Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがり なりにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切り に、同族企業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しまし た。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月26日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月26日の「できごと」 
                          October 26 Events(英語版) 
                              「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
 1 「藤原定子」の画像検索結果 「藤原遵子」の画像検索結果3 「1774, Continental Congress」の画像検索結果 「1774, Continental Congress」の画像検索結果4「George III admits continental policy」の画像検索結果「George III admits continental policy」の画像検索結果5        「battle of the chateauguay」の画像検索結果「battle of the chateauguay」の画像検索結果       「battle of the chateauguay」の画像検索結果 6「Erie Canal」の画像検索結果「Erie Canal」の画像検索結果
7
「庄屋・中山善兵衛」の画像検索結果「中山善兵衛1838」の画像検索結果「庄屋・中山善兵衛」の画像検索結果「天理教「立教の元一日」の画像検索結果「天理教「立教の元一日」の画像検索結果8 「Giuseppe Garibaldi shake hands with」の画像検索結果 「Giuseppe Garibaldi shake hands with」の画像検索結果  「Giuseppe Garibaldi shake hands with」の画像検索結果 「Vittorio Emanuele II di Savoia」の画像検索結果     「Giuseppe Garibaldi shake hands with」の画像検索結果「両シチリア王国」の画像検索結果9    「Gunfight at the O.K. Corral 1881」の画像検索結果    「Gunfight at the O.K. Corral 1881」の画像検索結果
     関連画像「Gunfight at the O.K. Corral 1881」の画像検索結果「Gunfight at the O.K. Corral 1881」の画像検索結果 「Gunfight at the O.K. Corral 1881」の画像検索結果   「Gunfight at the O.K. Corral 1881」の画像検索結果   11「1909年 - 伊藤博文が哈爾浜で安重根に暗殺される。」の画像検索結果「1909年 - 伊藤博文が哈爾浜で安重根に暗殺される。」の画像検索結果    関連画像「1909年 - 伊藤博文が哈爾浜で安重根に暗殺される。」の画像検索結果    「1909年 - 伊藤博文が哈爾浜で安重根に暗殺される。」の画像検索結果
   15
「カシミール紛争」の画像検索結果18 「1951, 中国のチベット侵攻」の画像検索結果「1951, 中国のチベット侵攻」の画像検索結果 「1951, 中国のチベット侵攻」の画像検索結果「1951, 中国のチベット侵攻」の画像検索結果 「1951, 中国のチベット侵攻」の画像検索結果 「1951, 中国のチベット侵攻」の画像検索結果 26 「朴正煕暗殺事件」の画像検索結果   関連画像「朴正煕暗殺事件」の画像検索結果  「朴正煕暗殺事件」の画像検索結果
28 「3年B組金八先生」の画像検索結果「3年B組金八先生」の画像検索結果29「TBSビデオ問題」の画像検索結果         「TBSビデオ問題」の画像検索結果      「TBSビデオ問題」の画像検索結果「TBSビデオ問題」の画像検索結果 33「桶川ストーカー殺人事件」の画像検索結果          「桶川ストーカー殺人事件」の画像検索結果               「桶川ストーカー殺人事件」の画像検索結果
34
「USA PATRIOT Act document」の画像検索結果「USA PATRIOT Act document」の画像検索結果 「USA PATRIOT Act document」の画像検索結果 35「2005年 - 千葉ロッテマリーンズが日本シリーズ」の画像検索結果    「2005年 - 千葉ロッテマリーンズが日本シリーズ」の画像検索結果36「2005年 - シカゴ・ホワイトソックスがワールドシリーズ」の画像検索結果37 「2006年 - 北海道日本ハムファイターズが日本シリーズ」の画像検索結果     39「マイクロソフトがWindows 8」の画像検索結果
306Martyrdom of Saint Demetrius of Thessaloniki
(1)990年永祚2年10月5日) - 一条天皇女御藤原定子が立后。三后の位が全てふさがっていたため、藤原遵子が「皇后宮」、定子が「中宮」と称される。皇后・中宮並立の初例。
1341 – The Byzantine civil war of 1341–47 formally begins with the proclamation of John VI Kantakouzenos as Byzantine Emperor at Didymoteicho.
1377Tvrtko I is crowned the first king of Bosnia.
1520Charles V is crowned.
(2)1597年慶長2年/宣祖30年9月16日) - 慶長の役: 鳴梁海戦李舜臣の朝鮮水軍が後退する。
1640 – The Treaty of Ripon is signed, restoring peace between Scotland and Charles I of England.
1689General Piccolomini of Austria burns down Skopje to prevent the spread of cholera. He died of cholera himself soon after.
(3)1774年 - 第1回大陸会議が閉会。
(4)1775年 - アメリカ独立戦争イギリス国王ジョージ3世が、北米植民地が反乱状態にあると宣言し、鎮圧のための武力行動を容認する。
1776Benjamin Franklin departs from America for France on a mission to seek French support for the American Revolution.
1811 – The Argentine government declare the freedom of expression for the press by decree.
(5)1813年 - 米英戦争シャトーゲーの戦い
(6)1825年 - エリー運河が全通。
(7)1838年 - 数日前に山辺郡庄屋敷村(現在の奈良県天理市)の庄屋中山善兵衞が山伏に祈祷を依頼した際、憑代となった妻・みきに天理王命(てんりおうのみこと)が降臨。善兵衞が、みきを「神のやしろ」として差し出すことを認める。(天理教の「立教の元一日」)
1859 – The Royal Charter is wrecked on the coast of Anglesey, north Wales with 459 dead.
(8)1860年 - 両シチリア王国を征服したジュゼッペ・ガリバルディサルデーニャヴィットーリオ・エマヌエーレ2世テアーノで会談。ガリバルディはエマヌエーレ2世に征服地を献上。(テアーノの握手
1861 – The Pony Express officially ceases operations.
1863The Football Association, the oldest football association in the world, is formed in London.
(9)1881年 - 保安官ワイアット・アープとクラントン兄弟らアウトローカウボーイズ」がアリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル付近で銃撃戦。(OK牧場の決闘
(10)1905年 - 同君連合スウェーデン=ノルウェーからのノルウェーの分離独立が承認される。
(11)1909年 - 伊藤博文哈爾浜安重根暗殺される。
1912First Balkan War: The Ottoman occupied city of Thessaloniki, is liberated and unified with Greece on the feast day of its patron saint Demetrius. On the same day, Serbian troops captured Skopje.
1917World War I: Battle of Caporetto; Italy suffers a catastrophic defeat to the forces of Austria-Hungary and Germany. The young unknown Oberleutnant Erwin Rommel captures Mount Matajur with only 100 Germans against a force of over 7000 Italians.
1917 – World War I:
Brazil declares war on the Central Powers.
(12)1918年 - ドイツの参謀本部次長で第一次世界大戦の戦争指導者であったエーリヒ・ルーデンドルフが、皇帝ヴィルヘルム2世の命により辞職。
1921 – The Chicago Theatre opens.
1936 – The first electric generator at Hoover Dam goes into full operation.
1940 – The P-51 Mustang makes its maiden flight.
(13)1941年 - セントライト京都農林省賞典四歳呼馬に勝ち、日本競馬史上初の三冠馬となる。
(14)1942年 - 第二次世界大戦ソロモン諸島の戦い南太平洋海戦
1943 – World War II: First flight of the Dornier Do 335 "Pfeil".
1944 – World War II: The Battle of Leyte Gulf ends with an overwhelming American victory.
(15)1947年 - カシミール紛争カシミール藩王がイスラム教徒住民の反乱への対応のため、インドへの編入を申請し防衛援助を求める。
(16)1947年 - 日本で、日本国憲法制定に伴い改正刑法を公布。不敬罪姦通罪を廃止。
(17)1948年 - 東富士欽壹が第40代横綱に昇進。
(18)1951年 - チベット侵攻: 中国陸軍18軍(軍長:張国華)2500名余りがラサに入城する。
(19)1954年 - 山口県吉敷郡大内村仁保(現在・山口市仁保下郷)で一家6人が殺害(仁保事件)、翌年容疑者が逮捕されるが結局冤罪と判明した。
(20)1955年 - オーストリア議会が永世中立を決議。
(21)1955年 - ベトナム共和国南ベトナム)が成立。ゴ・ディン・ジエムが大統領に就任。
(22)1958年 - ボーイング707パンアメリカン航空により初飛行。
(23)1963年 - 茨城県東海村日本原子力研究所の動力試験炉(JPDR)が日本で初めて原子力による発電に成功。
1964Eric Edgar Cooke becomes last person in Western Australia to be executed.
(24)1967年 - イラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーが戴冠。
1968Soviet cosmonaut Georgy Beregovoy pilots Soyuz 3 into space for a four-day mission.
(25)1970年 - 埼玉県志木市が市制施行。
1977Ali Maow Maalin, the last natural case of smallpox, develops rash in Merca district, Somalia. The World Health Organization and the Centers for Disease Control and Prevention consider this date the anniversary of the eradication of smallpox, the most spectacular success of vaccination.
(26)1979年 - 朴正煕が、宴席に同席していた大韓民国中央情報部(KCIA)部長・金載圭によって射殺される。(朴正煕暗殺事件
(27)1979年 - WHOが、地球上の天然痘根絶を発表。
(28)1979年 - TBSテレビで『3年B組金八先生』第1シリーズが放送開始。
(29)1989年 - TBSビデオ問題オウム真理教関係者がTBSテレビ『3時にあいましょう』のスタッフにオウム真理教を取り上げた番組VTR視聴を要求、プロデューサーの支持でオウム側にVTR視聴を認める。
(30)1983年 - 東京の米軍立川基地跡地に国営昭和記念公園が開園。
1984 – "Baby Fae" receives a heart transplant from a baboon.
1985 – The Australian government returns ownership of Uluru to the local Pitjantjatjara Aborigines.
1991History of Slovenia: Three months after the end of the Ten-Day War, the last soldier of the Yugoslav People's Army leaves the territory of the Republic of Slovenia.
1992 – The Charlottetown Accord fails to win majority support in a Canada wide referendum.
・1992 – The
London Ambulance Service is thrown into chaos after the implementation of a new CAD, or Computer Aided Dispatch, system which failed.
(31)1992年 - 日本初の神道専門の博物館「皇學館大学神道博物館」が開館[1]
1994Jordan and Israel sign a peace treaty.
1995Israeli–Palestinian conflict: Mossad agents assassinate Islamic Jihad leader Fathi Shaqaqi in his hotel in Malta.
(32)1998年 - 横浜ベイスターズ日本シリーズ西武ライオンズを下し38年ぶり2度目の日本一。
(33)1999年 - 桶川ストーカー殺人事件発生。事件前に埼玉県警上尾署に訴えたが対応せず、捜査調書の改竄も判明。
1999 – Britain's House of Lords votes to end the right of hereditary peers to vote in Britain's upper chamber of Parliament.
2000Laurent Gbagbo takes over as president of Côte d'Ivoire following a popular uprising against President Robert Guéï.
(34)2001年 - 米国愛国者法が発効。
2002Moscow theater hostage crisis: Approximately 50 Chechen terrorists and 150 hostages die when Russian Spetsnaz storm a theater building in Moscow, which had been occupied by the terrorists during a musical performance three days before.
2003 – The Cedar Fire, the second-largest fire in California history, kills 15 people, consumes 250,000 acres (1,000 km2), and destroys 2,200 homes around San Diego.
(35)2005年 - 千葉ロッテマリーンズ日本シリーズ阪神タイガースを4戦全勝で下し31年ぶり3度目の日本一に輝く。
(36)2005年 - シカゴ・ホワイトソックスワールドシリーズヒューストン・アストロズを4戦全勝で下し88年ぶり3度目のワールドチャンピオンに輝く。
(37)2006年 - 北海道日本ハムファイターズ日本シリーズ中日ドラゴンズを4勝1敗で下し44年ぶり2度目の日本一に輝く。
(38)2008年 - リトアニア議会選挙の決選投票が行われる。対協調派の与党が議席数を減らす一方で、強硬派の野党が躍進。
(39)2012年 - マイクロソフトWindows 8を発売。
2014Britain withdraws from Afghanistan after the end of Operation Herrick which started on June 20, 2002 after 12 years four months and seven days.
            (399.8KB)

                          インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5812件です。 
2015年10月26日(月)掲載分
昨日10月25日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月26日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(9)1881年 - 保安官ワイアット・アープとクラントン兄弟らアウトローカウボーイズ」がアリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル付近で銃撃戦。(OK牧場の決闘)」 です。ヨシダが50歳時代に観た映画。もし、本コラム編集で得た知識をもって観ていたら、鑑賞度合いも格段の差があったと痛感します。古代の戦争映画も フィクションでなく、歴史観に基づいて製作された映画であることも併せてのこと。でも、遅ればせながらの歴史勉強機会を得て嬉しいです。(00:00)
 「No.5809:神風特別攻撃隊出撃の地、パンパンガ州で慰霊祭。約200人が戦争犠牲者の冥福と世界平和を祈願日刊マニラ新聞2015.10.26.押田健太)」の編集なかんずく、当該写真選択等に随分と時間をかけました。この国フィリピンで若い生命を特攻隊として身を挺した同胞になんとも言えない痛恨の心情を禁じ得ません。ヨシダがこの国に骨を埋める理由が自他共に一層の価値が深まることを確信します。合掌。(11:15)
 「No.5810:1911年、砂漠と高原が広がる中央アジアで、日本人青年が音信を絶つ。仏教遺跡…日本経済新聞「春秋」2015.10.26.)」 を編集しながら半世紀近いひと昔のエピソードに想いを馳せました。石油王国アブダビの「オタイバ石油大臣」との「会見・談」エピソードです。ヨシダって随 分と大胆な体験をしているでしょう!★ヨシダって、随分と大胆かつ、稀有なエピソードを持っているでしょう!英語ができるからチャレンジできたこと、でき ることにほかありません!ヨシダにとっての英語力は、過去から現在に至る華麗な(?)ヨシダ人生を築いてきたと自負します。ホント!(13:20)
 「No.5811:トイレが映すインドの苦悩と希望日本経済新聞2015.10.26.編集委員 梶原誠)」 を編集すべきかどうか、チョッと迷いました。でも、人生って、きれいごとだけではすまない、済まされないのが現実。編集してヨカッタと思うのは、些細なこ とでもわが身に置き換えて考えることに意義があると考えた結果です。でも、流石に一旦はグーグルで観た当該記事関連の写真がありますが、添付するのは遠慮 しました。(16:00)
 「No.581221世紀の民族大移動が始まった日本経済新聞2015.10.26.池上彰)」の掲載をちょっと躊躇しました。理由は少しばかり疲れを感じるからです。12時間以上のデスクワークだけに、です。ヨシダブログもそんなことから、舌足らずですが、ご寛容を。(20:45)



No.5812
21世紀の民族大移動が始まった
日本経済新聞2015.10.26.池上彰

ヨシダブログ:ヨ シダが最も尊敬するご人物のひとりである筆者・池上彰先生に共感を覚えます。本記事では言及されていませんが、歴史に学ぶことのほかに近代では「地球人口 の暴発」という新しい因果があります。今まで以上の「民族の移動」が予想される と見ます。島国ニッポンは現代においても「移民反対」が圧倒的。難民受け入れなんてとんでもない!といった感じ。大陸諸国は陸続きゆえに民族移動を容易にします。その分、対応力も大きくなるでしょうし、生活の知恵で異民族同士の融和が進むでしょう。もっとも、その反対の面も否定できませんが・・・。ところが、ニッポンは・・・と不安がるのヨシダだけでしょうか?▼「中見出し」は、■ヨーロッパは大移動でつくられた、■異質な集団入り新たな文化創出・・・と続きます。(写真8枚添付ファイル)    
 いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい教養講座」「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)。新著「いま、君たちに一番伝えたいこと」(同)。長野県出身。65歳。「池上彰のやさしい経済学」の画像検索結果 列車で到着した後、ハンガリーとの国境に向かう移民ら(16日、クロアチア)=ロイター「池上彰のやさしい教養講座」」の画像検索結果「池上彰のやさしい経済学」の画像検索結果「池上彰いま、君たちに一番伝えたいこと」の画像検索結果 Etc..
No.5811
トイレが映すインドの苦悩と希望  
日本経済新聞2015.10.26.
編集委員 梶原誠
ヨシダブログ:「・・・ 野外での排せつを余儀なくされている世帯は、インド全体のなお5割、地方では7割近くに達する。その人数は約6億人に及び、世界 保健機関(WHO)などの集計によると、野外で排せつする世界の人口の6割を占める・・・」というのがインドの実情と知らされます▼インドの人口は「12.52億 (2013年)」。「世界人口予測」によると、同国は数年のうちに中国を抜き、世界最大の人口を抱える国になる見通し。これまでの予測より6年早い2022年には首位が逆転するとした(ウィキペディア)▼「中見出し」は、■カースト制と直結する根深い問題、■「トイレを作ることもできないのか」とモディ首相・・・と続きます。         
No.5810
1911年、砂漠と高原が広がる中央アジアで、日本人青年が音信を絶つ。仏教遺跡…
日本経済新聞「春秋」2015.10.26.
ヨシダブログ:広 大な砂漠地帯の地下に眠ってきている石油などの地下資源は地上に草木も生えぬ見返りに神様がその地に住む人間に授けた贈り物。でも、それが仇になってその 国の人たちに安易な生き方文化を招来したとも言えるでしょう。さらに、その地下資源を巡って先進諸国の争いは絶えることがありません。神様の悪戯心でしょ うか?▼石油国のアブダビに関連する小話をひとつ。4歳下の弟(故人)がアブダビ石油に通算10数年間出向していました。当時のオタイバ石油大臣が広島へ 行くので会ってやって欲しい、と▼お供一人を伴ったオタイバ大臣を宿舎の広島グランドホテルに訪ねました。ロビーでの会話のなか、かのオタイバ大臣は身の 周りの装飾品はゴールド尽くめ。金の数珠みたいなものを何重にも束ねたものを摩りながらの彼の弁。「・・・日本人は悩みの多い民族ですよね~・・・」と。 笑わすない!って気分でまくし立てたものです。「帰国の人たちみたいに、ポンプを回せば石油というお金がジャンジャン汲み上がるお国(民)とは異なります からね」と。肩をシュリンクする彼でした。後年のことですが、彼は失脚したとか。お供の人物と一緒に日本料理店で「活きづくり」を食した と き、刺身の魚身がピクピク動くのをみて、「オー・マイ・ゴッド!」と。国際電話に出た弟曰く、「兄ちゃん、彼は女たらし。口ほどの純真さは無いよ、ハ ハ・・・」と▼くだんのオタイバ当時石油大臣のこと。好奇心旺盛なヨシダはグーグルで旧い年代の「Mana Al Otaiba」を検索してヒットしたオタイバ姓の人物写真を末尾に添付してみました。ヨシダが会った人物かどうかは定かではありませんが、ひょっとしてそ の一族かも・・・。と、こんなトライってロマンがありますよね(笑)。写真14枚添付ファイル           
 「大谷探検隊の僧侶・橘瑞超」の画像検索結果  「大谷探検隊の成果」の画像検索結果「大谷探検隊の僧侶・橘瑞超」の画像検索結果「大谷探検隊の僧侶・橘瑞超」の画像検索結果   関連画像「大谷探検隊の僧侶・橘瑞超」の画像検索結果「大谷探検隊の僧侶・橘瑞超」の画像検索結果  「大谷探検隊の僧侶・橘瑞超」の画像検索結果  
                    関連画像「大谷探検隊の成果」の画像検索結果橘瑞超商品の詳細「「西域 探検の世紀」(金子民雄著)」の画像検索結果 「Mana Al Otaiba」の画像検索結果
No.5809
神風特別攻撃隊出撃の地、パンパンガ州で慰霊祭。約200人が戦争犠牲者の冥福と世界平和を祈願
日刊マニラ新聞2015.10.26.押田健太
ヨシダブログ:日 本軍の神風特攻隊発祥の地が此処フィリピンであることは、この国を終の棲家とするヨシダにとって本来のヨシダ意図(この国で戦死した同胞や国境を越えた戦 争犠牲者への鎮魂の祈りをもってこの地に骨を埋める)をもって、一層の重みを体感します▼関連写真収集やその編集に随分と時間をかけましたが、その分、祈 りの心と哀悼の念を一層深める機会として捉えました。合掌。写真29枚添付ファイル           
     「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果     関連画像「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果  「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果
 「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果  「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果   「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果     関連画像   「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果   「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果「日米両海軍が激突した1944年10月下旬のレイテ沖海戦」の画像検索結果
    「最福寺の僧侶、池口豪泉」の画像検索結果 「パンパンガ州マバラカット市」の画像検索結果「パンパンガ州マバラカット市クラーク特別経済区内の平和公園」の画像検索結果    「パンパンガ州マバラカット市」の画像検索結果「パンパンガ州マバラカット市クラーク特別経済区内の平和公園」の画像検索結果「パンパンガ州マバラカット市」の画像検索結果 「パンパンガ州マバラカット市」の画像検索結果 「パンパンガ州マバラカット市」の画像検索結果
             「パンパンガ州マバラカット市クラーク特別経済区内の平和公園」の画像検索結果 「パンパンガ州マバラカット市クラーク特別経済区内の平和公園」の画像検索結果   関連画像 関連画像関連画像「パンパンガ州マバラカット市クラーク特別経済区内の平和公園」の画像検索結果 
 昨日25日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日26日の第一記事掲載(13:10)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

               「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
              「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                       「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」でです。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)  (831.29KB)                          

                     2015年10月26(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                            
吉田祐起
                             (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com