Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがり なりにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切り に、同族企業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しまし た。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月25日(日)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月25日の「できごと」 
                          October 25 Events(英語版) 
                              「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1 「leo II」の画像検索結果 2  「1147 reconquista lisbon war」の画像検索結果  「1147 reconquista lisbon war」の画像検索結果  「1147 reconquista lisbon war」の画像検索結果4 「Second Battle of Cape Finisterre 1747」の画像検索結果 「map of Cape Finisterre 1747」の画像検索結果6「Franz Eckert」の画像検索結果「Franz Eckert」の画像検索結果「Franz Eckert」の画像検索結果9「1924年 - 明治神宮外苑競技場」の画像検索結果「1924年 - 明治神宮外苑競技場」の画像検索結果  
12      
「Edelweißpiraten」の画像検索結果  「Edelweißpiraten」の画像検索結果    「Edelweißpiraten」の画像検索結果「Edelweißpiraten」の画像検索結果 「Edelweißpiraten」の画像検索結果14「台湾光復」の画像検索結果「台湾光復」の画像検索結果21「1962年バレーボール世界選手権」の画像検索結果「1962年バレーボール世界選手権」の画像検索結果
 「1962年バレーボール世界選手権」の画像検索結果23「八海事件」の画像検索結果「八海事件」の画像検索結果  「八海事件」の画像検索結果 25「近鉄大阪線列車衝突事故」の画像検索結果「近鉄大阪線列車衝突事故」の画像検索結果27「Hague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction」の画像検索結果「Hague Convention on the Civil Aspects of International Child Abduction」の画像検索結果30「資源の有効な利用の促進に関する法律」の画像検索結果
   33
  「ドニ・サスヌゲソがパスカル・リスバ大統領を追放」の画像検索結果「Pascal Lissouba」の画像検索結果34   「Windows XP」の画像検索結果   35「石井紘基刺殺事件」の画像検索結果    「石井紘基刺殺事件」の画像検索結果「石井紘基刺殺事件」の画像検索結果38   「25 October 2009 Baghdad bombings」の画像検索結果   「25 October 2009 Baghdad bombings」の画像検索結果
                                                  39
「石原慎太郎が国政復帰・新党結成のため、東京都知事を辞任」の画像検索結果 「石原慎太郎が国政復帰・新党結成のため、東京都知事を辞任」の画像検索結果「石原慎太郎が国政復帰・新党結成のため、東京都知事を辞任」の画像検索結果
(1)473年 - レオ1世が孫のレオ2世東ローマ帝国カエサルとする。
(2)1147年 - レコンキスタ: リスボン攻防戦が終結。ポルトガルが、ムーア人の勢力下からリスボンを奪回。
1147Seljuk Turks completely annihilate German crusaders under Conrad III at the Battle of Dorylaeum.
1154Henry II becomes King of England.
(3)1415年 - 百年戦争: アジャンクールの戦い
1616Dutch sea-captain Dirk Hartog makes second recorded landfall by a European on Australian soil, at the later-named Dirk Hartog Island off the West Australian coast.
1747 – British fleet under Admiral Sir Edward Hawke defeats the French at the Second Battle of Cape Finisterre.
(4)1747年(ユリウス暦10月14日) - オーストリア継承戦争: 第二次フィニステレ岬の海戦
(5)1760年 - ジョージ3世がグレートブリテン王に即位。
1812War of 1812: The American frigate, USS United States, commanded by Stephen Decatur, captures the British frigate HMS Macedonian.
1822Greek War of Independence: The First Siege of Missolonghi begins.
1828St Katharine Docks open in London.
6)1854年 - クリミア戦争: バラクラヴァの戦い
1861 – The Toronto Stock Exchange is created.
(7)1880年 - 「君が代」のフランツ・エッケルトによる編曲が完成し、試演が行われる。
1900 – The United Kingdom annexes the Transvaal.
(8)1907年 - 第1回文部省美術展覧会(文展)がで開催。
1917 – Traditionally understood date of the October Revolution, involving the capture of the Winter Palace, Petrograd, Russia. The date refers to the Julian Calendar date, and corresponds with November 7 in the Gregorian calendar.
1920 – After 74 days on hunger strike in Brixton Prison, England, the Sinn Féin Lord Mayor of Cork, Terence MacSwiney dies.
1924 – The Zinoviev letter, which Zinoviev himself denied writing, is published in the Daily Mail. The Labour party would later blame this letter for the Conservatives' landslide election win.
(9)1924年 - 明治神宮外苑競技場が竣工。
1927 – The Italian luxury liner SS Principessa Mafalda sinks off the coast of Brazil, killing 314.
(10)1934年 - 高山本線が全通。
(11)1936年 - ベルリンのラジオ局で世界初のリクエスト番組が始まる。
1938 – The Archbishop of Dubuque, Francis J. L. Beckman, denounces swing music as "a degenerated musical system… turned loose to gnaw away at the moral fiber of young people", warning that it leads down a "primrose path to hell". His warning is widely ignored.
1940Benjamin O. Davis, Sr. is named the first African American general in the United States Army.
・1944 – The
USS Tang under Richard O'Kane (the top American submarine captain of World War II) is sunk by the ship's own malfunctioning torpedo.
・1944 – The Romanian city of
Carei is liberated by Romanian and Soviet forces from Nazi-Hungarian occupation.
・1944 –
World War II: Battle of Leyte Gulf — the largest naval battle in history, takes place in and around the Philippines between the Imperial Japanese Navy and the U.S. Third and U.S. Seventh Fleets. Afterward is the first Kamikaze attack of the war.
(12)1944年 - ナチス親衛隊全国指導者ハインリッヒ・ヒムラーエーデルヴァイス海賊団取締りのための「青少年の徒党撲滅」命令を発令。
(13)1944年 - 21日より出撃した日本軍神風特別攻撃隊による特攻作戦が本格化。
(14)1945年 - 台湾光復中華民国日本統治下にあった台湾を編入。
(15)1945年 - 日本政府が憲法問題調査委員会を設置。
(16)1950年 - 朝鮮戦争中国人民義勇軍が参戦。
(17)1951年 - 1951年イギリス総選挙ウィンストン・チャーチル率いる保守党が6年ぶりに勝利。
(18)1951年 - 日本航空の一番機・マーチン2-0-2による「ど星号」が東京 - 大阪 - 福岡で運行開始。
(19)1958年 - 信越放送テレビジョン放送開始。
(20)1962年 - ウガンダ国際連合に加盟。
(21)1962年 - バレーボール世界選手権全日本女子チームが決勝リーグ全勝により初優勝。東洋の魔女と呼ばれる。
1962Cuban Missile Crisis: Adlai Stevenson shows photos at a meeting of the United Nations Security Council proving that Soviet missiles are installed in Cuba.
・1962 –
Nelson Mandela is sentenced to five years in prison.
22)1964年 - 池田勇人首相が病気療養のため辞意を表明。
(23)1968年 - 八海事件の第三次控訴審で4人の被告全員に無罪判決。事件から17年9か月後。
(24)1971年 - アルバニア決議により中華人民共和国中国大陸)が国際連合に加盟して常任理事国となる。中華民国(台湾)は国連を脱退。
(25)1971年 - 近鉄大阪線列車衝突事故が発生。
(26)1973年 - 第一次オイルショック: 石油メジャー5社が原油の10%供給削減を通告。
1977Digital Equipment Corporation releases OpenVMS V1.0.
(27)1980年 - ハーグ国際的な子の奪取の民事面に関する条約に署名。
(28)1983年 - グレナダ侵攻クーデターが発生したグレナダアメリカ軍とカリブ海諸国軍が侵攻。
(29)1985年 - むつ市5億円強奪事件
(30)1991年 - 再生資源の利用の促進に関する法律(リサイクル法)施行。
(31)1992年 -
リトアニア共和国憲法国民投票で承認される。
1995A commuter train slams into a school bus in Fox River Grove, Illinois, killing seven students.
(32)1996年 - 日本弁護士連合会、選択的夫婦別姓制導入並びに非嫡出子差別撤廃の民法改正を求める決議[1]
(33)1997年 - コンゴ共和国で、ドニ・サスヌゲソパスカル・リスバ大統領を追放し、自ら大統領に就任。
(34)2001年 - Windows XPがリリース(OEM)。
(35)2002年 - 石井紘基刺殺事件
2004Cuban President Fidel Castro announces that transactions using the American Dollar will be banned.
(36)2007年 - 東京駅に商業施設「グラスタ」がオープン。
(37)2007年 - エアバスA380シンガポール航空により初めて商業飛行を開始。
(38)2009年 - イラク法務省庁舎、バグダード州庁舎が自爆攻撃[2]され155人が死亡。(en:25 October 2009 Baghdad bombings
2009 – The October 2009 Baghdad bombings kills 155 and wounds at least 721.
(39)2012年 - 石原慎太郎が国政復帰・新党結成のため、東京都知事を辞任。
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                          インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5808件です。 
2015年10月25日(日)掲載分
昨日10月24日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月25日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(21)1962年 - バレーボール世界選手権全日本女子チームが決勝リーグ全勝により初優勝。東洋の魔女と呼ばれる。」でしょうか。ヨシダが31歳の頃で人生第二毛作に突入した時分のこと。スポーツには疎い者でしたが、「やった~!」と声を上げたのを記憶します。(00:10)
  お手伝いさんのセニー(家長・アーネルの姉で、旦那さん弟死去での故郷行きで留守中)に代わってアーネルが朝食準備。セニーより多少多くの野菜を綺麗に平 らげてお腹をさすりつつ、満足の意を表したら嬉しそう。なにせ、ヨシダは人を喜ばすのが好きなタイプ。自分の楽しみより相手優先主義(?)。「自利から他利へ」 はこんなところにも活きています★食事しながらのアーネルの話。毎日ジョギングを欠かさなず、最近は友人たちも引き込んでいる様子。曰く、73キロが65 キロになった!と。事務所のスケールで毎日確認するのが楽しみだと。そう言えば、スケールがベッドの下に眠っていた!「俺には無用のスケール。お前さんの ものに・・・」と渡しました。★彼が言うに、雨天ので時には室内で足踏みしているとか。ムズムズするのでしょう(笑)。実にイイ傾向です。ヨシダの口癖 は、「効果が現れる前にギブアップするのが常。それを確認するまで続ければ、後はその醍醐味を失いたくない!」といった人間の心理を強調する次第★こ んなところでもヨシダは良き影響を与えつつある!とは自我自賛の弁★先ほど広島市で活躍する女性で、旦那さんは広島市に本社を持つ不動産会社のフィリピン 子会社社長。来年はお子さんを連れてフィリピンに合流されるご家族。ヨシダの同女史の人物評は「女傑」のひと言に尽きます。お名前をブログすれば、「あ あ、あの人!」と反応があるほどの人物。その方からのメールを受信して楽しく読みつつ、更なる尊敬の念を強める次第。(9:05)
 「No.5805オバマ氏、ついに怒る 夕食会で一変した対中戦略 (風見鶏)日本経済新聞2015.10.25.編集委員 秋田浩之)」 にある種の痛快感を覚えます。ヨシダはオバマ大統領ファンのひとり。「ヒバク市表敬を任期中にはする」と公言した大統領だけに、デス。その原質をとったヨ シダの原点はNHKインタビューの際の同大統領の言葉です。詳細は「いが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いた のが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)」をクリックしてご覧下さい。ヨシだの想像はその大統領の「男の約束発言」がマスメディアに「封印(かん口令?)」されて現在に至る、という憶測シナリオです。と、余計な方向にブログが向かってシツレイしました。(10:40)
 「No.5806:神君か腹黒いタヌキか朝日新聞「天声人語」2015.10.25.)」と、こんなデッカイ内容の記事にヨシダが登場するにはそれなりの意味があり、ニンマリ・・・って気分です。編集者の特権をこんな記事で、こんな形で出来る身の幸せ(?)を体感します。(12:10)
 先ほど傍らのXPパソコンが受信の気配。ふと目にとまったのはニューヨーク・タイムズ紙記事。曰く、「Maureen O'Hara, Irish-Born Actress Known as Queen of Technicolor, Dies at 95 」 と。エッ?モーリン・オ・ハラさんって、まだ存命だったの?と、失礼ながら呟きました。天然色女優の異名もあった大女優さん。同記事の末尾の英語文章をそ のまま添付します。「....Although Ms. O’Hara took on dual citizenship, she was intensely proud of her Irishness. She served as the grand marshal of New York’s St. Patrick’s Day parade in 1999. When a journalist asked her in 2004 how she remained so beautiful, she explained: “I was Irish. I remain Irish. And Irish women don’t let themselves go.”」★ふと、ヨシダが思うこと。「ヨシダさん、84歳とは思えないけど、どうして?」と問われたらのヨシダの答え。「ジャパニーズですから・・・」 と(笑)。(17:45)
 直近の2編の編集記事を列記します 「No.5807:書店に行くと、所狭しと並んでいる。「○○したいなら□□せよ」と人を導く指南書…西日本新聞「春秋」2015.10.25.)」、「No.5808:幕末の蘭学者高野長英は、幕府の外国船打ち払い政策を批判したことで「蛮社の…岩手日報「風土記」2015.10.25.)」がそれです。ノーモア・ブログ!先にすすみますので、あしからず・・・。(18:00)
 



No.5808
幕末の蘭学者高野長英は、幕府の外国船打ち払い政策を批判したことで「蛮社の…
岩手日報「風土記」2015.10.25.
ヨシダブログ:幕 末の蘭学者・高野長英と並べての云々という仰々しいものでは断じてありませんが、小さいながらも、「信念を貫く」ことはやってのけてきたヨシダと自負しま す。手前ミソを承知の上の身の上話ですが、事の大小は別にして、「信念を貫く」ことにかけては、微塵も後ろめたさや後悔を感じません。最大のそれは「名目 上の離婚」という辱めの要求に対する決然とした態度と拒絶、すなわち離婚を断行して家を飛び出したという経歴者のそれは自尊心の低くない男の弁でもありま す▼さらに、その後、縁あって結ばれて16年間も同棲した女性と決別してフィリピンに移住する決意もそれでした。全てが悔いのない人生一大転換期への決断 と実行でした▼過去を振り返って、微塵も悔い意識は持ちません。これでヨシ!あれでヨシ、だったと想起します。過去のことはそれまでとして、現在、今から のわが人生を考えると、悔いのない人生を先取りしつつ生きている感じさえします。「自利から他利へ利」の心を一層強くするそれはヨシダの人生選択肢の一環です ▼本日は蘭学者・高野長英先生の生き方や生涯の一端を学び、心強く感じ、われその片鱗を生きていきたいもの、と感じるひとコマです。写真12枚添付ファイル   
 「高野長英記念館」の画像検索結果  「高野長英記念館」の画像検索結果 「高野長英記念館」の画像検索結果       「高野長英記念館」の画像検索結果   「高野長英記念館」の画像検索結果  「高野長英記念館」の画像検索結果「高野長英記念館」の画像検索結果
 「高野長英記念館、獄中時代の手紙」の画像検索結果「高野長英記念館、獄中時代の手紙」の画像検索結果 「高野長英」の画像検索結果 「高野長英」の画像検索結果「高野長英」の画像検索結果
No.5807
書店に行くと、所狭しと並んでいる。「○○したいなら□□せよ」と人を導く指南書…
西日本新聞「春秋」2015.10.25.
ヨシダブログ:「健 康」ほど大事で、万人が願望することでありながら、意外や不摂生や不健康なことに無頓着なのが世の常、人の常。健康知識の有無、自助努力の個人差等々。概 して いえることは、自己管理知識・能力云々の前にあるのが、実行力の有無。言うは易し、行うは難し、です▼でも、考えてみるに、計画通りにものごとが進めば計 画をたてるにせよ、その実践を許す環境があるないは別の問題です。高い教育把握と実践に要する時間や経費も個人差がつきもの。お金持ちは健康器具所有やジ ムの会員になって健康管理は強い立場。しかし、実態は逆の場合が多いのは万人の認めること▼貧乏人は努力して、せめてもの健康であるように、と心掛けるの が 世の常。お金持ちはその逆って図式。知性があれば貧富の差の云々はないはずの健康管理の実態。しかし実態は・・・?だから人生は面白いのであって、努力す る者とそうでない者の結果の云々は貧富の差には関係ない、というのがポイントです▼・・・と思考していくと到達するのは「長生き願望の根拠」ということに もなり得るでしょう。「長生きして、したいことをより長く深くしたい・・・」が人間の本能。でも概して言えることは、自己中心的な生き方選択肢につきもの は「贅沢&安易性」。その延長線上にあるのが、不摂生等諸々の健康マイナス要因です▼ 対する「自助努力型人間」は、せめて健康を維持して周囲に迷惑だけは掛けたくない・・・というハンブルさがあるいことは確かです。ヨシダの場合は、ご存 知、「相互信頼精神に基づく運命共同体生活」を淡々とすすめるだけのことです▼本記事に戻っての事。「小さなことの積み重ね」と言ったイチロー選手を向こ うに回してのヨシダの弁。「成功は常識の積み重ねなり」に通じるものとガッツします。エジソンの言「発明はインスピレーション(霊感)でなく、パースピ レーション(汗すること)にあり」にも通じる大事な生き方処方箋と心得て精進しています。写真4枚添付ファイル     
           
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No.5806
神君か腹黒いタヌキか
朝日新聞「天声人語」2015.10.25.
ヨシダブログ:徳川幕府時代に想いを馳せさす本記事です。「きょうのできごと」編集で自然に身につくのが古今・洋の東西の歴史の一辺。 大人気ないですが、ヨシダが密かに胸にしまっていることに、三日後(28日)に訪れる「ヨシダの満84歳誕生日」がありますが、徳川家に因んだそのエピ ソードに「ヨ シダ誕生日vs著名人誕生日」があります。徳川家に関して言えば(とは大袈裟ですが<笑>)、「1837年:江戸幕府第15代将軍」の徳川慶 喜さんがあります。ちなみに、近年では「1955年:マイクロソフト創設者・ビル・ゲイツさん」があります。えっヘン(笑)▼自慢話(?)をひとつ。添付 した写真の一つに、本記事主人公の徳川第18代ご当主・徳川恒孝さんが茶道 裏 千家前家元15代汎叟宗室千家総室さんとのお茶席のお姿があります。ヨシダの自慢話は、その当時の千家総室さんをヨシダのクルマでヨシダ運転で広島市内~ 宮島(献茶 会)を往復する栄に浴したことです。エッ?という声があるでしょうね。そのご縁は横に置いといて、のことで話を進めます。当時のヨシダのクルマは西独オペ ル はブルーのカマドール。グランドホテルから真っ先にマツダ社松田社長ご本宅へ。お見送りに出られた松田社長さん(当時)の「オッ!」といった表情をクルマ に向けられたものでした。車中での懇談は愉快でした。ペプシコーラが得意先の一社であることを知られた御家元さんが口にされた「Oh, Pepsi Cola!」と。完ぺきな発音はお見事でした。当時のヨシダ経営の運送会社の最大の宇部興産の中安社長(当時)は「淡交会山口支部長」。「後日、同氏に 会いますので貴台のことを話します・・・」と。後日、巻紙毛書の丁重な書簡と色紙を頂戴したものです。手元にあれば、高価なシロモノ(?)。でも、離婚し た前妻の元に置いてチョンでした▼本記事末尾にある、現徳川ご当主宗家第18代の徳川恒孝さんの言葉「・・・いやいやその節はご無礼を・・・」をみてニン マリ。ヨシダが千家元御家元さんにお目通りしたと想像した時のヨシダが発する言葉に拝借し得るでしょう(笑)。長文のヨシダブログに相なってシツレイしま した。思わず、編集者の特権を行使してしまいました。でも、正直、ひと昔前のエピソードでニンマリです。(写真7枚添付ファイル              
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No.5805
オバマ氏、ついに怒る 夕食会で一変した対中戦略 (風見鶏)
日本経済新聞2015.10.25.
編集委員 秋田浩之
ヨシダブログ:国 際政治の云々を声高に、国の内外で強くする中国。所詮は「一党独裁」であるがゆえに出来得る現在の中国の姿。国民の声なんて微塵も反映していない政治。何 時かは経済バブルと共に崩壊することは必至と思考します。問題はそれまでに世界なかんずく、近隣のかつ甚大な影響を受けつつある日本やフィリピンは穏やか でありません。オバマ米大統領の大ファンのヨシダが密かに、でも、こんな形で大っぴらに大胆に同大統領にエールを送るヨシダです▼国際政治云々ではド素人 のヨシダですが、かの習近平中国国家主席さんとて、所詮は共産党党首。後ろ に 控える巨大な組織に真っ向から異を唱えるほど強くはないでしょう。ヘンな言動があっという間に「失脚」に繋がるからです。そういった意味ではヨシダは楽観 論者?政党組織の力学は依然として生きていると確信するからです。なにせ、中国は古代から革命の繰り返し。その近代革命はバブル崩壊に始まるでしょう。(写真14枚添付ファイル
           「南シナ海 埋め立て」の画像検索結果  「南シナ海 埋め立て」の画像検索結果 「南シナ海 埋め立て」の画像検索結果「南シナ海 埋め立て」の画像検索結果「南シナ海 埋め立て」の画像検索結果
   「オバマ・習近平中国国家主席との夕食」の画像検索結果    「オバマ・習近平中国国家主席との夕食」の画像検索結果 「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果 「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果「books by Edward Nicolae Luttwak 」の画像検索結果 
 昨日24日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日25日の第一記事掲載(10:30)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

               「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
              「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                       「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」でです。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)  (691.7KB)                          

                     2015年10月25日(日)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                            
吉田祐起
                             (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com