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YUUKI YOSHIDA;A-bomb Survivor Testimony Speaker-Writer & Healthy-Sound Life Adviser

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               Profile in Japanese(プロフィール)           
This is my profile describing in Japanese from my birth up untill this age of 79. For those who can not read Japanese, please click   "Profile in English". Thank you.    (December 24, 2010)   

(お詫び)
本欄はこのウェブサイトを立ち上げた初期段階(2001年3月)で作成したものでして、爾来、時の経つに従って様々の変化が生じたことから、その都度、末尾に書き増してきた経緯があります。いわば、「継ぎ接ぎだらけ」の内容になってしまった感じが否定できません。いつか時期をみて、リニューアルをすることを考えていますが、ご容赦ください。 
(2010年12月28日記)


(2011年12月26日撮影:満80歳2ヶ月)
私のプロフィールである「自分史」『いきいき ハツラツ わが人生は三毛作〜四毛作への助走も始まった!〜』は単行本体裁にして、すでに264ページに至り、「つづく(to be continued)」でひと先ず終えています。その後も書くネタは山ほどあることを楽しみにしています。 このウェブサイトそのものが「自分史」を目指したものですので、「ごあいさつ」と幾分重複する面がありますがご寛容いただくとして、そのアウトライン的な私のプロフィール資料として以下に記します。
 
なお、その「自分史」ですが、最近に至り、ある動機を得て、 「A-bomb and Me(原爆と私)」
と改題して、英語版を作成中です。2010年12月現在、235ページまで翻訳を推進中でして、100項目以上ある目次項目に当該本文(英語)を張り付けています。クリックしていただくと、その模様がご覧いただけます。
なお、英文原稿は素稿の段階でして、これからが本番です。私の人生を「人生第一毛作、第二毛作、第三毛作」と60年間の経営者人生として演出し、かつ描いてきている自分史ですが、去る2009年2月日に縁あって、此処フィリピンに永住のために移り、「人生第四毛作」を演出中です。冒頭に述べたように、継ぎ接ぎだらけになりますが、しばらくの間はそのようにさせていただきますので、あしからずご容赦お願いします。
(2010年12月28日記)


 ◆私の生い立ち◆
 昭和 6年10月 広島市中区大手町で3姉、3兄弟の長男として生まれました。生後10カ月でポリオに罹患、小学校入学直前まで自力で歩けない状態でした。昭和21年8月、学徒動員で勤務先の広島電鉄本社事務所で原爆に遭遇し、倒壊した建物の下敷きになりました。一旦は死を覚悟して、両手を合わせて念仏を唱えもしました。でも倒壊して折り重なった木材の隙間に明かりを見つけ、無我夢中でよじ登って脱出し、九死に一生を得ました。

被爆翌年に義兄の経営する製材会社で手助け勤務中の父が、労災事故がもとで死去するという逆境に遭遇しました。幼くして大病、被爆、実父と死別という3つの人生ハードルに直面したものです。高校時代より英語学習に興味を深め、特に正確な発音で話す実用英語の習得に情熱を傾けました。その功あって、戦後初めて開催された「広島県高校英語弁論大会」で優勝したものです。ちなみに、その時の演題は「How I've fought my way out.(かく逆境を克服した)」でした。後年、その語学力が第一人生に役立つことになりました。爾来、英語力は私の今日に至る人生全体を通じて、実に大きな力とチャンスを与えることになりました。

◆人生第一毛作は技術屋自営業◆
 長男の立場にあって一家の生計を担う宿命を意識し、社会人の道を歩む決意をしました。具体的には、その義兄の経営する製材工場で有能な「帯鋸目立技師」が不在であったことから、その技術習得で生活力把握を目指すことになりました。大学進学も断念し、定時制高校(広島市立工業高等学校/旧制中・新制高)で学びながら職人技術者としての人生を歩み始めました。持ち前の器用さを発揮し、異例の速さで技術をマスターしたと評されたものでした。

 昭和29年頃より、得意の英語力を駆使し、当事のアメリカCIA図書館で偶然見つけた米国業界関連書籍「TheLumber」から得た情報を頼りに、関連機器メーカーであるArmstrong Manufacturing Co. http://www.armstrongblue.com/Default.htm(米国オレゴン州ポートランド市)を始め、多くの同業技術者との文通交流などを通じて、当時日本には無かった2つの新技術「帯鋸アセチレンガス溶接(Band Saw Gas Welding)と同熱処理腰入れ技術(Heat-Tensioning)」の導入に成功しました。日本の業界で大きなセンセーションを巻き起こしたものでした。

 同技術力は当分の間、非公開にして稼ぎました。それが縁で、自営業化し、二十歳代で2人の弟子を雇用したものです。おりしも独自に発明開発(実用新案 3件取得)した装置器具の商品化を機に、大阪の商社と提携、同商品販売と米国から導入した新技術の公開指導などを目的に、全国各地を講演講習講師として飛び回りました。チョークで黒板に書きながらのレクチャーの一方で、ガス溶接機のバーナーと独自に開発した器具を使っての講習会講師を演じたものです。これら2つの新技術公開指導と3つの発明商品販売は、当事の日本の製材業界で画期的な技術革新でした。今で言う「リエンジニアリング」の実際と、それへの設備投資効果の実際を、身をもって演じたものでした。語るに価値あるわが青春時代のエピソードです。

 この時期、「日刊木材新聞」http://www.n-mokuzai.com/への定期的寄稿を開始し、一方、米国誌
TheLumberman 」に技術論文を連載寄稿したものです。そりわけ、前者の連載寄稿では終了の暁には単行本出版を企画した経緯がありながら、昭和35年に発生した人生転換で実現しないままになりました。「The Lumberman」誌では毎月1ページのスペース提供を受けたものですが、それも途中で止めました。当事360円の為替で20ドルの原稿料を手にした時はニンマリってところでした。そのLumberman誌に掲載された2ページの私の写真記事が、同誌を購読しておられた当時の北海道大学教授の関心を呼び、わざわざ広島に取材に来られました。また、同教授の連絡を受けて広島県林産試験場の課長さんも視察に来られたのです。私の写真記事が米誌に載ったことが縁となった「情報逆輸入」のエピソードの一端です。

 当時のある県議会議員先生が「吉田君はぜひとも米国へ留学して優秀な技術を日本に導入して欲しい」といったことから、本気でその実現を模索してかけてくださった経緯もあるのです。後述するハプニングで、そうした第一人生にピリオドを打つことになりました。15年間続いた「わが人生第一毛作」のひとコマです。

 ところで、人生第一毛作の「実績」として特筆(?)に値すると自負するものがあります。それは、「英語の家庭教師体験」です。家庭の都合で大学進学を断念した私でしたが、戦後間もない時は、かの「英語学習熱」の盛んな時代でした。英語のボキャブラリーは学卒者にはかなわないかもしれないが、「発音やイントネーション」はゼッタイに負けんぞ〜!と頑張りました。おかげで、当時から、ひと言ふた言英語を口にすると、Are you Nisei? とか、Where did you learn that English!?と言われたものです。そうしたことが口コミ評判になって、自宅や家庭訪問による英語教師を続けたものです。その生徒はかれこれ、30人くらいは居たと記憶します。英語会話への関心がYMCAのESS(English Speaking Society)への参加意欲を加速しました。事実、そうした場所での同じ志を持つ女学生さんたちとの出逢いが生じ、結婚へとすすむことになりました。

◆人生第二毛作はトラック運送事業経営◆

 昭和35年10月、後継者不在に悩むある運送業者の遺族に請われてその経営を引き継ぐことになりました。正直な話、その直前に結婚した(当事の)妻の実家の家業でした。「当事の」が意味深長ですが、後述します。第一人生では特許料や独自の技術力でビックリするほど稼いでいた私でしたが、後継者不在で身売り直前の個人事業の経営を引き受けざるを得ない立場になりました。そこで、第一人生で築いた当事の商権も含め、設備機器一式を弟子に譲り、あっさりとトラック運送事業経営者として転身しました。忘れもしませんが、当時の代表者としての私の報酬は前職時代の報酬から見ると半額相当。断じて「玉の輿」ではありませんでした。「逆玉」ってところでした。

 かくして始まったわが本格的な経営者としての第二人生でしたが、前職時代に体験した全国の製材会社経営者との接点を多く持った体験から、経営センスは結構持ち合わせていたものでした。戸惑いは感じませんでした。通算32年間に及んだこの経営者第二人生でしたが、当時車両数 8両の零細個人事業を、多角経営、分社化、M&A(企業合併・買収)等でグループ総勢 7社、百数十人、年商20億円の「総合物流商社」に育て上げました。M&A体験は結構豊富です。しかし、ここでは省略します。その間、中小企業では稀とされる労働組合の洗礼を受けましたが、「ディスクロージャ(会社内容の開示)」を断行し、極めて近代的かつ、健全な労使関係を構築したものです。もっとも、このことが後年に至ってお家騒動の発端になりました。企業の私物化が出来なくなった、というのがその原因。

 このトラック運送事業経営人生では、特に社員教育、安全教育、労務・人事管理問題等には一家言を持ち、「交通・労災死亡事故ゼロ」を達成しました。昭和47年、所轄税務署長より第 1回「優良申告法人表敬」を受けたのを皮切りに、通算4期(20年間)に及ぶ「優良申告法人資格」を維持したことは経営者の社会的勲章の一つと自負します。

 数多くの公職を務め、関連表彰や感謝状等の受賞は公私両面にわたる社会的評価を裏付けると自負します。平成4年の運輸大臣(現・国土交通省)表彰受賞の翌年は平成 5年 9月、ある転機を得て、と言ったらカッコいいですが、先に触れたお家騒動がもとで、全てを捨てて単身で現在の会社を設立して飛び出ました。具体的には、グループ企業の最大筆頭株主の立場にありながら、その全持ち株の売却を含め旧・創業者一族関係者(当事の妻を含め)にその経営のすべてを譲渡して決別したのです。この辺りの出来事はひとつの大きなドキュメンタリー・ストーリー足り得ます。

◆人生第三毛作は総合物流・経営コンサルタント人生◆

 永年にわたるトラック運送業界への恩返しの気持ちで、平成5年10月、「総合物流・経営コンサルタント」への転身を目指して、株式会社ロジタントを設立しました。「新会社設立趣意書」(4百字詰原稿30枚)なるものを書いて設立に備えたものです。その処女作的作業として取り組んだのは、現役時代から関心を持ち業界紙に論文を発表したことのある「個人トラック制度(Owner-Operator System)」を中心とするトラック運送業界の規制緩和提言活動でした。このウェブサイトの「著書・執筆実績」をクリックしていただくと、業界紙(誌)などに掲載された100件以上の拙著関連原稿が覗かれます。

(トラック運送業界における規制緩和提言活動)

 足かけ10年間に及ぶ「最低保有台数規制の撤廃(別名:個人トラック制度の認可)」に関する提言活動ですが、旧来の人口に伴う「5両、7両、10両以上」という保有台数規制が、すったもんだの結果、「全国一律5両以上」に規制緩和されています。さらに、それを欧米物流先進諸国と同様に1台でも営業できるような制度への規制緩和提言を性懲りも無く継続しています。ちなみに、この「最低保有台数規制の撤廃」を提言した団体・研究機関は下記の如く広範囲に及び、これらの提言は現在にして活きたものであると考えます。

                                  記
★行政改革推進本部・作業部会( 6年 5月)
★公正取引委員会「政府規制等と競争政策研究会」( 6年 8月)
★経済企画庁「楽市楽座研究会」( 6年10月)
★経済同友会( 6年11月)
★行革委規制緩和小委員会( 7年 7月〜12月)
★財団法人大阪工業会( 8年 5月)
★経済審議会( 8年12月)
★政府「景気対策要綱(素案)」( 9年10月)
★経済審議会経済主体役割部会/経済構造改革W.G.( 9年11月)

 一時期、この規制緩和には業界が大反対に転じたものですが、個人トラック制度への待望論は業界内部に有形無形の形で燃焼し続けています。その背景には長期化するデフレ経済による運賃下落と収益性低下があります。すなわち、限られた運送収入であるがゆえの「運賃収益労使シェアリング思想」が窺われるのです。全国のトラック運送業界が国交省関係者などを巻き込んで、すったもんだの論議の上、「全国一律5両以上」という「妥協の産物(と、私は酷評します)」で決着して現在に至ります。

 5両規制を廃止し、欧米物流先進諸国並みの「1人1台制(個人トラック制:Owner-Operator System)」を導入すべきだ、と声高に主張し続けています。執念を持ち続けてその実現に努力します。この規制緩和提言活動は業界紙・誌への大量の寄稿論文で行なってきました。著書・執筆実績」にはそれら大量のマスメディア論文を掲載していますので、ぜひとも覗いてみてください。単行本にしたら、かれこれ10冊相当に及びます。

(クライアント顧問契約業務)

 本業の経営コンサルティング業務では、新会社設立直後から現在に至る永年のクライアントで、地元東広島市に本社を持つ運送会社があります。それに、足掛け10年目に入る東京に本社を持つ運送会社があります。社員ドライバー教育を主眼としたものです。 前者の場合は、同社の社名を冠した「九鬼トラック大学」と銘打って、文字通り、大学教授・大学生並みの内容(と気取った?)「レクチャー」をしています。「ドライバー大学」でなく、「トラック大学」と称するのは理由があります。単なるドライバー技術でなく、この業界そのものを取り巻く政治・経済環境等あらゆる関連情報を学ぶことに意義があると考えてのことです。後述する「人間教育」こそが大事と考えてのかかる名称です。

 運送業界に見られる交通事故の多くが「追突」という不名誉な結果が統計に出ていますが、同社では私が介在して以来今日に至る15年間に、一度も追突事故を起こしていません。20数名の規模企業ですが、毎月の定例安全会議は「全員一人洩れなく」を完全実施しています。そのために、毎月3回で完全実施しています。誇るべき実績と自負しています。後者の場合は、全国に20数箇所の営業所を網羅されていることから、それらを巡回しながらドライバー研修に臨んでいます。新年度からは従来のドライバー対象から一般事務職員や管理職も含めたものになってます。同社は創業83年の老舗企業ですが、新年度から私に与えられたテーマは「人間形成と心構え」です。此処にも私の教育理念が認められ、活かされていることを喜んでいます。

 ドライバー教育には独特無比の手法を自負しています。その根幹は、かの20世紀最大の経済学者が書いたとされる一節に至ります。曰く、"It is much more important how to be rather than how to do."(如何になすべきかということより、如何にあるべきかということの方がもっと大事だ)がそれです。すなわち、how to do(運転上手)よりhow to be a good driver(善き運転者)と結びつけた人間性向上・教育理念です。「モノづくりは ヒトづくり」に通じる理念です。

(健康・生きがいづくりアドバイザー活動)

 平成7年に資格取得した、厚生省所管の「健康・生きがいづくりアドバイザー」として高齢社会における中高年者の生き方提言活動などがありますが、本業関連で多忙を極めていることから、積極的な同関連活動はしていません。しかし、クライアント企業労使への対応の中に、その精神は大いに活かしております。特に、昨今のデフレで年齢を問わず現役サラリーマン諸氏がリストラや失業や過重労働で悩み、将来への不安を抱いておられる時代にあって、定年後人生を豊かに過ごすことの出来る(べき)人たちへの「健康・生きがいづくり」の助言・提言活動は様々な機会に発揮できると考えて行動しています。

 2007年問題に直面していることもあり、有形無形の活動を心掛けています。 例えばですが、現役サラリーマン中高年者を対象にした講演活動もしています。広島労働局主催・株式会社東京リーガルマインド広島支社執行による「就職促進セミナー」の講師活動です。主として大企業をリストラ、自主退職された中高年者で中小企業への再就職を希望される方々が対象受講者です。広島市民大学講座でも昼夜2回の講義を担当するなど、自然の成り行きで活動の場が与えられつつあることを喜んでいます。地元東広島市でも「起業塾」講座を担当しました。公民館などにおける講演のジャンルの一つでもあります。

(各種講演活動) 

 業界関連講演は色々です。2006年末には、全国トラック交通共済協同組合連合会における「事故防止担当者研修会」でのものがあります。前出の健康・生きがいづくりアドバイザー関連もそれですが、今年6月には新潟県あらい身障ドライバー協会総会での講演も体験するなど、多種多様です。

 特に光栄なことと受け止めていることに、平成16年度から社団法人広島県安全運転管理協議会「法定講習」の専任講師活動も展開したことです。県下1万2千人の安全運転管理者を対象に、延べ70回の法定講習を約20数名の大学教授・助教授の講師陣で行われている権威ある法定講習ですが、その専任講師陣に例外的に仲間入りして5年目を全うし、平成21年度も引き続いて担当することが確定していましたが、後述する「人生四毛作」の計画実施のために、継続を断念することを余儀なくされています。ちなみに、同法定講習における私の演題は「安全運転管理者の使命と役割〜"経営安全運転"を目指す社長の分身たれ〜です。すでに私のレクチャーを受講した安全管理者(オーナー経営者・中間管理職)は2千人(社)を突破し、応分の評価を得ていることを喜んでいます。

(執筆活動)

 文章を書くことが若い頃から満更嫌いではなかった私です。人生第一毛作の技術職人自営業時代に「日刊木材新聞」という専門誌に連載寄稿し、終了後には単行本出版を目指したものの、人生大転換でジエンド実現しなかったことなどは前述しました。 第二人生の運送会社経営時代には、労働組合に対する長文の回答書や逆提言書を書いたり、その末期では「個人トラック制度は是か非か!?」といった連載論文も業界紙に掲載しました。その私が現在の経営コンサルタントに転じてからは、その執筆機会はとてつもなく広がりました。現在にしてその勢いは落としていません。こうしたウェブサイトのコンテンツを書く(つくる)ことも文章づくりです。

 そうした、執筆活動の中で、人生三毛作の集大成と位置付けていた単行本の出版を平成16年4月に実現しました。『トラックドライバー帝王学のすすめ〜"ザ・プロフェショナルズ"への教科書〜』(文芸社刊 全364頁)がそれです。同書を講師のステイタスの一つに加えて、今後とも積極的なトラック運送業界企業労使へのレクチャー活動、それに来るべき「個人トラック制度(オーナー・オペレーター・システム)」時代を前にした一層の講演・執筆活動を展開していきたいと願っています。なお、私にとって生れて初めての本格的な単行本出版になりましたが、本書を指して私の友人経営者がいみじくも言ってくれました。「吉田さん、本書であなたが貫いている理念や思想や哲学は、かのケインズが書いている一節に符合しますね…」と。その一節が前出の"It is much more important how to be rather than how to do."(如何になすべきかということより、如何にあるべきかということの方がもっと大事だ)がそれです。この思想は生涯を通じて私の人間教育理念の根幹足り得るものと思っています。

◆人生第毛作! は何だろう!?
(「非計画的」人生を歩んできた満76歳の私が抱く、「計画的人生(?)」の一端)

 今年10月で私は満78歳になります。その私が「人生第四毛作は?…」といえば、ウッソ〜!! という声が聞こえてきそうです。かくいう私は幼少の頃より現在に至るまで、実に「非計画的人生」を歩んで(歩まされて)きました。その私が名実ともに引退年齢を過ぎた時点で「人生四毛作へチャレンジする!」と言えば変な話です。実は、前述している新潟県あらい身障ドライバー協会の総会記念講演の演題がそれなんです。曰く、「『非計画的』人生を歩んできた満75歳の私が抱く『計画的人生』の一端」がそれです。
 
 今から10年くらい前に、かの日本人より関西弁の上手なイーデス・ハンソン女史の講演を聴いたことがあります。「つぶしのきく人間になろう!」がテーマでした。当時、満50歳だった彼女曰く、「50歳は人生の折り返し点。人生には二毛作、三毛作、四毛作、五毛作があってイイ…」と。彼女の弁に共感を得たのは、私自身が五毛作とまで欲張らなくとも、人生四毛作までは演じたいもの、とかねて考えていたからです。

 わが人生四毛作が具体的にどんなものになるかについては、本サイトのいたるところに書いています。その一端はこのウェブサイト"My Profile & Activities(English)"「My Dream !」 にそっと述べています。「英語によるヒバクシャ原爆語り部役」を務めることがその一つではあります。今年8月6日、広島は被爆64周年を迎えます。原爆投下を巡る論議がいろいろある中で、私の被爆語り部役のスタートを当初2010年、被爆65周年という一つの区切りにセットしていましたが、ある動機を得て、1年繰り上げ、2009年8月の64周年記念にターゲットを設定して着々と準備を進めています。具体的には、独自の「視点」から今までの被爆者証言には見られなかった内容のものを企画しています。
 
 米国など海外における英語による講演行脚が私の人生第四毛作ですが、折しも、その「助走?」みたいな体験をしました。2005年4月に米国ラスヴェガスで大勢の大学教授や大学院生や経営者を前にした「受賞晩餐会」で受賞し、受賞者スピーチを堂々と英語でやってのけました。SAM : Society for Advancement of Managementの"SAM 2005 International Business Conference"でSAM Material Handling Award(流通賞)を受賞したのです。340人を前に9分間スピーチをして、満場総立ち・口笛ヒューヒューの大喝采(Standing ovation with whistling)を受けました。(英語日本語訳)を覗いてみてください。シーン&説明文も覗いてみてください。

 蛇足ですが、2005年の米国行き(1993年の2度目の渡米以来)に際してパスポート取得の際のエピソードがあります。有効期間を何年に?という受付の問いに、思わず、すかさず「10年間で!」と。満80歳前の高齢まで海外活動を格別に身構えて意識したわけではないのですが、その厚かましさに我ながら苦笑いしている始末です。(笑い)

 わが人生における初めての「計画的人生」とも言えるのがこの「人生第四毛作」ですが、何となくその時を「2010年(被爆65周年)」という、ひとつの大きな区切りの年に位置付けていました。その理由は…、神さまの思し召し次第…と、何となく漠然でした。周到な英語の講演テキストを用意してスピーチに臨んだら、結構、ネイティヴ並みの歯切れの良いプレゼンテーションができることを自負しています。

(私の健康管理)

 ところで、赤ん坊の時にポリオに罹って、両足が不自由な私ですが、満60歳の時に長年体重を支えてくれてきたステッキで無理が生じて、肩に激痛が生じ始めました。両足に「補装具」を着けることをかねてより助言を受けながら、あえて弱くても自前の両足に歩くことに固執してきたのですが、耐えられなくなって、決断しました。そのために、それまでは全く取得することすら考えていなかった「身障者手帳(二級・第一種)」の交付を受けました。その補装具のおかげで歩いたり立って講演したりすることが驚くほど楽になったことを無上の喜びにしています。しかし、歩くことが少ない私にとって、「ウォーキングによる健康管理」は縁遠いことから、満40歳のおりにある動機を得て、「自己流体操」の習慣を身につけて今日に及びます。

「私の健康管理〜小さな動機、大きな成果へのドキュメント」というエッセイを書いたことがあります。その私が現在では、2時間近い毎朝の体操の後、「朝風呂」で暖かいバスタブに身を沈めて朗々と、ネイティヴ並みに暗唱している英語があるのです。正味8分間に及ぶ下記5つの朗誦です。
“Lord’s Prayer”(主の祈り)に始まり、 “The Lions Code of Ethics”(ライオンズクラブ道徳綱領)  “Lincoln’s Gettysburg’s  Address”(リンカーンのゲティスバーグ演説)“Youth”(青春)“My Way”(マイウエイ)     

(人生第四毛作への助走が本格的に始まった!)

 昨年10月28日に喜寿を迎えた私が、どうやら本格的に「計画的」な人生選択肢を描こうと決意しました。くだんの「原爆語り部役」を英語で、しかも、今までのヒバクシャの方々の視点とはいささか異なる感じで語ることことから、雑音を排除する意味もあり、この際、居住の本拠を海外に移すことにしました。英語圏の海外にわが身を置いて、周到な英語のスピーチ・テキストを何種類も用意します。テキストを用意して臨めば、ネイティヴ顔負けのプレゼンが出来ると自信を深めています。被爆64周年という一つの大きな節目に相応しい、声なき多く声を抱かれ続けてこられている(と、確信する)ヒバクシャ同士の方々のコンセンサスも頂戴できる内容の発言を臆せずにプレゼンしていく覚悟です。

 この項の直前に書いている「私の健康管理」にも、ひと際微妙な変化を与え、自分でも不思議なくらいの体調の良さを体感しています。「神様、あなたはこの私に何を成されようとされているか存じませんが、精一杯の自助努力をもって、その時への準備を全うしていきます。「すべては御心のままにこの私をお使いください…」といった祈りの日々を送っています。そうした思いを直近の拙著エッセイに託しています。その一つは、私が永年広島支部長を務めたSAM:Society for Advancement of Management という経営者組織が毎年2回発行する機関誌「SAM NEWS」のWinter, 2008と、業界新聞「物流Weekly」が2009年正月元旦号に掲載した拙著寄稿文がありますので、クリックしてみてくだされば本望です。なお、後者は文中に出てくるフィリピン関係者の方々のために、当該個所の英文訳を右横にあしらっています。この二編をお読みいただくと、私の「人生四毛作」の片鱗が窺われるものと考えます。

    「『非計画的人生』を歩んだ私が喜寿を迎えて抱く『計画的人生』」 (SAM NEWS Winter, 2008)
   
 「被爆証言者に転身 米国で講演行脚の実行へ」 (物流Weekly, 2009年1月元旦号)
                                    (2009年1月15日 一部修正加筆)
                      
 (To be continued)

                              2009年5月11日

             〜生かされ 活かされていることを 感謝しつつ〜
               "Grateful to be alive and active!"

                             吉田祐起
                  原爆生存証言者・健康生きがいづくりアドバイザー    
                           yoshida.yuuki@a-bombsurvivor.com

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