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YUUKI YOSHIDA;A-bomb Survivor Testimony Speaker-Writer & Healthy-Sound Life Adviser

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                         E-mail Magazine Records(フィリピン発信のメルマガ記録)

It was shortly before I left Japan that I began to send mail magazines to some of my friends in Japan. Those are the ones I selected from some three thousands cards I was given ever since I established the former firm of Logitant, Inc.. The firm was established in 1993 and closed in the end of January, 2009, when I moved to this country. Some day, there might come for me to try to send the ones in English to my foreign friends. My present purpose for the mail magazine is to introduce the Philippines and its people to the Japanese friends.
フィリピンからのメルマガ発信をスタートしています。毎週月曜日に定期的リニューアルをする「テロップメッセージ記録」の場合と同様に、原稿用紙みたいな役割も果たすことを思いつきました。「フィリピン情報」には詳細に書くことにしていますが、メルマガではコンパクトなものを心がけていますので、このメルマガをみてご関心を持たれる方は、どうかそちらへのご訪問もお願いします。
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                                                         2009年10月18日

                                 吉田祐起(Yuuki Yoshida)
                         原爆生存証言者&健康・生きがいづくりアドバイザー
           (A-bomb Survivor Testimony Speaker-Writer & Healthy-Sound Life Adviser)
                              yoshida.yuuki@a-bombsurvivor.com                                                                                       
                                                  
  
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本サイトは「フィリピン発メルマガ」の「記録&原稿用紙」の役割を果たしてきましたが、画面の拡大に伴い、クリックしていただくと内容がご覧いただけるようにしました。(2009/10/28)  

                                         2012年4月6日(第67信;ご報告<老後の心配がなくなりました>)                            

                                                                 2012年3月6日(第66信;結婚のお知らせ)

                                                    2012年2月6日(第65信;石の上にも3年<在比>)

                2012年1月21日(第64信臨時号;30時間のインタネット&Eメール断絶のお詫び)

                               2012年1月11日(第63信・臨時号;文字化け対策について)

                                                  2012年1月6日(第62信;在比年末年始)

                                                  2012年1月1日(第61信臨時号;年賀状)

                                           2011年12月24日(第60信臨時号;年末のご挨拶)  

                                       2011年12月6日(第59信;単身自立生活の効用) 

                                                2011年11月6日(第58信;続・80歳を迎えて描く「最初で最後の計画的人生」

                 2011年10月6日(第57信;わが人生で最初で最後の計画的人生)

                                                                  2011年7月6日(第54信:「文字化け」対応へのお願い)

2011年5月6日(第52信:異国での私の生き方)

(2011年4月6日(第50信:東日本大震災に想いを寄せつつ)
 
(2011年3月6日(第49信:1か月間の引っ越し作業で感じること) 
2011年2月10日(第48信:特別号:驚くべし!ドイツの・・・
2011年2月6日(第47信:在比2年の思い) 
2011年2月7日(第46信:特別号:リンク消滅のお詫び) 
2011年1月6日(第45信:2011年最初の定期号)
2011年1月2日(第44信:特別号:写真集転送)  
  2011年1月7日(第46信:特別号:リンク消滅のお詫び) 
 2011年1月6日(第45信:2011年最初の定期号)  
2011年1月2日(第44
信:特別号:写真集転送) 
2011年1月1日(第43信:特別号:2011年賀状のご送付) 
2010年12月6日(第42信:セリーヌの神秘的な魅力に魅せられて書きまくりました!) 
2010年11月6日(第41信臨時号:インドネシアの火山爆発)   
2010年11月5日(第40信:フィリピン人の明るい表情の根源を再発見!)  
2010年10月20日(第39信特別号:モンデール元駐日大使自伝「日本は頼れず」間連メルマガの転送) 
              
2010年10月6日(第38信;最近の出来事で想うこと)  
2010年9月18日(第37信・特別号:糖尿病特別情報転送) 
                     2010年9月6日(第36信:酷暑お見舞い)                                             

                                                         2010年7月6日(第33号:英語と自由)
                              2010年6月8日(第32号・特別号) 
                             2010年6月6日(第31号)     

                                   2010年5月30日(第29号・特別号)
                               2010年5月6日(第28信)
                                                2010年4月7日(第27信特別号)       
                                2010年4月 6日(第26信)

                             2010年3月12日(第24信アンケート)

                                     2010年2月6日(第22信)
                 (2009年10月30日英文メルマガ・2010年1月1日年賀状発信のため発信番号2件繰り上げ)
                                                     
2010年1月6日(第18信) 
                                                  2010年1月1日(年賀状発信特別号)   
                         2009年12月14日(第17信・特別号)  
                               2009年12月6日(第16信) 
                               2009年11月16日(第15信特別号)  
                             2009年11月6日(第14信) 

                                 2009年10月30日英文№1 (English edition 英文特別号)                          

                                                  2009年10月24日(第13信特別号)                         
                         2009年 10月6日(第12信)    
                                         2009年 9月29日(第11信特別号)         
                                  2009年9月27日第10信    
                           2009年9月14日第9信(臨時号)
        
                       2009年9月6日第8信 
                               2009年8月6日第7信 
                      

(第13信:10月24日臨時号)
各位
BCC配信で失礼します。「フィリピン発メルマガ第13信(臨時号)」をお届けします。重ねての「特別号」で失礼します。

今月10月28日予定であった「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」の「開示」とそれに対する私の存念の披歴ですが、予定を10日早めて、去る17日にはアップロードしました。その理由はほかでもありません、この編集準備作業の過程で、前回のトップページを「消滅」させてしまったからです。やむなく、当時80パーセントまで準備していた28日用の「原稿」をそのまま掲載し、その直後から手直しを始めました。二晩の徹夜作業に近いハードな作業でしたが、なんとか切り抜けました。

ところが、運悪く、その編集段階でまたまた何かの手違いがもとで「エンコード」(暗号)の選択にエラーが生じたのに気付かず、受信者側のエンコード選択では「文字化け」が生じることに気付きました。大慌てしながらも予告していた28日まで日数があることから、意を決して日本語と英語の両方のトップページを「日本語(ソフト JIS」」に入れ換え作業をやりました。専門家に言わせれば、面倒でも一言一句から書き直しが必要だということで一旦は断念したのですが、「困った時の猿智恵」(笑い)。一旦、ワード文書にコピーして再編集し、それを正しいエンコードの編集画面にコピーして再修正、といった按配の手法を「編み出し」ました(笑い)。

「エンコード」と言えば、ご存知と思いますが、インタネットサイトの上部にある「表示(V)」から入って「エンコード(D)」から右にすすみ「日本語(シフト JIS)」とあるヤツです。その最終エンコードの選択が「Encode(UTF-9)」になっていたのです。日本の皆さんにとって一番無難なのは一番上にある「?自動選択」と中間にある「?日本語(ソフト jis)」の2個所にチャックがあれば英語版もそのまま見れる仕組みです。そんなことって、問題に直面して始めて知ったことです。イヤハヤでした。

さて、問題の「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」と、「65年間の沈黙を破って語る原爆生存者証言ー3つの視点ー」(英語版:約1万字)がありますが、これがホン目ですので掲載しています。この両方とも、ここ数日でニューヨークのある大学生が最終校正したものを送ってくれることになっています。それが届き次第に「入れ換え」ますが、僅かな字句の修正ですので、臨時的に現行のものをポストしています。後者の証言論文は英語で書き始めたものですので、まだ日本語訳は準備していません。でも、肝心の「3つの視点」だけは日本語訳をトップページ中に掲載していますのでお目通しくだされば幸いです。 
当方のURL;
http://www.a-bombsurvivor.com をクリックするといきなり英語版トップページが出てきます。”In Japanese" をクリックしていただくと日本語版http://www.a-bombsurvivor.com/index_japanese.html が出ますので、トライしてみてくださいませんか?当方のウェブサイトを注意深くご覧の方はお気づきと思いますが、「更新日」が数日後を示すことがあります。「時代を先取り」しています(笑い)。「週刊メッセージ」は早々と一週間早くにポストすることもあります。仕事に追われるのでなく、「仕事を先取りしながら追っかける」って感じの積極姿勢です。愛誦する英語の詩「YOUTH(青春)」のお陰?かもしれません。

直近著5,6編の中から下記を添付してご参考に供します。お時間があれば覗いてみてください。
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/hitorigoto/hitorigoto_jpn_51.html
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/scrollingmessa_jpn_2009_10_26.html
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/hitorigoto/hitorigoto_jpn_52.html
次回の「定期号」は10月6日まで、ご機嫌よろしゅう!
 

(第12信:10月6日臨時号)
各位
BCC配信で失礼します。

毎月6日の日を「フィリピン発メルマガ発信」の定期発信日に選んだのは「8月6日」の被爆記念日にちなんだものですが、先月6日発信以後に3回の「特別号」を発信しました。毎週月曜日の「週刊メッセージ」(日英語)に加えて、去る9月28日に急きょトップページを入れ換えるなど、自己の意志とは言いながら、次々と自身に課す作業で息切れしないのが不思議って感じです。

此処フィリピンに来て満8カ月になりました。身一杯の仕事をかかえて一日いちにちを過ごしています。その殆どがウェブサイトのコンテンツに化けている執筆活動が中心であるだけに、それなりの達成感を味わっています。何せ喋ったことは形に残りませんが、書いたことは残ります。トップページに「過去一カ月間に書き増ししたコンテンツです
」という欄を設けましたが、書いた本人が内心驚いています。書くことに関してはド素人の域は抜けられませんが、想うことを書いて伝えたいという願望だけは人後に落ちません。 その内容は可能な限りポジ
ティヴなものを心掛けています。

多くの方々に発信する情報に対して数行のお礼や評価のメッセージを頂戴するときは報われた想いを禁じ得ません。はるか海の向こう(でなく、こちら)のフィリピンに居ても疎外感は皆無です。一通のメールに心の通いを体感します。一番嬉しく感じるのは、私のメルマガを受け取って「元気をもらった!」とい書いてくださる反応です。私が書いている中身に対するご批判はどうであれ、「満78歳のおじいちゃんのあの元気に刺激された」と思っていただけるだけで嬉しいデス。

東京のある会社の会長さんがこんな感想をお寄せくださました。「(原文のまま)
吉田さんがヒバクシャとオバマ大統領に集中されていますが、今、時の運は誰も変えられません。まさに『卒啄の機』。吉田さんの第4人生は限りないものと確信したしております。」と。浅学非才の身を恥じながら、くだんの「卒啄(そったく)の機」を広辞苑で学びました。ちなみに、「卒啄(そったく)の機」の「卒」は口ヘンのある卒ですが、それをインプットすると文字化けします。この意味は、、「『卒』は鶏の卵がかえる時、殻の中で雛がつつく音、『啄』は母鶏が殻をかみ破ること」とあります。禅宗の「碧厳録」の中にある言葉で、「師家と弟子のはたらきが合致すること(卒啄同時)」。転じて「逃したらまたと得がたい良い時機」と学びました”と。

この言葉に接してハタと膝を叩きました。すでに現在のトップページにも「予告」の形で掲載している「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」の開示計画があります。無名の私にとって、大それたアピールですが、オバマ米国大統領の被爆地訪問を「2010年・65周年」という極めて区切りのイイ年次にセットしていることに「卒啄の機」を体感するからです。オバマ大統領にとっても、その機を逸したら、またとないだろうとさえ大胆な発言をしている私です。「オバマ大統領にとって「その機」とは、単なる語呂のイイ「2010年・65周年」だけではありません。原爆生存者の私が65年間の沈黙を破って斬新的な発言をするのが「
逃したら、またと得難い良い時機」と受けとめて欲しいのです。大統領を相手に注文づけるとは、ではあります。

もうおひとりのメルマガ受信者の方の弁をご紹介して私の感想を述べます。私より2歳年下で同業の経営コンサルタントを最近引退された方からメッセージをいただきました。「(原文のまま)私は東京大空襲の被害者で父と二人の兄を一夜にして亡くしました。したがって、私は吉田先生の活動に感銘を受けています」と。私の東京大空襲に関する発言をご存知の方です。

原爆生存者の立場にあって私がよく話題にすることのひとつに、東京大空襲による悲惨な犠牲者の実態があります。原爆被害者だけが戦争の被害者では断じてない、というのが私の主張です。ともすれば自他ともに「特別視」しがちのヒバクシャですが、沖縄戦の犠牲者なども含めて戦争の被害者に境界線はありません。じじつ、私の執筆にはよくそうした一面を書いてきています。特に1万字に及ぶ英文の原爆証言論文には詳細に記述しています。いずれの日かウェブサイトに公開します。

ちなみに、終戦前の1945年3月10日の東京大空襲による犠牲者は10万8千人、そのうち身元不明のご遺体は8万8千体だったとかです。もし、あの時点で日本が敗戦を宣言していたら、6月23日の沖縄戦の悲劇は避けられたでしょう。もし、沖縄の悲劇で日本が降参していたら、ヒロシマの悲劇ななかっただろう、ヒロシマの悲劇で終戦を宣言していたら、ナガサキはなかっただろう・・・という「仮定法過去」は私の持論です。ナガサキでも無謀な戦争を続けていたら、第3、第4の原爆投下が小倉・新潟で発生していただろうと断言してはばかりません。「歴史にIFは無い」と言いますが、私に言わせれば有る、です。人間がその条理を捻じ曲げているのです。

直近の小文「週刊メッセージ」(10月5日号)と「独り言№49」を添付してご参考に供します。
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/scrollingmessa_jpn_2009_10_5.html 
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/hitorigoto/hitorigoto_jpn_49.html

現在のトップページは前述しましたが、来る10月28日の「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」の開示を前にした「予告サイト」です。どうか、今一度ご覧の上、3週間後の10月28日には、あらためて 下記のURLを覗いてみてくだされば嬉しい限りです。では、またの機会まで、ご機嫌よろしゅう! 

(第11信:10月6
日)
各位
BCC配信で失礼します。

毎月6日の日を「フィリピン発メルマガ発信」の定期発信日に選んだのは「8月6日」の被爆記念日にちなんだものですが、先月6日発信以後に3回の「特別号」を発信しました。毎週月曜日の「週刊メッセージ」(日英語)に加えて、去る9月28日に急きょトップページを入れ換えるなど、自己の意志とは言いながら、次々と自身に課す作業で息切れしないのが不思議って感じです。

此処フィリピンに来て満8カ月になりました。身一杯の仕事をかかえて一日いちにちを過ごしています。その殆どがウェブサイトのコンテンツに化けている執筆活動が中心であるだけに、それなりの達成感を味わっています。何せ喋ったことは形に残りませんが、書いたことは残ります。トップページに「過去一カ月間に書き増ししたコンテンツです
」という欄を設けましたが、書いた本人が内心驚いています。書くことに関してはド素人の域は抜けられませんが、想うことを書いて伝えたいという願望だけは人後に落ちません。 その内容は可能な限りポジ
ティヴなものを心掛けています。

多くの方々に発信する情報に対して数行のお礼や評価のメッセージを頂戴するときは報われた想いを禁じ得ません。はるか海の向こう(でなく、こちら)のフィリピンに居ても疎外感は皆無です。一通のメールに心の通いを体感します。一番嬉しく感じるのは、私のメルマガを受け取って「元気をもらった!」とい書いてくださる反応です。私が書いている中身に対するご批判はどうであれ、「満78歳のおじいちゃんのあの元気に刺激された」と思っていただけるだけで嬉しいデス。

東京のある会社の会長さんがこんな感想をお寄せくださました。「(原文のまま)
吉田さんがヒバクシャとオバマ大統領に集中されていますが、今、時の運は誰も変えられません。まさに『卒啄の機』。吉田さんの第4人生は限りないものと確信したしております。」と。浅学非才の身を恥じながら、くだんの「卒啄(そったく)の機」を広辞苑で学びました。ちなみに、「卒啄(そったく)の機」の「卒」は口ヘンのある卒ですが、それをインプットすると文字化けします。この意味は、、「『卒』は鶏の卵がかえる時、殻の中で雛がつつく音、『啄』は母鶏が殻をかみ破ること」とあります。禅宗の「碧厳録」の中にある言葉で、「師家と弟子のはたらきが合致すること(卒啄同時)」。転じて「逃したらまたと得がたい良い時機」と学びました”と。

この言葉に接してハタと膝を叩きました。すでに現在のトップページにも「予告」の形で掲載している「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」の開示計画があります。無名の私にとって、大それたアピールですが、オバマ米国大統領の被爆地訪問を「2010年・65周年」という極めて区切りのイイ年次にセットしていることに「卒啄の機」を体感するからです。オバマ大統領にとっても、その機を逸したら、またとないだろうとさえ大胆な発言をしている私です。「オバマ大統領にとって「その機」とは、単なる語呂のイイ「2010年・65周年」だけではありません。原爆生存者の私が65年間の沈黙を破って斬新的な発言をするのが「
逃したら、またと得難い良い時機」と受けとめて欲しいのです。大統領を相手に注文づけるとは、ではあります。

もうおひとりのメルマガ受信者の方の弁をご紹介して私の感想を述べます。私より2歳年下で同業の経営コンサルタントを最近引退された方からメッセージをいただきました。「(原文のまま)私は東京大空襲の被害者で父と二人の兄を一夜にして亡くしました。したがって、私は吉田先生の活動に感銘を受けています」と。私の東京大空襲に関する発言をご存知の方です。

原爆生存者の立場にあって私がよく話題にすることのひとつに、東京大空襲による悲惨な犠牲者の実態があります。原爆被害者だけが戦争の被害者では断じてない、というのが私の主張です。ともすれば自他ともに「特別視」しがちのヒバクシャですが、沖縄戦の犠牲者なども含めて戦争の被害者に境界線はありません。じじつ、私の執筆にはよくそうした一面を書いてきています。特に1万字に及ぶ英文の原爆証言論文には詳細に記述しています。いずれの日かウェブサイトに公開します。

ちなみに、終戦前の1945年3月10日の東京大空襲による犠牲者は10万8千人、そのうち身元不明のご遺体は8万8千体だったとかです。もし、あの時点で日本が敗戦を宣言していたら、6月23日の沖縄戦の悲劇は避けられたでしょう。もし、沖縄の悲劇で日本が降参していたら、ヒロシマの悲劇ななかっただろう、ヒロシマの悲劇で終戦を宣言していたら、ナガサキはなかっただろう・・・という「仮定法過去」は私の持論です。ナガサキでも無謀な戦争を続けていたら、第3、第4の原爆投下が小倉・新潟で発生していただろうと断言してはばかりません。「歴史にIFは無い」と言いますが、私に言わせれば有る、です。人間がその条理を捻じ曲げているのです。

直近の小文「週刊メッセージ」(10月5日号)と「独り言№49」を添付してご参考に供します。
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/scrollingmessa_jpn_2009_10_5.html 
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/hitorigoto/hitorigoto_jpn_49.html

現在のトップページは前述しましたが、来る10月28日の「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」の開示を前にした「予告サイト」です。どうか、今一度ご覧の上、3週間後の10月28日には、あらためて 下記のURLを覗いてみてくだされば嬉しい限りです。では、またの機会まで、ご機嫌よろしゅう! (2009年10月6日)
 

(第11信臨時号:9月29日)
各位
BBC配信で失礼します。またまた臨時号の発信でお邪魔します。

ほかでもありません、多くの配信先の友人から40年ぶりの大洪水がフィリピン首都圏を襲った情報が世界に流れている中で、「吉田さん、大丈夫!?」といったメールを頂戴したからです。関連情報が日本でどの程度流れているか知りませんが、地元ではその洪水情報の連続です。ウェブサイトの「フィリピン情報」に書き込むことを考えていた矢先のことでしたので、急きょ、こうしてメルマガ臨時号に変更してお伝えする次第です。
 
私はまったく無事ですのでご安心ください。私の住むラグーナ州サンタローサは首都圏マニラ市から40キロ南に位置する隣接州です。周辺ではかなりの浸水があったところもあるそうです。「そうです」と何だか呑気な人ごとみたいですが、当の私は2階のオフィス兼住居でクラシック音楽を聴きながら、音を絞ったテレビをかけっぱなしで、時おり窓一杯に生い茂る大きなマンゴーの雨にぬれた緑の葉を観賞しながらといった一石二、三鳥の優雅(?)なデスクワークをしていることから「下界」の状態にまったく無頓着実態だったからです。
 
マニラといえば、数週間前に二回にわたって家主ぺぺさん夫妻とぺぺさん二人で行きました。彼のノートパソコンの複雑故障を修理するのが主目的で、ちゃっかりと市内観光をしたものです。あのビジネス都市がテレビでみるような悲惨な浸水状態になるなんてゾッとします。市内は海抜ゼロだそうですが、12時間ぶっ続けの豪雨による洪水です。
 
そのぺぺさんの話によりますと、此処サンタローサ市も2001年10月と11月の2回1週間に2回の台風に見舞われ、屋内浸水に見舞われたそうです。当時、夫妻は一ヶ月間予定でロンドンに当時住んでいた次女夫婦家族を訪問中。留守中の長女と長男の急報を受けておっとり刀で帰国したそうです。ひと昔前までマニラ交響楽団の常任コントラバス演奏者を永く務めたぺぺさんでしたが、愛用のその楽器を浸水で失ったそうです。
 
自称「器用貧乏(Jack of all trades, but master of none)」の彼ですが、現在では排水ポンプも完備し、米国で働いている長男愛用の乗用車も万一浸水があってもジャッキアップする仕組みを構築中で、周到な体制です。かくいう私は2階でゼッタイ大丈夫!といったところです。ところで、水力発電に頼り、原発の無いこの国ですが、当初から心配していた「停電」はこちらへ来て以来の8カ月間、全く皆無です。
 
ところで、被災者の方々の表情をテレビやメルマガで観て感じることがあります。肉親を失った人たちの悲惨な表情は国境の差を感じません。しかし、そうでなく水に浸かりながら移動したり非難所での人たちの表情をみるとほっとするものがあるのです。子どもたちの多くは泳ぐ楽しみすら感じさせます。常夏の国特有のものかなと自問自答します。
 
家も財産も持たない貧しい人たちにとっては「失うものの無いこと」がそうさせるのかな、とも思ったりします。そうした表情をみることは観る側にとってある種の救いですらあります。モノや地位への欲望や執着から解放されて、与えられた「余生」を「与生」から「世生」に転じつつ、原爆生存証言者としての活動をするそれは私の心境でもあるかな、と思っているところです。
 

(第10信臨時号:9月27日)
各位

BCC配信で失礼します。フィリピンから第10信(臨時)のメルマガをお届けします。前回(9月14日)から2回連続の「臨時」号の発信になります。

かねてよりお伝えしております「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」の私のウェブサイト開示日程を10月28日にしておりますが、その前に「緊急予備情報」のお知らせをする必要が生じましたので、急きょトップページを変更してそれと差し替えました。ぜひともご覧ください。http://www.a-bombsurvivor.com

想定外のことでしたが、ほかでもありません。昨日26日の毎日新聞社説(インタネット)をみて、何かに後押しされた感じで突然の執筆をしたのが本日(27日)書き変えたトップページです。 英語版は途中まで書きすすみながら、「つづく」にしている慌ただしさの今回のトップページのリニューアルです。http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090926k0000m070141000c.html

さて、社説の全文は上掲のウェブサイトをご覧いただくとしてですが、くだんの社説のタイトルは、「大統領の広島、長崎訪問を」と題するもの。国際諸会議における最近のオバマ大統領の核問題をめぐる積極的な発言を受けての希望的アピールとみます。私の動機や内容とはいささか異にしたものがあることから、急きょ「緊急予備情報」としてのトップページ変更としたものです。「原爆生存ヒバクシャの一人の生の声」としての考えをもって一線を画す意味もあります。ご意見をお寄せくだされば幸いです。みなさんからのご意見を反映させたい一心です。

毎週月曜日の「週刊メッセージ」は早々とアップロードしました。題して「オバマ大統領の9.11犠牲者家族への言葉が意味するもの」です。毎度、長ったらしいタイトルで恐縮です。
では、次の定期配信日は10月6日(6日は8月6日の被爆記念日に因んでいます)まで、ご機嫌よろしゅう!
 
 

(第9信臨時号:9月14日)
BCC配信で失礼します。フィリピンから第9信(臨時)のメルマガをお届けします。
ウェブサイトのトップ

ページをリニューアルしましたので、お時間があれば覗いてみてくだされば幸甚です。

さて、前回の第8信お知らせしましたが、来月28日の私の78歳誕生日を期して、「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領 閣下」をトップページに公開します。おりしも昨日早朝のことでしたが、VOA(The Voice of America) のメルマガの情報の中で目にとまったオバマ米国大統領の言葉にくぎ付けになりました。詳細は「特ダネ情報№33: オバマ米大統領の言葉(9.11.8周年)にヒバクシャの立場で感動!」をクリックしてみてくだされば嬉しいのですが、お忙しい方のためにその言葉を下記に掲載します。
http://www.voanews.com/english/2009-09-11-voa37.cfm

9.11テロ8周年の日に、ペンタゴンで遺族の人たちに語った言葉がそれです。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," Mr. Obama said.” (あの日の真実の心を新たにしましょう。悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力のためとしてです。)

このオバマ大統領の言葉の意味するものは、表現は異なりますが私がヒバクシャの立場で同大統領に訴えようとする心と合致するのです。同大統領がテロという悪のために犠牲になった遺族に向けた言葉がそうであるならば、ヒバクシャの心を理解してもらえる、という解釈です。すでに公開書簡の原稿を作成済みですが、この大統領の言葉を新たに挿入しました。

 (第8信:9月6日)
 BCC配信で失礼します。フィリピンから第8信のメルマガをお届けします。
このメルマガは月一回程度の配信ですが、平素から毎週月曜日の「週刊メッセージ」(日英語)をはじめ、「独り言」、「特ダネ情報」「フィリピン情報」への書き込みを英語版も含めて可能な限り頻繁にしています。ウェブサイトのトップページの上段に「過去一カ月以内に書き増ししたコンテンツです」と題して一連の新規執筆ファイルをリンクしているのがそれです。ぜひとも覗いてみてください。


これからの私は海外向けの「原爆生存証言者活動」を展開することから、可能な限り英語版のサイト充実を図っています。日本語で日本人らしく考えて英語で表現するのですから、所詮、私の英語はプロの方からみれば「ジャングリッシ」とまでなくとも、明らかに日本人が書いたという印象を与える英語だと覚悟しています。でも、それを恥じたりためらったりして書かなかったら情報発信はゼロになってしまいます。ここは一番、情報発信を最優先して下手な英語のサイトの拡充に励んでいるところです。冷やかし半分でイイですから英語のトップページやその他の執筆関連英語訳を覗いてみてくだされば嬉しい限りです。


英語のサイトが増えたからかなと思うことのひとつに、「Google」で漢字の「吉田祐起」を検索すると、従来は1千件程度のサイトが出ていましたが、現在では3,800件に及びます。知名度なんて無縁の私ですが、インタネット時代にあってはウェブサイトしかも、国際語である英語のサイト次第で大きく変わるのかな、と半信半疑です。そういえば、米国首都ワシントンにあるMultilingal Search
EngineOptimization Inc. 
http://www.mseo.com/demo.html という会社から、「a-bombsurvivor.com(原爆生存者ドットコム)をより国際的に認知させるために、本格的な英語サイトの拡充を図って一層の効果を狙わないかという勧誘を数度にかけて受けています。


自力による英語サイト拡充で効果を味わっている最中のことだけに、関心を強めるのですが、家主のぺぺさん曰く、「ユウキさんの英語力で間に合うから止めときなさい」のひと言で保留中です。くだんの会社が提案する内容は検討の価値があると考えていますが、未熟な英語力であるものの、当面自力を発揮して自力によるウェブサイトの国際化を狙うことにします。おかげで、日夜ウェブサイトの日英両語による書き込みで多忙を極めています。英語文章力は会話力に通じることから、少しも苦にすることなく、楽しく翻訳作業にも精出している次第です。何よりも若さを保つ秘訣になりそうです。定年後人生に「趣味」は不可欠と言われますが、私の場合は「趣味と実益」に通じることからホントに感謝しています。


翻訳作業といえば、先日、そのぺぺさんの妹さんの一人でニューヨークに住んでいる方からの依頼を受けて、生まれて初めて日本語の「戸籍謄本」の英語翻訳をしました。公的文書の翻訳も何度もやりましたが、日本語文章にしばしば主語が無いことや代名詞が使われないことから、日本語文章そのものを理解するのにウ~んと頭を抱え込む場面も珍しくありません。何よりも公的文書のクネクネと長い文章の英訳にはウンザリします。「官庁用語」ってヤツですが、ことさらに難しく長々と書いて威厳を保っているって感じです。ボクだったら、複数のもっと短い文章を組み合わせてこう書くんだがなあと思うことはしょっちゅうです。おりしも朝日新聞「天声人語(9/3)」で発見した作家の井上ひさしさんの言葉があります。曰く、「わざわざと難しく表現して国民を煙(けむ)に巻き、それによって自分たちを堂々として、おごそかで、いかめしい存在に見せたがる」(『にほん語観察ノート』) わが意を得たりって心境です。 


さて、肝心の私の原爆生存証言者活動ですが、現在のトップページにも書いていますように、その活動の焦点を従来の計画に戻して2010年8月6日の「被爆65周年」に戻しました。此処フィリピンへの移住を予定より1年早めたことから、今年の64周年に的を絞ったのですが、従来のものに戻しました。具体的には今年10月28日の私の満787歳誕生日を期して、その行動を開始します。それまでは準備期間ということになります。当日のトップページをお見逃しになりませんようにお願いします。行動開始の手始めに、「特ダネ情報№29

http://www.a-bombsurvivor.com/contents/tokudane/tokudane_jpn_29.htmlにも書いていますが、大胆(?)にも「(公開書簡)拝啓 オバマ米国大統領閣下」と題する公開書簡の「公開」をします。その皮切りを10月28日付の私のウェブサイト・トップページにします。その一方で、インタネット時代の特性を活かして、各方面への同公開書簡添付によるアトラムダムのEメール発信をする計画です。「有言実行居士」を自負する私の計画です。


ご案内のように、英語におる被爆証言論文(約1万字・15ページ)を書き上げていましたが、ニューヨークに在住の方でかねてより交流を続けている松村昭雄さんという方の肝いりで、その原稿が同氏関係の米人大学生の手で校正されました。オバマ大統領向けの公開書簡は、言うなればその凝縮版ともいえる1ページものです。公開書簡ですから、何も直接にホワイトハウス向けに郵送するようなものではありません。回りまわってオバマ大統領の耳に目に達したら本望だ、といった心境です。その第二波としての出番が長文の英語証言論文であると位置づけることにしました。


おりしも、日本政治社会は永年にわたった事実上の自民党支配政治から大きく民主中道主導への大転換をしました。日米関係に微妙な影響を与えかねない政情とも思えますが、原爆問題が日米間の永年にわたるわだかまりであることは否定できません。そうは言いながら、ヒロシマ・ナガサキの市長はオバマ大統領の訪日を強く要望して今日に及びます。そうした微妙な日米関係に少なからぬ影響を及ぼすこと必至と自負するのが今までとは全く異なる視点の原爆生存者としての証言活動です。歴史的にも区切りの良いと思える「2010年・65周年」にターゲットを絞った直言居士の立場で行動を起こします。ちなみに、「官僚主義打破」という大きなテーマを民主党は抱えています。明月曜日9月7日付「週刊メッセージ」をご覧ください。際どい発言をしています。


なお、その行動開始は再度で恐縮ですが、今年10月28日の私のウェブサイト・トップページです。まだ2カ月近い先のことですが、その中間でウェブサイトのトップページを別件テーマでリニューアルします。すでに現在のトップページの末尾で予告していいるテーマですが、題して「2010年ごろの日本はこうなる!」といった内容です。1999年に時の「経済審議会」が当時の小渕総理に答申したレポートを中心にご紹介します。数か月で2010年を迎える現在にあって、その価値があるのか!?と言わないでください。10年前のその答申がどんなものであったかは現在の方々の殆どは記憶されていないでしょう。失業率が過去最悪の5.7%になった現在の日本経済社会にあって、今更慌てなさんなと言いたいのがそのレポートでもあると思うのです。楽しみにしてご覧ください。


前回のメルマガ発信日が8月6日(広島原爆記念日)でしたが、今月も6日を選びました。原爆生存証言者活動をする立場にあって、6日は強烈な印象を受ける日として、どうやら、毎月6日をこのメルマガ発信予定日にすることを考えています。
次の機会まで、ご機嫌よろしゅう!


(第7信:8月6日)

フィリピンから第7信のメルマガをお届けします。本日8月6日は私の出生地広島市に人類初の原子爆弾が投下されて満64周年目に当たる日です。当時、学徒動員で勤務先の会社(広島電鉄)内で被爆、九死に一生を得た私ですが、その被爆体験記の初期的段階の一端を先月27日にリニューアルした現在のウェブサイト・トップページに書いています。来年の「2010年、25周年」という極めて区切りの良い時期に合わせて、海外で本格的な「原爆生存者証言活動」をすることを胸に秘めています。その言わば「プロローグ」みたいな証言です。お時間を割いて読んでみてくだされば嬉しい限りです。

世界的に著名なファッション・デザイナーの三宅一生さんも被爆者です。ニューヨーク・タイムズ紙が同氏の寄稿文を掲載しました。私のウェブサイトは「特ダネ情報№27」でも書いています。「原爆で生き残ったデザイナー」というレッテルを張られるのが嫌で、今までは避けてきた広島のことだそうです。ところが、オバマ米大統領が発した核絶滅の声に触発されて寄稿文を通して同大統領の訪日を要請された内容です。同氏の寄稿文では米大統領の訪日要請は「Universal Peace Day on Aug. 6」とあります。この組織は1984年にアーティスト関係者がニューヨークのセントラルパークに集まって旗揚げしたもので、今年で25年。ヒロシマ・ナガサキの64周年に合わせて開催するのが「65年大会」となっています。

ちなみに、西欧では5のつく年次が重宝がられます。ライオン・ロータリークラブの周年行事は圧倒的に5のつく年次です。三宅さんが芸術家だけに、被爆市が開催する64周年とは切り離した形の「65年ユニーバーサル・ピース・デー」へのオバマ米大統領訪日呼びかけとも受け止められます。でも、結局はその訪日は実現されませんでした。テレビCNNやVOAで観る限り、同大統領は歴代の大統領とくらべて、際立って多く各地で講演する姿に接します。訪日不可は無理もないでしょう。

過去64年間に一度も米大統領の被爆周年訪日が実現していません。原爆投下国としての米大統領としては、政治決着がなされていない以上、針のムシロであると同時に、訪日は謝罪を意味するからだと思います。何せ、原爆が終戦を早めかつ、日米双方の人命損傷を防いだという確信を持っているのですから、謝罪は到底できないでしょう。この辺りのことが私の証言「3つの視点」の一つになっているのです。

おりしも、広島市内在住の友人から英文サイトを送っていました。「Majority in US back Hiroshima bombing(大多数が広島原爆投下を容認)」と題するものですが、原爆が終戦を早めたという見方です。原爆生存者としての私の持論でもあるのですが、原爆投下国の弁でなく、犠牲者・被害者・生存者の口から出ることに大きな意味があると思います。今後の私のウェブサイトにご注目ください!!! http://news.brisbanetimes.com.au/breaking-news-world/majority-in-us-back-hiroshima-bombing-20090805-e8w8.html

訪日を要請する側の日本やヒロシマ・ナガサキの市民としての気持も、「原爆投下の人道的罪の謝罪をせよ」といった気持が否定できません。その根底には被爆者側(国と市民)に根強く残る「被害者意識」であり、それは裏返せば原爆投下国である米国に対する「恨み」に似た国民感情が否定できないからだと思います。半世紀以上も前の出来事であっても、です。通常兵器での戦争終結では、この種の怨念は記憶とともに失せるのが通常です。ましてや、世代の異なる人たちとの認識ギャップはつきものです。「人道上許し難い兵器」であるというのがその原点だと思います。

こんな折、被爆者であり広島原爆資料館館長でもあった高橋昭博さん(77歳)がマスコミ取材で語られた言葉が印象的です。米大統領訪日要請に関する所感と受けとめるのですが、「謝罪は求めない」という言葉です。本来ならばマスコミがこの同氏の言葉を見出しタイトルにしても良い深い意味合いのある「真実のヒバクシャの声」であると思うのですが、それとて、そんなことをすると、途端にマスコミ叩きにまで発展します。こんな状態で64年間が経過してきているのです。私の原爆生存者証言は断じて政治的な動機ではないのですが、「結果」として何らかの日米政治決着といった大袈裟なことではなくとも、ある種のコンセンサスを招来するのではないかと胸に秘めているのです。

「昨日の敵は今日の友」は世の常です。ヒロシマ・ナガサキ市民の多くは米国との友好関係を謳歌している人々も多いでしょう。かくいう私も14年間に及んだ人生第一毛作では、米国人の同業者との文通によって、当時の日本業界(製材所の帯鋸技術師)には無かった二つの新技術を習得して、一躍日本中で第一人者になったのです。関連する実用新案特許3件を取得して、お金も稼ぎました。人生第二・第三毛作のトラック運送業界とそのコンサルタント人生では、米国の業界取材で取材体験記を書いて業界紙に連載し、さらにそれを発端に「規制緩和問題」への大論議の突破口を開きました。
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/article/owner_operator.html
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/article/article1993_No.4.html
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/article/us-o-o-articles15.html
現在に至っては、多くの米国人たちとの接点を得ています。そのような立場もあって、加害者・被害者意識に終止符を打つ必要を体感している者の一人です。日本政府も与党諸先生も同じ気持でしょう。ところが…と、この後はご想像に任せます。

…と、こんな論を展開していきますと、「ヨシダは何を目指しているの!?」といった疑問が出てくると思います。来年の「2010年・65周年」という極めて区切り良い年次を目標に、ヨシダ流のモーションを起こす所存です。トップページにも書いている私の肉親二人の姉と弟の実例と、私自身の原爆生存者としての考え方を証言として表現します。被爆周年式典には米大統領が出席するのが恒例になるような雰囲気づくりへの努力こそが、被爆死した方の霊を慰め得る唯一の弔いになると確信します。これこそが人類共通の核絶滅願望を表現することになるでしょう。

私の証言論文に強調している慰霊塔に刻まれた「碑文」がそれを如実に物語ります。一時期、一部の反対があったものの、ヒロシマ市民として完璧なコンセンサスを得た碑文です。「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」がそれです。「誰が過ちを?」を示す「主語」がないことから論議を呼んだ碑文ですが、英語訳で決着したいわく因縁の深い碑文です。"Let all the souls here in rest in peace, for we shall not repeat the evils"がそれですが、このWEなる主語をもって「世界人類が」としたことに大きな意味があるのです。つまり、原爆投下国も被災国も全てを含めて、というのがWEを意味します。ヨシダ証言を否定する方が居られるとしたら、その方はその碑文の意義も否定するに等しいもの、というのが結論です。原爆死された方々の霊と家族を含む生存者の方々にも理解していただける証言をするつもりです。今後の私のウェブサイトにご注目ください。

なお、末尾に追記しますが、ニューヨーク在住のある日本人の方で、世界平和に取り組んでおられる私の最も尊敬するご人物を紹介します。世界の多くの著名人との人脈を持たれる松村昭雄さんhttp://akiomatsumura.comです。私の英語証言論文を読んでいただき、感銘を受けたと評してくださいました。厚かましくも英文の校正をご相談しましたら、即座に同氏が関係される大学の学生にやらせましょう、と。その方の人脈との接点が広がる感じです。先日死去されたアキノ元フィリピン大統領の姪(在米)で、フィリピンのある看護大学経営者ファミリーでもあるご人物はそのお一人です。何時かお会いすることになるでしょう。長文のメルマガかつ、順不同の内容になってしまい、失礼しました。またの機会まで、ご機嫌よろしゅう!

 (第6信:7月8日)
遅ればせながら、フィリピンから第6信のメルマガをお届けします。 先月29日にリニューアルしたトップページにも書いていますが、南国フィリピンへ移住して5カ月が過ぎました。日々の生活ぶりをトップページに書いていますので、どうか覗いてみてやってくだされば嬉しい限りです。とりわけ、朝日新聞の「天声人語」で発見した大変に蘊蓄のある言葉に接したことから、「独り言№40:本来の自己主張をうまく丸めこめる工夫は、何ごとも控えめをよしとするこの国らしい…」で、ちょっと意味深長(?)なことを書いています。このタイトルはその著者の弁をそのまま拝借しました。ヨシダ流のコメントをしていますので、ぜひとも読んでみてくださいませんか!?                

海外生活に入っていることもあって、英語のサイトもボツボツ増やしています。今回のトップページはちょっと長文ですが、英語版も作成しました。下手くそな英語力ですが、躊躇していたら何も発信することができませんので、思い切って実行しました。お気づきの点は、どうぞ遠慮なくご一報ください。海外発信ということから必要に迫られた英語版作成への積極姿勢ですが、何時の日か、トップページが逆に英語版で、「In Japanese」をクリックすると日本語版が出る仕組みも視野に入れています。「自己主張型」と評されることは前述のエッセイから覚悟の上ですが、77歳の高齢者に免じて、寛容の心で見守ってくだされば嬉しい限りです。

 しょっちゅうウェブサイトにも引き合いにしている通称ぺぺさんという家主さんとは、英語だけを通じたコミュニケーションです。しかも、その内容は単なる日常茶飯事の会話でなく、結構インテリジェントな話題を常としています。日本にも何年か出稼ぎした経験者ですので、日本人とフィリピン人の文化や、宗教観、ものの考え方の相違等々を話題にします。マニラ交響楽団のコントラバス演奏を27年間も務めたインテリ人物で、パソコンに書きこんだ楽譜でピアノ演奏を添えることもしています。自宅の斜め前にあるチャペルでは合唱団の指導指揮する姿がカッコいいです。

こちらへ来て、日本語を話す機会が全くない私ですが、先日、オープンした日本料理店にそのぺぺさんと一緒しました。日本人とフィリピン女性のご夫婦が経営する店です。つい最近まで、福岡で小料理店を経営していたのを話し合ってその店をクローズし、フィリピンで開業したのです。旦那は板前に徹し、奥さんがオーナーで取り仕切っているのです。久方ぶりの日本語会話を楽しみました。旦那は英語が全くダメなのです。ちょっと離れた商業地区には多くの日本企業が進出していることから、千人以上もの日本人が住んでいるとかで、ターゲットはあくまでもかれら日本人だよと、その宣伝方法を助言してあげました。 それにしてもですが、此処フィリピンに来てからは不思議と、日本人との接触を願望していません。時間も無いからでもありますが、定年移住族で悠々自適の日本人諸氏とは一線を画しているということもあってのことです。拙著「独り言№38:年金生活者として想うこと」をご覧いただくと、その辺りのことを書いています。
      
手前ミソで恐縮ですが、ちょっと耳寄りな話があります。自分史といった気軽な、しかし、貴重なAutobiography (自叙伝)気取りで書き進み、「あとがき:人生四毛作への助走が始まった」で中断している著作があるのです。単行本体裁で200頁を突破し、「To be continued」で中断しています。離日を直前にした頃ですが、東京の出版社からその出版に関して相談が舞い込みました。若干の協力金負担の条件付き出版計画の勧誘でしたが、今からの人生が本番で、書き増したいことが多々あるから、と丁重にお断りしました

くだんの原爆生存証言者論文(英語)を読んだある著作家米国人から、「自叙伝出版(英語版で米国出版)が先決ではないか。その中にそうした原爆生存者証言をおり込んだら。手伝ってあげますよ」と。これにはオドロキました!でも、さもあらんと心の奥底にはチャッカリと抱いていた構想ではあるのです。その作品の日本語目次「いきいき ハツラツ わが人生は三毛作~四毛作への助走が始まった」 を早速に英訳して、そのご人物に届けました。万一にでも実現するとしたら、その英語翻訳と言う大仕事が待ち構えます。どうやら、本目の「原爆生存証言者活動」は当初計画としていた「被爆65周年記念日(2010年8月6日)」という区切りの良い時期に戻したほうが賢明かな、と思いはじめているところです。

先日は東京の元クライアント会社から、同社新入社員(学卒・総合職)の方々が拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」を読まれたうえで会社に提出された「感想レポート」が私の手元に送られてきました。行間を割って、「著者コメント」を挿入してお届けしました。久方ぶりにお若い人材諸氏との接点を持たせていただきました。何せ、3倍以上の年齢差同士の文書によるコミュニケーションです。でも、楽しかったデス! 

書き始めるとキリのないほどネタをもつ現在の私ですが、恰好の自己表現の場はウェブサイトです。自己主張でなく、「何ごとも控えめをよしとする」を日本人の美徳(?)とする、という風潮がありますが、現代においては矛盾すら感じます。その最たるものは、昨今の「ホームページづくり」の強い傾向です。かくいう私の場合もそうですが、これなどは自己主張精神の最たるモノ。自身に納得できる生き方選択肢だ、と割り切っているところです。今後も、どうかこのメルマガのご愛読と、私のウェブサイトへのご関心をお願いして切なるものがある次第です。ではまたの機会まで、ご機嫌よろしゅう!!!!!

 (第5信その2:5月2日)
各位
  昨日5月1日に発信しました「フィリピン発信第5信」のメルマガに対しまして、早速に今後の配信ご希望のお知らせを頂戴してまことに有り難うございました。

    直後にチェックして気付いたことで、誠にお恥ずかしいことですが、肝心の当方の新しいメール・アドレスに手違いが生じていることに気付きました。正確には、yoshida.yuuki@a-bombsurvivor.com  でございますので、よろしくお願いします。

       なお、ついでながら、メルマガ受信ご希望の方々に対してのみ、何かの際もありますので、下記のアドレスもお知らせしておきます。yoshida.yuuki@yahoo.com.ph    yuuki-yoshida@live.jp 
       余談ですが、主力のOutlook Express を新アドレスに転換(OCNからフィリピンのサーバーへシフト)する際に、多少の混乱を生じました。メール・アカウントの変換作業がすべて英語であることから、内容的に若干の変化があったり、肝心の最後のInbox iconのクリック個所を取り違えて土壇場まで苦労しました。

       家主の息子さんが米国から里帰りしていることから、親子がパソコンの大ベテランでもあって大助かりしたのですが、それでも苦労して辿りついたのです。そのiconの存在を発見しのがほかならぬ私でした。それはそれは正味二日間にわたった苦労でしたが、生涯忘れ難い体験として自負します。

     目下、ウェブサイトのリニューアルに不可欠のFFFTPと取り組んでいるのですが、地元契約会社とのこともあって、当然のことながら英語版です。英語のメール交換を頻繁にしながら此処までたどり着きました。今後も英語力を駆使して此処での生活活動をエンジョイしていきますので、どうか、変らぬご声援をお願いします。

       おって、今までは何百人もの方々で、お顔も確認できないままの多くの方々への発信でしたが、頂戴しつつある受信ご希望の方々のお顔が見えてきました。心をこめて発信することができることを心底<BR>喜んでいます。

    ところで、キーボードを叩きながら、CNN英語テレビ放送を聞き流しする中で、ボクシンでフィリピン人がチャンピオンになったとか。その彼が、CNN記者の質問に対して答える姿勢の何と謙虚なこと!と感じました。「試合を前の心境は…」という記者に対して、彼ははにかみながら、ぼそ~と呟きました。「神様を信じていますから…」と。

    フィリピンの総人口の85%がカトリック教徒です。私のウェブサイトでも書いていますが、「自殺者国際比較」(101カ国)でみると、日本は第9位、フィリピンは85位です。信仰を持つ人間が如何に強いかという事実を垣間見ます。…と、若干長くなりましたが、「フィリピン発第5信その2」とでも受けとめてくだされば望外の幸せです。感謝!!!
 

(第5信:5月1日) 
 フィリピン移住に伴う将来計画として、来る今年5月1日より下記の通り変更しましたので、恐れ入りますが、お手元のアドレス帖への変更記載をよろしくお願いします。
      
             旧・Eメール・アドレス:yoshida@c-logitant.com 
                                             
            新アドレス:yoshida.yuuki@a-bombsurvivor.com

  なお、去る2001年6月より開設して今日に及ぶウェブサイトのURLですが、人生第四毛作活動の趣旨を反映させて下記の通り変更しましたので、併せてお知らせし、一層のご訪問を期待します。                                                  旧URL: http://www.c-logitant.com     
                  新URL: http://www.a-bombsurvivor.com
    
      なお、今回のこうしたドメインの変更理由は、此処フィリピンへ移住して「わが人生四毛作」への活動を開始したことに起因します。長年お世話になったNTTのOCNですが、外国に居住する中での同社との契約には不便さが伴います。フィリピンの
会社との契約にシフトしました。参考のためにクリックしてご覧いただくと分かりますが、年間契約料金からしますと、何んと十分の一近い格差です。しかも、現在の私のウェブサイトディスク容量である200MBを上回る260MBです。ちなみに、同社が提供するディスク容量は最高で1200MBです。OCNの最高200MBとは桁が違う感じです。

  さて、ドメインですが、ウェブサイトのURLとEメールアドレス両方に「a-bombsurvivors」(原爆生存者)を据えました。広島市で被爆して生存している人たちの「平均年齢」は77歳で、私が(も)それに属します。ご存知のように、すでに19ページ、45,800字の原爆証言論文(英文)を書きあげており、人生最期のご奉公として証言活動に備えている私です。そんなことからのこうしたドメインの選択肢ですので、ご理解ください。

  おって、この際ですので、今後私が発信する「メルマガ」に関してお伝えさせていただきたいことがございます。かつての株式会社ロジタント時代の15年間で頂戴したお名刺は4千枚を超えます。近年において、Eメールをご利用の方々の中から辛うじてアドレス帖に記載した数百人の方々に限ってのメルマガ発信でしたが、多くの方々の中には勤務会社のアドレスをご利用になっておられることもあり、勤務中の受信でご迷惑を掛けることも考慮を余儀なくしております。

  そのようなことから、次回からは受信ご希望の方々に限っての配信ということが好ましいと考えるに及びました。そのようなことから、まことに恐れいますが、受信をご希望の方々に限って、下記の項目にご記入のうえ、このまま「返信」(アドレスを既に変更していますので)でご一報くだされば幸いと心得ます。よろしくお願い申し上げます。


 受信のご希望の方のお名前(フルネーム): 
      ご所属会社名(お差支えなければ):
       同        Eメールアドレス:

  末尾ながら、皆さまのご多幸を心よりご祈念申しあげ、ご案内とさせていただきます。感謝!
 

(第4信:2009年4月20日)
 最近、ごく親しい方からこんなお問い合わせを受けました。「吉田さん、フィリピンに永住する本来の目的は英語によるヒバクシャ証言活動海外拠点としてのものではないのですか?昨今のウェブサイトを見ると、フィリピンやフィリピンの人たちの話題が主になって、肝心の英語によるヒバクシャ証言活動の関連情報が少ないと思うのですが?…」と。ちょっと気になったことから、これまた心を割って話せるある会社社長にそのことを打ち明けて意見を伺いました。こんな答えが跳ね返ってきました。「…結論からいいますと、片仮名書きされ続けるヒロシマの実情とニッポンの在るべき姿を海外から発信しようとする挑戦が始まる、そのプロローグだと受け取っています」と。わが意を得たり!とはこのことだ、と嬉しくなりました。


 そんなことから、今回のメルマガの内容焦点をそこへ絞ってご報告させていただきます。フィリピンはマニラ市から約40キロ南のラグーナ市に移住して、まだ3カ月にもならない私ですが、実に価値ある日々を送って現在に至ることを心底感謝しています。この国に移住を決意した理由は複数あるのですが、何といっても第一の目的は、64年間の沈黙を破って「被爆者証言活動」を英語で、しかも本場米国を中心に展開してみたいという「My Dream」の実現を目指した「海外居住」です。

   海外に移住してまで、というところが自他共に大きな関心事ではあると思います。それはこれからの私のヒバクシャ発言が従来の方々の発言とは一線を画したものであるからです。それが具体的に何であるかはこの場でお伝えすることは差し控えます。でも、ちょっとだけ例をあげましょう。久間元防衛大臣が原爆に関連したある種の発言がもとで辞職に追い込まれました。また、ある芸術家が広島市の上空で、飛行機による「ある原爆に関係する言葉」を白煙で描いたことから、関係者につるしあげられて責任者が平身低頭されました。またある人物が東京で原爆関連のパネル展示をされたことに対する関係者からの猛反発をうけて詫び状を差し入れ、展示パネルを撤去されたEtc.という現実があります。

 私ごとき一介の老人がすることに目くじらを立てるのもどうかと思いますが、大胆な発言を辞さぬ覚悟の裏には、そうした圧力的なことからこのご老体を遠ざさせていただく意味もあり、且つ又、このご老体をして悠々自適とまではいかなくとも、大好きな英語を駆使して「海外引退生活」を送り、かつその延長線上に此処フィリピンという縁あって永住を決意した国とその人たちとの接点において、些かなりともお役に立ちたい、という動機からのことです。

 第二次大戦で日本軍がこの地フィリピンで行った残虐行為は否定できません。彼我の犠牲者は想像を絶します。そうした方々の霊を慰めるためにも価値あるこの地での静かな生涯生活です。移民局の担当オフィサーが滞在期間延長申請に関して私に問うた質問「何故あなたはこの地に永住を希望するのですか?」に対しても私は以上のような答えをしました。そうした私の言葉を受けて、そのオフィサーは何度も「Thank you, thank you!」と言ってくれました。同席した家主のペぺさんの言葉ではありませんが、「Thank you って言葉は、申請者のものであって、許可する側の言葉としては異例だよね…」と。


 このウェブサイトの何ヶ所かでも書きましたが、英語による「被爆者証言論文」を書き上げました。17ページ、45,800字に上ります。講演口調で読めば正味90分間。現在すでに、この他に60分ものと45分ものの3種類の英語テキストの作成を一応済ませませたことになります。予定より数か月早くに仕上げました。米国のマスメディア向けに発信してその出版機会を探るのが目下の課題です。何せ相手は巨大企業。容易なことではアプローチできません。何かイイ策があれば助言してくださいませんか?雑誌であれ新聞であれ、とにもかくも、公の出版物への掲載が一度だけでも実現できることに意義があると弁えているのです。それをもって90パーセントの目的は達成された、とさえ心得ているのです。以上のように複合的な目的をもってこの地フィリピンに居を移した私です。ひとつひとつかたずけていくのではなく、必然的に同時進行の形で現在に至るという現実をお知りおき願いたい次第です。


 さて、肝心の私のフィリピン・シンパ論ですが、ちょっと興味ある情報をお知らせします。ウェブサイトのトップページを開いてみてください。かねてよりこのサイトでもご紹介してきている「
誤解されているフィリピン~フィリピンとフィリピンの人たちに対する誤解をとくために~」の著者である笠井正史さん(ペンネーム・花彩美路)から頂戴したメールをみてビックリしたのです。英文隔月誌である「JAPAN SPOTLIGHT」に同氏のエッセイが掲載されたというものです。なんとそのタイトルが「Japanese People Should Learn from Filipinos"(日本人はフィリピンの人たちから学ぶべきだ)」です!早速に同誌のウェブサイトを検索しましたら、くだんの著文にヒットしました。1ページだけで、続きは有料のログインが必要なことから、お預け状態にする一方で、同氏には厚かましくもコピーを送っていただくことをお願いしているのです。いまここで、その1ページ目をご紹介することはご遠慮して、興味のある方はぜひとも上掲サイトをクリックして読んでください。出来ればログインして全文を読んでみられることをご進言します。


 10年間の在比ご体験(5年間は米国)を持たれる笠井さんの196ページにわたる「誤解されているフィリピン」に加えての、このようなフィリピン・シンパ論者の弁には、数か月間の在比の私にとって、ドダイ、伯も違うし、中身が異なると思うのですが、実に大きな味方を得た想いで一杯です。今後とも、同氏との接点を強めていきたいと願っています。


 末尾に蛇足の弁で恐縮ですが、テロップメッセージでも流しましたし、「
独り言No.36」でも書きましたが、「自殺者の国際比較(101カ国)」があります。日本は先進国ではトップの世界第9位。対するフィリピンは85位です。これが何を物語るのか…、われら日本人は自問自答することも大事です。ここフィリピンでの生活とその人たちとの接点を得ている私ですが、「旧き良き時代の日本人と日本人社会」を想起するのです。本当の幸せとは何ぞや!?と。貴重なお時間を頂戴して感謝します。有り難うございました。

(第3信:2009年3月30日)
 去る今月16日に発信した「フィリピン発 メルマガ第2信」で日刊マニラ新聞(マカチ市)のことを紹介しました。東京のフィリピン大使館から紹介を得たご人物・笠井正史さん著書誤解されているフィリピン~フィリピンとフィリピンの人たちに対する誤解をとくために~」(英語名:The Philippines Misunderstood)が展示されているのが同新聞社のカルチャー・センター。昨日、マニラに隣接するマカチ市の同社とそのカルチャー・センターにお邪魔しました。家主のぺぺさんの友人であり、教会のコーラスグループでギター演奏者でもある人が借り上げタクシーさん。往復距離2百キロ、所要時間6時間近いドライブでしたが、ドライバーの日当や燃料・高速道料金を含めて1800ペソ(3千6百円)といったアンベリーヴァルな料金。


 傑作な出来事は、笠井さんの著書のことですが、同カルチャーセンターにあることは知っていながら、ぜひとも大事な著書の一つにと思って、アマゾン・ドットコムに申し込みしましたら、何んと、たった一冊の委託品があり素早く入手しました。そうこうしていましたら、マニラ新聞社の方から同センターに3冊あるので購入できます、と。「フィリピン情報」にも書いていますが、同新聞社を表敬する前にウェブサイトを拝見して、話題の一つにも思って覗いてみてヒットしたのが以下のサイトです。
 http://www.manila-shimbun.com/award_list.php
 「新聞協会受賞特集項目」と題する一連のドキュメントです。斜め読みするだけで1時間以上を要しました。実はこのサイト通してフィリピンのことにあまりにも無知であった私を恥じているのです!此処でその内容を下手にご紹介することは無礼と心得ますので控えます。ご関心を寄せられ方々と共有することに意義があると痛感するのです。まずはぜひともクリックして読んで見られることを心底お願いします。なお、詳しいことは「フィリピン情報第4信」にも書いていますので、覗いてみてください。


 さて、本日の同社カルチャー・センター訪問の思わぬ出来事をお伝えしましょう。同センターの図書室が午前11時にオープンすることを知らなかった私たちは1時間近くも前に到着しました。別室では活発にモダン・ダンスのレッスンをしている感じ。私たちのことを気遣って、別の担当者がそのビルの前にある会社に案内してくれました。家主さんが同一であることから、その事務所で待っててください、と。何事にも積極的な私は、フィリピン女性職員お二人と親しく会話をし始めました(無論、英語です)。タチバナ ケイコさんという方が経営者のStudio Kay Int'l. Inc. という会社。旦那さんは日本人男性のフィリピン女性経営者。昨夜、遅く出来上がったばかりの名刺(写真付きの英語版)表面裏面を出して話しだした途端に、若いフィリピーナが私のウェブサイトを立ち上げて、手招きしました。得意満面(?)で説明しながら最後に唯一の英語サイトである「Profile in English」(全8ページです!)を見せましたら、驚きの表情を見せながら後でゆっくり読みます、と。何とこの会社の商売は「日本市場向けに限ったフィリピーナのテンタテイナー派遣会社」です。更に興味を抱いたのは、ピーク時には100名の派遣が常だったものが、何んと、現在は僅かに10名だとか!日本における経済不況が此処にも及んでいる!といったことです。


 ところで、肝心の書物「誤解されているフィリピン」のことですが、目次を見ただけでその中身が想像されそうです。そこで、帰宅して早速に本文を除いた「表紙・まえがき・目次・あとがき」をスキャナーしましたので、ぜひともクリックしてみてくださいませんか!? 著者の笠井さん(ペンネームは花彩美路)はフィリピン10年間の滞在を体験されたご人物。私はたったの2か月ですが、全く同一のフィリピン(人)観を共有するのです!以下の順でクリックしてみてくだされば、私も著者の笠井さんも大喜びです。表紙はじめに12、目次12、 3、あとがき1、 2、 


 一昨夜に作ったばかりの英語の写真付き名刺の裏面には、小さな文字で、この国に来た私の想いを表現してみたいと原稿作文中です。トコトン凝り性の私ではあります。でも、だからこそ、次々とチャンスに恵まれると自負しています。ところで、凝り性の私は、こうしてお届けするメルマガに対するご返事や激励のメールをいただいているのですが、それらを全て「メルマガご返信綴り」に転記して大切に保管させていただいていることをご報告します。今後とも、ウェブサイトと併せてこのメルマガでも可能な限りのフィリピン情報を発信していきますので、ご愛読下さいますようお願いします。では、又の機会まで、ご機嫌よろしゅう!

(第2信:2009年3月16日)
此処フィリピンへ居を移して早くも一ヶ月半が経ちました。「一ヶ月半の間に早くも多くのことを体験しました」と言ったほうがイイでしょう。ことほど左様に、有意義かつ、楽しい貴重な体験の日々を送っています。去る1月23日に発信したフィリピンからのメルマガ第一信に次いで、遅ればせながら第2信を発信します。前回でお伝えした「5月2日一旦帰国」予定は、滞在期間の更なる延長が可能になったことから、当面は来年1月下旬に予定の入っている(社)広島県安全運転管理協議会「法定講習」講義日程と、国際自動車運転免許証更新に併せたものになりそうです。ホームシックになっているんでは?とんでもない!こちらですべきことが山ほどあることから、それに居心地が抜群なために、まったく日本に帰ってみたいといった心境になりません。「日本へ帰る」という表現が、「日本へ行く」に変化しつつあることを不思議に感じている始末です(笑い)。


 ウェヴサイトのトップページや「フィリピン情報」にも書いていますが、此処フィリピンに来てから直ぐに感じたことは「貧しさと高い文化は同居し得る」という事実です。この国に居を移すはるか以前のことからのことですが、常日頃から感じていたことを歯に衣着せぬ形で表現してみます。キザな表現だったらお許し願うとしてですが、英語力を持つがゆえに外国人と接することが少なくない立場で、かれらのモノの考え方や仕草に接して痛感することが少なくありません。日本人のおとなしさとか、礼儀正しさといった国民性に、ちょっと疑問を感じることが少なくありません。国際的に通用する何かが欠落している感じがしてなりません。


 此処フィリピンに来て痛感したことは、貧しさの中にも日本人には羨ましいほどの高い文化を感じるのです。その詳細はこのメルマガではご遠慮して、私のウェブサイトの「トップページ」や「フィリピン情報」に委ねますが、そうした私の想いを裏付けるに相応しい著書に出会いました。離日直前の今年1月20日、東京出張を機会にかねてより東京フィリピン大使館から紹介を得ていた笠井正史さんというご人物にお会いしました。同氏のリンクをクリックしていただくと出てきますが、同氏の著書「誤解されているフィリピン」(ペンネーム・花彩美路:日本図書刊行会発行)があります。「フィリピンとフィリピンの人たちに対する誤解をとくために」は同書の副題です。マニラの「日刊まにら新聞」の社主・野口裕哉さんの手許にあるとかで、近い日に訪問して読ませていただくことにしています。10年間フィリピンに在住された同氏の書かれた内容と私が抱く想いと極似することを想像するのです。


 フィリピンは数百年前にスペインに植民地化されたために、当時の最先端をゆく文化を取り入れ、それが現在のフィリピンの人たちのDNAにまで深く根付いて現在に至る、という図式をまざまざと垣間見ています!対して日本のそれは…が言いたいのです。前述した1月20日の東京出張の日程の一つであった、ある人物の講演でもそのことを偶然ですが耳にしました。ヨシダ流に言えばこうなるでしょう。「日本(人)はチョンまげ時代の中身のままで、明治維新以来に急速に西欧文化を取り入れ、戦後はマッカーサー占領軍総司令官から民主主義をぼた餅的に与えられ、しかも、朝鮮戦争やベトナム戦争で経済に大きな潤いを得て現在に至ってきた。いわば、中身は旧態依然のまま、表面的には西欧文化で囲った天婦羅文化みたいなもの!…」と(失礼!)。事実、私はこうした日本(人)の実態を赤裸々に表現したエッセイを発表しています。題して
「ラフカディオ・ハーンの日本人観に脱帽!」がそれです。本文に書いている英語原文は省いて、日本語訳を記します。「日本に関して危険なことは、古来のもの、簡素なもの、健全で自然な生活方式を捨て去る恐れがあることだ。さらに考えるに、日本はその簡素さを保持する限り強固であり続けよう。反対に日本が西欧輸入の華美の思想にかぶれれば脆弱となろ」がそれです。奇しくも現在の日本(人)の姿がそれを裏付けるかのようです。悲しいかな…です。ちょっと、長いメルマガになって失礼しました。またの機会まで、ご機嫌よろしゅう!  

(第1信:2009年1月23日)
寒中お見舞い申し上げます。平素は格別のご厚誼を頂戴し、厚くお礼申しあげます。ウェブサイトのトップページで再々の情報発信をしているところですが、いよいよ2月1日(日)に関西空港からフィリピンに向います。当面は、5月2日の一旦帰国となりますが、短い滞在の後にフィリピンに戻り、その後は本格的な長期滞在となる予定です。そうは言いながらのことですが、必要に応じて一時帰国することもあるでしょう。詳細は時折、下記のサイトを覗いてみてくだされば幸いです。


 なお、パソコンを含む最終の持ち回り品のフィリピンへの宅配が20日以降になることから、ウェブサイトのリニューアルも当分の間、中断を余儀なくします。下記をちょっとクリックしてみてくださいませんか? 
http://www.c-logitant.com/ 上掲のウェブサイトのトップページにもリンクを貼っていますが、物流業界新聞「物流Weekly」紙が元旦号で拙著を大きく掲載してくださいました。このメールに添付しますのでA3版で開いてみてくだされば嬉しいです。なお、同記事の右側に英文をあしらっていますが、これは拙著寄稿文の中に3段にわたって言及しているフィリピン関係者の方々があることから、その箇所に限って私が翻訳して、その方々への参考資料として用意したものです。

 
同記事左側に1枚ものの縮小エッセイ(SAM NEWS Winter, 2009)がありますが、何んとか読める程度の大きさを保っていただきました。こんな生き方、晩年人生の在り方もあるんだな~、と思ってくだされば幸いです。


 E-メールについては、新たにWindows Hotmail を使用します。何処でも、どのパソコンでも「受発信」できるものですので、今までの Outlook Expressではできない(と言っても、ノートパソコンだったら何時でも何処からでも受発信が可能ですが…)ことができることを喜んでいます。こんな便利なEメールがあるなんて知っていませんでした!イヤハヤです。新しいメールアドレスは下記の通りですので、下記をクリックしてメッセージを頂戴出来れば嬉しい限りです。 yuuki-yoshida@live.jp    なお、このBCCメールは、従来の yoshida@c-logitant.com で発信していますが、このメールの「返信」では当分の間は私の目に入りませんので、ご面倒でも上の新しいアドレスをクリックして頂戴出来れば嬉しいです。


 満77歳を過ぎた私ですが、新らしい大きな使命感を胸に、フィリピンで活動します。どうか、あたたかく見守っていてください。皆さんのご多幸とご健康をフィリピンの地からご祈念申しあげます。

(第0信:2009年1月2日)
 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。恒例の年賀状は失礼しました。来月2月から、ある目的をもって
フィリピンへ居を移すことから、てんやわんやの年末年始になったからです。詳細は下記のサイトをご覧くだされば幸いです。http://www.c-logitant.com/


インターネット・グローバリゼーション時代にふさわしい情報発信が、地球上の何処に居てもできることを実感として味わうことになるでしょう。今まで以上の情報を彼の地から発信していく所存です。


  上掲のサイトを時折覗いてくだされば嬉しいです。なお、同トップページには後日、業界専門紙「物流Weekly」の正月元旦号に掲載予定の拙著記事を大きくリンクしますので、再度のご訪問を期待しております。

 100年に一度というほどの世界経済不況で明け暮れましたが、モノの豊さからココロの豊かさへのシフトが急務と心得ます。かくいう私は、「人生四毛作」に向けて着実に前進していく所存ですので、今後ともどうか旧来に増してご厚誼のほどよろしくお願いします。

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