Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりな りにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切りに、同族企 業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しました。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月18日(日)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催のAPEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK  WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?)対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同 大統領の任期は2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と 勝手に思っているところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダ です。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月18日の「できごと」 
                          October 18 Events(英語版) 
                              「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「Lucius Aelius Seianus」の画像検索結果「Tiberius Julius Caesar」の画像検索結果 「senatus」の画像検索結果2「1009年カリフ・ハーキム」の画像検索結果「聖墳墓教会1009年」の画像検索結果「1009年カリフ・ハーキム」の画像検索結果3「Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg,1386」の画像検索結果「Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg,1386」の画像検索結果5「War of the Austrian Succession」の画像検索結果「treaty of aix-la-chapelle 1748」の画像検索結果
 「War of the Austrian Succession」の画像検索結果 「War of the Austrian Succession」の画像検索結果 7  「Herman Melville」の画像検索結果    8「1860年 円明園」の画像検索結果「Arrow War」の画像検索結果   「1860年 円明園」の画像検索結果   9「Alaska Purchase」の画像検索結果「Alaska Purchase」の画像検索結果  「Alaska Purchase」の画像検索結果     「Alaska Purchase」の画像検索結果  
 「Alaska Purchase」の画像検索結果10「treaty for japan, austria and hungary 1869」の画像検索結果「treaty for japan, austria and hungary 1869」の画像検索結果12「大隈重信と来島恒喜」の画像検索結果 「大隈重信と来島恒喜」の画像検索結果 「大隈重信と来島恒喜」の画像検索結果13「第三次イゾンツォの戦い」の画像検索結果  「Terza battaglia dell'Isonzo」の画像検索結果  「第三次イゾンツォの戦い1915年」の画像検索結果
14
「British Broadcasting Corporation, 1922」の画像検索結果「British Broadcasting Corporation, 1922」の画像検索結果「British Broadcasting Corporation, 1922」の画像検索結果「British Broadcasting Corporation, 1922」の画像検索結果16「員リヒャルト・ゾルゲがソ連のスパイ容疑で逮捕」の画像検索結果「員リヒャルト・ゾルゲがソ連のスパイ容疑で逮捕」の画像検索結果 「員リヒャルト・ゾルゲがソ連のスパイ容疑で逮捕」の画像検索結果 17「捷号作戦」の画像検索結果      「捷号作戦」の画像検索結果
19
「松山事件とは」の画像検索結果21「西口彰事件」の画像検索結果「西口彰事件」の画像検索結果「西口彰事件」の画像検索結果22「Венера-4」の画像検索結果    関連画像23「Twiggy Lawson in japan, 1967」の画像検索結果「Twiggy Lawson in japan, 1967」の画像検索結果「Twiggy Lawson in japan, 1967」の画像検索結果「Twiggy Lawson in japan, 1967」の画像検索結果
24
「永山則夫連続射殺事件」の画像検索結果「永山則夫連続射殺事件」の画像検索結果「永山則夫連続射殺事件」の画像検索結果「永山則夫連続射殺事件」の画像検索結果26「四十日抗争」の画像検索結果「四十日抗争」の画像検索結果
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「東欧革命」の画像検索結果「東欧革命」の画像検索結果    「東欧革命」の画像検索結果    「東欧革命」の画像検索結果 30       「benazir bhutto nearly assassinated」の画像検索結果              「benazir bhutto nearly assassinated」の画像検索結果 「benazir bhutto nearly assassinated」の画像検索結果
(1)31年 - 元老院セイヤヌスを弾劾するティベリウスの書簡が読まれる。
320Pappus of Alexandria, Greek philosopher, observes an eclipse of the Sun and writes a commentary on The Great Astronomer (Almagest).
614 – King Chlothar II promulgates the Edict of Paris (Edictum Chlotacharii), a sort of Frankish Magna Carta that defend the rights of the Frankish nobles while it excludes Jews from all civil employment in the Frankish Kingdom.
629Dagobert I is crowned King of the Franks.
(2)1009年 - ファーティマ朝カリフハーキムの命によりエルサレム聖墳墓教会が完全に破壊。
1016 – The Danes defeat the Saxons in the Battle of Assandun.
1081 – The Normans defeat the Byzantine Empire in the Battle of Dyrrhachium.
1210Pope Innocent III excommunicates Otto IV, Holy Roman Emperor.
1356Basel earthquake, the most significant historic seismological event north of the Alps, destroys the town of Basel, Switzerland.
(3)1386年 - ハイデルベルク大学が開学。
1540 – Spanish conquistador Hernando de Soto's forces destroy the fortified town of Mabila in present-day Alabama, killing Tuskaloosa.
(4)1561年永禄4年9月10日) - 川中島の戦い: 八幡原の戦い
1599Michael the Brave, Prince of Wallachia, defeats the Army of Andrew Báthory in the Battle of Şelimbăr, leading to the first recorded unification of the Romanian people.
1648 – Boston Shoemakers form first American labor organization.
(5)1748年 - オーストリア継承戦争講和条約であるアーヘンの和約が締結。
(6)1767年 - ペンシルベニア植民地メリーランド植民地の境界線であるメイソン・ディクソン線の測量が完了。
1775African-American poet Phillis Wheatley is freed from slavery.
・1775 –
American Revolutionary War: The Burning of Falmouth (now Portland, Maine) prompts the Continental Congress to establish the Continental Navy.
1779 – American Revolutionary War: The Franco-American Siege of Savannah is lifted.
1797Treaty of Campo Formio is signed between France and Austria
(7)1851年 - ハーマン・メルヴィルの長編小説『白鯨』が刊行。
(8)1860年 - アロー戦争: 英軍が清による捕虜殺害の報復として円明園を焼き払う。
1860 – The Second Opium War finally ends at the Convention of Peking with the ratification of the Treaty of Tientsin, an unequal treaty.
(9)1867年 - アラスカが、ロシア帝国からアメリカ合衆国へ720万ドルで売却される。(アラスカ購入
(10)1869年明治2年9月14日) - 日墺修好通商航海条約が締結される。
(11)1881年 - 板垣退助らが日本初の政党自由党を結成。
(12)1889年 - 大隈重信玄洋社来島恒喜に手投げ弾を投げつけられ片足を失う重傷。来島はその場で自害。
1898 – The United States takes possession of Puerto Rico from Spain.
1912First Balkan War: King Peter I of Serbia issues a declaration "To the Serbian People", as his country joins the war.
1914 – The Schoenstatt Movement is founded in Germany.
(13)1915年 - 第一次世界大戦: 第三次イゾンツォの戦い.
1921 – The Crimean Autonomous Soviet Socialist Republic is formed as part of the Russian Soviet Federative Socialist Republic.
(14)1922年 - 英国放送協会(BBC)の前身である英国放送会社設立。
1929 – The Judicial Committee of the Privy Council overrules the Supreme Court of Canada in Edwards v. Canada when it declares that women are considered "Persons" under Canadian law.
(15)1941年 - 東條内閣が成立。
(16)1941年 - ゾルゲ事件: ドイツの新聞社特派員リヒャルト・ゾルゲがソ連のスパイ容疑で逮捕。
(17)1944年 - 第二次世界大戦: 捷一号作戦発動。
(18)1944年 - 第二次世界大戦: ソ連チェコスロバキアに侵攻。
1945 – The USSR's nuclear program receives plans for the United States plutonium bomb from Klaus Fuchs at the Los Alamos National Laboratory.
・1945 – A group of the
Venezuelan Armed Forces, led by Mario Vargas, Marcos Pérez Jiménez and Carlos Delgado Chalbaud, stages a coup d'état against president Isaías Medina Angarita, who is overthrown by the end of the day.
・1945 –
Argentine military officer and politician Juan Perón marries actress Eva "Evita" Duarte.
1954Texas Instruments announces the first Transistor radio.
(19)1955年 - 宮城県志田郡松山町(現・大崎市)で松山事件が発生。
(20)1958年 - アメリカでのブームを受け、フラフープが日本で販売開始。1960年代に入り大ブームになる。
(21)1963年 - 福岡県の山道で会社員と運転手の2人が殺害されているのが見つかる。(西口彰事件
1964 – The 1964-1965 New York World's Fair closes for its first season after a six-month run.
(22)1967年 - ソ連の金星探査機「ベネラ4号」が金星軌道に到達。降下カプセルが史上初めて金星の大気を観測した後、金星に着陸。
(23)1967年 - イギリスのモデル、ツイッギーが来日。ミニスカートブームが起こる
(24)1968年 - 10月11日から連続して起こっていた射殺事件(永山則夫連続射殺事件)について、警察庁広域重要指定事件108号に指定。
1968 – The U.S. Olympic Committee suspends Tommie Smith and John Carlos for giving a "Black Power" salute during a victory ceremony at the Mexico City games.
(25)1970年 - 日本勧業銀行大森支店の宿直行員が殺害される。(大森勧銀事件
1977German Autumn: a set of events revolving around the kidnapping of Hanns Martin Schleyer and the hijacking of a Lufthansa flight by the Red Army Faction (RAF) comes to an end when Schleyer is murdered and various RAF members allegedly commit suicide.
(26)1979年 - 自民党内で四十日抗争が勃発する。
(27)1989年 - 東欧革命: 東ドイツの指導者エーリッヒ・ホーネッカーが失脚。
(28)1989年 - アメリカの木星探査機「ガリレオ」が打上げ。
1991 – The Supreme Council of Azerbaijan adopts a declaration of independence from the Soviet Union.
(29)
2003年 - ボリビアガス紛争ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ大統領が辞任に追い込まれ、国外逃亡。
2004Myanmar prime minister Khin Nyunt is ousted and placed under house arrest by the State Peace and Development Council on charges of corruption.
2007Karachi bombing: A suicide attack on a motorcade carrying former Pakistani Prime Minister Benazir Bhutto kills 139 and wounds 450 more. Bhutto herself is uninjured.
(30)2007年 - パキスタン元首相ベーナズィール・ブットーの遊説中に、自爆テロによる暗殺未遂。   
                                   インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5792です。    
2015年10月18日(日)掲載分
昨日10月17日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月18日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(9)1867年 - アラスカが、ロシア帝国からアメリカ合衆国へ720万ドルで売却される。(アラスカ購入)」です。今から148年も前のこと。日本では「大政奉還・王政復古」の時代。政治経済の当時の日米格差は想像を絶するギャップです★ちなみに、この出来事をグーグルであらためて学びます。「・・・この条約は4月9日アメリカ合衆国上院で批准されたものの、当初スワードは「巨大な保冷庫を購入した」などとアメリカ国民に非難された。しかし、1896年にはアラスカで金鉱が発見されるなど資源の宝庫であることが判明した他、軍事上においてもアラスカの位置がベーリング海峡北極海を挟んでロシアと直接国境を接することから、特にソ連との間で発生した冷戦期には極めて重要な役割を果たすなど、スワードのアラスカ購入に関する評価は高いものに変わった。現在アラスカ州ではアラスカ購入に関して2つの記念日が設けられている。1つは、1867年10月18日にアラスカの所有権がロシアからアメリカに正式に変更されたことを祝うアラスカ・デー(10月18日)。 もう1つが、スワードを記念するスワード・デー(3月の最終月曜日)である(ウィキペディア)★台風がマニラを通過した感じです。当地は小雨程度で幸いで した。考えてみるに、此処「ベルエア」というヴレジ(日本で言えば住宅団地)での生活は5年余になりますが、地震もなく、洪水も体験していません。脚の不 自由なヨシダにとって、相応しい住環境と感謝します★家長・アーネルの姉セニーの旦那さんの弟さんが病死。よく耳にするのが日本で言えば「若死」に類する フィリピンの人たちの実情が目に付きます。朝食からでも油揚げ食品が珍しくないのを垣間見ますが、どちらかと言えば脂っこく、濃い味のフィリピン食。その 辺りの改善が必要ではないのかな、と思わないでもありません★外は小雨。くだんの「両膝屈伸運動4百回」は当面、お預けにします。先日は室内でしました が、欠かさず実践しています。今日は日曜日。でも、ヨシダは「月月火水木金金」です(笑)(7:25)
 「台風情報」の修正です。先ほど何時ものように、真っ先に「日刊まにら新聞」サイトを開いたら台風速報が出ました。「<台風ランド(24号)>18日午前1時すぎ、アウロラ州北部に上陸。同州とイサベラ州に警報4が発令中。首都圏にも同2。[ 2015.10.18 2:37 更新 ]」と。(7:35)
  ブレンチを食してデス クに戻りインタネットで台風の現在位置を確認。「台風情報」の修正です。先ほど何時ものように、真っ先に「日刊まにら新聞」サイトを開いたら台風速報が出 ました。「<台風ランド(24号)>18日午前1時すぎ、アウロラ州北部に上陸。同州とイサベラ州に警報4が発令中。首都圏にも同2。[ 2015.10.18 2:37 更新 ]」と。(8:30)
  ふと、フィリピンの国土地図を見ながら常日頃からヨシダの脳裏にある「フィリピン国土形状観」をご披露します。下記添付の写真は左から、フィリピン国土全 体地図、今朝早朝に上陸した台風ランドの位置図(赤印、以下同様)、首都圏マニラの位置図、右端はヨシダ在住のラグーナ州(マニラから50キロ程度南)を 示すものです。興味ある「ヨシダのフィリピン国土形状観」をご披露します。乞う、ご期待(!?)です(笑)。(8:55)
 「フィリピン・首都圏地図」の画像検索結果「フィリピン・アウロラ&イサベラ州」の画像検索結果「フィリピン・首都圏地図」の画像検索結果「フィリピン・サンタロサ地図」の画像検索結果「世界の国土形状でモノに見立てる例」の画像検索結果「タツノオトシゴ」の画像検索結果「イタリア国土形状・長靴形状」の画像検索結果「長靴みたいな形の国」の画像検索結果
  ヨシダの「フィリピン国土形状観」を一席・・・。まずは左端の全体像をとくとご覧ください。「何かの形」を想像されるでしょうか?実はヨシダがフィリピン を 終の棲家と定める以前からのこと。なんとなく胸に描いていた「フィリピン国土形状のイメージ」があります。ズバリ言えば、「人間が立て膝で両手を前に出し てフロアに座っている姿」 です★後頭部がでっかく、おヒップの見事な(?)人間さまの横姿、と言えばどうでしょうか?さらに、大事な点は、「なにかに祈っている風情&恭順の意を表 しているみたい!・・・」といったイメージです★フィリピンに移住してから、その概念を強くして現在に至ります★ちなみに、国土の形状をモノに見立てて知 られるのは「イタリアの<長靴イメージ>」があります。添付した末尾のビールジョッキはイタリアでのもの。イタリア人自称の長靴イメージと言 えるでしょう★さて、肝心のフィリピン国土形状に関する「ヨシダ推理の弁」をひとつ!この国土形状をみて「人類の神に祈る・恭順の姿」を連想します。国民 の大多数がローマカトリック教徒(系)であるのが、偶然かその背景、と概念付けるのです。家長・アーネルに問い質すに、そういった概念付けは初めてです、 と微笑みます。悪い気はしないハズです。失礼ながら「ブーツ」に見立てられるイタリアよりはマシです(笑)。ちなみに、日本国土の形状は「タツノオトシ ゴ」って見方もある感じですね・・・。・・・と、こんな他愛もないことに時間とエネルギーを投じるヨシダ。まだまだ、気分は若いでしょう!(9:50)
 「No.5791:中流のはずが…下流老人転落はなぜ起こる 藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事に聞くDIAMOND Online2015.10.18.聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 津本朋子))」 を編集しながら痛切に感じることに、芸(ヨシダの場合は英語力)は身を助くではありませんが、私利私欲に溺れることなく、誠意をもって生きてきた者に与え られる「ごく自然のながれから到達する最終人生選択」だなあ・・・デス。しょっちゅう引き合いにする「自利より他利」の精神が招来する結果でもあると痛感 します。(12:05)
 「No.5792老後「移住したい」、19%にとどまる 内閣府調査日本経済新聞2015.10.18.(17日付))」を編集しながら正直、あほらしくなりました。これ以上のブログは出てきません!本日の取材はこれにてストップ!「10月20日のできごと」編集に精力を傾注します。(13:20)



No.5792
老後「移住したい」、19%にとどまる 内閣府調査
日本経済新聞2015.10.18.(17日付)

ヨシダブログ:政府が今年6月に絵に描いたモチ式に発表した「高齢者の地方移住促進政策」。しらけムードのマスコミ界の記事を取り上げてヨシダブログしたのが下記の3編でした。「No.5509:高齢者が地方に大量移住すればどうなるのか なぜ高齢者医療問題の本質を間違えるのか東洋経済ONLINE2015.6.9.木下 斉 :地方再生人、内閣官房地域活性化伝道師)、「No.5510:「高齢者と地方移住」紀伊民報「水鉄砲」2015.6.9.石)」、「No.5519:高齢者を地方移住させる前に、やるべきことがあるDIAMOND Online2015.6.11.野口悠紀雄 [早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問])」 ▼正直言って、本記事に対してブログする気にもなりません。当然の結果であるからです。過去3編の同類のもので事足れると考えます。それにしても、こうし た結果を踏まえたくだんの「委員会」さんとやらは、次にどんな手を打たれるのだろうかな?がヨシダの意地悪い関心事です。「1億総○○委員会」とて然りで しょう ね・・・▼ちなみに、「海外移住」が移住計画のあるお年寄りのなかで、たったの「9.6%」。でもま、無いよりマシってものですよね・・・。参考までに「「国 土形成計画の推進に関する世論調査」の全文(全53ページ)に目を通してみるに、肝心の「老後に備えて云々」の項目が目に入りませんでした。見落としたの かどうかは、別にしての話。所詮は頭脳集団官僚諸氏が作文したもの。理想論に終わるのは当然の結果でしょうね▼それにしても、官僚主義国ニッポンの政治力 の限界はどうしょうもないでしょう。米国みたいに、時の政権が変われば官僚は総入れ替えになるのとはドエライ結果の格差です。
No.5791

中流のはずが…下流老人転落はなぜ起こる 藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事に聞く
DIAMOND Online2015.10.18.聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 津本朋子)
ヨシダブログ:先ずはインタビューアー・藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事さんが投げかける質問は、★――著書「下流老人」(朝日新書)では、現役時代の年収が高いからといって、決して老後が安泰とは限らない。そんな事例が描かれています。★一方の女性は、12万円の年金でも、それなりにしっかりと暮らしていけていたりする。男性とは対照的です。★――男性は「助けてくれ」と言えない人が多いですよね。★――年金や貯蓄は、どのくらいあれば安心とお考えですか?★――今の高齢者は、比較的豊かな世代だと思います。その彼らも下流老人に転落してしまうということは、若い世代はどうなるのでしょうか?★――日本は生活保護のスティグマ (烙印)も大きいので、「国に面倒を見てもらう」ことへの罪悪感や恥に苦しむ人も多いですね・・・と続きます▼一方、それらの質問を受けての回答の「中見 出し」は、■元地銀マンでも下流老人に!ささいなきっかけから転落が始まる、■酒・ギャンブル依存から貧困ビジネスまで貧困に孤独が追い討ちをかける、■ 極度に家族の負担が大きい日本 若者に広がる「下流老人予備軍」、■生活保護のスティグマを恐れて共倒れする日本の家族・・・と続きます▼「老大国」にな りつつある母国ニッポンが抱える当事者たる高齢者の実態・実情等をみるにつけ、ふと思うのは、80歳前にして、しかも、単身・身体障害者の身でありながら の異国の地・フィリピンを終の棲家として現在に至る満84歳直前のヨシダ。その最大かつ貴重な「動機」の原点は、「英語力の自信&それを活かし得る最終の 人生選択肢」と、フィリピンに眠る多くの同胞元兵士やこの国の人たちに対する供養であり、究極的に到達した人生観「自利より他利」 への最終人生選択肢にほかありません。通常では得られな い動機や心境です。それだけに簡単に真似できるシロモノでもありません▼・・・ということから、本記事が示す諸々の実態やそれへの覚悟や心の準備等々はヨ シダ自身にとっては無縁と心得ながらのことですが、圧倒的大多数の同胞お年寄り諸氏へのご参考に供します。(写真6枚添付ファイル
  「藤田孝典」の画像検索結果   「「ひとりも殺させない」(堀之内出版)」の画像検索結果「「下流老人」(朝日新書)」の画像検索結果「藤田孝典」の画像検索結果  「藤田孝典」の画像検索結果  「藤田孝典」の画像検索結果
 昨日17日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日18日の第一記事掲載(11:55)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

               「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
              「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                       「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                    
2015年10月18日(日)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                            吉田祐起
                             (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com