Please shift the encoding to "Unicode(UTF-8)" & "Japanese"!!
 Left click on "View(V)", and go down to "Character Encoding(C)", and go to the right column to find  "Unicode(UTF-8)" checked and you see on the same site appears atop is "Auto-Detect" with your cursor on to find a line of languages on your right side and check "Japanese". Thank you! Oh, in case you see no "Menu bar(M)" on the far top left side, click the right with your cursor at the place down your browser mark such as Mozilla Firefox or Microsoft, and give a check at "Menu bar", and you will see a line of menus coming out. (お 断り:日本語版のトッパページ最上段にこんな形の英語のメッセージを掲載しているには理由があります。時おりのことですが、日本の友人から「ヨシダさん、 日本語版に限って『文字化け』するんだけど・・・」という声があるのを気にしてのやむなき対策の英語のお願いです。文字化けする場合は、この日本語も読め ませんが、上段の英語は文字化けはゼッタイにありませんので、英語をご理解されるされないに限らず、苦肉の策として思いついた対策です。「文字化け」は至 極簡単に見る側のちょっとしたパソコンのセッティングで解消するのですが、案外とご存知ない方が少なくありません。この日本語文字が化けなければ、なん たってことはないのですが、できれば、上掲の英語説明を何とかしてご理解くだされば幸いです。CLICK⇒文字化け現象の解決法 『文字エンコーディング』のリセットの仕方」(このファイルは日本語のpdf版ですので文字化けはしません。友人から「ヨシダさんの説明はパソコン説明書より親切で分かり易い!」と評価されたシロモノです。

  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりな りにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切りに、同族企 業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しました。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
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手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月12日(月)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催のAPEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK  WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?)対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同 大統領の任期は2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と 勝手に思っているところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダ です。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った10月12日の「できごと」 
                          October 12 Events(英語版) 
                              「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
2「christopher columbus1492」の画像検索結果「christopher columbus landed in america 1492」の画像検索結果「christopher columbus1492」の画像検索結果「christopher columbus landed in america 1492」の画像検索結果「christopher columbus landed in america 1492」の画像検索結果   「christopher columbus landed in america 1492」の画像検索結果  3「delft explosion 1654」の画像検索結果「delft explosion 1654」の画像検索結果
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「1792 first columbus day in new york」の画像検索結果   「1792 first columbus day in new york」の画像検索結果         「1792 first columbus day in new york」の画像検索結果  「1792 first columbus day in new york」の画像検索結果    「1792 first columbus day in new york」の画像検索結果  5  「Oktoberfest 1891」の画像検索結果  「Oktoberfest 1891」の画像検索結果     「Oktoberfest 1891」の画像検索結果       
  「Oktoberfest 1891」の画像検索結果     「Oktoberfest」の画像検索結果    7    「明治天皇の即位の礼」の画像検索結果    「1861年の明治天皇」の画像検索結果「1861年の明治天皇」の画像検索結果「1861年の明治天皇」の画像検索結果9「"white house"」の画像検索結果
  「1901, theodore roosevelt named president's office as "white house"」の画像検索結果「1901, naming of "white house"」の画像検索結果13「1940年 - 大政翼賛会が発足」の画像検索結果「1940年 - 大政翼賛会が発足」の画像検索結果「1940年 - 大政翼賛会が発足」の画像検索結果「1940年 - 大政翼賛会が発足」の画像検索結果「1940年 - 大政翼賛会が発足」の画像検索結果  関連画像 「1940年 - 大政翼賛会が発足」の画像検索結果
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「砂川事件」の画像検索結果 「砂川事件」の画像検索結果 「砂川事件」の画像検索結果           「砂川事件」の画像検索結果   18 「浅沼稲次郎暗殺事件」の画像検索結果 「浅沼稲次郎暗殺事件」の画像検索結果 19     「Lorenzo Sumulong」の画像検索結果
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「Voskhod 1」の画像検索結果「Voskhod 1」の画像検索結果「Voskhod 1」の画像検索結果23   「1970, president nixon declared to withdraw 40,000 soldiers from vietnam by xmas」の画像検索結果    「1970, president nixon declared to withdraw 40,000 soldiers from vietnam by xmas」の画像検索結果   24「2,500 year celebration of the Persian Empire」の画像検索結果 「2,500 year celebration of the Persian Empire」の画像検索結果   「2,500 year celebration of the Persian Empire」の画像検索結果  
       「2,500 year celebration of the Persian Empire」の画像検索結果 28    「douglas adams hitchhiker's guide to the galaxy」の画像検索結果    関連画像29「1983年田中角栄に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決」の画像検索結果「1983年田中角栄に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決」の画像検索結果「1983年田中角栄に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決」の画像検索結果31   「dr.susumu tonegawa awardfed nobel prize」の画像検索結果   33「大月駅列車衝突事故」の画像検索結果   
  「大月駅列車衝突事故」の画像検索結果        36
「世界の人口が60億人を突破」の画像検索結果「国際連合人口基金」の画像検索結果37           「2000年 - 米艦コール襲撃事件」の画像検索結果「2000年 - 米艦コール襲撃事件」の画像検索結果38「バリ島爆弾テロ事件 (2002年)」の画像検索結果
   「バリ島爆弾テロ事件 (2002年)」の画像検索結果     「バリ島爆弾テロ事件 (2002年)」の画像検索結果40  「中国が有人宇宙船「神舟6号」」の画像検索結果         「中国が有人宇宙船「神舟6号」」の画像検索結果 41「鎮霊社」の画像検索結果   「鎮霊社」の画像検索結果   「鎮霊社」の画像検索結果44「黒子のバスケ脅迫事件」の画像検索結果「黒子のバスケ脅迫事件」の画像検索結果
(1)紀元前539年 - ペルシャ国王キュロス2世新バビロニア王国の首都バビロンを占領。
633Battle of Hatfield Chase: King Edwin of Northumbria is defeated and killed by the British under Penda of Mercia and Cadwallon of Gwynedd.
1113 – The city of Oradea is first mentioned under the Latin name Varadinum ("vár" means fortress in Hungarian).
1216John, King of England loses his crown jewels in The Wash, probably near Fosdyke, perhaps near Sutton Bridge.
1279Nichiren, a Japanese Buddhist monk founder of Nichiren Buddhism, is said to have inscribed the Dai-Gohonzon.
1398 – The Treaty of Salynas is signed between Grand Duke of Lithuania Vytautas the Great and the Teutonic Knights, who received Samogitia.
(2)1492年 - クリストファー・コロンブス率いるスペイン船隊が西インド諸島に初上陸。(ノルマン人以外のヨーロッパ人による「アメリカ大陸の発見」)
1582 – Because of the implementation of the Gregorian calendar this day does not exist in this year in Italy, Poland, Portugal and Spain.
(3)1654年 - デン・ハーグの南に位置するデルフトで弾薬庫の火薬が爆発。市街の4分の1が破壊され、100人以上が死亡。
1692 – The Salem witch trials are ended by a letter from Massachusetts Governor William Phips.
1748 – British and Spanish naval forces engage at the Battle of Havana during the War of Jenkins' Ear.
1773 – America's first insane asylum opens for 'Persons of Insane and Disordered Minds' in Virginia.
(4)1792年 - ニューヨークで初めてのコロンブス・デーが祝われる。
1793 – The cornerstone of Old East, the oldest state university building in the United States, is laid on the campus of the University of North Carolina.
1799Jeanne Geneviève Labrosse was the first woman to jump from a balloon with a parachute, from an altitude of 900 meters.
(5)1810年 - ミュンヘンで第1回オクトーバーフェストが開かれる。
(6)1822年 - ペドロ1世が初代ブラジル皇帝に即位。
1823Charles Macintosh of Scotland sells the first raincoat.
1847 – German inventor and industrialist Werner von Siemens founds Siemens & Halske, which later becomes Siemens AG, the largest engineering company in Europe.
(7)1868年慶応4年8月27日) - 明治天皇即位の礼を挙行。
1871Criminal Tribes Act (CTA) enacted by British rule in India, which named over 160 local communities 'Criminal Tribes', i.e. hereditary criminals. Repealed in 1949, after Independence of India.
(8)1881年 - 日本で1890年国会を開設する旨の「国会開設の詔」を発布。
1890Uddevalla Suffrage Association is formed.
1892 – The Pledge of Allegiance is first recited by students in many US public schools, as part of a celebration marking the 400th anniversary of Columbus's voyage.
(9)1901年 - 米大統領セオドア・ルーズベルト大統領府を正式にホワイトハウスと命名。
1915World War I: British nurse Edith Cavell is executed by a German firing squad for helping Allied soldiers escape from Belgium
1917 – World War I: The First Battle of Passchendaele takes place resulting in the largest single day loss of life in New Zealand history.
1918 – A massive forest fire kills 453 people in Minnesota.
(10)1924年 - 荒川放水路が完成し通水式。
(11)1928年 - ボストンの病院で人工呼吸器「鉄の肺」が初めて使われる。
(12)1928年 - 東京松竹楽劇部(後の松竹歌劇団)を設立。
1933 – The United States Army Disciplinary Barracks on Alcatraz Island, is acquired by the United States Department of Justice.
(13)1940年 - 大政翼賛会が発足。
1942World War II: Japanese ships retreat after their defeat in the Battle of Cape Esperance with the Japanese commander, Aritomo Gotō dying from wounds suffered in the battle and two Japanese destroyers sunk by Allied air attack.
(14)1943年 - 第二次世界大戦: 日本政府が「教育ニ関スル戦時非常措置方策」を決定。理工系・教員養成系以外の学生の徴兵猶予を停止。(学徒出陣
(15)1944年 - 台湾沖航空戦始まる。10月16日まで続き、アメリカ空母19隻を撃破したとの大本営発表が報道される。
1944 – World War II: The Liberation of Athens from the German invaders.
1945 – World War II: Desmond Doss is the first conscientious objector to receive the U.S. Medal of Honor.
1953The Caine Mutiny Court-Martial opens at Plymouth Theatre, New York City
(16)1953年 - ラジオ青森(RAB、現・青森放送)開局。
(17)1956年 - 砂川事件: 立川基地拡張の為の砂川町第二次強制測量で警官と反対派が衝突。14日に政府が測量を断念。
1959 – At the national congress of APRA in Peru a group of leftist radicals are expelled from the party. They will later form APRA Rebelde.
・1960 – Television viewers in Japan unexpectedly witness the assassination of
Inejiro Asanuma, leader of the Japan Socialist Party, when he is stabbed and killed during a live broadcast.
(18)1960年 - 浅沼稲次郎暗殺事件日比谷公会堂で行われていた三党立会演説会で右翼青年の山口二矢浅沼稲次郎日本社会党委員長を刺殺。
(19)1960年 - 靴叩き事件英語版国連総会で、ソ連が提出した「植民地主義非難決議」に反対するフィリピンのロレンソ・スムロンの演説を、ニキータ・フルシチョフが靴で机を叩いて妨害。
1962 – Infamous Columbus Day Storm strikes the U.S. Pacific Northwest with record wind velocities; 46 dead and at least U.S. $230 million in damages
1963 – After nearly 23 years of imprisonment, Reverend Walter Ciszek, a Jesuit missionary, was released from the Soviet Union.
(20)1964年 - ソ連が初の3人乗り宇宙船「ヴォスホート1号」を打ち上げ。
1967Vietnam War: US Secretary of State Dean Rusk states during a news conference that proposals by the U.S. Congress for peace initiatives are futile because of North Vietnam's opposition
(21)1968年 - 赤道ギニアスペインから独立。
(22)1968年 - 第19回夏季オリンピックメキシコシティオリンピックが開幕。
(23)1970年 - ベトナム戦争: 米大統領リチャード・ニクソンが、クリスマスまでに4万人以上を撤兵させると表明。
(24)1971年 - ペルセポリスイラン建国二千五百年祭典がはじまり、16日まで行事が続いた。
(25)1974年 - 読売ジャイアンツ長嶋茂雄が現役引退を表明。
(26)1976年 - 最高裁が、財田川事件で死刑判決を受けた男性の再審請求を認め、審議を高松地裁に差戻し。1984年に無罪判決。
(27)1978年 - 国土計画がプロ野球球団クラウンライターライオンズを買収し、本拠地を福岡から埼玉・所沢へ移転することを発表。翌シーズンから西武ライオンズとなる。
(28)1979年 - ダグラス・アダムス銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズの第1作『銀河ヒッチハイク・ガイド』が刊行。
(28)1979年 - 台風20号により沖ノ鳥島南東で870hPaを観測。海上における世界で最も低い中心気圧の台風
(29)1983年 - ロッキード事件裁判(丸紅ルート)の第一審で、元内閣総理大臣田中角栄に懲役4年・追徴金5億円の有罪判決。
1984Brighton hotel bombing: The Provisional Irish Republican Army attempt to assassinate Prime Minister Margaret Thatcher and her cabinet. Thatcher escapes but the bomb kills five people and wounds 31.
1986Elizabeth II of the United Kingdom and Prince Philip, Duke of Edinburgh visit the People's Republic of China
(30)1986年 - サントリーホールが開場。
(31)1987年 - マサチューセッツ工科大学利根川進ノーベル生理学・医学賞受賞。
1988Jaffna University Helidrop: Commandos of Indian Peace Keeping Force raided the Jaffna University campus to capture the LTTE chief and walked into a trap.
・1988 – Two officers of the
Victoria Police are gunned down execution-style in the Walsh Street police shootings, Australia.
・1988 –
Birchandra Manu massacre in Tripura, India
1991Askar Akayev, previously chosen President of Kyrgyzstan by republic's Supreme Soviet, is confirmed president in an uncontested poll.
1992 – A 5.8 earthquake occurred in Cairo, Egypt. At least 510 died.
(32)1994年 - アメリカの金星探査機「マゼラン」が金星大気に突入し消滅。
(33)1997年 - 大月駅列車衝突事故。JR中央線大月駅構内で、特急列車回送列車が衝突し脱線。
(34)1997年 - 京都市営地下鉄東西線醍醐駅 - 二条駅間が開業。ならびに京阪京津線京津三条駅 - 御陵駅間が廃止。
1997Sidi Daoud massacre in Algeria that killed 43 at a fake roadblock.
・1999 – The former Autonomous Soviet Republic of
Abkhazia declares its independence from Georgia(35)
1999年 - パキスタンパルヴェーズ・ムシャラフ陸軍参謀長が無血クーデター。
(36)1999年 - 国際連合人口基金によると、この日世界の人口が60億人を突破したとされる。
(37)2000年 - 米艦コール襲撃事件発生。イエメンアデン港でアルカーイダメンバーによる自爆テロ。米兵17名が死亡。
(38)2002年 - バリ島爆弾テロ事件 (2002年): インドネシアバリ島のナイトクラブで爆弾テロ。202人が死亡、300人以上が重軽傷。
2003Michael Schumacher wins his sixth Formula One Drivers' championship at the 2003 Japanese Grand Prix to beat the 48-year-old record held by Juan Manuel Fangio
(39)2004年 - 山梨県笛吹市が市制施行。鹿児島県川内市ほかの合併により薩摩川内市が発足。
(40)2005年 - 中国が有人宇宙船「神舟6号」を打ち上げ。
(41)2006年 - 靖国神社鎮霊社が32年ぶりに一般公開される。
(42)2006年 - 北海道日本ハムファイターズプレーオフ第二ステージで福岡ソフトバンクホークスを破り25年ぶりの優勝を果たす。
(43)2008年 - リトアニア議会選挙第1回投票と原発操業をめぐる国民投票が同時に実施される。国民投票は投票率が50%に満たず無効となる。
(44)2012年 - 黒子のバスケ脅迫事件で最初の事件が発生する。
2013 – Fifty-one people are killed after a truck veers off a cliff in La Convención Province in Peru.
2014 – Super- cyclone Hudhud in Visakhapatnam, major loss occurs

                   インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5779です。    
2015年10月12日(月)掲載分
昨日10月11日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

 本日「10月12日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(11)1928年 - ボストンの病院で人工呼吸器「鉄の肺」 が初めて使われる。」です。ヨシダが二十歳の誕生日のこと。当時中国新聞記事が「アメリカ人女性が鉄の肺に身を置いたままで、それに取り付けられた電機タ イプライターを利用している写真。「口にくわえた棒でキーボードに触れる姿写真」でした★同記事の主人公はどうやら、当時市場に出て間もない「電気タイプ ライター」って感じ。ヨシダの関心はポリオ同病の誼としての関心。新聞社経由で文通が始まりました。彼女の地元の新聞がエピソードとして数度記事にしまし た★彼女はノースキャロライナのグリースボロというところに住んでいたアメリカ人女性(Mrs. Ann adams)で結婚後にポリオに罹病。一児の男の子を持つ身で離婚した女性。「鉄の肺」で生きている人でした★ちなみに、当時のヨシダは通信教育で「英文 タイプライター」を学んでいました。紙製のキーボードが教材。当時学んだ「指の使い方」が現在にして存分に活かされています★1950年代のエピソードで すから・・・と、ブログすれば長くなるので端折っての話、ヨシダの二十歳の誕生日祝いにといって、彼女が贈ってくれたのがジュラルミン製のステッキ。それ まではひどいびっこをひきながら、まがりなりにも歩いていたヨシダがステッキを使うようになりました★何時となしに文通が途絶えた後のこと。1993年に 一ヶ月間の米国取材旅行をした際に、フロリダ州のジャクソンビルの彼女の居所を確認したのですが、数年前に亡くなっていることを知りました。彼女が送って くれた写真の一つに、一人息子のケニーというの可愛い坊や。開業医になっていることを知り、電話しました。無論、彼は何も知りませんでしたが、ヨシダとの エピソードを話す中で、墓参りしたいけど、時間がないので・・・と言ったら、I really appreciate your kind....と彼が答えてくれた丁重な言葉が印象的でした。彼はDr. Kenneth P. Adams でして、本日のこの想い出ブログを機にメールを送ってみたいとも思っています★「鉄の肺」がヨシダの若かりし頃の日米親善交流時代を想起させました。もう少し想い出を追いたい一心ですが、この程度に留めます。(00:10)
 故郷ニッポンは3連休最後の日。連休のためか、全ての情報を検索するに、これっと思う記事にヒットしませんでした。ひと息入れようと受けとめながら、その一方では「10月14日のできごと」 を仕上げて、次にチャレンジ中。エンドレスって調子(笑)★ふと、気付くことがあります。あしかけ7年もの歳月をかけて両肩のコリ解消努力をして現在に至 るのですが、そのお陰で、現在は右肩にごく小さなコリを残すまでに解消してきている肩こりのこと★一旦、石みたいに硬くなった筋肉や筋は、並みのことでは 元に戻らないことを体験上悟ってきています。シーソーゲームみたいなもので、一旦は柔らかくなっても、放っておくと直ぐに元に戻るのが「筋肉のメカニズ ム」と受けとめ、根気よく努力を重ねてきたものです★しばらくの間、デスクワークを重ねると、右肩付近がこわばる感じになり、痛みでなく、ちょっとした不 快感に発展することを体験してきています。改善されている証拠と受けとめ、根気よくそのシーソーゲームにチャレンジするなかで、今朝 の状況が変わってきていることを自覚します。朝から現在までの長時間作業でも不快感的なものが皆無。その分、ぶっ通しの作業になっています★ふと感じるこ とは、極小になった部位がノーマ ル状態になったのではないかな?という期待感。ちなみに、左の部位はとっくにその不快感が解消して、残すは右肩極小部位といったことから、ひょっとして、 「解消」に漕ぎ着けたのかな?と、なにやら期待感で胸の膨らむ想いなのです★・・・と、こうしている中でも、一息いれて、「ダメ押し的なストレッチング」 をしてみようかな、と思っています。もし、予想通りの結果になれば、大福音デス。前述したように、左肩はクリアした状態だけに、期待感で胸が膨らみます ★こんな私的なことは胸に収めるのが常の人生。ヨシダの場合は、こんな形でブログするのですから、努力の成果を発表して喜びを共有できるのです から、喜びは倍加します。ひょっとして、今から数時間の経緯は、ヨシダの7年間に及ぶ独特の自助努力の成果が与えられる喜びと感謝の瞬間になるかもしれま せん!!!!。そうだ、今日は「体育の日」。それに相応しい結果を神さまがヨシダの7年間の自助努力に免じて与えてくださるのかもしれません!★これっ て、ヨシダ人生に大きな転換期を与えるに相応しい出来事ならぬ「ヨシダの記念すべき<きょうのできごと>」足り得るでしょうよ!感謝、かん しゃ、カンシャの瞬間を迎えることを密かに念じます。(15:10)
  幸か不幸か、本日は編集したい情報にヒットしません。ひょっとして、前述したヨシダの無限の喜びに対して神様が与えてくださる「ヨシダ一生の内で最大の喜 びの日をかみ締める機会」として仕組まれたものではないだろうか・・・とすら思っています!ヨシダにとっては、本日の「体育の日」が文字通りの意義ある日 になる感じがしてなりません★ともあれ、今から、例により、フロアに横になり、通常のストレッチングにチャレンジします。おそらく、感触は今までのものと はガラッと変わったものなる予感がします。(15:20)
 や~!嬉 しくなります!嬉しくってしかたがないほどです!先ほどトライした従来のストレッ チングですが、局部への感触が今までとはガラッと変わった感じ です★具体的には、小さな凝り局部目がけて「ゴルフボール」をあてがい体重を掛けると、的確にゴルフボールがそれを捕らえて今までみたいに、クッリと逃げ ないのです。その 分、確実に凝り固まりがときほぐされてきている感じです★ヨシダの直感は見事に当たりました!ドクター顔負けのシロウト治療法ですが、自分の身体は自分自 身が誰より も鋭く分析していることを再認識します★このうえは、気をゆるめることなく、「最後の詰めを」する決意です。ちなみに、「ヨシダ自己流儀のストレッチン グ」は目下検索中の長文のエッセイに書いていますので、見つけたら此処にリンクしますので、クリックしてごらんくださいませんか?お役に立つと確信します ★ふと、くだんの長文のエッセイを探す過程でヒットしたのが、「日本は戦争をやりまくった・・・」という拙著小文。クリックしてごらんください。これって、ヨシダの弁でなく、日本人だったら知らぬ者はいないほどの有名人が言った(書いた)言葉です★見つかりました!「私の健康維持方法ノウハウの実際 その動機と効果をご参考に供します」(2011.1.12.)と、「肩こり解消の自助努力法を伝授します」 (2012.3.24.)がヨシダの自助努力記録。どうやら、その続編たる第3編は最終編で、「7年間の歳月をかけて解消した根深い肩こり解消方法を伝授 します」でも題して執筆するか・・・です★それにしても思うことは、「体育の日」に相応しい出来事!「きょうのできごと」最高の出来事!と感じます。 (16:30)




 昨日11日の記事2編を下記に掲載していますが、本日12日の第一記事掲載( : )をもって消却します。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。
No.5779
きょうは三連休の真ん中。ひなびた湯治場あたりで秋の一日をのんびりすごせれば…
日本経済新聞「春秋」2015.10.11.
ヨシダブログ:「きょうは三連休・・・」でハッとするヨシダ。「時差」でなく、「国境差」からくる感覚。グーグルでみるに、「10月12日は体育の日」、英語でみるに、「health sports day」▼イヤハヤ、近年のヨシダは「月月火水木金金」だけに、苦笑いする始末です。おっと、「月月火・・・」って何ですか?という声がニッポンから聞こえてきそうです。昨今の若い人は全く知らないでしょうね。リンクを貼りましたので、ご覧になりませんか?▼それは面倒だという方のためにひと言。「週末なんて無しで働け、働け!」です。戦時中には、勤務礼賛の意味で国民の間で広く使われたもので、同じ文句(タイトル)の歌もありました▼タトゥーをグーグルするに、「刺 青は容易に消えない特性を持ち、古代から現代に至るまで身分・所属などを示す個体識別の手段として古くから用いられて来た」と。此処フィリピンでは男女の 別なく珍しくないのがタトゥー。見慣れたせいか、違和感は皆無です▼本記事でケッサクなのは、かの米国のお笑い芸人ジム・スタッフフォードさんのセリフ。 「・・・あまり派手なのや妻の名前は恥ずかしい。そこで彫師に聞いたんだ。何を彫 るのがいいかって。答えわかるか。おれの住所だってさ・・・」とは大ケッサク!年取って徘徊する時を想像した洋の東西を問わぬウィットです。思わずヨシダは声を出して笑いました▼「ひ なびた湯治場あたりで秋の一日をのんびり」にヨシダが想起することをひとつ。40歳に新車ホヤホヤのオペル・カマドール車が大型トラックに追突されたハプ ニングの一端▼ ルームミラーで後方から迫ってくる大型トラックで危険を感じて首を縮めた瞬間にドカ~ん!労組委員長が案じて一旦は入院して大事をとって欲しい、と。一週 間の強制入院(?)後はさらに一週間の自宅静養を「求められた」のが縁で始めたのが、「朝風呂の爽快感」。♪小原庄助さ~ん、朝に朝酒、朝湯が過ぎ て・・・♪になってはいけないという自覚をもって、早朝の自己流体操で「ひと汗を掻いた後の朝風呂」と、大義名分(?)を構築してのものでした▼常夏の フィリピンに移住してピッタリと止めたものですが、自己流体操健康管理は継続して現在に至ります。何ごとも「自身に対する動機付け」は大事です。でも、潜 在的な意志があってこそキャッチできるのがチャンスというものです。写真7枚添付ファイル
    「jim stafford」の画像検索結果  「jim stafford」の画像検索結果「jim staffford and tatoo」の画像検索結果「jim stafford and tattoo」の画像検索結果    「jim staffford and tatoo」の画像検索結果   「温泉風呂で一杯」の画像検索結果      「温泉風呂で一杯」の画像検索結果
No.5778
ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」の主演の盲目の比人ギタリスト死去。長谷井監督が緊急来比
日刊まにら新聞2015.10.11.立田成美
ヨシダブログ:毎朝の記事取材で真っ先に見るのが地元フィリピンの日本語新聞「まにら新聞」です。真っ先に飛び込んできたこの記事に魅せられました▼「ブランカ」でグーグル検索する過程でヒットしたのは、「フィリピンの風」や「エミール・クストリッツァに見出された新鋭日本人監督、ベネチアで喝さい浴びる!」 (YAHOO JAPANニュース9日付)でした▼主人公のフィリピン人盲目のギタリスト・ブランカさんの大きな顔写真にヒットしないままに掲載します▼大のフィリピン ファンになっているこれは、本コラム編集者のヨシダが、主人公の故・ミラリさんと長谷井監督へ贈る深甚のエールです。写真14枚添付ファイル
  「盲人のフィリピン人ギタリスト・ピーター・ミラリ」の画像検索結果   「ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」」の画像検索結果   「ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」」の画像検索結果「ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」」の画像検索結果「盲人のフィリピン人ギタリスト・ピーター・ミラリ」の画像検索結果   「ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」」の画像検索結果  「ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」」の画像検索結果「ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」」の画像検索結果
      「Emir Kusturica」の画像検索結果 「Emir Kusturica」の画像検索結果「venezia movie festival」の画像検索結果「venezia movie festival」の画像検索結果「venezia movie festival」の画像検索結果 「venezia movie festival」の画像検索結果

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術
や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                        
2015年10月12日(月)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                      
                                吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com