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No.6456
「人生って思うようにはいかないけど」 大塚家具社長 大塚久美子氏(下)
日経ビジネススクール2016.7.29.ライター 曲沼美恵

           
一橋大学を卒業して旧富士銀行に就職した大塚久美子氏は、3年後の1994年、請われて父、勝久氏が経営していた大塚家具に入社する。店舗の拡大期に人手不足となり、組織として動く仕組みづくりに奔走することになるのだが、親子で働くことに葛藤はなかったのだろうか。

前編「ドジな銀行員だった『家具や姫』大塚家具の久美子社長」では、ユニークな少女時代から就職までの軌跡を紹介しています。

◇ ◇ ◇

 あのまま富士銀行に勤め続けていたら、人生、どうなっていたか――。それはあまり、考えたことがありません。

 人生って、たいがいは思うようにはならないものですよね。予定外のことがたくさん起こります。どんな道を選択すればいいかは当然、誰しも考えるでしょうし、考えてしかるべきですが、キャリアは事前に予測できるものじゃない。

 ただ、そのときどきで事態をどう受け止め、どう判断するかは自分次第。「どうなるか」よりも「どう生きるか」。自分の身に起きた出来事を「どう価値のあるものにしていくか」を考えながら、これまで生きてきました。

■94年、父の経営する大塚家具に入社

 銀行を退社し、大塚家具に入社したのは1994年のことでした。子供のころから家業を身近に感じて育ちましたし、古い社員さんの中には顔見知りも多かったですから、まったく知らない世界に飛び込むような抵抗感はありませんでした。

  会社はそのころ、大規模小売店舗法(大店法)の改正を受け、全国に店舗を拡大しようとしていました。バブル経済期に計画された建物は次々と完成するのに、 肝心の借りるテナントがいないということで家賃は下がり、私どものように大きな面積を必要とする業態にとってはチャンスが到来していました。

             
                 大塚家具社長 大塚久美子氏 

 一方で、会社は人手不足の状態でもありました。関東以外では初となる大阪への出店計画も持ち上がっていて、当時の社長、つまり父は「自分も大阪に行くことになるから、東京が手薄になる」と考えていたようです。人事を通じて私が呼ばれました。

  銀行ではそのころ、国際広報を担当していました。親子が同じ会社で働く難しさは想像できましたから、躊躇(ちゅうちょ)する気持ちがなかったわけではあり ませんが、その時は「期限付きだし、なんとかなるだろう」と思っていました。自分が必要とされるならば、その期待に応えたい気持ちもあり、お引き受けした わけなんです。

 ただ、結果的には父が大阪に常駐することはなかったんです(笑)。

 それまでは、おおむねの社員が顔と名前も一致するようなアットホームな雰囲気の中で経営できていました。本社から店舗に通達を出す際にも、「日々のお仕事ご苦労さまです」というような挨拶文から始まるような世界でした。

  一方で、そのような家族的経営の限界もすでに見えていましたし、いつまでも創業者のカリスマ性で組織を引っ張っていけるはずもありません。すでに上場企業 にもなっていましたから、スムーズにバトンタッチできるよう、準備しておく必要がある。その下地づくりをするのが自分の役目だと思いました。

  大塚家具に入社してからは、組織として成長していけるような仕組みづくりや人材育成、教育などの整備に取り組みました。経営企画の仕事を中心に、営業管理 や経理、広報の責任者を兼務しながら、会社の弱い部分を次々と強化していきました。幸いにして銀行というモデルは頭にありました。何万人も社員がいる組織 と数百人から1000人という規模の組織ではおのずと違ってきますので、その違いも意識しながら、改革を進めていきました。

 当初は3年くらいで仕組みづくりを終えるつもりでしたが、結果的には10年かかりました。成長のスピードも非常に速く、その間、社員数と売上高は3倍くらいに伸びました。それを支えきれる仕組みができたのは、良かったかなと思います。

 自分としてやれるだけのことはやった。ならばこのあたりが潮時だろうと思い、顧問としての立場は維持しつつも、2004年にいったんは取締役を退任し、セミリタイアすることにしました。

■セミリタイアするも不祥事で呼び戻される

              

 セミリタイア後はそれまでの経験を生かし、IR(投資家向け広報)と広報を専門とするコンサルティング会社を立ち上げ、友人の会社の執行役員にも就任しました。

  06年から筑波大学法科大学院にも通いました。弁護士さんは法律には詳しいのですが、会社経営の実態を知っていただくまでには時間がかかります。いざとい う時にはそのすり合わせに時間がかかるのを感じていましたから、自分が両者の間に入る”通訳”みたいになれればいいなという気持ちで勉強していました。

 そうこうしているうちに、大塚家具で不祥事が起こってしまいました。06年に行った自社株取得がインサイダー取引にあたるとして、07年、証券取引等監視委員会から課徴金納付命令を受けたのです。

 当初はコンサルタントとしてその処理を手伝っていたわけですが、その流れで、結局は社長として戻ることになりました。そこからは紆余曲折(うよきょくせつ)あり、14年にいったん社長を解任された後、15年1月に再び社長に就任しています。

 強く意識したことはありませんが、社長として内部から改革を進めていくことと、コンサルタントとして外部から関与することはまったく違いますね。会社を良くする、あるいは、企業価値を上げていく。この思いは一緒ですが、それぞれの役割が違う。

  「正しいこと」は何かがわかっていても、内部にいるとどうしても、目の前の現実に流されてしまいがちです。それをさせないためにコンサルタントがいるわけ です。「正しいこと」を実行しようとすれば様々な障害にも直面しますが、それを乗り越えて、理想に向かって進んでいかなくてはならない時があります。

 私の中で、社長とコンサルタントというのは特に意識して切り替えたというよりも、その時々で自分が求められる役割を果たしてきたような感じなんです。

■ストレス解消は海外ドラマの鑑賞

 ストレス解消にはよく海外ドラマを見ます。日本人が出てくるとどうしても現実に引き戻されてしまいますから、頭を切り替えたい時は海外ドラマの方がいいんです。

                    

 推理モノは大好きです。事件モノも。アクションサスペンスの「ブラックリスト」、いいですね。弁護士ドラマ「スーツ」も好き。海外ドラマはおそらく、ほとんど制覇していると思います。

 シリーズモノでも、一話の中で必ず犯人が捕まるドラマがいいですね。そうじゃないと、先が気になってしかたがない。それと、海外ドラマを見ていて思うのは、インテリアがそれを使う人物をよく表現しているということです。とても勉強になりますし、おもしろい部分です。

  今はあまり余裕はないのですが、最初に申し上げた通り、環境が私に与えてくれる影響はあると思っています。社会環境を変えるのは難しいですけれども、家具 を変えることなら誰でもできます。家具を変えることによって、生活環境を変えることもできる。そうすることで、自分自身も前向きになれます。

  家具選びではもちろん、機能性や収納性も重視しますけれど、いわゆるスローライフ的なものも大事にしたいと思っています。そのために、あえて手間のかかる 家具を身の回りに置いています。定期的にワックスをかけて磨いてあげないといけないような家具を置くことで、「こういうものを使う生活をしたい」という気 持ちの表れにはなると思うのです。

 もちろん、実際にはそんな余裕なんて全然ないんですけれど(笑)。

 「こうありたい」という環境をまずつくり、環境の方からリマインドしてもらう。なりたい自分になるためのインテリア、努力を後押ししてくれるような環境づくりをお手伝いしていきたい。今は、そんな思いで事業に取り組んでいます。

大塚久美子氏(おおつか・くみこ)
1968 年埼玉県生まれ。91年一橋大学経済学部卒、富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)入社、融資業務、国際広報などを担当。94年大塚家具入社、96 年取締役。経営企画室長、営業管理部長、総合企画部長、経理部長、商品本部長、広報部長などを歴任。2004年取締役を退き、05年クオリア・コンサル ティング設立、代表取締役就任。07年フロンティア・マネジメント執行役員就任、同年退任。09年大塚家具社長就任、14年7月取締役、15年1月社長に 復帰。

(ライター 曲沼美恵)

 前回掲載の「ドジな銀行員だった『家具や姫』大塚家具の久美子社長」では、ユニークな少女時代から就職までの軌跡を紹介しています。(傍線引用:吉田祐起)

ヨシダブログ: 。前回は「上」の「No.6453:ドジな銀行員だった「家具や姫」大塚家具の久美子社長(上) NIKKEI STYLE 2016.7.27.ライター 曲沼美恵)」の後編です。前回は多くの写真を添付しましたが、本編では省略します▼取材の段階で順序が逆になってブログするに幾分か戸惑いを感じますが、確実に言えることは、大塚久美子社長さんは経営者のDNAの以前の問題として充分なウォーミングアップに相応しい体験の数々を積み重ねてこられた、という点です。「帝王学」はDNAプラス、ご自身の諸々の体験がベースになっているという点でして、なんとも、名実共に「毛並みの良さ」を感じる、というのが経営者人生60余年を体験したヨシダの弁です▼「中見出し」は、■94年、父の経営する大塚家具に入社■セミリタイアするも不祥事で呼び戻される、■ストレス解消は海外ドラマの鑑賞・・・と続きます写真10枚添付ファイル
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