Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりな りにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切りに、同族企 業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しました。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月13日(火)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催のAPEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK  WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?)対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同 大統領の任期は2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と 勝手に思っているところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダ です。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月13日の「できごと」 
                          October 13 Events(英語版) 
                              「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
1「フランス王フィリップ4世」の画像検索結果「テンプル騎士団」の画像検索結果「テンプル騎士団」の画像検索結果  「テンプル騎士団火あぶり死刑」の画像検索結果 2「大津城の戦い」の画像検索結果 「大津城の戦い」の画像検索結果 「大津城の戦い」の画像検索結果  「大津城の戦い」の画像検索結果  4「1792, base stones put in the white house construction」の画像検索結果
「1792, base stones put in the white house construction」の画像検索結果「1792, base stones put in the white house construction」の画像検索結果 「1792, base stones put in the white house construction」の画像検索結果5  「1792, base stones put in the white house construction」の画像検索結果   8「1903, world series」の画像検索結果「1903, world series」の画像検索結果「1903, world series」の画像検索結果「1903, world series」の画像検索結果「1903, world series」の画像検索結果「1903, world series」の画像検索結果 
9
「海潮音 (詩集)初版」の画像検索結果  「上田敏」の画像検索結果 「海潮音 (詩集)初版」の画像検索結果  「海潮音 (詩集)初版」の画像検索結果 「海潮音 (詩集)初版」の画像検索結果12「ヘンダーソン基地艦砲射撃」の画像検索結果「ヘンダーソン基地艦砲射撃」の画像検索結果「ヘンダーソン基地艦砲射撃」の画像検索結果14「1943年 - 成子内親王と東久邇宮盛厚王が結婚」の画像検索結果   「1943年 - 成子内親王と東久邇宮盛厚王が結婚」の画像検索結果
    「1943年 - 成子内親王と東久邇宮盛厚王が結婚」の画像検索結果18「1947年 - 11宮家51人の皇族離脱」の画像検索結果「1947年 - 11宮家51人の皇族離脱」の画像検索結果   「1947年 - 11宮家51人の皇族離脱」の画像検索結果    「1947年 - 11宮家51人の皇族離脱」の画像検索結果    20「社会党再統一」の画像検索結果「社会党再統一」の画像検索結果
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「1962年 - バレーボール世界選手権で日紡貝塚単独チーム」の画像検索結果「1962年 - バレーボール世界選手権で日紡貝塚単独チーム」の画像検索結果「1962年 - バレーボール世界選手権で日紡貝塚単独チーム」の画像検索結果「1962年 - バレーボール世界選手権で日紡貝塚単独チーム」の画像検索結果「1962年 - バレーボール世界選手権で日紡貝塚単独チーム」の画像検索結果「1962年 - バレーボール世界選手権で日紡貝塚単独チーム」の画像検索結果27Image result for aeroflot crashed siteImage result for aeroflot crashed site         28「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の画像検索結果
         
「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の画像検索結果 「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の画像検索結果「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の画像検索結果 「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の画像検索結果 「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」の画像検索結果30     「「しんかい2000」」の画像検索結果     32「- 大江健三郎にノーベル文学賞受賞が決定。」の画像検索結果  「- 大江健三郎にノーベル文学賞受賞が決定。」の画像検索結果 「大江健三郎ノーベル文学賞受賞決定新聞記事」の画像検索結果
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「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果    「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果         「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果   「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果        「コピアポ鉱山落盤事故」の画像検索結果
54Roman Emperor Claudius is poisoned to death under mysterious circumstances. His 17-year-old stepson Nero succeeds him to the Roman throne.
409Vandals and Alans cross the Pyrenees and appear in Hispania.
(1)1307年 - フランスフィリップ4世が、テンプル騎士団の壊滅と資産の略奪のためにフランス全土において会員を一斉に逮捕。
1332Rinchinbal Khan, Emperor Ningzong of Yuan becomes the Khagan of the Mongols and Emperor of the Yuan Dynasty, reigning for only 53 days.
1582 – Because of the implementation of the Gregorian calendar, this day does not exist in this year in Italy, Poland, Portugal and Spain.
(2)1600年慶長5年9月7日)- 大津城の戦いが始まる。
1644 – A Swedish–Dutch fleet defeats the Danish fleet at Fehmarn and captures about 1,000 prisoners.
1710Port Royal, the capital of French Acadia, falls in a siege by British forces.
(3)1773年 - シャルル・メシエ子持ち銀河を発見。
1775 – The United States Continental Congress orders the establishment of the Continental Navy (later renamed the United States Navy).
(4)1792年 - ホワイトハウスのルーツとなる、米国大統領官邸の礎石が置かれ、建設が着工する。
(5)1812年 - 米英戦争: クィーンストン・ハイツの戦い
(6)1825年 - ルートヴィヒ1世バイエルン王に即位。
1843 – In New York City, Henry Jones and 11 others found B'nai B'rith (the oldest Jewish service organization in the world).
1845 – A majority of voters in the Republic of Texas approve a proposed constitution that, if accepted by the U.S. Congress, will make Texas a U.S. state.
1881First known conversation in modern Hebrew by Eliezer Ben-Yehuda and friends.
(7)1884年 - 国際子午線会議において、グリニッジ天文台を通る子午線グリニッジ子午線)を経度0度とすることが決定。
1885 – The Georgia Institute of Technology (Georgia Tech) is founded in Atlanta, United States.
1892Edward Emerson Barnard discovers D/1892 T1, the first comet discovered by photographic means, on the night of October 13–14.
(8)1903年 - 現行メジャーリーグ第一回ワールドシリーズで、ボストン・アメリカンズ(のちのレッドソックス)が優勝。
(9)1905年 - 上田敏の訳詩集『海潮音』が刊行。
(10)1911年 - 徳川好敏大尉らが作った国産飛行機第1号機「臨時軍用気球研究会式1号」(会式1号)が初飛行に成功。
1911Prince Arthur, Duke of Connaught and Strathearn, becomes the first Governor-General of Canada of royal descent.
1914 – In Major League Baseball's World Series, the Boston Braves defeat the Philadelphia Athletics, 4 games to 0, at Fenway Park in Boston, completing the first World Series sweep in history.
1915 – The Battle of the Hohenzollern Redoubt marks the end of the Battle of Loos in northern France, World War I.
1917 – The "Miracle of the Sun" is witnessed by an estimated 70,000 people in the Cova da Iria in Fátima, Portugal.
1918Mehmed Talat Pasha and the Young Turk (C.U.P.) ministry resign and sign an armistice, ending Ottoman participation in World War I.
1921 – The Soviet republics of Russia, Armenia, Azerbaijan, and Georgia sign the Treaty of Kars with the Grand National Assembly of Turkey to establish the contemporary borders between Turkey and the South Caucasus states.
(11)1923年 - トルコイスタンブルからアンカラ遷都
1929Plečnik unveils his memorial to Napoleon on the Square of French Revolution, Ljubljana, Slovenia.
(12)1942年 - 第二次世界大戦: ヘンダーソン基地艦砲射撃
(13)1943年 - 第二次世界大戦: 連合国に降伏したイタリアピエトロ・バドリオ政権が、ナチス・ドイツに宣戦布告。
(14)1943年 - 昭和天皇の長女成子内親王東久邇宮稔彦王の長男盛厚王が結婚。
(15)1944年 - 第二次世界大戦: 赤軍ラトビアの首都・リガを占拠。
(16)1945年 - 治安維持法国家保安法思想犯保護観察法軍機保護法などの廃止を閣議決定。
(17)1946年 - フランスで新憲法草案が国民投票により承認され、フランス第四共和政が発足。
(18)1947年 - 11宮家51人の皇族離脱が決定。
(19)1950年 - 日本政府がGHQの承認を得て解除10,090人の公職追放解除を発表。
(20)1955年 - 左右両派に分裂していた日本社会党が再統一大会を開催。(社会党再統一
(21)1958年 - 社会党総評を中心に警職法改悪反対国民会議を結成。
1958Paddington Bear, a classic character from English children's literature, makes his debut.
1962 – The Pacific Northwest experiences a cyclone the equal of a Cat 3 hurricane. Winds measured above 150 mph at several locations; 46 people died.
(22)1962年 - バレーボール世界選手権日紡貝塚単独チームの女子全日本代表が完全優勝。
(23)1962年 - 岡山空港(現 岡南飛行場)が開港。
1967 – The first game in the history of the American Basketball Association is played as the Anaheim Amigos lose to the Oakland Oaks 134-129 in Oakland, California.
(24)1968年 - 日本初の都市ケーブルテレビ会社・日本ケーブルビジョン放送網新宿で放送開始。
(25)1970年 - フィジー国際連合に加盟。
(26)1970年 - 中華人民共和国カナダ国交を樹立。
(27)1972年 - パリモスクワ行きのアエロフロートIl-62型機シェレメーチエヴォ国際空港への着陸に失敗して墜落、乗員乗客174名全員が死亡。
(28)1972年 - ウルグアイ空軍機571便遭難事故モンテビデオサンティアゴ行きのフェアチャイルド FH227型機がチリのアンデス山中に墜落。同年12月23日に生存者16名が救出。
1976 – A Bolivian Boeing 707 cargo jet crashes in Santa Cruz, Bolivia, killing 100 (97, mostly children, killed on the ground).
・1976 – The first
electron micrograph of an Ebola viral particle is obtained by Dr. F.A. Murphy, now at U.C. Davis, who was then working at the C.D.C.
(29)1977年 - ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件パルマ・デ・マヨルカフランクフルト行きのルフトハンザ航空615便ボーイング737型機PFLPによってハイジャック
(30)1981年 - 潜水調査船「しんかい2000」が熊野灘で日本最深記録2008メートルを記録。
1983Ameritech Mobile Communications (now AT&T Inc.) launched the first US cellular network in Chicago.
(31)1990年 - レバノン内戦が終結。
1992 – An Antonov An-124 operated by Antonov Airlines registered CCCP-82002, crashes near Kiev, Ukraine killing 8.
(32)1994年 - 大江健三郎ノーベル文学賞受賞が決定。
(33)1999年 - アメリカ合衆国上院包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒絶。
(34)2010年 - チリの鉱山落盤事故で、地下に閉じ込められた作業員33人の地下坑道からカプセルを使っての救出が始まる。(コピアポ鉱山落盤事故
2013 – A stampede breaks out on a bridge near the Ratangarh Mata Temple in Datia district, Madhya Pradesh, India during the Hindu festival Navratri, killing 115 people and injuring more than 110.

                   インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5781です。    
2015年10月13日(火)掲載分
昨日10月12日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月13日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(34)2010年 - チリの鉱山落盤事故で、地下に閉じ込められた作業員33人の地下坑道からカプセルを使っての救出が始まる。(コピアポ鉱山落盤事故)」 です。テレビに釘付けになって見入ったものですが、当時のことを偲びながら多くの写真を添付しました★「33人は地下700mに69日間の長きに渡り閉じ 込められ、最初の2週間は食料が欠乏する中を生き抜いた。全員が無事に救出された理由としては、パニックに陥らず、死の恐怖に直面しているにもかかわらず 秩序が維持されたことが大きいとされる」と認識します。しかし、「33人のうち5人以上が無気力状態から抜け出せず就業していない。」とも。詳細は「チリ鉱山の落盤事故・奇跡の生還から3年 当事者たちの今」 をクリックしてご覧ください★昨夜、アーネルから知らされたことは、かのジョギングはカップルで実践するようになったとかです。快適感で止められない!と も。ヨシダが感化した人物が増えました。ヨシダの黙々と努力する姿勢に感化されたのです。「目は口ほどにモノを言い」ならぬ、「実践・努力する姿は観る者 を感化する」と言えるでしょう。そう言えば、お手伝いさんのセニー(アーネルの姉)が片言英語で言いました。「ダディー、私もジョギングし始めたよ!」 と。「ヨシダ旋風」って感じです(笑)★ところで、あれから(昨日夕方頃)右肩の小さなコリによる不快感が失せた感じです!嬉しくて堪りません!この上 は、手を抜かずに、徹底した「ダメ押し」のストレッチングに励みます。何せ、一旦、凝り固まった筋肉は、元の状態に戻ろうとする生理的現象があることを身 をもって体験しているからです。ちなみに、左の肩はかなり以前からその状態を脱皮していることが何よりです。遠からず、右肩もそれに倣うでしょう★ついで に言及ブログします。長年の ステッキ使用は左手でした。つまり、体重を左肩に受けることから、常識的に考えると左肩にコリが生じると考えられるのですが、事実はその逆でした。猛烈な 痛みを右肩に感じ始めたのが補そう具装着への動機でした。あの痛みは忘れることができません。ヨシダ人生で難儀した1ページです。でも、完全にクリアした ことを心底喜んでいます。「ヨシダは努力の人」を自他共に実践してきたことをシンミリと偲びます。(00:10)
 「No.5780欧州難民危機は対岸の火事か 思考停止状態に陥る日本の難民政策
DIAMOND Online2015.1.13.ジャーナリスト・嶋矢志郎)」のヨシダブログの末尾の弁はヨシダ特有の皮肉ってところ。84歳直前のそれは頑固親父の戯言とでも解してくださって結構です。でも、真実を皮肉に突いていると自負しますよ。さて、あなたはどう思いますか!?(10:30)
 今日13日は新聞休刊日だった~!なにやらホッとしないでもありません。その分、「きょうのできごと」編集先取りができるからです。昨夜遅くには「10月15日のできごと」を終えました。いまから、「10月16日のできごと」 に入ります★くだんの右肩の状態を報告します。「不快感」からは脱却できた感じを喜んでいます。でも、微妙な「違和感」みたいな感触は多少時おり残ってい る感じ。ま、時間をかけてクリアを期します★適当な時間をデスクワークで過ごすと「注意信号」みたいな不快感でしたが、それが無くなった分、無理に過ぎる ことへの注意が大事と心得ます。何ごとも前向き思考のヨシダが考えることですよね。(11:45)
 「No.5781:一億総活躍長崎新聞「水と空」2015.10.13.智)」 を編集しながらヨシダはホントに皮肉屋だと苦笑いです。ま、思うままにキーボードを叩くから欲求不満にならずに、元気がイイのだと自身に言い聞かせます。 ストレス皆無!って按配です。あしからずご容赦のほど・・・★おっと、右肩の問題。ホントに長時間仕事の後でも不快感がなくなりました。半歩一歩前進って 感じです。なにごとも辛抱強く、継続は力なり、が肝心とうけとめ一層の精進をします★今朝も野外で4百回の両足ひざ屈伸運動をする折のこと。心の中で回数 を唱えると同時 に出てくるのが「神様への感謝の心」です。時間にしてわずか4,5分の間に4百回も感謝の意を捧げる勘定です。心から自然に湧き出る感謝の念ですが、その 想 いが多少のシンドさを帳消ししてくれることを体感します。何ごとも発想次第ですよね。(19:40)


No.5781
一億総活躍

長崎新聞「水と空」2015.10.13.智

ヨシダブログ:「新聞休刊日」であっても、コラム執筆者にとってはその限りにあらずですね。ヨシダの経験から言うと、執筆作業は「発想の文章化」だけに、一般記事とは異質のものがあることを痛感します。新聞休刊日であるから執筆発想が得られる場合もあるというものです▼本 記事に接してブログしたいこと2点に気付きます。ひとつは、日本人固有の「言霊信仰」、それがために陥りやすい日本人の落とし穴。さらに言えば、それを見 越した指導者側の「戦術」といったもの▼「言霊信仰」の代表的書籍でヨシダが読んだものには「言霊(ことだま)なぜ日本に、本当の自由がないのか< 井沢元彦著>」があります。豊田国夫著も多くあります▼言葉(単語)に深い意味があるのは漢字特有でしょう。「音で読む&訓で読む」の使い分けがで きるだけに、ことのほか深い意味を含有する(さす)ことが否定できません▼ヨシダが障害者だからではありませんが、「障害」という漢字の与える印象は「差 し障り・害する害」という暗いイメージを意識するゆえの新語として登場するのが「障がい・しょうがい者」と、殊更に「縁起の良くない言葉(?)」を避ける のが日本人。漢字は偏見を招来する危険性があるとも言えるでしょう。その点、英語(アルファベット)は記号的文字だけに、言霊的なものは見受けられないと 感じます▼戦時中の「八紘一宇」はその典型的な例。戦時中に盛り込まれた言霊があるだけに、現代においてそれを誰やらさんではありませんが、公の場で使っ てすったもんだの大騒ぎ。本当にニッポン人って、デリケートですよネ・・・▼さて、スポーツができない身であるからこんなことを言うと袋叩きになること必 至ですが、スポーツは楽しいからする、観るといったもの。ヨシダが最近関心をもって観るテレビで「ゴルフ」があります。全くできない身であっても、当事者 のプロとしての技の非凡さに共感を覚えるからです。「ホール・イン・ワン」なんて狙ってできるもんじゃあないさ、偶然だ、と嘯いた過去のヨシダが恥じ入る 気持ちです(笑)▼自称・健康保持のためのスポーツ人を指してのヨシダの皮肉は、「ウソでしょう!楽しいからやってんでしょう!」と。本当に健康管理する 意志があれば、ジョギングだってウォーキングだってありますよ。まず第一にヨシダみたいな身体条件を持つ者の健康管理法を真似ることができますか?と (笑)▼それにしても痛切に思うこと。それは書物やテレビなどに出てくる健康管理方法では、対象者は健常者。ヨシダみたいな身体条件の人たちに対する助言 は皆無に等しいですよね。書物だったら、まず販売部数には極めて限度があるだけに、だれも取り上げないのでしょう。これって、ヨシダの僻み?まいっ か・・・▼肝心の「1億総活動」ですが、子供たちの存在は・・・?こんなところにも「日本人固有の言霊信仰」が窺えますよね。「この指、とまれ」ってとこ ろでしょうかね?ま、いっか・・・▼ 末尾に井沢元彦さんのこと。ヨシダがある全国組織の経営者団体は中国ブロック会長を務めていた時分。井沢さんを講師で招聘したことがあります。パーティー の場で親しく懇談し、記念写真を二人で撮りました。その時の写真があれば、厚かましく添付写真に加えたでしょうネ(笑)。写真9枚添付ファイル
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No.5780
欧州難民危機は対岸の火事か思考停止状態に陥る日本の難民政策
DIAMOND Online2015.1.13.ジャーナリスト・嶋矢志郎
ヨシダブログ:移民は無論のこと、難民受け入れにも反対姿勢をとらないヨシダ。「(反対姿勢は)とらない」ではなく、「とれない」というのがヨシダ論!▼極めて長文の理路整然とした論理展開の本記事筆者・ジャーナリスト・嶋矢志郎さんに敬意を表します。傍線引用が全文に及ぶがほどの共感を得ます▼「中見出し」は■ 戦後最大の危機に揺れる欧州 難民保護は人道上の責務、■シリア難民は国民の2人に1人!? 欧州へ辿り着いたのはまだ6%、■アイラン旋風が国際世論を 喚起 EUが12万人の受け入れを義務化、■5000人の申請者に対して認定者は11人 見直される気配もない日本の難民政策、■看板倒れの「積極的平和 主義」 難民より国内問題を優先した安倍発言・・・と、続きます▼質問「日本はもっと難民を受け入れるべきだと思う?」に対する回答は、「思う 55.17%、思わない43.1%、どちらとも言えない1.72%」です▼ヨシダは「思う組」です。たとえ、マイナス面があっても、デス!▼国際社会で一 人前の発言をする国を自負するなら、好むと好まざるの別なく、それは地球上で生活する人間としての避けて通れない選択肢であると確信するからです▼ついで に指摘すれば、反対論者は「島国根性に没入して他民族との交流や共同生活に対するアレルギー国民でしかあり得ない」と皮肉の弁です。ヨシダの何時もの皮肉 が現実にならぬようにするためにも、デス!▼「ワンス・アポン・ア・タイム、ニッポン人という優秀な民族を居ったげな・・・」という過去仮定法の予言が現 実にならぬことを密かに念じます▼もう一つの皮肉を加えて言うなれば、その背景にあるのが、「ニッポン人の英語下手・英語アレルギー」でさえあるという避 けがたい現実が垣間見られるという極限的皮肉の弁でさえそれはあるでしょう。外国語に接する絶好のチャンス!とばかりにデス!欧州の難民諸氏は英語はニッ ポン人ほど下手ではないはず。よしんば、下手であれば、この際、英語下手のニッポン人が「英語先生気取り」でかれらと「片言英語」を交わすことによって、 「英語アレルギー or 英語コンプレックス」からの脱却に役立てるなら、せめても・・・とさえ言えるでしょう。これって、ヨシダ独特の(?)皮肉ですよね・・・。シツレイしまし た。写真7枚添付ファイル
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                        質問「日本はもっと難民を受け入れるべきだと思う?」に対する回答は、「思う(青色)55.17%、思わない(空色)43.1%、どちらとも言えない(緑)1.72%」
 昨日12日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日13日の第一記事掲載(10:15)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。


               「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                        
2015年10月13日(火)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                      
                                吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com