Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりなりにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切り に、同族企業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しまし た。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月5日(月)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
 フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   グーグルから拾った10月5日の「できごと」 
                            October 5 Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
 こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「Heraclius」の画像検索結果「Heraclius」の画像検索結果2「the fourth constantinopolis conference」の画像検索結果「the fourth constantinopolis conference」の画像検索結果 3「University of Kiel 1665」の画像検索結果「University of Kiel 1665」の画像検索結果「University of Kiel 1665」の画像検索結果「University of Kiel 1665」の画像検索結果「University of Kiel 1665」の画像検索結果「University of Kiel 1665」の画像検索結果
   4「Battle of Port Royal 1710」の画像検索結果「Battle of Port Royal 1710」の画像検索結果「Battle of Port Royal 1710」の画像検索結果5「ルイ16世」の画像検索結果「ルイ16世」の画像検索結果「ルイ16世」の画像検索結果7      「ヴァンデミエールの反乱」の画像検索結果「ヴァンデミエールの反乱」の画像検索結果8  「Battle of the Thames」の画像検索結果
  
「Battle of the Thames」の画像検索結果         「Battle of the Thames」の画像検索結果9「1864 – The Indian city of Calcutta is almost totally destroyed by a cyclone」の画像検索結果「1864 – The Indian city of Calcutta is almost totally destroyed by a cyclone」の画像検索結果  「1864 – The Indian city of Calcutta is almost totally destroyed by a cyclone」の画像検索結果              関連画像11「1895, first race for personal time trial bike race」の画像検索結果「1895, first race for personal time trial bike」の画像検索結果
「1895, first race for personal time trial bike」の画像検索結果15 「PEN International 1921」の画像検索結果 「PEN International 1921」の画像検索結果   「PEN International 1921」の画像検索結果  「PEN International 1921」の画像検索結果   「PEN International 1921」の画像検索結果   「PEN International 1921」の画像検索結果「PEN International 1921」の画像検索結果16「1921, first radio broadcast of the major league world series」の画像検索結果「1921, first radio broadcast of the major league world series」の画像検索結果 
 「1921, first radio broadcast of the major league world series」の画像検索結果「1921, first radio broadcast of the major league world series」の画像検索結果「1921, first radio broadcast of the major league world series」の画像検索結果「1921, first radio broadcast of the major league world series」の画像検索結果 17 「NHK交響楽団1926」の画像検索結果 「NHK交響楽団1926」の画像検索結果「NHK交響楽団」の画像検索結果19「Miss Veedol」の画像検索結果「Miss Veedol」の画像検索結果
   「Miss Veedol and her pirot」の画像検索結果      「Miss Veedol and her pirot」の画像検索結果「Miss Veedol and her pirot」の画像検索結果20「quarantine speech 1937」の画像検索結果「quarantine speech 1937」の画像検索結果「quarantine speech 1937」の画像検索結果23    「1947, truman first speech in the tv from white house」の画像検索結果2      「1947, truman first speech in the tv from white house」の画像検索結果       
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「007doctor no1962」の画像検索結果「007doctor no1962」の画像検索結果   「007doctor no1962」の画像検索結果27「『ラヴ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー』」の画像検索結果     「『ラヴ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー』」の画像検索結果      29Fermi NPP.jpg「Enrico Fermi Nuclear Generating Station trouble in 1966」の画像検索結果「Enrico Fermi Nuclear Generating Station trouble in 1966」の画像検索結果関連画像「Enrico Fermi Nuclear Generating Station trouble in 1966, newspapers」の画像検索結果
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「monty python's flying circus (1969 tv series)」の画像検索結果 「monty python's flying circus (1969 tv series)」の画像検索結果「monty python's flying circus (1969 tv series)」の画像検索結果「monty python's flying circus (1969 tv series)」の画像検索結果31「1969年 - テレビアニメ『サザエさん』」の画像検索結果       「フジテレビ」の画像検索結果「1969年 - テレビアニメ『サザエさん』」の画像検索結果34    「1980年 - 山口百恵の引退コンサート」の画像検索結果   「1980年 - 山口百恵の引退コンサート」の画像検索結果
39「ダライ・ラマ14世平和賞受賞」の画像検索結果「ダライ・ラマ14世平和賞受賞」の画像検索結果 41「オールスター感謝祭」の画像検索結果「オールスター感謝祭」の画像検索結果「オールスター感謝祭」の画像検索結果43「1998年 - NHKのアニメ番組『おじゃる丸』」の画像検索結果46 「speed解散会見」の画像検索結果
               「speed解散会見」の画像検索結果     47    「ロト6」の画像検索結果「ロト6」の画像検索結果49関連画像「2010年 - マット・マートンとイチロー」の画像検索結果 「2010年 - マット・マートン(阪神タイガース)がイチローの持つ日本プロ野球シーズン最多安打記録(210本)を更新」の画像検索結果  「2010年 - マット・マートン(阪神タイガース)がイチローの持つ日本プロ野球シーズン最多安打記録(210本)を更新」の画像検索結果     
456 – The Visigoths under king Theodoric II, acting on orders of the Roman emperor Avitus, invade Iberia with an army of Burgundians, Franks and Goths, led by the kings Chilperic I and Gondioc. They defeat the Suebi under king Rechiar on the river Urbicus near Astorga (Gallaecia).
(1)610年 - ヘラクレイオス東ローマ皇帝に即位。
816 – King Louis the Pious is crowned emperor of the Holy Roman Empire by pope Stephen IV at Reims.
(2)869年 - 第4コンスタンティノポリス公会議が開会。
1143 – King Alfonso VII of León and Castile recognises Portugal as a Kingdom.
1450 – Jews are expelled from Lower Bavaria by order of Louis IX, Duke of Bavaria.
1550 – Foundation of Concepción, city in Chile.
1582 – Because of the implementation of the Gregorian calendar this day does not exist in this year in Italy, Poland, Portugal and Spain.
(3)1665年 - キール大学英語版創立。
(4)1710年 - ポートロワイヤルの戦いはじまる。
(5)1789年 - フランス革命: ヴェルサイユ行進。パリの主婦らがヴェルサイユ宮殿まで行進し、国王ルイ16世をパリに連行。
(6)1793年 - フランス革命: キリスト教フランスの国教としての地位を失う。
(7)1795年フランス革命暦4年ヴァンデミエール13日) - フランス革命: ヴァンデミエールの反乱
(8)1813年 - 米英戦争: テムズの戦いで米軍勝利。
1857 – The City of Anaheim, California is founded.
(9)1864年 - インドコルカタサイクロンで破壊される。死者6万人。
1869 – The Saxby Gale devastates the Bay of Fundy region of Maritime Canada. The storm had been predicted over a year before by a British naval officer.
1877Chief Joseph surrenders his Nez Perce band to General Nelson A. Miles.
(10)1894年 - 庚寅新誌社が日本初の月刊時刻表『汽車汽船旅行案内』を出版。
(11)1895年 - ロンドンの北で最初の個人タイムトライアル自転車レース(50マイル)が開催。
1903 – Sir Samuel Griffith is appointed the first Chief Justice of Australia and Sir Edmund Barton and Richard O'Connor are appointed as foundation justices.
1905Wilbur Wright pilots Wright Flyer III in a flight of 24 miles in 39 minutes, a world record that stood until 1908.
(12)1908年 - オーストリア=ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴビナを併合。
(13)1910年 - 1910年10月5日革命ポルトガルで王制を廃止し共和制に移行。
1911 – The Kowloon–Canton Railway (split into MTR East Rail Line and Guangshen Railway now) commences service between Kowloon and Canton.
1914World War I: first aerial combat resulting in an intentional fatality.
(14)1915年 - 第一次世界大戦: ブルガリア中央同盟国側として参戦。
(15)1921年 - 国際ペンクラブ発足。
(16)1921年 - 米メジャーリーグワールドシリーズが初めてラジオ中継される。
(17)1926年 - 新交響楽団(NHK交響楽団の前身)が結成される。
(18)1930年 - イギリス飛行船R101インドに向けて飛行中パリ近郊で山腹に衝突。
(19)1931年 - アメリカの長距離機ミス・ビードル号が初の太平洋無着陸横断飛行に成功。
1936 – The Jarrow March sets off for London.
(20)1937年 - 第二次世界大戦:フランクリン・ルーズヴェルト米大統領が「日独伊3国は『隔離』されなければならない」と演説(隔離演説)。
1938 – In Nazi Germany, Jews' passports are invalidated, and those who needed a passport for emigration purposes are given one marked with the letter J (Jude – Jew).
1943 – Ninety-eight American POW's are executed by Japanese forces on Wake Island.
(21)1943年 - 第二次世界大戦: 関釜連絡船崑崙丸が米艦の雷撃を受けて沈没。衆議院議員2人を含む544人が死亡
1944 – Royal Canadian Air Force pilots shoot down the first German jet fighter over France.
・1944 –
Suffrage is extended to women in France.
1945Hollywood Black Friday: A six-month strike by Hollywood set decorators turns into a bloody riot at the gates of Warner Brothers' studios.
(22)1945年 - 東久邇宮内閣が、前日のGHQによる「民権自由に関する指令」を受け入れられないとして総辞職
(23)1947年 - ハリー・S・トルーマン米大統領が初のホワイトハウスからのテレビ演説。
(24)1947年 - コミンフォルム結成。
1948 – The 1948 Ashgabat earthquake kills 110,000.
1953 – The first documented recovery meeting of Narcotics Anonymous is held.
(25)1953年 - アール・ウォーレンが第14代アメリカ合衆国最高裁判所長官に指名される。
1955Disneyland Hotel opens to the public in Anaheim, California.
・1962 –
The Beatles' first single, "Love Me Do" backed with "P.S. I Love You", is released in the United Kingdom.
(26)1962年 - 映画007シリーズ第1作『007 ドクター・ノオ』がイギリスで公開。
(27)1962年 - ビートルズのファースト・シングル『ラヴ・ミー・ドゥ/P.S.アイ・ラヴ・ユー』がイギリスでリリース。
(28)1964年 - 国鉄日本急行バスにより名神ハイウェイバスが開業。日本初の高速バス
(29)1966年 - 米デトロイト郊外のエンリコ・フェルミ炉で史上初の炉心溶融事故がおこる。
1968 – Police baton civil rights demonstrators in Derry, Northern Ireland – considered to mark the beginning of The Troubles.
(30)1969年 - イギリスBBCのコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』が放送開始。
(31)1969年 - テレビアニメサザエさん』(フジテレビ系)放送開始。
(32)1970年 - 公共放送サービス開局。(The Public Broadcasting Service (PBS) is founded.)
・1970 – Montreal: British Trade Commissioner James Cross is kidnapped by members of the FLQ terrorist group, triggering the October Crisis.
(33)1973年 - ミュンヘン欧州特許付与に関する条約が締結。
1974Guildford pub bombings: bombs planted by the Provisional Irish Republican Army (IRA) kill four British soldiers and one civilian.
1975Operation Primicia: terrorist attack against a Military Regiment at Formosa, Argentina.
(34)1980年 - 山口百恵の引退コンサートが日本武道館で行なわれる。
(35)1981年 - ラウル・ワレンバーグアメリカ名誉市民の称号が贈られる。
1982Chicago Tylenol murders: Johnson & Johnson initiates a nationwide product recall in the United States for all products in its Tylenol brand after several bottles in Chicago are found to have been laced with cyanide, resulting in seven deaths.
(36)1983年 - レフ・ヴァウェンサノーベル平和賞受賞が決定。
(37)1983年 - 敗戦後アメリカ軍に接収されたままだった赤坂の山王ホテルが所有者に返還。
1984Marc Garneau becomes the first Canadian in space, aboard the Space Shuttle Challenger.
1986Israeli secret nuclear weapons are revealed. The British newspaper The Sunday Times runs Mordechai Vanunu's story on its front page under the headline: "Revealed — the secrets of Israel's nuclear arsenal".
Pinochet in his re-election attempt and a general election is called the following year.
・1988 – The
Brazilian Constitution is ratified by the Constituent Assembly.
(38)1988年 - チリアウグスト・ピノチェト大統領が国民信任投票で敗北。15年間の軍事独裁が終焉。
(39)1989年 - ダライ・ラマ14世のノーベル平和賞受賞が決定。
(40)1989年 - 京阪鴨東線三条 - 出町柳間2.3km)が開業。
1990 – After one hundred and fifty years The Herald broadsheet newspaper in Melbourne, Australia, is published for the last time as a separate newspaper.
1991 – An Indonesian military transport crashes after takeoff from Jakarta killing 137.
・1991 – The first official version of the
Linux kernel, version 0.02, is released.
(41)1991年 - TBS系の期首期末特番『オールスター感謝祭』が放送開始。
(42)1993年 - 大阪市交通局南港ポートタウン線(ニュートラム)の住之江公園駅構内で車両暴走事故。乗客215人が負傷。
(43)1998年 - NHKのアニメ番組『おじゃる丸』が放送開始。
(44)1999年 - 小渕再改造内閣が発足。
(46)1999年 - SPEEDが解散を発表。
1999 – The Ladbroke Grove rail crash in west London kills 31 people.
2000 – Mass demonstrations in Belgrade lead to resignation of Serbian strongman Slobodan Milošević. These demonstrations are often called the Bulldozer Revolution.
(47)2000年 - ロト6第1回抽選。
2001Barry Bonds surpasses Mark McGwire's single-season home run total with his milestone 71st and 72nd home runs.
(48)2003年 - アフマド・カディロフチェチェン共和国の大統領に選ばれる。
(49)2010年 - マット・マートン阪神タイガース)がイチローの持つ日本プロ野球シーズン最多安打記録(210本)を更新。
2011 – In the Mekong River massacre, two Chinese cargo boats are hijacked and 13 crew members murdered in the lawless Golden Triangle region of Southeast Asia.

                     インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5768です。    
2015年10月5日(月)掲載分
昨日10月4日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月5日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(26)1962年 - 映画007シリーズ第1作『007 ドクター・ノオ』 がイギリスで公開。」です。ほかでもありません、同映画の日本語タイトルの「007ドクター・ノオ」の「ノオ」で、?と、しばらく考え込みました★笑い話 になりますが、英語タイトルをみて苦笑い。「ノオ」は「No」でして、日本語カタカナ表示では「ノー」が普通であるからです。殊更に「ノオ」としたには、 翻訳者が固有名詞扱いにするためにそうしたのかな、と。「ドクター・ノー」では「ドクター、だめですよ」ってな感じになるからかな、がヨシダの推理★こ れって、単純なことですが、通常、日本人は気付きません。英語を理解し、かつ英語発音の日本語カタカナ表示のあり方で何時も問題意識を持つヨシダだからで す★英語レッスンみたいで恐縮ですが、折角あるカタカナ文字でありながら、日本人が苦手とする英語発音を殊更に変にしていることを指摘しているからです。 最たるものはメイジャー・リーグがジャー・リーグ、ベイスボールがベースボール、肝心の「ドクター・No」は「ドクター・ノオ」でなく、「ドクター・ノー」でもなく、「ドクター・ノウ」 と表示すべきです★日本人の苦手発音の最たるものはR、L、V、F、TH以上に「エイ・オウ」の二重母音です。そうだ、気付きにもうひとつ。二重母音の 「オウ」は英語のHopeで顕著に見られ誤発音。「ホウプ(Hope)」が「ホップ・ホープ」になっているのが顕著です★厄介なことは、新聞社協会とやら が、変なカタカタ表示に「統一」申し合 わせしている事実!英語レッスンみたいになるのでやめときま~す!そうだもうひとつ!インタネットがインターネットで間延びした感じ。「イナネット」と早 口に発音したらより正確です★ふと、気付くに、このトップページの容量表示が「946.99KB」!限度が 1000KBでした!それをオーバーすると相当部分が消滅するのです。危ないあぶない・・・です★ところで、ヨシダのウェブサイトは「縦長型」でして、画 面両サイドに別項目のリンク表示が普通。かっこいいレイアウトではありますが、その分、観る(読む)方は、左右に目を向けることを怠ると見失い兼ねませ ん。ヨシダウェブサイトは単純行動で「上から下へ」で、お見落としはゼッタイにありませんので・・・。加えて、可能な限り、こまめにリンクを張っています ので、お気に召すままに・・・です。これって、計画的ではなくって、ウェブサイト編集用ソフトを使わずに編集しているド素人が到達した自然の結果です。こ れでヨシ!って自己満足の勝手をお許しください。早朝から(と、実際は昨夜遅く)こんな余計なことをブログして・・・。でも、キーボードを叩くのが痛快で す!(6:10)
 先ほどアーネルと顔を合わせて彼曰く、「ダディー、きのうは出 来なかったけど、今夕はウォーキングを!」と。即座に大きな声で「OK!」。ニヤニヤしながら彼に言いました。「・・・そうだろう、ウォーキングの醍醐味 が分かるようになったんだろう、イイこっちゃ!」と。大いに頷きながら満足そうな表情をみて安心したのはほかならぬ、ダディーのヨシダ。「俺自身が40歳 でスタートした自己流体操。お前さんにもそれまでの猶予を黙認するぜ・・・」と言ってきたヨシダだけに、一年以上前に気付き始めたことを内心、大歓迎って ところです。ヨシダが影響を与えた人物になること必至です。さあ、外に出て彼を手を振って見送ってやります。(7:00)
 「No.5767:努力するのは当たり前。でも、努力してもできないことはある。恥じる必要はない熊本日日新聞「新生面」2015.10.5.)」を掲載して昨日の4編をデリートしてホッとします。1画面1千KBが限度ギリギリだったためです。昨日の4編をデリートして本編を掲載した現在の使用容量は「770KB」に一気に減ってホッとします。(11:15)
 「No.5768回転する黒い円盤にそっと針を落とす。わずかの間があって最初の音が鳴り始める…山陽新聞「滴一滴」2015.10.5.)」 を編集しながら反省することは、プライベイトなブログになったこと。でもま、多くの人に読まれている訳でもないという認識での編集者のわがままを通しまし た。お袋といえば彼女の生まれ故郷ハワイを訪れた時の想い出があります。1980年代でしたが、戦後の物資が無い時代にハワイの親族たちが食品や衣料など を沢山送ってくれたもの。そのお礼にと親族一同をレストランに招待して腕時計を寄贈したものです。その数、30個(人)。今から考えると税関等で引っかか らなかったもの・・・と。ま、この歳になると、随分と「想い出話」が出てくるもの。でも、それを現在のこの歳にして、こんな形でブログできることの幸せ感 をかみ締めます。(14:50)


No.5768
回転する黒い円盤にそっと針を落とす。わずかの間があって最初の音が鳴り始める…
山陽新聞「滴一滴」2015.10.5.
ヨシダブログ:「ア ナログレコード」と言えば、ヨシダ家が誇った(?)広島市随一のクラシック音楽喫茶「ベニヤ」を想起します。当時、わが街の同業で肩を並べたのが「ムーシ カ」という音楽喫茶。同店は現代音楽が主流だったと子供心に記憶します。わが家の店の大きなレコード盤収納キャビネットを記憶します。3階建て木造モルタ ルづくり。広島市役所斜め前筋に位置していたことから、同所や当時の師範学校教授や学生、県庁職員等々が常連客▼ 広島師範学校(後の広島大学)教授で英国人のメアリー教授という人の存在は鮮明でした。大東亜戦争が始まるや、スパイ容疑で逮捕されましたが、獄中で大き な声で叫ばれたのが、「日本は必ず負ける!」だったとかでした▼常連客に混じって、東南アジアの留学生さんたちの存在がありました。ハワイ生まれの女店主 の母が片言交じりの英語を交わしていました▼当時の日本政府の東南アジア政策(大東亜共栄圏)の一環だったと現在にして想起しますが、帰国後には相応の地 位に肖った人たちだっただろうとは現在の想像です▼子供心で記憶の一つは、かの当時有名だった声楽家・藤原義江さんがレコード店の営業マンと来店されて壮 大な歌を歌われる姿が脳裏にこびりついています。唖然として見詰めた記憶が鮮明です▼・・・と、肝心の貴重な大量のクラシックレコード盤。当時、家財道具 などの「疎開」が進んだ時分。貴重な財産的なレコードも疎開するか、という声があったなかで、断念したお袋。原爆で焼け跡に灰になった一連のレコード盤の 小山があったとか。足の不自由なヨシダはわが家の焼け跡を見たいというも、助っ人で合流した親父が首をふりました▼蛇足かつ、個人的で恐縮ですが、被爆当 時にわが家に居たのが三番目の姉の博子に弟の祐策。ふたりは奇跡的に助かったものの、手を取り合って広島市内を1週間彷徨いました。その弟はかすり傷一つ 負わなかったものの、救出さ れて数日後に血反吐を吐いて死にました。今から数年前に他界したその姉の「抜け落ちた髪の毛」は、現在でも広島市原爆記念館に展示されています▼とんでも ない方向にブログが向かいました。クラシック音楽喫茶だったわが家を本記事にオーバーラップしての想いの一端です▼(お断わり:編集者の過度の特権行使を 自覚しながらのお詫びと添付写真の相乗りをご容赦ください)下段の写真は本ブログで言及したヨシダの姉と弟の遺影。右端は博子姉が生命を賭けて生んだ一人 息子の山下一史。カラヤンの最期の愛弟子です。左端はヨシダの実母(享年102歳)です。写真15枚添付ファイル
 「<レコードのノイズふつくら星月夜>(田中亜美)」の画像検索結果      「旧式蓄音機」の画像検索結果  「旧式蓄音機」の画像検索結果    「旧式蓄音機」の画像検索結果   「旧式蓄音機」の画像検索結果 「旧式蓄音機」の画像検索結果「旧式クラシック・レコードアルバム」の画像検索結果「藤原義江」の画像検索結果
        「山下博子と弟吉田祐策」の画像検索結果「山下博子と弟吉田祐策」の画像検索結果 「山下博子と弟吉田祐策」の画像検索結果      「山下博子と弟吉田祐策」の画像検索結果「山下博子と弟吉田祐策」の画像検索結果   「山下博子と弟吉田祐策」の画像検索結果
No.5767
努力するのは当たり前。でも、努力してもできないことはある。恥じる必要はない
熊本日日新聞「新生面」2015.10.5.

ヨシダブログ:「努力するのは当たり前」と いう言葉でヨシダが想い出すこと。幼年時代から英語学習(独学)に精出したヨシダが胸に刻んだ英語のことわざ「Effort makes the impossible possible」。日本語訳は「努力は不可能を可能にする」で、平たく言えば、「努力すれば何でもできる」です。高校時代に広島県下高校英語弁論大会で 優勝したのがきっかけて親しく指導を得た米人女性宣教師(Merry Anderson)が教えてくれた格言でした。「ヨシダは独力する人」を演じた人生のスタートでした▼満84歳を直前にするヨシダですが、「心の非健常者 (障害者)」のなんと多い世の中だろう・・・と皮肉ります。目に余る犯罪を犯す人たちもそのセクトと言えるでしょう▼「障害者」は」英語で 「Handicapped person」ですが、この言葉で強烈な想い出を持ちます。数十年前のことですが、米書「Age Wave」を読んだ時のこと。著者は故人ですが、ハーヴァード大学教授教授。「Age Wave」(時代の波)と題する分厚い本の中に目にとまった新語がありました。「handicapable」 がそれ。handicapにableという助動詞をくっつけた新語。申すまでもなく「ハンディキャップはあっても<出来る人>」を意味します▼爾来、よく引き合いにしている新英語です。インタネットの「weblio英和和英」では、「handicapableな、ハンドiが使用可能な」といった曖昧表示しか出ません▼グーグルで検索すると出るわ出るわ!デス。慣用性を重んじるのがグーグルといった感じです。日 本から持参した分厚いオクスフォード辞典にはありません。最新刊をお持ちの方は興味本位でみてくださいませんか?▼厚顔辞さぬヨシダが (も)handicapable 爺ちゃんの一人として添付写真の末尾に仲間入りしました(笑)。これって、編集者の特権(!?)。「ヨシダの遊び心」と解釈してください。写真13枚添付ファイル
     「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果  「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果  「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果 「くまもと障害者労働センター代表の倉田哲也」の画像検索結果
   「handicapable」の画像検索結果「handicapable」の画像検索結果        「handicapable」の画像検索結果「handicapable」の画像検索結果  「handicapable」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
 昨日4日の記事4編を下記に掲載していましたが、本日5日の第一記事掲載(11:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                        
2015年10月5日(月)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                      
                                吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com