Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがり なりにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切り に、同族企業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しまし た。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月23日(金)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月23日の「できごと」 
                          October 23 Events(英語版) 
                              「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「Gaius Cassius Longinus」の画像検索結果「Marcus Junius Brutus」の画像検索結果「フィリッピの戦い」の画像検索結果   「フィリッピの戦い」の画像検索結果   関連画像  「フィリッピの戦い」の画像検索結果  「Marcus Antonius」の画像検索結果 「Imperator Caesar Divi Filius Augustus」の画像検索結果  2  「Valentinianus III」の画像検索結果   「Valentinianus III」の画像検索結果  西ローマの位置西ローマの国章「カエサル」の画像検索結果3「アウグストゥス」の画像検索結果
4
   「Batalla de Sagrajas/Zalaca 1086」の画像検索結果   「Batalla de Sagrajas/Zalaca 1086」の画像検索結果「Batalla de Sagrajas/Zalaca 1086」の画像検索結果5「Battle of Grathe Heath 1157」の画像検索結果「the map of Battle of Grathe Heath 1157」の画像検索結果「the map of Battle of Grathe Heath 1157」の画像検索結果6      「1614年 - 大坂冬の陣徳川秀忠が江戸城出発」の画像検索結果  「1614年江戸城」の画像検索結果  7「Battle of Edge Hill 1642」の画像検索結果 「Battle of Edge Hill 1642」の画像検索結果
  「Battle of Edge Hill 1642」の画像検索結果          「Battle of Edge Hill 1642」の画像検索結果   「Battle of Edge Hill 1642」の画像検索結果「Battle of Edge Hill 1642」の画像検索結果9 「war of jenkins ear 1739」の画像検索結果「War of Jenkins' Ear」の画像検索結果「War of Jenkins' Ear」の画像検索結果「War of Jenkins' Ear」の画像検索結果「War of Jenkins' Ear」の画像検索結果10「Samuel Ryan Curtis」の画像検索結果「Sterling "Old Pap" Price」の画像検索結果
    「Battle of Westport」の画像検索結果「Battle of Westport」の画像検索結果「Battle of Westport」の画像検索結果11「元号が慶応から明治」の画像検索結果「元号が慶応から明治」の画像検索結果12「皇室典範 (1889年)」の画像検索結果14「征韓論」の画像検索結果「西郷隆盛、板垣退助」の画像検索結果「板垣退助」の画像検索結果    「征韓論」の画像検索結果   
15「Bremer Flugzeugbau AG」の画像検索結果「Bremer Flugzeugbau AG」の画像検索結果「Bremer Flugzeugbau AG」の画像検索結果「Bremer Flugzeugbau AG」の画像検索結果16      「トロツキー。スターリン」の画像検索結果17「ナチス・ドイツ総統ヒトラーとスペイン総統フランコ」の画像検索結果19   関連画像「フィリピンの戦い (1944-1945年)」の画像検索結果「フィリピンの戦い (1944-1945年)」の画像検索結果「フィリピンの戦い (1944-1945年)」の画像検索結果
 「フィリピンの戦い (1944-1945年)」の画像検索結果20「1945, first united nations assembly in new york theater」の画像検索結果「1945, first united nations assembly in new york theater」の画像検索結果21「第一次読売争議」の画像検索結果   「第一次読売争議」の画像検索結果  22 「1954, paris treaty signed」の画像検索結果 「1954, paris treaty signed」の画像検索結果       23「1956年 - ハンガリー動乱」の画像検索結果
   
「1956年 - ハンガリー動乱」の画像検索結果   「1956年 - ハンガリー動乱」の画像検索結果「1956年 - ハンガリー動乱」の画像検索結果25   「1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール金メダル」の画像検索結果   「1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール金メダル」の画像検索結果「1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール金メダル」の画像検索結果「1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール金メダル」の画像検索結果     「1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール金メダル」の画像検索結果「1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール金メダル」の画像検索結果
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「Operation Linebacker」の画像検索結果        「Operation Linebacker」の画像検索結果「Operation Linebacker」の画像検索結果27「1973年 - 第一次オイルショック:」の画像検索結果「1973年 - 第一次オイルショック:」の画像検索結果「1973年 - 第一次オイルショック:」の画像検索結果28 「アレクセイ・コスイギンソビエト連閣僚会議議長・ニコライ・チーホノフ」の画像検索結果  「アレクセイ・コスイギンソビエト連閣僚会議議長・ニコライ・チーホノフ」の画像検索結果29  「北炭夕張新炭鉱ガス突出事故」の画像検索結果
(お詫び:本トップページの編集許容容量(1MB)をオーバーしたために、以下の写真は削除しました。上掲のグーグルから拾った10月23日の「できごと」)をクリックする全部がご覧いただけます。)
(1)紀元前42年 - ローマ内戦: フィリッピの戦い
(2)424年 - ウァレンティニアヌス3世西ローマ帝国の副帝(カエサル)になる。
(3)425年 - ウァレンティニアヌス3世が西ローマ帝国の正帝(アウグストゥス)になる。
501 – The Synodus Palmaris, called by Gothic king Theoderic the Great, discharges Pope Symmachus of all charges, thus ending the schism of Antipope Laurentius.
(4)1086年 - レコンキスタ: サグラハスの戦い
(5)1157年 - グラーテ・ヘーゼの戦い
1295 – The first treaty forming the Auld Alliance between Scotland and France against England is signed in Paris.
1641 – Outbreak of the Irish Rebellion of 1641.
(6)1614年 - 大坂冬の陣に向かうため、江戸幕府将軍徳川秀忠徳川家康の嫡男)が江戸城を出発した。
(7)1623年 - イングランド内戦: エッジヒルの戦い
1642Battle of Edgehill: First major battle of the First English Civil War.
(8)1688年貞享5年/元禄元年9月30日) - 東山天皇の代始のため、元号貞享から元禄に改元。
1694 – British/American colonial forces, led by Sir William Phips, fail to seize Quebec from the French.
1707 – The first Parliament of Great Britain meets.
(9)1739年 - ジェンキンスの耳の戦争が始まる。
1812Claude François de Malet, a French general, begins a conspiracy to overthrow Napoleon Bonaparte, claiming that the Emperor died in Russia and that he is now the commandant of Paris.
1850 – The first National Women's Rights Convention begins in Worcester, Massachusetts, United States.
1861 – U.S. President Abraham Lincoln suspends the writ of habeas corpus in Washington, D.C., for all military-related cases.
(10)1864年 - 南北戦争: ウェストポートの戦い
1867 – Seventy-two Senators are summoned by Royal Proclamation to serve as the first members of the Canadian Senate.
(11)1868年慶応4年/明治元年9月8日) - 明治天皇の代始のため、元号が慶応から明治に改元。
(12)1868年(慶応4年/明治元年9月8日) - 一世一元の詔
(13)1870年 - 普仏戦争: メス攻囲戦が終結。
(14)1873年 - 明治六年政変。朝鮮使節派遣の中止が決定し、征韓論派が敗れる。西郷隆盛が当日、板垣退助らが翌日に参議の辞表を提出。
1906Alberto Santos-Dumont flies an airplane in the first heavier-than-air flight in Europe at Champs de Bagatelle, Paris, France
1911 – First use of aircraft in war: Italo-Turkish War: An Italian pilot takes off from Libya to observe Turkish army lines.
1912First Balkan War: The Battle of Kumanovo between the Serbian and Ottoman armies begins.
1915Women's suffrage: In New York City, 25,000-33,000 women march on Fifth Avenue to advocate their right to vote.
1917Lenin calls for the October Revolution.
(15)1923年 - ブレーマー航空機製造(現在のフォッケウルフ)が設立。
(16)1926年 - ソ連共産党中央委員会がトロツキー政治局から追放。スターリンが主導権を握る。
1929Great Depression: After a steady decline in stock market prices since a peak in September, the New York Stock Exchange begins to show signs of panic.
1935Dutch Schultz, Abe Landau, Otto Berman, and Bernard "Lulu" Rosencrantz are fatally shot at a saloon in Newark, New Jersey in what will become known as The Chophouse Massacre.
1939 – The Japanese Mitsubishi G4M twin-engine "Betty" Bomber makes its maiden flight.
(17)1940年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツ総統ヒトラースペイン総統フランコが西仏国境アンダイで会談。ヒトラーはスペインに枢軸国側での参戦を要求するがフランコは拒否。
1941World War II: Field Marshal Georgy Zhukov takes command of Red Army operations to prevent the further advance into Russia of German forces and to prevent the Wehrmacht from capturing Moscow.
・1942 – All 12 passengers and crewmen aboard an
American Airlines DC-3 airliner are killed when it is struck by a U.S. Army Air Forces bomber near Palm Springs, California. Amongst the victims is award-winning composer and songwriter Ralph Rainger ("Thanks for the Memory", "Love in Bloom", "Blue Hawaii").
・1942 – World War II: The
Battle for Henderson Field begins during the Guadalcanal Campaign and ends on October 26.
(18)1942年 - 第二次世界大戦・北アフリカ戦線: 第二次エル・アラメイン会戦が始まる。
(19)1944年 - 第二次世界大戦・フィリピンの戦い: レイテ沖海戦が始まる。
(20)1945年 - 初の国際連合総会ニューヨークの劇場で開催。
(21)1945年 - 第一次読売争議が始まる。
1946 – The United Nations General Assembly convenes for the first time, at an auditorium in Flushing, Queens, New York City.
(22)1954年 - パリ協定調印。西ドイツの主権回復、NATOへの加盟、再軍備などを承認。
1955 – Prime Minister Ngô Đình Diệm defeats former emperor Bảo Đại in a referendum and founds the Republic of Vietnam.
(23)1956年 - ハンガリー動乱: ハンガリーの首都ブダペストソ連軍の撤退などを求める20万人のデモ隊が治安警察と衝突。
(24)1956年 - フランス保護領ザール住民投票が行われ、西ドイツ復帰支持が多数を占める。
1958 – The Springhill Mine bump: An underground earthquake traps 174 miners in the No. 2 colliery at Springhill, Nova Scotia, the deepest coal mine in North America at the time. By November 1, rescuers from around the world had dug out 100 of the victims, marking the death toll at 74.
・1958 –
The Smurfs, a fictional race of blue dwarves, later popularized in a Hanna-Barbera animated cartoon series, appear for the first time in the story La flute à six schtroumpfs, a Johan and Peewit adventure by Peyo, which is serialized in the weekly Spirou magazine.
(25)1964年 - 東京オリンピック女子バレーボール日本ソ連を下し金メダルを獲得。
1965Vietnam War: The 1st Cavalry Division (United States) (Airmobile), in conjunction with South Vietnamese forces, launches a new operation seeking to destroy North Vietnamese forces in Pleiku in the II Corps Tactical Zone (the Central Highlands).
1970Gary Gabelich sets a land speed record in a rocket-powered automobile called the Blue Flame, fueled with natural gas.
(26)1972年 - ベトナム戦争: ラインバッカー作戦が終結。
(27)1973年 - 第一次オイルショック: エクソンシェルが原油価格の30%引き上げを通告。
1973 – The Watergate scandal: US President Richard M. Nixon agrees to turn over subpoenaed audio tapes of his Oval Office conversations.
・1973 – A
United Nations sanctioned cease-fire officially ends the Yom Kippur War between Israel and Syria.
(28)1980年 - ソ連のアレクセイ・コスイギンソビエト連閣僚会議議長首相)が病気のため辞任。後任にニコライ・チーホノフが就任。
(29)1981年 - 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故で、59名の安否不明者を取り残したまま坑内への注水作業を開始する。
(30)1981年 - 写真週刊誌フォーカス』が創刊される。
(31)1983年 - レバノン内戦: ベイルートで駐留米海兵隊司令部と仏軍本部が爆破され、309人が死亡。(en:1983 Beirut barracks bombing)
(32)1989年 - ハンガリー暫定大統領スーレシュ・マーチャーシュ英語版が、国号をハンガリー人民共和国からハンガリー共和国に変更することを宣言。
1989 – Bankruptcy of Wärtsilä Marine; the biggest bankruptcy in the nordic countries until then.
(33)1991年 - 秋篠宮文仁親王の第一女子の眞子内親王が誕生、今上天皇の初孫となる。
(34)1992年 - 今上天皇が中華人民共和国を訪問。史上初めて天皇が中国の地を踏む。
1993The Troubles: A Provisional IRA bomb prematurely detonates in the Shankill area of Belfast, killing the bomber and nine civilians. Ulster loyalists retaliate a week later with the Greysteel massacre.
1995Yolanda Saldívar is found guilty of first-degree murder in the shooting death of popular Latin singer Selena. Three days later, Saldívar was sentenced to life in prison, eligible for parole in 2025
(35)1996年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が「ダーウィンの進化論カトリックの教えと矛盾しない」と表明。
1998Israeli–Palestinian conflict: Israeli Prime Minister Benjamin Netanyahu and Palestinian Chairman Yasser Arafat reach a "land for peace" agreement.
1998Swatch Internet Time, a measure of 1000 "beats" per day was inaugurated by the Swatch Group.
(36)2001年 - アップル社が、携帯音楽プレーヤー・iPodを発表。
(37)2002年 - モスクワ劇場占拠事件: ロシア連邦の首都モスクワで、チェチェン独立派のテロリストが劇場を占拠。
(38)2004年 - 新潟県中越地震発生。
(39)2005年 - ディープインパクト菊花賞で勝利し、ナリタブライアン以来11年ぶり、日本競馬史上6頭目の三冠馬となる。また、無敗で中央競馬クラシック三冠を制したのはシンボリルドルフ以来21年ぶり史上2頭目。
2007 – A powerful cold front in the Bay of Campeche causes the Usumacinta jackup rig to collide with Kab 101, leading to the death and drowning of 22 people during rescue operations after evacuation of the rig.
(40)2011年 - オルフェーヴルが菊花賞で勝利し、ディープインパクト以来6年ぶり、日本競馬史上7頭目の三冠馬となる。
(42)2011年 - トルコ東部地震: トルコ東部で、M7.2の地震が発生。
(43)2011年 - リビア国民評議会が全土解放を宣言。42年に及んだカダフィ独裁政権が事実上の崩壊。
2012 – After 38 years, the world's first teletext service (BBC's Ceefax) ceases broadcast due to Northern Ireland completing the digital switchover.
(44)2013年 - OS X Mavericksが配信開始される。
(45)2013年 - フジテレビ系列のお昼の長寿番組として有名だった『笑っていいとも!』が翌春の3月で放送終了することが発表される。(835.73KB)


                         インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5802です。 
2015年10月23日(金)掲載分
昨日10月22日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月23日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(14)1873年 - 明治六年政変。朝鮮使節派遣の中止が決定し、征韓論派が敗れる。西郷隆盛が当日、板垣退助ら が翌日に参議の辞表を提出。」でしょうか・・・。「征韓論」と言えば、その根底にあるのは天下統一を果たした豊臣秀吉が「武士の失業対策」の延長線上に位 置づけられたという考え方を抱いていた歴史オンチのヨシダですが、あらためてウィキペディアで学びました。以下はその一節です。「征韓論(せいかんろん)は、日本明治初期において、当時留守政府の首脳であった西郷隆盛板垣退助江藤新平後藤象二郎副島種臣らによってなされた、武力をもって朝鮮開国し ようとする主張である(ただし、征韓論の中心的人物であった西郷自身の主張は出兵ではなく開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」 という説もある)。西郷隆盛の死後、板垣退助らの自由民権運動の中で、板垣の推進する征韓論は西郷の主張として流布され、板垣ではなく西郷が征韓論の首魁 として定着した(ウィキペディア)★ちなみに、「留守政府」は、ご存知、岩倉使節団岩倉具視木戸孝允大久保利通らが留守だったこと。海外事情を肌で感じた使節団は征韓論は時期尚早としてこれに反対、岩倉の意見が明治天皇に容れられ、遣韓中止が決定された結果、西郷や板垣らの征韓派は一斉に下野(征韓論政変または明治六年政変)し、明治7年(1874年)の佐賀の乱から明治10年(1877年)の西南戦争に至る不平士族の乱自由民権運動の起点となった・・・というものです。ハイ!これはヨシダのグーグル大学による歴史勉学のひとコマです(笑)。(00:15)
 このところ、「きょうのできごと」 編集で欲張りすぎて過多の写真を添付しがちです。ワン・サイトの編集許容量が「1MB(1000KB)以内」であることから、それ以上になると編集画面が 開けなくなります。本日のトップ画面がそれでして、やむなく、「できごと関連写真」一部を削除しました。その手法も同トップ画面を一旦コピー取りした編集 画面から削除の上、本来のトップサイトと差し替えるという手法です。これも生活の知恵って按配★なお、「当該リンク」をクリックすると全体サイトがご覧い ただけます★今後の編集手法として、同コラムの末尾に(○○○KB)と表示してオーバーしないように心掛けることにします。これも編集技術一歩前進とばか りに、ヘンなところでガッツしています。この辺りがヨシダのイイところ、と自画自賛するオッチョコチョイの編集長です(笑)。でも、ボケ防止にはもってこ い、デス★今朝一番の仕事は「10月24日のできごと」編集完成でした。貯金が正味1日分。インタネット接続状況不良で時おり消滅するトラブルがその背景。コピー取りを頻繁にすることで対応していますが、余分のものではあることを認識しながらも「リスク・マネジメント」精神は旺盛です。(11:10)
 「No.5801:花街福島民報「あぶくま抄」2015.10.23.)」を編集しながらひと昔前のエピソードに浸りました。記事本文より量的に大きなブログになりました。添付写真の選択を考えつつ、実に楽しくひと昔の郷愁に浸りました。本コラム編集の間接的醍醐味でもあります。(13:55)
 「No.5802:バイデン氏、守れなかった息子の遺言(真相深層)米大統領選出馬を断念 「クリントン氏優勢」受け入れ日本経済新聞2015.10.23.ワシントン=吉野直也)」を編集しながら深く、しんみりと想うことがありました。バイデンさんは遠い別世界のご人物。でも、本記事は妙にヨシダに感じさすものがあります。今後の同氏の姿をテレビで観る時には、本記事で感じたことをダブらせて観るつもりです。(16:20)



No.5802
バイデン氏、守れなかった息子の遺言(真相深層)米大統領選出馬を断念 「クリントン氏優勢」受け入れ
日本経済新聞2015.10.23.ワシントン=吉野直也
ヨシダブログ:米 大統領選と言えば、前回の「民主党オバマ対クリントン」の指名選挙がヨシダの離日前年のできごと。バイデンさんの人柄風貌に好感を抱くヨシダですが、今回 のクリントンさんを向こうに回した出馬発表に正直、ある種の「何故!?」といった印象を強くしました。本記事はそれを払拭して余りあります▼親に先立って 子が、しかも、立派に成人して将来に希望のもてるほど成育した子に先立たれる、というのは悲劇です。しかも、その子息さんが生前中病室で求めた父親の大統 領選出馬は遺言となった・・・と▼添付写真を選択しながらバイデンさんの胸の内を想像して胸を熱くしました▼写真に観るバイデンさんのご子息・故ボウ氏は 「知性あふれる逞しき政治家」の標本みたいなご人物。人生は無情・・・と痛感します▼他人の不幸に接するごとにヨシダが痛感することはわが身の立場。最近 の「難民の実像」をテレビで観るにつけても想うことは、現在のわが身が置かれた立場にほかありません。謙 虚な心を失うことなく、常に感謝の心で生きていることの大事さを再々確認する機会を与えてくれる本記事です。合掌▼ふと、追ブロしたくなりました。子息を 亡くしたバイデンさんの気持ちをわが身にオーバーラップしてのこと。前妻と離婚して二人の息子と一人の娘との離別があるものの、なんとか三人は元気で親父 の会社を継承して現在に至ること。その親父のヨシダは同居するフィリピン人家族の幸せをひたすら願い、わが身の老後の欲望より、この程度の「お遊び」で余 生を楽しませていただけることは感謝に耐えません。「自利から他利」に徹して生きてきていることを無限の喜びと感謝であると受けとめて生活しています・・・。(写真11枚添付ファイル
 「beau biden death」の画像検索結果  関連画像「beau biden death」の画像検索結果「beau biden death」の画像検索結果       「バイデン米副大統領の子息・」の画像検索結果「バイデン氏と夫人のジルさん」の画像検索結果                      「エリザベス・ウォーレン上院議員」の画像検索結果   「エリザベス・ウォーレン上院議員」の画像検索結果    「バイデン氏と夫人のジルさん」の画像検索結果  「バイデン氏と夫人のジルさん」の画像検索結果  「バイデン氏と夫人のジルさん」の画像検索結果
No.5801
花街
福島民報「あぶくま抄」2015.10.23.
ヨシダブログ:「金 沢」と言えば、半世紀以上もギャップで2回の想い出を有するのがヨシダです。本記事にヒットして思わず懐かしさ一杯で編集することにしました。まずは、2 つ のエピソードは初回のヨシダの金沢想い出話▼ヨシダが二十歳代終わりの頃に遡ります。当時のヨシダ青年は米国から導入した新技術(製材用帯ノコのアセチレ ンガス溶接技術&ヒート・テンショニング技術)の指導講習会で大阪の商社マンに付き添われて同地を一泊旅行しました▼当時のヨシダは補そう具は未だで、ス テッキ頼りの身体条件。市内観光などは想定外でした。極めて印象深かったのは、街中の道路に見られる三角形の切り込み箇所。戦国時代の名残だと教えられま した。其処に潜んで銃を構えて敵を迎え撃つ、という図式と知らされました▼翌日の帰途の北陸本線「金沢駅」で乗車して印象深く目にとまったのが「金沢駅」 の看板。添付 写真も末尾に掲載しました▼二回目の金沢行きは離日を間もなくに控えた2008年頃のこと。福井市最大手老舗運送会社社長に請われて社員ドライバー教育を 手掛けていた時分でした。ちなみに、同社社長が大阪でのヨシダ講演を聴いてほれ込んでいただいたことが縁。当時、フィリピン移住計画があったことから、東 京新橋に9年にわたるクライアントがあったのを事情を話して格別の契約終結をお願いして、福井市の同社にシフトしたものです▼福井市の同社出向には夜行列 車による日帰りということもありましたが、ある日、金沢市観光を想いたちました。駅頭に下りた時の強い印象は添付写真にもある金沢駅正面のひときわ目立つ 近代的かつ芸術的駅頭の景色でした。しばらく見上げながらワ~!と呟いたものでした▼駅前にたむろしていたタクシー連。その中から一人がツカツカとヨシダ に近寄り言いました。「お客さん、市内をご案内させてくださいませんか」と。乗車して直ぐに彼と話しました。「取材」のためでした。彼の話しぶりに感じた ことは、インテリだということ。「運転手さん、あなたはドライバーが本業ではなかったのでは?」と。「お客さん、どうしてそんなことが分かります?私はつ い最近まで大手商社マンでした。でも仕事に飽き足らずにこの職業を選びました。今ではそれがベストな選択肢だったことを味わっています・・・」と。巨大な 会社組織の一辺で働くより、自分自身の納得できる生き方の選択肢にタクシードライバー職を選んだのです。ドライバー教育のヨシダにとっても、格好の選択 肢となりました▼道中、ず~と話し合ったものでした。金沢市内各地を回ったなかで、もっとも印象深くしたは「武家屋敷」でした▼本記事本文より長 いブログになりましたが、これも編集長の特権と受けとめつつヨシダ・エピソードの一端としてブログしました。させていただきました。感謝! 写真22枚添付ファイル
  「ひがし茶屋街」の画像検索結果 「ひがし茶屋街」の画像検索結果「ひがし茶屋街」の画像検索結果      「ひがし茶屋街」の画像検索結果       「ひがし茶屋街」の画像検索結果      「ひがし茶屋街」の画像検索結果  「ひがし茶屋街」の画像検索結果  「ひがし茶屋街」の画像検索結果
     「北裡商店街」の画像検索結果     「北裡商店街」の画像検索結果       「北裡商店街」の画像検索結果      「古都金沢市」の画像検索結果「古都金沢駅」の画像検索結果「古都金沢駅」の画像検索結果「古都金沢駅」の画像検索結果「古都金沢駅」の画像検索結果
      「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果「古都金沢市武家屋敷跡」の画像検索結果
 昨日22日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日23日の第一記事掲載(13:45)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

               「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
              「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                       「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)  (893.54KB)                          

                     2015年10月23日(金)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                            
吉田祐起
                             (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com