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  吉田祐起(Yuuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
(写真左・中は2011年3月は東日本大震災直前のもの、右はパスポート更新で2014年9月10日に撮影したものです。数年前より現在のほうが若く見える、とは周辺の人たちの弁です。直近のものは「ステテコ&半そで」姿なので遠慮します。)                                  
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満83歳11か月 
 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 
  生後10ヶ月でポリオに罹り、広島原爆で九死に一生を得るも、被爆翌年に義兄が経営する製材所の助っ人で作業中に労災事故死した父に代って一家を支えるべ く 技術屋人生を選択し、定時制高校に通いながら日夜励みました。得意の英語を駆使して米国から新技術を導入したり発明品の商品化等々で14年間の華々しい青 春時代を謳歌。公費で米国業界視察留学という話が飛び出したものの、妻(当時)の養父の急死で已むなくその小規模運送会社経営を継承。
 まがりな りにも32年間で「7社グループ総合物流商社体制」を確立。自称・人生第二毛作を演じました。運輸大臣表彰(現・国土交通省)受賞をひと区切りに、同族企 業でありがちのお家騒動を体験。離婚を契機にマヴァリック(一匹狼)のコンサルタント会社を設立して16年間、離日直前まで楽しく活動しました。執筆活動 の原点でもありました。自称・人生第三毛作を演じました。
 期するものを得て、此処フィリピンの地を終の棲家と定めて 2009年2月に移住。これからが最終章のわが人生第四毛作と位置づけています。自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で心置きなくフィリピン人2 家族と共同生活をもって人生最終章(四毛作)を演 じつつあるところです。かれらを「貧困から脱却」させつつ、ヨシダの終生面倒見を期待するという仕組みです。でも、ちょっと真似の出来ない生き方と自負し ます。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com

                                     English               
     
            2015年10月1日(木)
         
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   
   

                            (お知らせ)
  インタネット接続状態が夕刻から夜間にかけて不安定になることから、日付変更等は今までの前日夜から当日朝の可能な限り早い時間にシフトしていますので、 ご諒承ください。ちなみに、此処フィリピンのインタネット・スピードは3.4mbpsという最低水準でして、その改善が強く求められています。でも、郷に 入れば郷に従えで、工夫しながらの編集作業です。(ヨシダ編集長) 

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催のAPEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK  WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?)対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば同 大統領の任期は2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と 勝手に思っているところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダ です。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果          「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果 「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   グーグルから拾った10月1日の「できごと」 
                            October 1 Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択や入手の仕方等々はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。つまり、写真 や画像から入って、「できごと」の中身にご関心を期待するためです。もともと「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流の英語でインプットして当該情報にヒットすることが少なくありませ ん。そういった体験から、全体像が理解しにくい場合は、英語版を横目に検索することにしたり、当該できごとが英語版に無い場合は、ヨシダ流で関係語や名称 を英語訳して英語版グーグルにインプット検索の結果、思わぬ適切な記事や画像にヒットするケースは少なくありません。そんなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの画像等の選択肢であり、そpの編集です。もっとも、その過程で学び機会の習得者は他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・
   3    「assemblée législative 1791」の画像検索結果     「assemblée législative 1791」の画像検索結果 5「1814年 - ウィーン会議」の画像検索結果「1814年 - ウィーン会議」の画像検索結果「1814年 - ウィーン会議」の画像検索結果6「1869年 - オーストリアで世界初の郵便はがき」の画像検索結果「1869年 - オーストリアで世界初の郵便はがき」の画像検索結果7「John Philip Sousa」の画像検索結果
   
  「John Philip Sousa」の画像検索結果     「John Philip Sousa」の画像検索結果 「John Philip Sousa」の画像検索結果10     「Stanford University 1891」の画像検索結果    「Stanford University 1891」の画像検索結果      「Stanford University 1891」の画像検索結果      「Stanford University 1891」の画像検索結果
        「Stanford University 1891」の画像検索結果   「Stanford University 1891」の画像検索結果「Stanford University 1891」の画像検索結果「Stanford University 1891」の画像検索結果「Stanford University 1891」の画像検索結果「Stanford University 1891」の画像検索結果12   「1903年 - 第1回ワールドシリーズ開幕」の画像検索結果  「1903年 - 第1回ワールドシリーズ開幕」の画像検索結果  
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「アラビアのロレンス」の画像検索結果「T・E・ロレンスダマスカス入城」の画像検索結果  「アラビアのロレンス」の画像検索結果     「アラビアのロレンス」の画像検索結果「T・E・ロレンス率いるアラブ軍がダマスカスに入城」の画像検索結果 「T・E・ロレンスダマスカス入城」の画像検索結果  「1918ダマスカス」の画像検索結果「1918ダマスカス」の画像検索結果
  24「autumn uprising in korea 1946」の画像検索結果「autumn uprising in korea 1946」の画像検索結果「autumn uprising in korea 1946」の画像検索結果「autumn uprising in korea 1946」の画像検索結果「autumn uprising in korea 1946」の画像検索結果  27「)1950年 - 毛沢東暗殺陰謀事件」の画像検索結果「毛沢東」の画像検索結果30「米韓相互防衛条約」の画像検索結果
          
「us-korea mutual defense treaty」の画像検索結果      39「1961, roger maris new york giants 61 home run」の画像検索結果  「1961, roger maris new york giants 61 home run」の画像検索結果  「1961, roger maris new york giants 61 home run」の画像検索結果「1961, roger maris new york giants 61 home run」の画像検索結果43   「深夜ラジオ『オールナイトニッポン』1976」の画像検索結果     「深夜ラジオ『オールナイトニッポン』1976」の画像検索結果    「深夜ラジオ『オールナイトニッポン』1976」の画像検索結果  

  53「1977年 - サッカーの神様・ペレが現役を引退。」の画像検索結果「1977年 - サッカーの神様・ペレが現役を引退。」の画像検索結果「1977年 - サッカーの神様・ペレが現役を引退。」の画像検索結果    「1977年 - サッカーの神様・ペレが現役を引退。」の画像検索結果          「1977年ペレが現役を引退。」の画像検索結果65
「he Israeli Air Force bombs Palestine Liberation Organization Headquarters in Tunis.」の画像検索結果「he Israeli Air Force bombs Palestine Liberation Organization Headquarters in Tunis.」の画像検索結果    「he Israeli Air Force bombs Palestine Liberation Organization Headquarters in Tunis.」の画像検索結果    「he Israeli Air Force bombs Palestine Liberation Organization Headquarters in Tunis.」の画像検索結果
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「George Harold Sisler record」の画像検索結果「George Harold Sisler record」の画像検索結果「George Harold Sisler record」の画像検索結果    
「George Harold Sisler record」の画像検索結果4
(1)紀元前331年 - ガウガメラの戦いアレクサンダー大王ペルシア帝国を破る。
(2)959年 - エドガーイングランド国王に即位。

1553 – Coronation of Queen Mary I of England.
1787 – Russians under Alexander Suvorov defeat the Turks at Kinburn.
(3)1791年 - フランス革命: 立法議会が召集。
1795Belgium is conquered by France.
(4)1800年 - ルイジアナスペインからフランスに返還される。
1811 – The first steamboat to sail the Mississippi River arrives in New Orleans.
(5)1814年 - ウィーン会議開幕。1815年6月9日まで。
1827Russo-Persian War: The Russian army under Ivan Paskevich storms Yerevan, ending a millennium of Muslim domination in Armenia.
1829South African College is founded in Cape Town, South Africa; it will later separate into the University of Cape Town and the South African College Schools.
1832Texian political delegates convened at San Felipe de Austin to petition for changes in the governance of Mexican Texas.
1843 – The News of the World tabloid begins publication in London.
1847 – German inventor and industrialist Werner von Siemens founds Siemens AG & Halske.
1854 – The watch company founded in 1850 in Roxbury by Aaron Lufkin Dennison relocates to Waltham, Massachusetts, to become the Waltham Watch Company, a pioneer in the American system of watch manufacturing.
(7)1880年 - ジョン・フィリップ・スーザアメリカ海兵隊軍楽隊の指揮者になる。
1880 – First electric lamp factory is opened by Thomas Edison.
(8)1885年 - 東京瓦斯創立(東京府瓦斯局の払い下げ)。
1887Balochistan is conquered by the British Empire.
(9)1890年 - ヨセミテ国立公園創設。
(10)1891年 - スタンフォード大学開学。
(11)1898年 - 東京・京都・大阪の市制特例廃止。

1898 – The Vienna University of Economics and Business Administration is founded under the name k.u.k. Exportakademie.
(12)1903年 - 第1回ワールドシリーズ開幕。ボストン・アメリカンズVSピッツバーグ・パイレーツの顔合わせ。
(13)1903年 - 浅草六区に日本初の常設映画館・電気館が開館。

1905 – František Pavlík is killed in a demonstration in Prague, inspiring Leoš Janáček to the piano composition 1. X. 1905.
(14)1907年 - 鉄道国有法による日本の私鉄17社の買収・国有化が完了。
(15)1907年 - フォード・モーターT型フォードの販売を開始。

1908Ford puts the Model T car on the market at a price of US$825.
1910Los Angeles Times bombing: A large bomb destroys the Los Angeles Times building in downtown Los Angeles, killing 21.

(16)1918年 - 第一次世界大戦: 「アラビアのロレンス」ことT・E・ロレンス率いるアラブ軍がダマスカスに入城。
(17)1920年 - 日本で初の国勢調査を実施。

1920 – Sir Percy Cox lands in Basra to assume his responsibilities as High Commissioner in Iraq.
1928 – The Soviet Union introduces its First five-year plan.
(18)1930年 - 鉄道省が特別急行列車「」の運転を開始。
(19)1930年 - 威海イギリスから中華民国に返還。

1931 – The George Washington Bridge linking New Jersey and New York opens.
1931Spain adopted women's suffrage.
(20)1936年 - フランコスペイン内戦の反乱軍主席・総司令官に就任。
1937 – The Japanese city Handa is founded in Aichi Prefecture.
(21)1938年 - ナチス・ドイツズデーテンに進駐。
1939 – After a one-month Siege of Warsaw, hostile Nazi forces enter the city.
1940 – The Pennsylvania Turnpike, often considered the first superhighway in the United States, opens to traffic.
1942USS Grouper torpedoes Lisbon Maru not knowing she is carrying British PoWs from Hong Kong.
・1942 – First flight of the
Bell XP-59 "Aircomet".
(22)1943年 - 第二次世界大戦: 連合軍ナポリを占領。
(23)1946年 - ドイツの戦争犯罪者を裁くニュルンベルク裁判が終了。
(24)1946年 - 大邱10月事件。南朝鮮人230万人がアメリカ軍政に抗議して蜂起。
・1946 – Mensa International is founded in the United Kingdom.
1947 – The North American F-86 Sabre flies for the first time.
(25)1948年 - 東京大阪京都横浜川崎名古屋神戸福岡で警察通報用電話(110番)を設置。
(26)1949年 - 中華人民共和国成立。
(27)1950年 - 毛沢東暗殺陰謀事件
(28)1952年 - 第25回衆議院議員総選挙
(29)1952年 - ラジオ中国(RCC、現・中国放送)開局。
(30)1953年 - 米韓相互防衛条約調印。
(31)1953年 - ラジオ山陽(現・山陽放送)、ラジオ香川(現・西日本放送)南海放送ラジオ熊本(現・熊本放送)ラジオ大分(現・大分放送)、以上5局開局。
(32)1954年 - 沖縄初の民放放送局・琉球放送(RBC)開局。
(33)1957年 - 初の5000円札を発行(聖徳太子の肖像)。
1957 – First appearance of In God we trust on U.S. paper currency.
(34)1958年 - 米国航空諮問委員会 (NACA) を母体としてアメリカ航空宇宙局 (NASA) が設立される。
(35)1959年 - 青森放送山口放送大分放送、以上3局のテレビジョン放送局が開局。
(36)1960年 - ナイジェリアイギリスから独立。
(37)1960年 - ラジオ宮崎のテレビジョン放送(現・宮崎放送)開局。
(38)1961年 - 東・北カメルーンが統合してカメルーン連邦共和国が成立。
(39)1961年 - ニューヨーク・ヤンキースロジャー・マリスがシーズン61号目のホームランを打ち、1927年ベーブ・ルースが打ち立てたシーズン最多本塁打記録を破る。
1961 – The United States Defense Intelligence Agency (DIA) is formed, becoming the country's first centralized military espionage organization.
1962 – First broadcast of The Tonight Show Starring Johnny Carson.
(40)1962年 - 日本財団の前身である日本船舶振興会が創立。仙台放送開局。
(41)1964年 - 東海道新幹線東京駅 - 新大阪駅間開業。それに伴うダイヤ改正実施。0系車両の営業運転開始。
1964 – The Free Speech Movement is launched on the campus of University of California, Berkeley.
1965 – General Suharto puts down an apparent coup attempt by the 30 September Movement in Indonesia.
1966West Coast Airlines Flight 956 crashes with eighteen fatalities and no survivors 5.5 miles south of Wemme, Oregon. This accident marks the first loss of a DC-9.
(42)1967年 - 東京新聞の編集・発行権を株式会社東京新聞社から中部日本新聞社(現・中日新聞社)に承継。
(43)1967年 - ニッポン放送系の深夜ラジオオールナイトニッポン』が放送開始。
(44)1968年 - 国鉄が「ヨンサントオ」と呼ばれる大規模ダイヤ改正実施。
1968 – The Guyanese government takes over the British Guiana Broadcasting Service (BGBS).
(45)1969年 - 宇宙開発事業団 (NASDA) が設立される。
(46)1969年 - コンコルドが初めて超音速飛行に成功。
(47)1969年 - 北京地下鉄が開業。
(48)1969年 - 福井テレビジョン開局。
(49)1970年 - 宮城テレビ放送(ミヤギテレビ)開局。
(50)1971年 - 第一銀行日本勧業銀行が合併し、第一勧業銀行が発足。
(51)1971年 - アメリカフロリダ州オーランドウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートが開園。
1971 – The first brain-scan using x-ray computed tomography (CT or CAT scan) is performed at Atkinson Morley Hospital in Wimbledon, London.
1975 – The Seychelles gain internal self-government. The Ellice Islands split from Gilbert Islands and take the name Tuvalu.
・1975 –
Thrilla in Manila: Muhammad Ali defeats Joe Frazier in a boxing match in Manila, Philippines.
・1975 –
Al Jackson, Jr. (Booker T. & the M.G.'s), was shot fatally five times in the back in his own home.
(52)1975年 - 東日本放送テレビ新広島開局。
(53)1977年 - サッカーの神様・ペレが現役を引退。
(54)1978年 - ツバルがイギリスから独立。
1978 – The Voltaic Revolutionary Communist Party is founded.
1979Pope John Paul II begins his first pastoral visit to the United States.
・1979 – The United States returns sovereignty of the
Panama Canal to Panama.
(55)1979年 - 香港MTRが開業。
(56)1980年 - 国鉄で白紙ダイヤ改正実施。
(57)1980年 - テレビ信州開局。
(58)1981年 - 内閣が「常用漢字表」を告示。常用漢字が定められる。
(59)1981年 - 福島放送開局。
(60)1981年 - 東京十二チャンネル(愛称・東京12チャンネル)が「テレビ東京」に社名変更。
(61)1982年 - ヘルムート・コール西ドイツ首相に就任。
(62)1982年 - ソニーが世界初のCDプレーヤー「CDP-101英語版」を発売。同時にCBSソニーからCDソフト50タイトルが発売。
(63)1982年 - 鹿児島放送エフエム長崎開局。

・1982 – Epcot opens at Walt Disney World near Orlando, Florida, United States.
(64)1983年 - 新潟テレビ21開局。
(65)1985年 - イスラエル空軍がチュニスPLO本部を爆撃。
(66)1985年 - テレビせとうちエフエム岩手エフエム群馬開局。
(67)1986年 - エフエム山陰開局。
(68)1987年 - エフエムラジオ新潟開局。
1987 – The Whittier Narrows earthquake shakes the San Gabriel Valley, registering as magnitude 5.9.
(69)1988年 - エフエムジャパン(現・J-WAVE)長野エフエム放送(FM長野)開局。
(70)1989年 - テレビ北海道テレビユー山形熊本朝日放送ベイエフエム開局。
1989 – Denmark introduces the world's first legal modern same-sex civil union called "registered partnership".
(71)1990年 - テレビユー富山(現・チューリップテレビ)Kiss FM KOBEエフエム大分開局。
(72)1991年 - 青森朝日放送北陸朝日放送開局。
1991 – The Siege of Dubrovnik begins.
1992Cartoon Network begins broadcasting.
(73)1992年 - 秋田朝日放送伊予テレビ(現・あいテレビ)エフエム鹿児島開局。
(74)1993年 - 山口朝日放送大分朝日放送ZIP-FM開局。
(75)1993年 - 静岡県民放送(SKT、愛称:けんみんテレビ)が静岡朝日テレビ(SATV)に社名変更。
(76)1994年 - パラオがアメリカ合衆国の信託統治から独立。
(77)1995年 - 琉球朝日放送エフエム福島開局。
(78)1996年 - 岩手朝日テレビ開局。
(79)1997年 - 北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間が先行開業。
(80)1997年 - 磐越自動車道が全線開通。
(81)1997年 - 広島サティが開店。
(82)2000年 - KDDDDIIDOが合併し、株式会社ディーディーアイ (KDDI、現:KDDI株式会社) となる。
(83)2001年 - 東京放送 (TBS) がラジオ部門の放送免許を子会社のTBSラジオ&コミュニケーションズ(TBSラジオ)に承継。これに伴い、TBSテレビのコールサインがこれまでの「JOKR-TV」から「JORX-TV」に変更。
(84)2001年 - 東京都三鷹市三鷹の森ジブリ美術館が開館。
(85)2001年 - 国家公務員の旧姓使用が可能になる。
(86)2002年 - 身体障害者補助犬法が施行。
(87)2003年 - 東海道新幹線の東京駅 - 新横浜駅間に品川駅が開業。
(88)2003年 - 宇宙科学研究所航空宇宙技術研究所宇宙開発事業団の3機関が宇宙航空研究開発機構に統合される。
(89)2003年 - ジェイフォンが世界最大の携帯通信事業者・ボーダフォン(現:ソフトバンクモバイル)にブランド変更。
(90)2003年 - 全国朝日放送(愛称・テレビ朝日、略称・ANB)がテレビ朝日(略称・EX)に社名変更。
(91)2004年 - イチローが、ジョージ・シスラーのメジャーリーグ年間最多安打記録(257安打)を84年ぶりに更新する258安打を達成(最終成績は262安打)。
(92)2005年 - 道路関係四公団日本道路公団本州四国連絡橋公団首都高速道路公団阪神高速道路公団)が民営化。
(93)2006年 - 阪神電気鉄道が阪急ホールディングスと経営統合して阪急阪神ホールディングスが発足。
(94)2006年 - ボーダフォンがソフトバンクモバイルへ、日本テレコムがソフトバンクテレコム へそれぞれ社名変更。
(95)2006年 - 日本航空インターナショナル日本航空ジャパン(旧日本エアシステム)を吸収合併。
(96)2006年 - 障害者自立支援法施行。
(97)2007年 - 日本で郵政事業が完全民営化。これに伴い日本郵政株式会社が持株会社としてグループ経営を開始。
(98)2007年 - 一般向けの緊急地震速報が開始。
(99)2008年 - 松下電器産業株式会社が「パナソニック株式会社」に社名変更、グループ名称も松下グループから「パナソニックグループ」に変更。
(100)2008年 - 大阪個室ビデオ店放火事件。客15人が死亡した。
(101)2008年 - 観光庁および運輸安全委員会が発足。海難審判庁および船員労働委員会を廃止。
(102)2009年 - 産経新聞九州・山口特別版が創刊。これにより、九州(山口)の全国紙が全て揃う。
2009 – The Supreme Court of the United Kingdom takes over the judicial functions of the House of Lords.
(103)2010年 - たばこ税増税される。過去最大規模のたばこ増税であり、日本たばこ産業の代表的な紙巻きたばこ銘柄である「マイルドセブン」の定価が300円から410円に値上げされた。
(104)2012年 - 障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律(通称:障害者虐待防止法)が施行される。
(105)2012年 - 新日本製鐵株式会社と住友金属工業株式会社が統合して新日鐵住金株式会社が発足。
2012 – A ferry collision off the coast of Hong Kong kills 38 people and injures 102 others.
・2012 – Domestic and International flights of
Thai AirAsia transferred all operations from Suvarnabhumi Airport to Don Mueang International Airport .
2013 – The U.S. federal government shuts down non-essential services after it is unable to pass a budget measure.
(106)
2014年 - 株式会社KADOKAWAと株式会社ドワンゴが統合して株式会社KADOKAWA・DWANGOが発足。

                     インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5756です。 
2015年10月1日(木)掲載分
昨日9月30日最終のトップページ
編集者のひと言ダイアリー・コナー

  さあ、本日からヨシダの「誕生月」に入ります!と、イイ歳して・・・といった冷や やかな(?)声があることを意識してのこと。なにせ、1年間で12回の「誕生日(28日)」を意識しているからでして、しかも、その「当たり月」であるこ とから、それ以上の「感動」を覚えるのです。ハイ、齢(よわい)満84歳を迎える月です。心して日々を刻む月でもあることを嬉しく感じます★さて、本日「10月1日のできごと」でヨシダが感じること。今月はやたらと多くの件数です!なんと、106件!国内のできごとが際立って多くある月です。その中で一つだけをあえて選ぶとしたら「(53)1977年 - サッカーの神様・ペレが現役を引退」 です。ほかでもありません、あれだけの大人物スポーツマンでありながら、ペレのプレーをテレビで観たことが極めて少ない、というより皆無に近いのです。近 年のヨシダのテレビ鑑賞趣味の一つがサッカーでして、それだけに現代プレーヤーと比較してペレのプレーぶりはどんなもんだったんかな・・・と★もう一つの ペレさん関連は、次男が元プロサッカー選手であり、現在でも民間テレビ(進め、スポーツ 元気丸!) でコメンテーターをしていることからのこと。彼の部屋に身の丈ほどの大きなペレのプレー姿写真を飾っていたこともあったりで、今にしてペレさんという人物 に興味を抱く始末です。ヨシダって、タイムラッグの人間ではあります(笑)★ただ今、午前0時を回りました。母国とは1時間差の遅れすから日本時間では午 前1時過ぎ。インタネット接続が順調なことからちょっと余談をブログします。昨夜、アーネルが部屋に入ってきて話すに、このたび、救急介護士とかなんとか の資格を取ったとか。分厚い資料を見せてくれたことから、早速にインタネットに移行してみました。米国発祥の制度。題して「Philipinas 911」。米国の2003.9.11.テロ事件を機に米国で誕生した制度とか。ま、人助けになることだけに、本業(バランガイ行政事務所勤務)の傍らで資格をとってスタンバイしていることにエールをおくっているところです。(00:15)
 「No.5753欧州難民危機とEU毎日新聞「記者の目」2015.10.1.坂口裕彦(ウィーン支局)
)」 を編集しながらのこと。欧州連合が誕生した当時のヨシダのネギャティヴな公の場での発言で恥をかいてきた立場にあって、今こそが欧州連合の指導力を問われ る踏み絵と思います。それにしても思うことは、母国ニッポンの姿勢。移民も反対、難民もハンタイ・・・それでいて、高齢化・人口減少に対する決め手はゼロ もしくは、口先だけ★「ワンス・アポン・ア・タイム、ニッポン人という優秀な民族が居ったげな・・・」とするヨシダ独自の皮肉も、このままでは皮肉でなく なるのでは・・・とすら、余計な想像をする始末です。ま、ひとりくらい、こんな毒舌を吐く者が居ても悪くはないでしょう。故郷広島でこんなことをウェブに ブログしたら、袋たたき(!)ってことになるでしょうね・・・。とそんなことから本行は危険信号の「朱文字」にした次第です(笑)(9:50)
 迷 惑メールに ついて・・・。ウェブサイトしかも、下手な英語版もあることからと、かねてより思うことに、やたらと英語の迷惑メール(正確には「メイル」デス!)が多く 入ります。「件名&名前」が英語だったら即座に「削除」って按配。時おり、受信者が冷やかし気分で開いてみるに、苦笑いを禁じ得ません。その理由(内容) はブログする必要がないでしょう。世の中には随分とヒマ人間が居るもんだ・・・です。でも、ヨシダの遊び心にミートする一面もあることから、ニンマリ、ニ ヤリって心の大らかさはキープしています。だから、よ~さんは若ぶり!デス。(10:10)
 ところで、現在のヨシダ・トップサイ トのインタネット使用容量は「711.26KB」。「1000KB」が許容量でして、それを突破すると消滅してしま います。ご覧のように縦長式ですが、たった一つの編集者プライドは、通常のウェブサイトみたいに、左右に多くのコラムを配していないことから、左右に しょっちゅう目を向ける必要がありません。「上から下へと縦にスクロールするだけで」全体像が掴めます★こうしたレイアウトは別段、意識的にしたのではな く、ヨシダの編集能力欠如もしくは、ウェブサイト編集用ソフトを使っていないことに起因します★でも、今にして想うに、企業イメージを気にするわけでもな し、気取ってレイアウトに固執することはないさ・・・です。でも、結果としては前述したように、「左右に絶えず目を向けて見落としないように心がける」こ とは無用といった面で、編集者としても見落とし皆無で、これでヨシ!って気分です★なんどか思ったことは、「ウェブサイト編集用ソフト」の使用でしたが、 84歳の爺ちゃんの「道楽気分のウェブ編集」であるだけに、もう一度、これでヨシ!ヨシダだからヨシ、と(笑)。(10:25)
 「No.5754:県内に六つある活火山の一つ、十和田火山が最後に噴火したのは、いまから1100年…秋田魁新報「北斗星」2015.10.1.)」 を編集しながら想うことは、二十歳代に米国から導入した新技術や独自の商品化した発明品販売指導等々で全国各地を旅行していた時分。北海道の旭木材さんや 秋田木材さん等からの技術指導要請がありました。その積りで居たものの、人生大転換(当時の妻養父母経営の運送会社経営継承)を余儀なくしたことから、立 ち消えになりました。でも北海道からはわざわざ、帯のこの「クラック溶接修理」のために、あのかさ張るものが何度も郵送往復したものです。ちなみに「帯の このガス溶接技術」はヨシダが元祖デス。英語力でヨシダが同業者と文通でマスターしたシロモノです。エヘン!★お気づきでしょうか、ヨシダは日本語文の中 にカタカタをよく使います。ヨシダ独自のものでして、「強調 or 皮肉」等の表現です。カタカナ用語批判論者を向こうに回したそれはヨシダ論。漢字・ひらがな・それに、せっかくあるカタカナ文字を有効利用しない手はない でしょう!がヨシダの建設的反論デス。(12:05)
 「No.5755:東京・世田谷美術館長の酒井忠康さんが自身のエッセー「鍵のない館長の抽斗…福井新聞「越山若水」2015.10.1.)」を編集しながら想起するのは、ほかでもありません。記事中身はさることながら、「福井市」という点での懐かしさがあるからでもあります。縁を頂いた福井市がその背景です。わが人生84年に悔いなし!と想うひと時でもあった本記事編集作業でした。(13:25)
 「No.5756:我が魂は奪われはしない長崎新聞「水と空」2015.10.1.信)」 を編集しながら泣きました。涙もろいヨシダです。ヒバクシャで4歳上の姉と抜け落ちた髪の毛の写真をあつかましく添えました。ヒバクシャの悲しみを共有さ せていただきました。その姉と手を取り合って広島市内を一週間彷徨ったのが末弟の祐策(当時8歳)。かすり傷一つ負わなかった彼は被爆1週間で血反吐を吐 いて死にました。かれの写真もと思ったのですが、見失っています★ナガサキ・ヒロシマの別なく、ヒバクシャ共通の心情を痛感します。(16:45)





No.5756
我が魂は奪われはしない
長崎新聞「水と空」2015.10.1.信
ヨシダブログ
福山雅治」さんのオフィシャルサイトと同氏の作詞作曲「クスノキ」をみて感動を覚えます。ヒロシマヒバクシャのヨシダの立場意識を強くします。 長崎の被爆詩人、福田須磨子さんの御霊安かれと祈ります。ヒバク市 ナガサキの長崎新聞さんに敬意を表します▼本記事コラム編集者の「特権(?)」に免じて、プライベートですが、ヨシダの3歳上の姉(山下博子・故人)と彼 女の抜け落ちた髪の毛(広島市原爆記念館展示)の写真も添えさせていただきました。姉と手を取り合って一週間広島市内を彷徨った7歳下の弟・祐策は無傷な るも10日後に血反吐を吐いて死にました。ママのオッパイを握り締めながら断末魔に口にした言葉は現在にして鮮明です。<ボク、マンマンさん(お釈 迦様)のところへ行ったら、アメリカを敵討ちしてもらうように頼むよ・・・>が末期の言葉でした▼姉博子は弟のユウキに言いました。「姉ちゃんはア メリカを憎まないわよ。だって、戦争だもの。日本も悪いことをしたんだもの・・・」と▼この記事を編集しながら泣けて泣けてどうしょうもありませんでし た・・・。合掌(写真20枚添付ファイル
   「福山雅治」の画像検索結果  「福山雅治」の画像検索結果 関連画像 「福山雅治」の画像検索結果  「福山雅治「クスノキ」」の画像検索結果「福山雅治「クスノキ」」の画像検索結果「福山雅治「クスノキ」」の画像検索結果「福山雅治「クスノキ」」の画像検索結果
 「福田須磨子」の画像検索結果「福田須磨子」の画像検索結果「福田須磨子」の画像検索結果「福田須磨子」の画像検索結果「福田須磨子」の画像検索結果「福田須磨子」の画像検索結果「長崎の被爆詩人、福田須磨子」の画像検索結果「長崎の被爆詩人、福田須磨子」の画像検索結果
             
No.5755

東京・世田谷美術館長の酒井忠康さんが自身のエッセー「鍵のない館長の抽斗…
福井新聞「越山若水」2015.10.1.

ヨシダブログ
「福 井」と言えばヨシダにとって懐かしいところ。離日を決意していた時分のことですが、大阪市での講演会が縁で、受講者のお一人だったのが福井市老舗(創業昭 和3年)の福井貨物自動車社長。社員ドライバー教育に手を貸して欲しいと。当時、身一杯のクライアント契約があって身動きできないことから、9年間続いて いた東京クライアントさんに社員教育もかなり徹底したことでもあるし、この際、限定された期間ではあるけど折角の新規クライアントさんの一助としたいの で、と快くおヒマを頂戴してシフトしたものです▼ひるがって、本記事にみる美術の世界。経営者人生は通算60余年を貫いたヨシダですが、こと芸術とか美術 とかとなると未熟児みたいな者と反省します。でも、この歳にして遅ればせながら、こんな形で学ぶことができることは限りない喜びです▼・・・と、そんな縁 を頂いた福井市だけに、福井新聞さんの本コラムは懐かしさもあって編集しました。(写真10枚添付ファイル
  「東京・世田谷美術館」の画像検索結果  「東京・世田谷美術館長の酒井忠康」の画像検索結果「東京・世田谷美術館長の酒井忠康」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果「「鍵のない館長の抽斗」(求龍堂」の画像検索結果
No.5754
県内に六つある活火山の一つ、十和田火山が最後に噴火したのは、いまから1100年…
秋田魁新報「北斗星」2015.10.1.
ヨシダブログ「きょうのできごと」編集で痛感することは、洋の東西、古今を問わずの天災の繰り返し。もう一つの繰り返しは殺し合い・・・です。「無情観」を抱きます・・・▼ちなみに、「無情観」の意味を確認するに、曰く、「イ ンドの仏教は、「すべてのものは無常である」と観ずる無常観を説きます。この無常観は、人間が苦を脱却するための哲理としての無常観です▼ど んな風に哲理なのかと言いますと、「無常」の「常」とは、「常にそのまま」ということで、それに「無」がつきますと、「常にそのままで無い」となりますの で「変化する」ということです。何が変化するかといいますと、「すべてのものが」です。ですから私たちのこの体も変化します。すなわち、刻一刻老化し、最 後に死んでしまいます。このように観ずることが無常観です▼ところが私たちは、若くありたい、死にたくないと思っています。そうすると、刻一刻老化し最後 に死ぬという「事実」と、私たちの「思い」とは食い違いを起こします。そこに「苦」というものが起こる要因があるわけです▼この場合の「苦」の意味は、そ の原語である”dukkha”から「思い通りにならないこと」という意味だとされています▼そ の苦を脱却するためには、「事実」と「思い」との間に食い違いを起こさないことです。ところが、「事実」の方は変えようがありませんから、私たちの「思 い」の方を換えて「事実」に合わせるしかありません。すなわち「刻一刻年を取り、やがては死ぬのだ」という思いに換えるのです▼そうすると「事実」との食 い違いがありませんから、「苦」というものは起こら ず、心は平安となるというわけです。勿論その場合、自己の「思い」を換える程の厳しい無常観が求められることになりましょう・・・」と▼ハイ、勉強機会に シフトしました。ちなみに、この言葉のルーツは「なるほど法話 海潮音」です。グーグルでチェックや確認するヨシダに与えられる勉強機会です。本コラム編集のお陰で博識者(?)になりつつあります(笑)。(写真15枚添付ファイル
 「岩手県立博物館企画展「火山灰から社会をよむ」」の画像検索結果「岩手県立博物館企画展「火山灰から社会をよむ」」の画像検索結果「岩手県立博物館企画展「火山灰から社会をよむ」」の画像検索結果「十和田火山」の画像検索結果   関連画像「十和田火山」の画像検索結果 「十和田火山」の画像検索結果  「十和田火山」の画像検索結果 
 「十和田火山」の画像検索結果   関連画像 「十和田火山」の画像検索結果      関連画像   関連画像    「道目木遺跡」の画像検索結果       「道目木遺跡」の画像検索結果
No.5753
欧州難民危機とEU
毎日新聞「記者の目」2015.10.1.坂口裕彦(ウィーン支局)
ヨシダブログ本 記事に関連して難民の皆さんの姿写真を追いながら胸の詰まるものを禁じ得ません。複雑な難民問題であり、その処し方ですが、なんだか日本は「蚊帳の外」っ て感じ。「移民はもとより、難民受け入れゼッタイ反対」が母国日本(人)の実態です▼現地に足を運んでの生きた取材の記者・坂口裕彦さんだけに、本記事の 趣旨に説得力があります▼ヨシダが特にマークする言葉を末尾にみます。曰く、「・・・難民問題の対応は欧州に亀裂を生んでいるが、多様な文化が共存する社 会を各国がともに目指すその先にこそ、欧州統合の未来像が見えるのではないか」がそれです▼ヨシダは当初から「欧州統合なんて、ましてや統一通貨だなん て、ドダイ無茶だ。いずれ崩壊する・・・」と公の場で発言して恥をかいてきた立場だけに、この末尾の記者の言葉に共感します。「欧州統合の未来像」は、裏 返せば、その先(難民問題を抱えるEUの処し方如何で)にこそ欧州統合の真価が問われるのであって、それが出来ねば統合の意味や価値はない(組織崩壊)」 を意味する・・・がヨシダ論と重なります。欧州連合とりわけ指導的立場のドイツにこそ、そのリーダシップが問われるのであって、一里塚もしくは試金石とし ての大きな問題と受けとめるべきです。これをクリアしたら、過去のヨシダの暴言も自らが取り下げるべきことと自身に言い聞かせています。(写真14枚添付ファイル
  「海上の難民」の画像検索結果      「海上の難民」の画像検索結果              「海上の難民」の画像検索結果   「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果   「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果 「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果   「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果
     「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果   「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果   「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果      「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果      「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果     「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果「坂口裕彦 毎日新聞」の画像検索結果
 昨日30日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日1日の第一記事掲載(9:30)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  従来の縦長トップサイト情報を「コンテンツ・コーナー」に集約したことから、このトップ面を利用して編集者・ヨシダの「特別情報のお知らせコーナー」(仮 称)を思いつきました。数日間置いて、
新しいことを思いつくまでは本欄に掲載するとして、適当な時期をみて、このコラム専用の「コンテンツ」欄に移して次 に備える・・・という趣向です。

 「ヨシダのひとりごと」といった感じ。その分、訪問者の方々にヨシダの近況をお知らせするという発想。もっと も、本サイトの主流である「ンタネット情報&ヨシダブログ」は毎日複数規模で掲載していることから、それ自体が格好の「近況報告」足り得るのでは ありますが・・・。ホンネは、折角書いたものなら、何処かにしまっておきたいというのが狙いともかくも記録として残す価値はあるでしょう。
 「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・」といった 感じで書きなぐるっている始末。思ったことをアトランダムに書き残すのも一興と思ってのことだし、ボケ防止のヨシダの道楽って感じとしてものでSすので、ご 容赦ください。)    


                           自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

    

ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。)                            

                         2015年10月1日(木)
                             ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                                  
吉田祐起
                                (満83歳11ヶ月) 

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.com