2010年 - ノーベル化学賞を鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。」の画像検索結果「2010年 - ノーベル化学賞を鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。」の画像検索結果 「2010年 - ノーベル化学賞を鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。」の画像検索結果
105 BCBattle of Arausio: The Cimbri inflict the heaviest defeat on the Roman army of Gnaeus Mallius Maximus.
69 BCBattle of Tigranocerta: Forces of the Roman Republic led by Lucullus defeat the army of the Kingdom of Armenia led by King Tigranes the Great.
(1)紀元前68年 - 第三次ミトリダテス戦争: アルタクサタの戦い
23 – Rebels kill and decapitate the Xin dynasty emperor Wang Mang two days after the capital Chang'an is sacked during a peasant rebellion.
404 – Byzantine Empress Eudoxia has her seventh and last pregnancy which ends in a miscarriage. She is left bleeding and dies of an infection shortly after.
(2)891年 - フォルモススローマ教皇に即位。
1539 – Spanish conquistador Hernando de Soto and his army enter the Apalachee capital of Anhaica (present-day Tallahassee, Florida) by force.
1582 – Because of the implementation of the Gregorian calendar, this day is skipped in Italy, Poland, Portugal and Spain.
(3)1600年 - 現存する世界最古のオペラであるヤコポ・ペーリの『エウリディーチェ英語版』がフィレンツェで初演。
1683German immigrant families found Germantown in the colony of Pennsylvania, marking the first major immigration of German people to America.
1723Benjamin Franklin arrives in Philadelphia at the age of 17.
1762Seven Years' War: conclusion of the Battle of Manila between Britain and Spain, which resulted in the British occupation of Manila for the rest of the war.
(4)1777年 - アメリカ独立戦争: クリントン砦とモントゴメリー砦の戦いで英軍勝利。
1789French Revolution: Louis XVI returns to Paris from Versailles after being confronted by the Parisian women on 5 October.
(5)1806年 - 第四次対仏大同盟成立。
1849 – The execution of the 13 Martyrs of Arad after the Hungarian war of independence.
1854 – In England the Great fire of Newcastle and Gateshead starts shortly after midnight, leading to 53 deaths and hundreds injured.
(6)1868年慶応4年8月21日) - 会津戦争: 母成峠の戦い
1876 – The American Library Association was founded.
1884 – The Naval War College of the United States Navy is founded in Newport, Rhode Island.
(7)1889年 - トーマス・エジソンが初の映画の実験を行う。
1898Phi Mu Alpha Sinfonia, the largest American music fraternity, is founded at the New England Conservatory of Music by Ossian Everett Mills.
1903 – The High Court of Australia sits for the first time.
(8)1906年 - イラン立憲革命: イスラーム諮問評議会(イラン国会)が成立。
(9)1908年 - ボスニア・ヘルツェゴビナ併合オーストリア・ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴビナ併合を宣言。
1910Eleftherios Venizelos is elected Prime Minister of Greece for the first time (seven times in total).
(10)1913年 - 日本・イギリス・ロシア・ドイツ・フランスなど13か国が中華民国政府を承認
1923 – The great powers of World War I withdraw from Istanbul.
(11)1927年 - 世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が初公開される。
(12)1928年 - 蒋介石が中国国民政府蒋介石政権)主席に就任。
(13)1932年 - 赤色ギャング事件。日本初の銀行強盗事件。
1939World War II: Germany's invasion of Poland ends with the surrender of Polesia army after the Battle of Kock.
1942 – World War II: The October Matanikau action on Guadalcanal begins as United States Marine Corps forces attack Imperial Japanese Army units along the Matanikau River.
(14)1943年 - 第二次世界大戦ソロモン諸島の戦い: 第二次ベララベラ海戦
1945Baseball: Billy Sianis and his pet billy goat are ejected from Wrigley Field during Game 4 of the 1945 World Series.
(15)1946年 - 京郷新聞創刊。
(16)1948年 - 昭和電工事件: 西尾末広前副総理を逮捕。
(17)1955年 - ユナイテッド航空409便墜落事故ユナイテッド航空機がロッキー山脈に激突し墜落、乗員乗客66名全員が死亡。
(18)1965年 - ブルーボーイ事件。東京地検が性転換手術をした医師を取り調べ。
(19)1968年 - スワジランド王国国旗が制定。
(20)1969年 - ショスタコーヴィチ交響曲第14番が初演。
(21)1969年 - 千葉県松戸市役所が、市民の苦情にすぐ対応する「すぐやる課」を設置。
(22)1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始。のちに『ザ・トップテン』『歌のトップテン』へと継承される。
(23)1973年 - 第四次中東戦争勃発。
・1976 – Massacre of students gathering at Thammasat University in Bangkok, Thailand, to protest the return of ex-dictator Thanom, by a coalition of right-wing paramilitary and government forces, triggering the return of the military to government.
(24)1976年 - 中華人民共和国江青四人組が逮捕され、文化大革命が終了。
(25)1976年 - クバーナ航空455便爆破事件
(26)1977年 - ソビエト連邦MiG-29戦闘機が初飛行。
1977 – In Alicante, Spain, fascists attack a group of MCPV militants and sympathizers, and one MCPV sympathizer is killed.
1979Pope John Paul II becomes the first pontiff to visit the White House.
(27)1981年 - エジプトアンワル・アッ=サーダート大統領が暗殺される。
(28)1985年 - 『アッコにおまかせ!』が放送開始。
1985PC Keith Blakelock is murdered as riots erupt in the Broadwater Farm suburb of London.
(29)1986年 - ソ連ヤンキー型原子力潜水艦K-219」がバミューダ諸島沖の大西洋で核ミサイルの燃料爆発で沈没、乗組員4人が死亡。
(30)1986年 - 福岡県田川郡大任町の崎野正規町長が銃撃され死亡。
(31)1987年 - フィジーが共和制に移行。
(32)1995年 - ペガスス座51番星に初の太陽系外惑星が発見される。
(33)2000年 - スロボダン・ミロシェヴィッチユーゴスラビア大統領を辞任。
(34)2000年 - 鳥取県西部地震
・2000 – Argentine vice president Carlos Álvarez resigns.
(35)2001年 - JR九州 福北ゆたか線の運行開始。
2002 – The French oil tanker Limburg is bombed off Yemen.
(36)2004年 - 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)名古屋駅 - 金城ふ頭駅間が開業。
(37)2004年 - 名古屋市営地下鉄4号線名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間が開業。名城線として、日本の地下鉄では初の環状運転を開始。
(38)2004年 - イラク調査団英語版の、’イラク戦争開戦時、イラク大量破壊兵器は存在しなかった’とする報告書(デュエルファー・リポート)が米議会に提出される。
(39)2006年 - 急速に発達した低気圧による暴風のため、茨城県鹿島港外にて貨物船「ジャイアント ステップ」が走錨し座礁、船体切断。死者・行方不明者10名。宮城県女川港沖にてさんま漁船「第七千代丸」が座礁。乗組員16人全員が死亡・行方不明。
2007Jason Lewis completes the first human-powered circumnavigation of the globe.
(40)2009年 - ルワンダ虐殺に関与したイデルフォンス・ニゼイマナ国際刑事警察機構に拘束。
(41)2010年 - ノーベル化学賞鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。

                     インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5771です。    
2015年10月5日(月)掲載分
昨日10月5日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月6日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(41)2010年 - ノーベル化学賞鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教 授が同時受賞。」です。ほかでもありません、昨日発表されたのが「2015年のノーベル生理学・医学賞を、寄生虫による感染症に大きな効果を上げている治 療薬の開発に貢献した北里大学の大村智特別栄誉教授(80)と 米ドルー大学ウィリアム・キャンベル名誉研究員、中国・中医科学院のト・ユーユー終身研究員 兼首席研究員に贈ると発表した。日本人のノーベル賞受賞は昨年の名古屋大学の天野浩教授らに続いて2年連続・・・」とあるからです。日本人で最初にノーベ ル賞を受賞したのは1949年の湯川秀樹博士。爾来、今回の木村智博士で23人目。めでたし、です。(00:10)
                        「北里大特別栄誉教授の大村智」の画像検索結果
 ・・・ふと、時計をみると午前10時過ぎ。かれこれ2時間もデスクにかじりついていました。先取り編集中の「10月8日のできごと」で「(8)1862年 - オットー・フォン・ビスマルクプロイセン王国首 相となる。」で足止めになっています★まともな世界史を(も)勉強していないこれはヨシダの告白ですが、かの有名な「ビスマルク」の人間像に魅せられた格 好です。例によりグーグルで観るに実に長文にわたるもので、過去にこれだけのボリュームのグーグル説明に接したことはありません★今 回はビスマルクが「首相就任」という極めてスポット的なできごとですが、その前後の彼の業績への認識なくしては適切な評価や評論はできません★世界史なか んずくドイツの歴史の一端を学ぶことをこのコラム編集が与えてくれつつあることは感謝に耐えません。「きょうのできごと」編集の格別の醍醐味を味わいつつ ある今朝のひとコマです。さて、同編集作業を中断して、何時ものようにインタネット情報を手繰ります。(10:30)
 「ビスマルク」人物像の 追記:異例と言えるほど超長文の「ビスマルク人物像関連グーグル記述」から彼の末期の実像に関心を強めました。ほかでもありません、「きょうのできご と」編集で編集者のヨシダが関心を抱くのは「当該人物の末期」。時の権威者・征服者は「殺戮」の繰り返し。それだけに、末期は暗殺とかいった悲劇に終わる のが少なくないからです。★ビスマルクの人物像を知る意味でも、彼の末期前後の歴史を知ることに興味を抱きます。下記はグーグルから拾った当該記述です★ 「・・・1894年11月27日に妻ヨハンナに先立たれると生への倦怠感を強め、肉体的な衰えが激しくなった。ビスマルクは妻の死に関して妹へ宛てた手紙 の 中で「私の残されていた物、それはヨハンナだった。(略)民が寄せてくれる過分な好意や称賛に対して私は恩知らずにも心を閉ざしてしまうようになった。私 がこの4年間それを喜んでいたのは彼女もそれを喜んでいてくれたからだった。だが今ではそのような火種も徐々に私の中から消えようとしている」と書いてい る。血行障害であまり身体を動かさなくなったことで片足が徐々に壊死していき、しばしば激痛に悩まされるようになった。1897年秋以降には車椅子生 活になった。1898 年7月30日23時前に息を引き取った。主治医によると死因は肺の充血だったという。息子ヘルベルトの妻によると最期の言葉は「私のヨハンナにもう一度会 えますように」だったという。ビスマルクの希望で彼の墓石に刻まれた言葉は「我が皇帝ヴィルヘルム1世に忠実なるドイツ帝国の臣」であった。また『コロサイの信徒への手紙』第3章23節にある「汝等、何事を為すにも人に仕えるためではなく、主に仕えるために行え」という言葉が刻まれている。これはビスマルクが16歳の頃より愛していた言葉だった。ビスマルクの訃報に接してヴィルヘルム2世は10日間の廃朝を決定し、陸海軍も7日間に服して業務を停止した。民家も次々と弔旗を掲げた。国葬に付すべきとの意見もあったが、生前ビスマルクが派手な葬儀を嫌がっていたことから遺族が断り、フリードリヒスルーの邸宅の後ろの小丘に葬られた・・・(ウィキペディア)」。(11:00)
 「No.5769健康管理と体力維持のためウオーキングを日課としている。野鳥がさえずる春、…千葉日報「忙人寸語」2015.10.6.)」 を編集しながらヨシダの「旧き良き時代」を想起します。ほかでもありません、足が不自由なヨシダは商店街を「ショッピング&ウォーキング」はしたくても出 来ないことでした★第一次オイルショックを機に、「省エネ」を自他共にするべく、折りたたみ自転車をクルマのトランクに潜ませて、至るところでその利便性 を味わいました★商店街には足の不自由な身で入れなかったヨシダが自転車でスイスイ!目線の大革命って感じでした。「わ~!こんな世界があったんだ!」が 率直な感想でした。それができるスステムを商店街経営者もユーザーも真剣に検討して共存共栄を模索すべきですぞ~!。(12:05)
 「No.5770世界各地で起きた独立紛争の中でも、とりわけ悲惨といわれたビアフラ戦争。西日本新聞「春秋」2015・10.6.)」 を編集しながら、キーボードを叩く指に震えを禁じ得ませんでした。でも、こんな時に何時も想いを得ることは、その分、裏返せば、人々がハッピーに感じると きには、我がことのように嬉しくなることです。逆に不幸な出来事だった、人一倍かつ、自分のことのように胸を痛める、痛むのが常のヨシダです。どんなこと があっても、不満を感じないことがそうしたヨシダに与えられている「特権&宿命」のように感じる昨今です。(13:25)
 「No.5771秋田市立千秋美術館で今月12日まで「秋田蘭画の世界」展が開かれている。…秋田魁新報「北斗星」2015.10.6.)」 の編集で一番時間を要しながら、結局は見つからなかった写真。それは主人公の「」の写真です。時おり同じようなケースに出会うのですが、意図的に写真を非 公開されていると思しきケースがあるのですが、本記事主人公の「武塙林太郎氏」の写真にどうしてもヒットしませんでした・・・。(15:45)
 先ほど、アーネルが「ウォーキングに出ましょう!」と誘うのにのって出ました。ヨシ ダは車 いすのままで、押すほうのアーネルがウォーキング効果という図式。何時もより長道を歩くなと思ったら案の定、彼曰く、「ダディー、今日はチョッと遠くま で・・・」と★ヨシダは内心微笑みました。その分、彼は何時もの距離に慣れてもっと、という欲求を持ち始めたこと。即座に反応を示したヨシダは 「Good!!!」と多きな声で反応を示してやって、ひとくさりの「健康談義」★なんと、帰宅したらアーネル曰く、「ダディー、ちょっとジョギングしてき ます・・・」と。歩けば体調が良くなることに気付きを生じたのです。一気にジョギング欲求とは、と内心ほくそ笑むことシキリってのがヨシダ。笑顔一杯で見 送ってやりました。ひとりの人間に影響力を与えたことに大満足するヨシダです★「ヨシダは40歳から始めたから、お前さんには40になるまでの猶予期間を 与えるぜ」がヨシダ・ダディーの言い草。それより早くに実践にうつった彼に最大のエールを惜しみません。イイこっちゃ!です。(18:15)
 日本人ノーベル賞受賞 者第2人目!「物理学賞に梶田隆章・東京大学教授!」。おめでとうございます! 
                         「ノーベル物理学賞に梶田隆章東大教授」の画像検索結果
★先ほどアーネルが帰ってきました。頼んでいたものを買ってきてくれながらニコ ニコ顔で曰く、「これ見て、ダディー!この汗を!」と。シャツがグッショりと汗で濡れているのをみて叫ぶように言ってやりました。「Arnel, Good! I'm proud of you!」と。ニコニコしながら「明日もまたね!」と言って部屋を出ていきました★ちょうど、この画面のままでしたので、これ見ろよ!お前さんのことをブ ログしたところだぜ!また、書き増しだ・・・と。嬉しさ一杯の「運命共同体同士」って按配です。(18:25)

 

No.5771
秋田市立千秋美術館で今月12日まで「秋田蘭画の世界」展が開かれている。…
秋田魁新報「北斗星」2015.10.6.

ヨシダブログ: 本記事登場人物と当該作品の選択に手こずりました。ま、そのことは別にして、暫しの間、美術の世界に没入したことを喜びます。「神秘的な絵画」とヨシダの目に映るひと時を楽しみつつ・・・。写真17枚添付ファイル
  「秋田市立千秋美術館で「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果「秋田市立千秋美術館で「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果「秋田市立千秋美術館で「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果「秋田市立千秋美術館で「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果「秋田市立千秋美術館で「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果「秋田市立千秋美術館で「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果
 「秋田市立千秋美術館」の画像検索結果 「秋田市立千秋美術館「秋田蘭画の世界」展」の画像検索結果「「画集 秋田蘭画」(秋田魁新報社、」の画像検索結果「秋田蘭画」(秋田魁新報社、1989年」の画像検索結果「秋田蘭画」(秋田魁新報社、1989年」の画像検索結果「佐竹曙山「燕子花にナイフ図」」の画像検索結果「佐竹曙山「燕子花にナイフ図」」の画像検索結果「佐竹曙山「燕子花にナイフ図」」の画像検索結果 「平福百穂」の画像検索結果   「武塙編著書「画集 秋田蘭画」(秋田魁新報社、1989年)」の画像検索結果「8代秋田藩主佐竹曙山」の画像検索結果  No.5770
世界各地で起きた独立紛争の中でも、とりわけ悲惨といわれたビアフラ戦争。
西日本新聞「春秋」2015・10.6.
ヨシダブログ:涙 もろいヨシダはビアフラの惨状写真を編集しながら涙を禁じ得ません。何時もブログすることに、「きょうのできごと」編集で痛感することは古今洋の東西を問 わず、人類は殺し合いの繰り返し歴史そのものです。そういった意味では、悲しいかなヨシダは人類歴史悲観論者です▼本記事関連写真を拾いつつ悲観に苛まれ るなかで、「国境なき医師団」の活動の一端に触れ、救われた感じです▼その一方で発生した米軍の誤爆の可能性が指摘されるのが、同医師団が奉仕活動する病 院だとか・・・。「不運な巻き添え」では済まされない出来事ではありますが・・・。なんともやりきれない心境を禁じえません・・・▼ふと、ヨシダの胸を横 切るもの。それは、世界人口は暴発の一途。その一方で産業ロボット化は拍車がかかる一方。貧富の格差は一層の増大は必至。なんだか、「天罰」を恐れる心境 を禁じ得ません。地震や洪水等々の自然現象はその調整弁(?)とも思えるような不幸は出来事です。このことも「きょうのできごと」編集で痛感を余儀なくす るものです▼そういった心境を強くするそれはヨシダの日々感謝の生き方であり、「自利から他利」の気持ちを一層強めつつ、感謝、かんしゃ、カンシャの日々を送る昨今です。写真19枚添付ファイル 「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果  「ビアフラ戦争」の画像検索結果  「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果関連画像      「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果「ビアフラ戦争」の画像検索結果 「ビアフラ戦争」の画像検索結果   
  「国境なき医師団」の画像検索結果 「国境なき医師団」の画像検索結果     「国境なき医師団」の画像検索結果 「国境なき医師団」の画像検索結果    「国境なき医師団」の画像検索結果   No.5769
健康管理と体力維持のためウオーキングを日課としている。野鳥がさえずる春、…千葉日報「忙人寸語」2015.10.6.
ヨシダブログ:本記事筆者の弁は極 めて単純明快な現状分析です。ヨシダは物流関連の経営者体験者としての弁ですが、それぞれの地域に適した、時代に適した供給体制はタイムラグはやむを得な いとしても、自然発生的に台頭するものと楽観視する一人です▼ただ一つだけ消費者として自覚すべきことは、多少のコスト高になることは我慢することが肝要 です。でもその分、消費量は年齢に応じた応分の減少もあることから、トータル的には大した負担とならないのでは、と。なにせ、成長期には消費者側の贅沢な 願望が消費者ニーズと受けとめられてきた背景が否定できません▼地方の商店街へ足を運ぶのも「健康のためのウォーキング!」と受けとめればイイのでは?そ れにしても高度成長期に慣らされたわれらニッポン人は贅沢になっていますよね。国民も消費者も頭の切り替えが求められる時代です。おっと、移民問題や難民 問題にも多少の柔軟性を意識することが肝要ではありますよね。人口減少でジリ貧の論理を横においといて、やたらと古き良き時代を期待するほうがムリという ものだとヨシダは思考しますがどうでしょうか?▼・・・ と、偉そうなブログをしましたが、高度成長期に体験したヨシダのエピソードを追記してご理解を得たいと考えます▼第一次オイルショックを機に、クルマのト ランクに「折りたたみ自転車」を潜ませました。商店街をクルマで散歩して痛感したことは、「こんな素敵なことが出来るんだ!こんな世界があるんだっ た!Etc.」でした。その意味に言及する必要はないでしょう。何ごとも「発想の転換」が大事です!ネギャティヴ思考からポジティヴへ、が本記事に接した ヨシダブログの真髄です。(写真5枚添付ファイル
 「シャッター通り」の画像検索結果   「シャッター通り」の画像検索結果 「シャッター通り」の画像検索結果   「シャッター通り自転車開放」の画像検索結果「シャッター通り自転車開放」の画像検索結果 

 昨日5日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日6日の第一記事掲載(11:50)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                        
2015年10月6日(火)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                      
                                吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com