Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりな りにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切りに、同族企 業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しました。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月4日(日)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催のAPEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK  WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?)対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同 大統領の任期は2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と 勝手に思っているところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダ です。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   グーグルから拾った10月4日の「できごと」 
                            October 4 Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「白村江の戦い」の画像検索結果    「白村江の戦い」の画像検索結果     「白村江の戦い」の画像検索結果  「白村江の戦い」の画像検索結果  2「鄱陽湖の戦い」の画像検索結果「朱元璋」の画像検索結果関連画像   「陳友諒」の画像検索結果
4「Battle of Wittstock 1636」の画像検索結果  「Battle of Wittstock 1636」の画像検索結果      「Battle of Wittstock 1636」の画像検索結果       「Battle of Wittstock 1636」の画像検索結果    6 「the battle of germantown 1777 summary」の画像検索結果  「the battle of germantown 1777 summary」の画像検索結果7「フェートン号事件」の画像検索結果「フェートン号事件」の画像検索結果
10「Crimean War」の画像検索結果「Crimean War」の画像検索結果            「Crimean War」の画像検索結果    「Crimean War」の画像検索結果    「Crimean War」の画像検索結果    13   「1895, first open american golf tournament」の画像検索結果     「1895, first open american golf tournament」の画像検索結果       「1895, first open american golf tournament」の画像検索結果
15「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果 「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果    関連画像   関連画像「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果関連画像「Gutzon Borglum began carving presidents 」の画像検索結果
19 
「1954年 - 『NNNきょうの出来事』」の画像検索結果 「1954年 - 『NNNきょうの出来事』」の画像検索結果25「組『8時だョ!全員集合』」の画像検索結果「組『8時だョ!全員集合』」の画像検索結果「組『8時だョ!全員集合』」の画像検索結果  26「『遠くへ行きたい』」の画像検索結果「遠くへ行きたい テレビ番組」の画像検索結果29「森田一義アワー 笑っていいとも!」の画像検索結果
   「森田一義アワー 笑っていいとも!」の画像検索結果31「・ベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果   「・ベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果  「・ベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果33   「エル・アル航空1862便墜落事故」の画像検索結果   「エル・アル航空1862便墜落事故」の画像検索結果       「エル・アル航空1862便墜落事故」の画像検索結果    
35
「北海道東方沖地震」の画像検索結果「北海道東方沖地震」の画像検索結果「北海道東方沖地震」の画像検索結果  「北海道東方沖地震」の画像検索結果  37「Maxim restaurant suicide bombing」の画像検索結果 「Maxim restaurant suicide bombing」の画像検索結果 「Maxim restaurant suicide bombing」の画像検索結果39  「2005, hurricane stan」の画像検索結果  「2005, hurricane stan」の画像検索結果
                                「2005, hurricane stan」の画像検索結果  「2005, hurricane stan」の画像検索結果 「2005, hurricane stan」の画像検索結果「2005, hurricane stan」の画像検索結果
23 – Rebels capture and sack the Chinese capital Chang'an during a peasant rebellion. They kill and decapitate the emperor, Wang Mang, two days later.
610Heraclius arrives by ship from Africa at Constantinople, overthrows Byzantine Emperor Phocas and becomes Emperor.
(1)663年天智天皇2年8月27日) - 白村江の戦いが始まる。
1227 – Assassination of Caliph al-Adil.
1302 – A peace treaty between the Byzantine Empire and the Republic of Venice ends the Byzantine–Venetian War (1296–1302).
(2)1363年至正23年/大定3年8月26日) - 鄱陽湖の戦いが終結。朱元璋陳友諒を破る。
1511 – Formation of the Holy League of Ferdinand II of Aragon, the Papal States and the Republic of Venice against France.
1535 – The first complete English-language Bible (the Coverdale Bible) is printed, with translations by William Tyndale and Myles Coverdale.
(3)1582年 - イタリア・ポーランド・ポルトガル・スペインでグレゴリオ暦の適用により、10月4日の翌日が10月15日になる。
1597 – The first Guale uprising begins against the Spanish missions in Georgia.
(4)1636年 - 三十年戦争・フランス・スウェーデン戦争: ヴィットストックの戦い
1693Battle of Marsaglia: Piedmontese troops are defeated by the French.
1725 – Foundation of Rosario in Argentina.
(5)1745年 - フランツ1世神聖ローマ帝国皇帝に即位。
(6)1777年 - アメリカ独立戦争: ジャーマンタウンの戦い
1779 – The Fort Wilson Riot takes place.
1795Napoleon Bonaparte first rises to national prominence with a "Whiff of Grapeshot", using cannon to suppress armed counter-revolutionary rioters threatening the French Legislature (National Convention).
(7)1808年文化5年8月15日) - イギリス軍艦が長崎港に侵入、オランダ商館員を人質に食料などを要求。(フェートン号事件
(8)1824年 - メキシコが新憲法を制定し共和制に移行。
(9)1830年 - ベルギーオランダからの独立を宣言。
(10)1853年 - クリミア戦争: オスマン帝国ロシアに宣戦布告。
(11)1868年明治元年8月19日) - 榎本武揚率いる旧江戸幕府艦隊が江戸を脱出する。
1876Texas A&M University opens as the Agricultural and Mechanical College of Texas, becoming the first public institution of higher education in Texas.
・1883 – First meeting of the
Boys' Brigade in Glasgow, Scotland.
(12)1883年 - オリエント急行が運行開始。
(13)1895年 - 第1回全米オープンゴルフ開催。
(14)1910年 - ポルトガル革命で王族がイギリスへ亡命。
1917World War I: The Battle of Broodseinde fought between the British and German armies in Flanders.
1918 – An explosion kills more than 100 and destroys the T.A. Gillespie Company Shell Loading Plant in Sayreville, New Jersey. Fires and explosions continue for three days forcing massive evacuations and spreading ordnance over a wide area, pieces of which were still being found as of 2007.
(15)1927年 - ガットスン・ボーグラムラシュモア山の大統領像の彫刻を開始。
1936 – In the East End of London, marches staged by British fascists and various anti-fascist organizations result in violent clashes between them in what becomes known as the Battle of Cable Street.
1940 – Meeting between Adolf Hitler and Benito Mussolini at the Brenner Pass.
1941Norman Rockwell's Willie Gillis character debuts on the cover of The Saturday Evening Post.
1943World War II: U.S. captures the Solomon Islands from the Japanese.
(16)1945年 - GHQが「民権自由に関する指令(政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の覚書)」を発令し、人権の確立・治安維持法の撤廃・政治犯の釈放を指示。
(17)1945年 - 特別高等警察廃止。
(18)1951年 - 出入国管理令(現在の出入国管理及び難民認定法)公布。
(19)1954年 - 日本テレビニュース番組NNNきょうの出来事』が放送開始。
(20)1957年 - ソビエト連邦が世界初の人工衛星であるスプートニク1号を打ち上げ。
1957 – Avro Arrow roll-out ceremony at Avro Canada plant in Malton, Ontario.
・1957 –
Leave It To Beaver premieres on CBS.
(21)1958年 - フランスで新憲法が発効し、フランス第五共和政が開始。
1960Eastern Air Lines Flight 375, a Lockheed L-188 Electra, crashes after a bird strike on takeoff from Boston's Logan International Airport, killing 62 of 72 on board.
1963Hurricane Flora, kills 6,000 in Cuba and Haiti.
(22)1965年 - ローマ教皇パウロ6世が、歴代教皇では史上初めてアメリカ合衆国を訪問。
(23)1966年 - レソトがイギリスから独立。
(24)1967年 - ハサナル・ボルキアブルネイ国王に即位。
(25)1969年 - TBSバラエティ番組『8時だョ!全員集合』が放送開始。( - 1985年9月
(26)1970年 - 日本テレビ番組『遠くへ行きたい』(読売テレビ制作)が放送開始(現在も放送中)。
1974 – Founding of the New Democracy party in Greece.
1976 – Official launch of the InterCity 125 high speed train.
(27)1978年 - 内閣府原子力安全委員会設置。
(28)1978年 - エルサルバドルで誘拐されていた合弁企業インシンカ社INSINCA)社長・松本不二雄が死体で発見される。
(29)1982年 - フジテレビ生放送バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』が放送開始(~2014年3月31日終了)。
1983Richard Noble sets a new land speed record of 633.468 miles per hour (1,019.468 km/h), driving Thrust2 at the Black Rock Desert in Nevada.
(30)1985年 - リチャード・ストールマンフリーソフトウェア財団を設立。
(31)1988年 - ベトナムホーチミン市で二重体児・ベトちゃん・ドクちゃんの分離手術。
1988 – U.S. televangelist Jim Bakker is indicted for fraud.
(32)1991年 - 第11回南極条約特別協議国会議で環境保護に関する南極条約議定書英語版が採択される。
(33)1992年 - エル・アル航空1862便墜落事故
1992 – The Rome General Peace Accords ends a 16-year civil war in Mozambique.
(34)1993年 - 10月政変: 反エリツィン派が立てこもるモスクワロシア最高会議ビル戦車で砲撃、議会側は降伏する。
(35)1994年 - 北海道東方沖地震
1997 – The second largest cash robbery in U.S. history occurs at the Charlotte, North Carolina office of Loomis, Fargo and Company. A Federal Bureau of Investigation investigation eventually results in 24 convictions and the recovery of approximately 95% of the $17.3 million stolen cash.
2001NATO confirms invocation of Article 5 of the North Atlantic Treaty.
(36)2001年 - シベリア航空機撃墜事件シベリア航空機がウクライナ防空軍のミサイルの誤射により墜落。78人全員死亡。
(37)2003年 - イスラエルハイファのレストランで自爆テロ、21人が死亡。(en:Maxim restaurant suicide bombing)
(38)2004年 - 有人宇宙船スペースシップワンが宇宙船開発賞金Ansari X Prizeの基準を達成。
(39)2005年 - ハリケーン・スタンメキシコ南部ベラクルス州に上陸。グアテマラを中心に死者千人以上。
2010 – The Ajka plant accident in western Hungary releases about a million cubic metres (35 million cubic feet) of liquid alumina sludge. Nine people are killed and 122 injured, and the Marcal and Danube rivers are severely contaminated.
(40)2014年 -JR東日本南武線E233系電車が運用を開始する。


                     インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5766です。    
2015年10月4日(日)掲載分
昨日10月3日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月4日のできごと」でマークするのは、「(15)1927年 - ガットスン・ボーグラムラシュモア山の大統領像の彫刻を開始。」と、「(31)1988年 - ベトナムホーチミン市で二重体児・ベトちゃん・ドクちゃんの分離手術。」 です。前者は漠然と想像してはいた光景ですが、写真を見て感動を覚えました。後者のベトちゃん・ドクちゃんの分離手術を可能にした当時の日本の医学技術力 は大したもんだとあらためて思うと同時に、可愛く成長している二人に何とも言えない愛くるしさに感動です★ふと、現在の両君の現状をとグーグルして知りま した。「2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエンと結婚。このことは日本でも大きく 取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、簡単な日本語を話すことができる。また、結婚後に兄ベトを引き取 り夫婦で介護していた。2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去。2009年10月25日、ドクの 妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー、女児はグエン・アイン・ダオと命名。ドクは来日を 重ねており、2012年8月には東北を訪れ東日本大震災で被災した障害者たちと交流した(ウィキペディア)」★このできごと、とりわけ、ベトさんが 2007年に亡くなったことは知りませんでした。グーグルで多くの写真から2枚だけ添付します。左はドクさん家族。右はベトさん葬儀のドクさん夫婦。日本 を離れて久しいタイムトンネルを感じる一幕です。(00:45)
                    「現在のベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果 「現在のベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果
 「No.5761:おいしゅうございます長崎新聞「水と空」2015.10.4.信)」 を編集しながらのこと。本文記事よりはるかに長いブログになってしまいました。なにせ、この年齢ともなれば、その分、人生を広くかつ深く過ごして現在に至 ります。その分、ブログしたくなるのが編集者の心境。でも、天国の姉が喜んでいるかも知れません。なにとぞご寛容のほど。(11:40)
 「No.5761:おいしゅうございます長崎新聞「水と空」2015.10.4.信)」、「No.5762:移民政策琉球新報「金口木舌」2015.10.4.)」を編集しながら、それぞれへのヨシダブログを歯に衣着せぬかたちで果たしました。文章は下手でも、わが想いや意志が自分流であっても迅速にできることを心底喜んでいます。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」は何時ものブロガー・ヨシダの心です。(13:20)
 「No.5762:移民政策琉球新報「金口木舌」2015.10.4.)」、「No.5763:太平洋戦争末期、東北から召集され、フィリピン・ルソン島で多くが戦死した「もや・いふ…岩手日報「風土記」2015.10.4.)」を編集しながら痛感します。ヨシダって、歯に衣着せぬブロガーだなあ・・・と。14:00)
 「No.5764社の副安全運転管理者になっていて、先日、法定講習に行った。そこで見せられた…茨城新聞「いばらき春秋」2015.10.4.仁(本 紙本文のリンクは本日限りですので、青色の編集サイトをご覧ください。)」を編集しながら痛感しました!「昔とった杵柄」とはこのことだ!と。それにても 執筆作品等全てのヨシダの「実績」をウェブサイトに掲載しているから出来得ること。過去の執筆実績を単行本に編集したら数十冊相当になrんだぞ~!とは、 他愛もないヨシダの自慢ならぬ、「自負」です。まさか、昔とった杵柄がこんなところで役立つとは・・・と、ホントに呟きます。(14:40)
 ひゃ~!一気に4編も編集しました。「No.5765:描くこと、生きること宮崎日日新聞「くろしお」2015.10.4.)」で、ヨシダの場合は描くではなく、書く(ブログする)ことの喜びとスリルを新たにする気分です。少年のような心の弾みを体感します。日々の朗誦のひとつである「YOUTH(青春)」を「地で往く」心境です。本欄編集しごとが一層、楽しみになる感じです。(15:30)
 No.5766:目が不自由だったことが、どれほど事故と関係しているのか。不自由でなければ、…徳島新聞「鳴潮」2015.10.4.)」 は、ひと昔前にヨシダが手掛けたトラック運送事業経営やドライバー教育等の時代を想起させます。トラックがバックするときのブザーのスイッチが切れていた とかが盲導犬と目の不自由な方が犠牲者となったという痛ましい事故。元クライアント社長にも送って参考に給します。なお、本日は日曜日でありながら、編集 者のヨシダは超多忙。ま、「月月火水木金金」って按配の日々ですから・・・。(17:30)


No.5766
目が不自由だったことが、どれほど事故と関係しているのか。不自由でなければ、…
徳島新聞「鳴潮」2015.10.4.
ヨシダブログ:トラック運送事業経営体験者であり、トラックドライバー教育にも造詣を深くしたヨシダだけに、殊のほか痛ましく感じる記事です▼事故状況をキャッチしたく色々とグーグルする中でヒットしたのが小さな実地検証写真。右端に添付しましたが、下部に白文字の説明文があることから拡大しても読めません▼そこで更に「山橋衛二さんの事故死原因について」でグーグルするなかで、ヒットしたのが「目の不自由な男性と盲導犬 トラックにひかれ死亡」(NHK NEWSWEB。 同記事によると、「・・・警察によりますと、トラックが道路脇の資材置き場に入ろうとバックしてきたところ、路側帯を歩いていた山橋さんと盲導犬にぶつ かったということです。この トラックには、バックする際に音で周囲に注意を促す装置がつけられていますが、スイッチが切られていたため音は鳴らなかったということです。」とありま す。明らかにドライバーの不注意としか言いようがありません▼また、同記事は、「最近は電気自動車など、比較的音の小さな車が増えている。ドライバーは盲 導犬を連れている人を見かけたときは、特に注意して運転してほしい」と話しています。」とも▼本件事故はトラック側の整備不良が原因だったと考えさせられ ますが、何とも痛ましい事故で、胸を痛めます。弱者最優先ではありますが、目の不自由な方々へも盲導犬同伴で過度の安全意識は禁物だという助言も必要な時 代ではあると言えるかもしれません▼享年50歳だった山橋衛二さんの霊に合掌。写真6枚添付ファイル
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No.5765
描くこと、生きること
宮崎日日新聞「くろしお」2015.10.4.
ヨシダブログ:「描 くこと」は「書くこと」に繋がると受けとめて編集しました。ヨシダの場合は人に見せたり読んでもらうことなど微塵も考えずに、ひたすら書き続け、ウェブサ イトに掲載し続けているだけのこと。読まれたり見られたりは関係無しに、自身のために・・・といったところ▼でも、ひょっとして、何かのご縁で人様の目に ふれることも無きしも非ずではあることに気付かされる昨今です▼「表現とは生きること。理屈より生きた軌跡を示せ」に励まされます。ヨシダにとって、絵画 でそれを証明するのでなく、ひとり言的にウェブサイトに書きまくる、ブログしまくる・・・といった調子。こでヨシ!と感じさす本記事として嬉しく受けとめ 編集しました。感謝です。写真6枚添付ファイル
 「宮日美展」の画像検索結果   「マンガ大賞を受賞した東村アキコさん(宮崎市出身)」の画像検索結果    「マンガ大賞を受賞した東村アキコさん(宮崎市出身)」の画像検索結果      「マンガ大賞を受賞した東村アキコさん(宮崎市出身)」の画像検索結果「マンガ大賞を受賞した東村アキコさん(宮崎市出身)」の画像検索結果「マンガ大賞を受賞した東村アキコさん(宮崎市出身)」の画像検索結果
No.5764
社の副安全運転管理者になっていて、先日、法定講習に行った。そこで見せられた…
茨城新聞「いばらき春秋」2015.10.4.仁
(本紙本文のリンクは本日限りですので、青色の編集サイトをご覧ください。)
ヨシダブログ:タイトルの「副安全運転管理者」で、わ~!懐かしい!とばかりに飛びつきました。ほかでもありません、ヨシダにとっては忘れ難い良き想い出一杯であるからです。ほかでもありません、ヨシダ離日直前までにわたって、「一般社団法人広島県安全運転管理者協議会」の法定講習会『専任講師』」であったからです!▼平 成16年度から専任講師活動でした。広島県下1万2千人の安全運転管理者を対象に、年間延べ70回の法定講習を約20数名の大学教授・助教授の講師陣で行 われている権威ある法定講習ですが、その専任講師陣に例外的に仲間入りして5年目を全うし、平成21年度も引き続いて担当することが確定していましたが、 「人生四毛作」のフィリピン移住計画実施のために、継続を断念することを余儀なくされました▼ちなみに、同法定講習における私の演題は「安全運転管理者の使命と役割~"経営安全運転"を目指す社長の分身たれ~」で した。すでに私のレクチャーを受講した安全管理者(オーナー経営者・中間管理職)は2千人(社)を突破し、応分の評価を得たことを喜んでいます▼離日を際 に、当時の同社団法人専務理事(広島県警OB)を表敬した折のこと、「一時帰国であれなんであれ、帰国される予定の折にはご一報願う。講演スケジュールに 組みますので・・・」という暖かい言葉も頂戴したものでした。ヨシダ人生に華を飾るに相応しい出来事のひとつとして、添えさせていただきました▼蛇足の弁 ですが、ヨシダを起用いただいた折のエピソードをひとつ。当時の専務理事さんが「法定講習講師人選」に関して当時の広島市南警察署長との懇談のなかで、講 師陣は大学教授が主流。残念だが受講者の胸に響くものが無い。だれか適当は人選は・・・という相談。受けた同署長はおうむ返しに「吉田祐起副会長!」と だったこと。当時のヨシダは同警察の「広島県南交通安全協会副会長」でありました▼その推薦もあってのこと、今度は肝心のヨシダがやったことは、広島県警 察本部長宛「自薦の小論文」。私はかく講義します・・・というもの。一気に決定しました。しかも、ヨシダは可能な限り、他の講師陣の講演も拝聴して県下を 回りました。結論は、「これなら、ヨシダは名講師足り得る!」という自信でした。そして、見事にその名誉を勝ち取りました▼上掲の「安全運転管理者の使命と役割~"経営安全運転"を目指す社長の分身たれ~」は必読の価値ありますよ!と自画自賛を惜しみません。(写真7枚添付ファイル
 「人体ダミーを乗せた車の衝突試験」の画像検索結果「人体ダミーを乗せた車の衝突試験」の画像検索結果「人体ダミーを乗せた車の衝突試験」の画像検索結果    「人体ダミーを乗せた車の衝突試験」の画像検索結果  「人体ダミーを乗せた車の衝突試験」の画像検索結果 「安全運転管理者講習会風景」の画像検索結果  「安全運転管理者講習会風景」の画像検索結果
No.5763
太平洋戦争末期、東北から召集され、フィリピン・ルソン島で多くが戦死した「もや・いふ…
岩手日報「風土記」2015.10.4.
ヨシダブログ「フィ リピン・ルソン島」の言葉に反射的に取り上げました。ヨシダが終の棲家とし、あまつさえ、戦時中の敵味方彼我の別なく、多くの犠牲者の霊を弔うのがヨシダ のこの国に骨を埋めるのが原点だけに、です▼加えて近年に至っては、民間親善役の一人としてのささやかなブライドをもって、フィリピン人ひと家族が対象で すが、「貧困からの脱却」を目指し、早々と実現して現在に至るだけに、一層の親しみを感じるがゆえことです▼難民問題で揺れる欧州。観て観ぬフリをしてい るのかどうは別として、人口減少を心配しながらの難民はおろか、移民政策でも拒絶姿勢の母国ニッポン。肩身の狭い想いをするだけに、微力ながらも、「プ ロ・フィリピン生き方」を選択したヨシダ自身に誇りすら感じる昨今です。写真6枚添付ファイル
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No.5762
移民政策
琉球新報「金口木舌」2015.10.4.
ヨシダブログ雄 弁家の安倍総理にしてはまずい答弁をしたものです。「難民を受け入れる考えがないか」を問われての返事はお粗末千万。質問をはぐらかせた、失礼かつ的外れ の答弁です。その内容を此処でブログするのもあほらしい感じです▼末尾の本記事筆者が指摘することに賛同します。曰く、「・・・難民は受け入れないが「役に立つ」外国人は受け入れて活用する。そんな自国の都合だけでは見識が問われる。」がそれ▼日本の政治家のスケールの小ささと、低い国家理念が海外か観るニッポン人の率直な感想です・・・▼本コラム編集者の特権を行使しての安倍総理語録を示すサイトの幾つかを添付します。海外在住者ゆえの情報源取得願望として許されるものと自負しつつ・・・。 写真8枚添付ファイル
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No.5761
おいしゅうございます

長崎新聞「水と空」2015.10.4.信

ヨシダブログヨ シダの食事や身の回りのケアをしてくれているのは家長・アーネルの実姉のセニー。「セニー・マミー」と呼んでいます。一日二食主義に徹している現在のヨシ ダの食生活はブレンチ(breakfast & lunch=breanch)とディナー(前者は午前8時、後者は午後3時)。彼女は英語が片言がやっと。時には身振り手振りの当方の意思伝達▼食前食後 には両手を合わせて「サンキュー、セニー・・・」と。当方は「鍵っ子ぶり」みたいなオフィス部屋閉じこもり生活だけに、充分に過ぎる満足感▼数年前からど うしたことか、突然に、しかも宿命的(?)とも思えるような不思議なできごと以来、食生活が一変したものです▼それまでは量は僅かでも日本酒趣向。ため に、日本酒に適した料理は必然的な欲求でした。ところが、くだんのセニーにその料理が期待はできないことから諦めの心境からといったものでは決してなく、 ある日ある瞬間、突然にプッツリと飲酒を止めたのです。不思議な体験でした!止めたのではなく、欲しいと思わなくなったのです!▼即座に在庫のアルコール 類の全てをアーネルに処分(在比日本人の皆さんに贈呈)させました。今にして想起することは、現在の食生活をベースにした現在の日常生活の基本的在り方を 可能にするべく、神様が仕組んだものとすら想起するのです!▼この出来事を含めてのことですが、84歳を前にしたフィリピンに来てからのヨシダの人生は、 自 身の意図とか計画といったものを超越した形で、何かのパワーで「操り人形」のごとくに淡々と、しかも希望と生きがいを抱いての生活・人生の営みへのシフト で・・・ といった感じなのです▼これら一連の出来事をヨシダは「神様が仕組まれた出来事」と解釈し、これでヨシ!って心境で淡々と日々を希望をもって生きてきてい る自身を自覚するのです▼蛇足の弁ですが、ヨシダの実姉でヨシダが「人生の恩人」と評していたのが彼女の旦那さん(義兄)でしたが、他界して久しいなか、 ヨ シダがフィリピンに移住することを知って言い出したことが「姉ちゃんも一緒に連れて行って・・・」でした。でも、土壇場で周囲の者たちの反対もあって断念 した経緯があります▼餞別にといって、5百万円をポ~んと呉れた彼女でした。二年前の8月15日のお盆の日に天に召されました。彼女は人一番の美食家。高 級料理店の常連客でヨシダはお供。今にしてしんみりと想うに、一緒でなかったのも神様の導き、とすら想起します▼ヨシダの二食主義生活のメニューの云々は 無用と心得ますが、姉の美食家振りを横目で感じてきたことのひとつが、「美食家は食生活の贅を味わいかつ、期待する」という喜びの半面で、「それが満たさ れなかったら不満が生じる」というマイナス面▼反対に、そうでない者にとっては、食に対する不満からの開放感をそのまま、別の分野に転じて人生を有意義に 過ごすことができる・・・という自己満足です▼「得るものがあれば、失うものがある」の反対に、「豪華な期待するものがなければ、その分、与えられるもの で満足感を与えられる・・・」ではなかろうか、と。これがヨシダの本記事を編集する動機であり、与えられ、かつ再認識する人間の食生活に対する考え方一考 です▼蛇足の弁をもうひとつ。日々テレビに観る難民の実態。寝るところもあり、食することもでき、かつ、こんな形で楽しくかつ、有意義に過ごせることが如 何に幸せなことであるか、これ以上の何を求めるのか・・・を日々実感する昨今のヨシダです。すんません、現役時代にある方々には無縁のヨシダブログになり ました・・・。本記事主人公の岸朝子さんの霊に合掌。(写真8枚添付ファイル
  「「料理の鉄人」岸朝子」の画像検索結果「「料理の鉄人」岸朝子」の画像検索結果「「料理の鉄人」岸朝子」の画像検索結果 「「岸朝子の『食』の作法 も美味のうち」」の画像検索結果
 昨日3日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日4日の第一記事掲載(11:25)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                        
2015年10月4日(日)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                      
                             吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com