このド素人的ホームページは本日6月28日で満85歳8ヶ月になった吉田祐起(本サイトでは「ヨシダ」と表現しています)が編集しているものです。編集ソフトの契約は米国本部の「cPanel」と称するソフトのフィリピン契約会社によるものです。編集ソフトはもとより、フィリピンの契約会社等との交渉や問い合わせ等々はすべて英語のみです。日本式のCSとは異なる一面があり、戸惑うことも少なくありませんが、郷に入れば郷に従え・・・って按配で何とか過ごしています。毎日のデスクワークは10時間を下りません。でも、元気ハツラツでやってます!ご覧のように、ホームページ編集ソフトを使わず、レイアウト等々のすべてはド素人的。ヨシダ流儀の編集は「縦長式」でして、両サイドにはなにも配さずに「縦長式一本」でして、スクロール・ダウンしながら全てに目が通せます。目を左右にキョロキョロさす必要がないのがせめてもと、自我自賛しています(笑)。 (2017年6月28日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳9か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)(注:編集者自身が実は驚いています!そうだった、こんなものを編集していたんだっけ!と。再編集してもっとかっこイイコラムにしようかな、と思っているところです。2017.6.22.)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
29. グーグル検索習慣が招来したヨシダ二十歳(はたち)時代の想い出話とその関係画像ポリオアメリカ人女性芸術家との出会い

                         English               
                  2017年8月18日(金)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

              ウィキペディアから拾った8月18日のできごと
                       (過去のきょうのできごと一覧表)
                      (英語版きょうのできごと;August 18
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
 2「天智天皇」の画像検索結果「天智天皇」の画像検索結果「4th」の画像検索結果「daughter word」の画像検索結果「元明天皇」の画像検索結果「元明天皇陵」の画像検索結果「元明天皇陵」の画像検索結果
3 「1541大友宗麟」の画像検索結果「1541大友相隣家紋」の画像検索結果「1541大友宗麟」の画像検索結果 「ポルトガル人が漂着」の画像検索結果  「ポルトガル人が漂着」の画像検索結果「大友宗麟にカボチャの種」の画像検索結果「ポルトガル人が漂着」の画像検索結果
4  「Virginia Dare」の画像検索結果 「Virginia Dare」の画像検索結果「Ananias Dare」の画像検索結果Croatoan.jpg「north carolina」の画像検索結果
        「Roanoke Island, Outer Banks of North Carolina」の画像検索結果「Ananias Dare, north carolina」の画像検索結果「Ananias Dare」の画像検索結果「Ananias Dare, north carolina」の画像検索結果「Ananias Dare」の画像検索結果「Ananias Dare, north carolina」の画像検索結果  「Virginia Dare」の画像検索結果  
10   「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 1888」の画像検索結果   「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 1888」の画像検索結果「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 1888」の画像検索結果「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 1888」の画像検索結果
    「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 1888」の画像検索結果 「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 2016」の画像検索結果     「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 2016」の画像検索結果 「Frankfurt (Main) Hauptbahnhof 2016」の画像検索結果     
14 「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果関連画像「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果
       「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果 「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果   「1909, washington DC with cherry trees given by japanese」の画像検索結果  「1909, tokyo city gave 2000 cherry trees to washington DC」の画像検索結果      「1909, washington DC with cherry trees given by japanese」の画像検索結果
  「1909, washington DC with cherry trees given by japanese」の画像検索結果「1909, washington DC with cherry trees given by japanese」の画像検索結果   関連画像 「1909, washington DC with cherry trees given by japanese」の画像検索結果  「1909, washington DC with cherry trees given by japanese」の画像検索結果
16    「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果 「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果      「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果  「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果
            「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果       「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果  「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果        「1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会」の画像検索結果
18「1920, us amendment 19 ratified」の画像検索結果「1920, us amendment 19 ratified」の画像検索結果  「1920, us amendment 19 ratified」の画像検索結果        「1920, us amendment 19 ratified」の画像検索結果          「1920, us amendment 19 ratified」の画像検索結果        「1920, us amendment 19 ratified」の画像検索結果
19 「三井財閥」の画像検索結果「greatest word」の画像検索結果    「番頭 」の画像検索結果     「中上川彦次郎」の画像検索結果            「daughter word」の画像検索結果 「三井財閥の大番頭・中上川彦次郎の娘・あきがにテノール歌手・藤原義江を追って2児を残してミラノへ出発。「世紀の恋」と話題になる」の画像検索結果
  「burning love」の画像検索結果「fell in love heart」の画像検索結果「1928 藤原義江」の画像検索結果「歌う 藤原義江」の画像検索結果     「Milan」の画像検索結果  
26「1963 James Meredith」の画像検索結果「1963 James Meredith」の画像検索結果「1963 James Meredith」の画像検索結果「mississippi university logo」の画像検索結果
30関連画像「1972 Luna 24」の画像検索結果関連画像「1972 Luna 24」の画像検索結果「1972 Luna 24」の画像検索結果
(1)110年(景行天皇40年7月16日) - 景行天皇日本武尊に東夷討伐を命じる。
(2)707年慶雲4年7月17日) - 天智天皇の第四皇女・阿閇皇女が即位して第43代天皇・元明天皇となる。
(3)1541年天文10年7月27日) - 肥後国ポルトガル人が漂着。領主の大友宗麟カボチャの種が贈られる。
(4)1587年 - アメリカ大陸で最初のイングランド系白人となるヴァージニア・デアが誕生。
(5)1640年寛永17年7月2日) - 京・六条柳の遊郭が朱雀野に移転して嶋原遊郭となる。
(6)1806年 - ニュージーランド南島の沖合いで「発見」された無人島がオークランド諸島と命名。
(7)1858年安政5年7月10日) - 日蘭修好通商条約締結。
(8)1868年 - 1868年8月18日の日食英語版フランス天文学者ピエール・ジャンサン太陽光の中からヘリウムスペクトル線を発見。
(9)1877年 - アサフ・ホール火星衛星フォボスを発見。
(10)1888年 - フランクフルト中央駅が開業。
(11)1888年 - 福岡の三池炭鉱三井財閥に払い下げられる。
(12)1896年 - ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世ドイツ民法典に署名。
(13)1902年 - オーストリアのサッカークラブ「グラーツァーAK」発足。
(14)1909年 - 東京市ワシントンD.C.ソメイヨシノ2000本を贈ることを決定。後にポトマック川畔に植えられる。
(15)1911年 - イギリスで議会法が制定され、下院の優越が法制化される。
(16)1915年 - 第1回全国中等学校優勝野球大会(のちの全国高等学校野球選手権大会)が開幕。
(17)1917年 - ギリシャテッサロニキ1917年テッサロニキ大火英語版が発生。
(18)1920年 - アメリカ合衆国憲法修正第19条の批准が成立。アメリカで女性参政権が認められる。
(19)1928年 - 三井財閥の大番頭・中上川彦次郎の娘・あきがにテノール歌手・藤原義江を追って2児を残してミラノへ出発。「世紀の恋」と話題になる。
(20)1930年 - 細君譲渡事件谷崎潤一郎と妻・千代子が離婚し谷崎の友人・佐藤春夫が千代子と再婚することを3人連名で発表。
(21)1933年 - ナチス・ドイツ主導で開発された国民ラジオの一号機VE301Wが初公開。
(22)1944年 - 第二次世界大戦パリの解放: ゼネストパリの労働者全体に広がる。
(23)1945年 - 皇帝溥儀が退位し満洲国が消滅。
(24)1945年 - 第二次世界大戦ソ連対日参戦: 占守島の戦い占守島赤軍が侵攻し日本軍と戦闘。
(25)1945年 - 内務省が地方長官に占領軍向けの性的慰安施設の設置を指令。
(26)1963年 - 公民権運動: アフリカ系アメリカ人として初めてミシシッピ大学に入学したジェームズ・メレディスが同校を卒業する。
(27)1968年 - 飛騨川バス転落事故岐阜県白川町集中豪雨が起こり、土砂崩れにより観光バス2台が飛騨川に転落し104人死亡。
(28)1969年 - 第51回全国高等学校野球選手権大会決勝。前日、延長18回で引分けとなり、史上初の決勝戦引分け再試合を実施。
(29)1971年 - ベトナム戦争: オーストラリアニュージーランドがベトナムからの撤兵を宣言。
(30)1972年 - ソ連ルナ計画最後の探査機「ルナ24号」が面に着陸。岩石を採取し22日に地球に帰還。
(31)1976年 - ポプラ事件板門店非武装地帯でアメリカ兵に対し朝鮮人民軍が攻撃し、アメリカ兵2人が死亡。
(32)1977年 - 南アフリカ共和国の黒人運動家スティーヴ・ビコが政府により拘禁。拷問により同年9月12日に死亡。
(33)1982年 - 日本の参議院選挙比例代表制導入を柱とした公職選挙法改正案が可決。
(34)1989年 - コロンビアで大統領選挙中にルイス・カルロス・ガラン・サルミエント候補が暗殺。
(35)1992年 - アメリカのコンピュータメーカーワング・ラボラトリーズが倒産。
(36)2008年 - パキスタン大統領パルヴェーズ・ムシャラフが辞任を表明。
(37)2008年 - 大相撲力士大麻問題: ロシア人力士若ノ鵬寿則大麻所持で逮捕。その後2名のロシア人力士の大麻所持が発覚。
(38)2010年 - 佐柳島沖海保ヘリ墜落事故香川県多度津町佐柳島沖に、第六管区海上保安本部所属のヘリコプター「あきづる」が墜落。 (585.73KB)

                     編集者のダイアリー・コーナー
(注)本コラムの編集基準は「1ヶ月を上・中・下の3旬に分割」します。3旬に分割しているのは、ワ7ン・サイトの添付画像容量の制限(1000KB=1MB)があるためですが、編集者の欲張り過ぎか、当該記事に対する編集者の納得できる意図の添付画像かは別にして、折角の添付画像を本欄では「一部削除」を余儀なくしています★しかし、「過去の日本語版トップサイト一覧表」では日々の本欄の全てが掲載されていますので、本欄の記録実績は確実に収録されているという編集者の安心感をもって、思い切ってその都度、削除することに徹しています。ヨシダはともすれば、「完全主義者的な性格」が否定できないなと反省する始末です(笑)★ちなみに、自身が執筆(ブログ)したことを「記録に残す(遺す)」ことに、ある種の人生達成感を意識することから、この問題に関しては、そうした対応をしているものです。ご理解のほど念じる次第です。(2017年7月10日記)
お知らせ:編集容量の調整で添付画像を片っ端から削除することを余儀なくします。その「添付画像=○枚」を付していますが、すべては過去の日本語版トップサイト一覧表に収録していますので、ご関心あらばクリックしてご覧ください。なお、本欄の当該月日にもリンクをはって即座にご覧いただける仕組みを考えて即実践しています。これで、心置きなく「添付画像の削除」ができるようになりました(笑)。
                 2017年8月18日(金)
本日「8月18日のできごと 」でヨシダが特に関心を抱くのは、「(14)1909年 - 東京市ワシントンD.C.ソメイヨシノ2000本を贈ることを決定。後にポトマック川畔に植えられる。」です。ほかでもありません、1993年の「一ヶ月間米国トラック業界取材旅行」を行った時に、最初の一週間をポトマック川の向かい側に位置するヴァージニア州の全米トラック協会本部とその関係者との人脈を頼っての行動開始であったために、同地区にある著名な施設にはほとんど足を運んだものでした★無論、くだんの桜並木にも腰を下ろしてシーズン時の盛観ぶりを想像したりしたものです。(添付画像=11枚)(14:00)
     「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果 「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果      関連画像      関連画像「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果
  「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果   「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果    「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果  「National Cherry Blossom Festival」の画像検索結果   「National Cherry Blossom Festival japanese dansers」の画像検索結果「National Cherry Blossom Festival japanese dansers」の画像検索結果
★★


                末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)
 
             自然に到達した「自利から利他」の実践とその心
  ちょと長文のコラムで恐縮ですが、85年間余のわが人生なかんず、自称「人生第1、第2、第3毛作」の64年余に及んだ経営者人生を振り返って強く感じることがあります。その各時点での経営者として格別に意識して、といったものでは決してありませんが、自然の成り行きと言うか、ヨシダの人生観や性格等でごく自然にそうのように生きてきた、対処してきたという、言わば「ヨシダ流人生処世術」に通じてきたことを意識します。本欄ではそういったわが経営者人生を振り返って強く意識し、これでヨシ!って気分になることからプライバシー的ではありますが、想うがままにブログする次第です。
   去る今年7月28日で満85歳9ヶ月になった私ですが、わが人生の生き方を振り返って強く意識する言葉に「自利から利他へ」といった趣旨の考え方とその実践について学ぶのです。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境等々をオーバーラップするなかで、ヨシダの心の中に無意識に自然と発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。その主は、下記の人物からも見られることを後年気付きました。「TKC全国会」と言えば、名称が示すように中小企業の「ビジネスドクター」の税理士集団です。ヨシダが人生第二・第三毛作の通算、48余年間に世話になった税理士先生との関係で縁深くしたことから知り得たものです。以下はそのわが経営者人生の生き方の実際だったと自負しつつ記録する次第です。

       「TKC全国会の基本理念 「自利トハ利他ヲイフ」 創業者:飯塚毅博士   
                「飯塚毅」の画像検索結果
 大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。
 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、その創業者・飯塚毅博士に由来します。この会社との接点は自称人生第一、第二、第三毛作の称する「通算64年間続けた経営者人生」で縁を深くした税理士先生が所属されていたのが「TKC全国会」であったことによります。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた利他の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から利他」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。
 クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。
 以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端をプライバシー的を意識しながら披瀝します。

★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で利他どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。ところが、不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で利他ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)」でした。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、「ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その力を発揮することで神の偉大さを世に示す」というシナリオです。その意味では、両親に心配をかけた親不孝者ですが、自身に向けては障害克服という名の「自利」であり、かつまた、それを「利他」に資するというシナリオです。

★人生第一毛作が招来した「利他」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて大学進学を断念して「職人自営業」に入りました。その義兄は終戦直後のお金で8千円を技術習得授業料としてお師匠さんに支払ってくれました。
 早くにして広い視野を抱き、得意の英語を駆使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした。
 当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「利利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて無償の指導したことす。
 最大の「利他」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡したことです。ここでも「利他」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、利他のほうがはるかに 大だったと自負します。

★人生第二毛作の終盤で「利他人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「利他」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことですが、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より利他」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、事業継承者に白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。
 笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダのニンマリ回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、家内の養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両養父母が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」(義母名義)に していたのです。全てをGIVEして「利他」に徹したものでした(笑)。
 このお家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書3期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 前後しますが、実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。

★個人資産売却でその全てを「利他」に 
 第一次オイルショック直後のこと。当時、ヨシダ個人名義で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的なその資金の使い方は特記に値します。「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根、というより、無欲のヨシダのしたことの結果が後年のわが人生大転換を招来しました。「倍額増資」を第三者割り当て(ヨシダ個人名義)ですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は ヨシダ自身の配慮で「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント(笑)。
 その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが姉の家内を唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして弟は放逐され、現在はヨシダの実子たちが同社グループ経営を継承して現在に至ります。
 肝心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかったのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、煩い!とばかりに無視しました。ヨシダ生涯の恥の人生体験です(笑)。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが現在にして到達した「利他の原点」です。

★人生第三毛作終盤で実践した「利他」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の全てを自由にさせました。離日に際しても、ビタ一文も手にすることなく、でした。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の「終の棲家」と定めて現在に至るもの。「同棲」で住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)家主の彼女に言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな・・・」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいというのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、ふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(利他)をやってのけたものでした(笑)。

★人生第四毛作序盤で実践中の「利他
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「利他」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに強い被害者意識は持ちませんでした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「利他」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。
 障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと彼の姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「利他」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。
 具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より利他」に通じます。
 ちなみに、くだんの家長・アーネルは現在、サンタローサ市長の特別秘書にスカウトされて現在に至ります。アーネル曰く、「日頃のダディーのさりげない経営者哲学談義」から得た教訓のためです、と。

★「利他人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「利他」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した利他の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。遠くない将来、すでに購入している高級団地に土地建物ともアーネル名義の待望の持家を建設します。数年後には現在よりもずっと高級の土地&住宅(持ち家)を実現します。
 不思議なものでして、「自利より利他」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが「感謝、かんしゃ、カンシャ!」となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 ・・・と、長文に至った人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。
 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者ヨシダの心境を臆せず記述しました。(2017年8月1日再記)
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★なお、末尾にあしらた米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から他利の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。マンが主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、数年来実践中の自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、こったらどうの漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。    
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2017年8月18日(金)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                         
吉田祐起
                        
 (満85歳9ヶ月)
              (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
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