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                                                (再編集中)
        人生いろいろ いきいき ハツラツ わが人生は五毛作!

                     (目 次)
まえがき 

1章 逆境をバネにした生い立ち

  ①生後十カ月で病魔(ポリオ)に襲われる・・・・・・・
  ②母の背中で教わったこと ・・・・・・・・
  ③学徒動員勤務先の広島電鉄本社で被爆、九死に一生を得る・・・・・・・・・・
  ④棒切れを杖にわが家を目指す廃墟の中 姉に遭遇抱き合って喜び合う・・・・・
  ⑤母は疎開中の弟を迎えに広島を離れて難を逃れる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ⑥行方不明の姉と末弟発見!終戦勅語・末弟の放射線被曝死・・・・・・・・・・

2章 人生第一毛作は技術屋自営業人生 発明・新技術導入で脱サラ・個人事業経営
 ①  疎開先から広島市内へ戻り新生活が始まる・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ②義兄経営の製材所で手伝い中の父が労災死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ③製材所の「目立師」として職人サラリーマンのスタート点・・・・・・・・・
  ④定時制高校の思い出・「英語弁論大会」で優勝・・・・・・・・・・・・
  ⑤英語学習が招いた良き青春時代・・・・・・・・
 ⑥英語力を駆使して米国から二つの新技術導入に成功・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
 ⑦脱サラ・個人事業開始 実用新案取得商品化・新技術指導・商品販売で全国講習行脚
  ⑧米国の業界誌に紹介・逆輸入されて北海道大学教授が見学に・・・・・・・・・
 ⑨米人ポリオ女性との文通・地元新聞が取り持つ縁・・・・・・・・・・・・・・
 ⑩十数年間続いた英語の家庭教師活動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ⑪「人生第一毛作」を振り返って思うこと・・・・・・・・・・・
   ⑫結婚 それが招来した人生転換・・・・・・・・・・・
  ⑬妻の養父死去で家業身売り話・請われて事業継承を決断 ・・・

3章  人生第二毛作はトラック運送事業経営者人生

 ①トラック運送業(個人)の事業継承への決断・・・・・・・・・
 ②二度の労組つぶし体験・三度目の労組で「近代的な労使関係」へ脱皮・・・・・
 ③優良申告法人連続4期・通算二十年間記録達成・・・・・・・・・・・・・・・・
 ④分社化・M&Aで多角化経営戦略/グループ七社の「総合物流商社」体制確立
 ⑤手掛けた事業の思い出 失敗談あれこれ ・・・・・・・・
 ⑥ライオンズクラブにおける奉仕活動 ・・・・・・・・・・
 ⑦ディスロージャー(会社内容の開示)が生んだ功罪 ・・・・・・・・・・
 ⑧倍額増資への配慮が招来した生臭いドキュメント・・・・・・  
 ⑨旧・創業者一族関係者の「同族支配・私物化意識」の台頭
   わが人生で最大の出来事 熟年離婚・・・・・・・・・・・・・・
 ⑩『得るは捨つるにあり』 すべてを捨てて歩けるようになった!良き伴侶も得・    
 ⑪三十二年間で育て上げた企業グループへの決別ドキュメント・・・

4章 人生第三毛作の演出(前編)「総合物流・経営コンサルント」 

 ①新会社設立までのドキュメント(二話) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    (一話)新会社設立趣意書は小論文・社名は合成英語名・・・
 (二話)新会社事務所は無理しても市内中央へ ・・・・・・・・・
  ②新会社の処女作活動は『個人トラック制度導入への提言』論文執筆前職時代の
   「個人トラック制度は是か非か」の肯定版・・・・・・
  ③退社挨拶状 新会社設立案内状 一週間の間を置いて延べ五千通発送・・・・・
  ④示談交渉妥結・会社設立登記完了!・・・・・
  ⑤渡米を前にした幾つかの準備 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ⑥米国三十三日間・オーナー・オペレター・ システム(個人トラック制度) 単身取材旅行体験記(十八話)
    (一話)渡米直後の情報収集はタクシー・オペレーター・・・・・・
   (二話)自動車メッカ・デトロイト市で得た最初の貴重な書籍・・・・・・・・
     (三話)五年前の訪米機中で知り合った米人と感激の再会・・・・・・
  (四話)ATAのシェーファーさんと再会・一人旅のスタート・・・・・・・
  (五話)第一週のウィークエンドを効率よく過ごす・・・・・・・・・・・・
   (六話)満六十二歳の誕生日をニューヨーク市で迎える・・・・
  (七話)『一九九三年ATA経営セミナー&展示会』(ATA年次大会)に参加
       二千人の人達との出会い・・・・・・・・・・・・
  (八話)豊富な各種セミナー&講演会は情報の宝庫・・・・・・・・・・
  (九話)宴たけなわの晩餐会で学んだこと・・・・・・・・・
   (十話)最終日はコリン・パワウエル将軍の講演&ランチオンで探し求めて
       いた人物との出会い・・・・・・・・
    (十一話)ヴァージニアのSC&R協会でアン・アダム夫人死去の報に接す
    (十二話)チームスターズ・ユニオン本部へ乗り込む・・・・
   (十三話)テネシー州のトラック・ストップで終日取材・・
    (十四話)ダラス市でベンチャー経営者親子との出会い
         ケネディー大統領暗殺現場で始めて転んだ・・・・・
   (十五話)アリゾナ州フェニックスで従姉妹と三十年ぶりの再会・・・・
   (十六話)最終訪問地・ロサンゼルスを中心にカルフォルニア州南北縦断・・
   (十八話)取材を兼ねたハワイ一週間家族バカンス・・・・・・・・・
  ⑦執筆活動開始・ワープロへ六十一歳からの挑戦 ・・・・・・・・・・
  ⑧パソコン導入で最先端・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ⑨あっという間に使い果たした資本金の一千万円・・・・・・・・・・・・・ 
      ⑩市内中心のサテライト・オフィスからSOHOへの転換・・・・・・・・・
  ⑪個人トラック制度導入論文が巻き起こした「世論」の高まり!
     十数年間に及ぶ是非論議・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ⑫満百二歳の天寿を全うした母・・・・・・・・・・・・
  「トラックドライバー帝王学のすすめ~ザ・プロフェショナルズ〟への教科書~
  ⑭経営顧問契約締結クライアントのこと・・・・・・・・・・・・・・・・・
      ⑮青春時代のエピソード:文芸社刊「初恋、初カレ、初カノジョ」の入選作品
    「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ

5章 人生第三毛作の演出(後編) 広がってきた講演ジャンル 新たな役割

  ①社団法人広島県安全運転管理協議会「法定講習」の専任講師活動・・・・・・
  ②広島労働局主催「就職促進セミナー」講師活動・・・・・・・・・・・・・・
    ③SAM国際大会受賞晩餐会で英語のスピーチ九分間・・・・・・・・・・・
      ④十二年ぶり、三回目の訪米で抜け目なく「取材」・・・・・・・・・・・・・
      ⑤「雇用・能力開発機構広島センター」でも・・・・・・・・・・・・・・・・
      ⑥現代の若者たちに欠けているもの それは「人生の師」を演じる先輩・・・・
      ⑦「健康・生きがいづくりアドバイザー」としての役割・・・
      ⑧私の健康法~小さな動機、大きな結実のドキュメント・・・
  ⑨フィリピン人家族との「『相互扶助精神』に基づく運命共同体生活」の実践・

6章 人生第四毛作への挑戦   
  ①「非計画的人生」を余儀なくした私が描く初めての
          「計画的人生:百歳以上を生きる」・・・・・
      ②現役引退決意・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
      ③フィリピン移住への選択・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・     
      ④自作自編集のウェブサイトを活用した執筆活動・・・・・・・・・・・・ 
    ⑤新コラム「インタネット情報&ヨシダブログ」の活発化で
     ウェブサイト執筆体系の大変化と生活パターンの大変化・・・・・・・    
      ⑥「自分史(日英語)のウェブサイト掲載・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ⑦単身自立生活を味わう(?)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ⑧フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News の常設執筆者拝命
    初刊号に長文の拙著掲載(但し、初刊号で廃刊)
   ⑨一旦は選択肢としたフィリピン女性との結婚生活と破綻・・・・・・・・・
     ⑩災い転じて福となった「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」への選択肢  
     ⑪突然に降って沸いて立ち消えた
   「世界最大のTV会社からのテレビインタビュー取材話・・・・・・
   ⑫(・・・まだまだ続くのがヨシダ自分史は「人生第四毛作の物語」です・・)
            (以下、新規書き増し予定)  
7章 ”人生いろいろ いきいき  ハツラツ わが人生は五毛作!!!
   

   ②
   ③
あとがき


(注)去る2017年10月28日のヨシダ86歳の誕生日前後にある不可解な出来事に遭遇しました。それは年金振込口座(PHILIPPINES NATIONAL BANK)の前触れもなく理由不明の一方的な「閉鎖」です。日本年金機構はそれをもって、本人年金受給者(吉田祐起)は「死亡したものと断じた」と推測せざるを得ない「年金支給ストップ」事件です。
 くだんの銀行口座の一方的な閉鎖に至っては日本では想像すらでき得ないことですが、この国フィリピンでは・・・といった不信感。終世をこの国で・・・と決意してのことでしたが、ある時期をみて帰国する意を決しました。その時期とは約4年後の同居フィリピン家族が実現する土地建物の取得を見届けてのことになりそうです。
 具体的には長崎原爆病院への終世入院を背景に、その平和な環境にあやかっての「自分史最終章」の追加執筆です。タイトル末尾の言葉「・・・わが人生は五毛作!」だけでも関心を呼ぶでしょう・・・。ちなみに、大胆なヨシダの存念は「ヒバクシャ最後の生き残り人間」を演出することでもあります。
 広島市の原爆病院でなく、長崎のそれを選択するヨシダの存念はしかと胸に抱いていますが、本欄では必要ないでしょう。
 なお、タイトルに関してのエピソードをこの際、付記します。島津千代子さんが審査員長で募集された文芸社懸賞論文がそれです。ヨシダの応募作品は「いきいき ハツラツ わが人生は三毛作!」でしたが、選外でした。仄聞したことは、「経営者の視線で書かれていることから一般向けしないのでは・・・」というものがあったとか。離日寸前の荷造り中に、文芸社営業マンから電話が入りました。小額の自己負担金で結構ですから出版しませんか・・・?」というもの。フィリピンを終の棲家と定めての離日直前だったことから、体よく断りました。フィリピンでの自分史執筆は「人生第四毛作」にあったからです。
 さらに、それが母国での「第五毛作」と飛躍することから、全てが良かった、よかった、ヨカッタ!と相成る次第です。「人生五毛作とは何、なに~!・・・」と好奇心を招くでしょう。
 ・・・と、自分史ひとつのあり方を巡ってのこのような変化の激しさ!その背景には、かくいう筆者・ヨシダの人生計画そのものが「行き当たりばったり」って感じです。じじつ、わが人生の5毛作時代は予め計画してのことでは全くありませんでしたし、終の棲家と定めた後ですらそんな調子です。まるで「ケ・セラ・セラ」って調子でして苦笑いする始末です。ま、逆に言えば、人生って、計画通りにはいかないもんだ、ということの生き証人って感じのわが人生劇場演出者自身って感じです(笑)。
 ・・・と、それにしてもですが、この身(高齢&ポリオ障碍者)でのこのヨシダ人生演出劇ですが、その背後に体感するものを抱きます。すべては神様の思し召しに従って・・・と。日々を、一刻一刻をベストを尽くして生きる者に与えれれた特権であり使命感と受けとめて生きる満86歳を一週間前に迎えたヨシダの存念でもあります。(2018.11.5.記)