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                 編集者のひと言ダイアリー・コナー
  ヨシダは「日誌」なるものは書く習慣を持っていませんでしたが、パソコンで気軽に書けることから、刻々とウェブサイト・トップ面に書き込むことを2015 年正月元旦から思い付きました。くだんの 「コラム:インタネット情報&ヨシダブログ」記載欄直前に設けたのがその日、時々の数行のコメント。ひと目でその執筆時間帯が分かるように色分けまでする念の 入 れよう。何時もは記事検索で追 われることからそんな余裕は無かったのですが、新聞休刊日を契機にこんなことを思いついたものです。「ヨシダの数行ダイアリー」って按配のコーナーです。 幸いに、トップページは毎日コピーを記録していることから、2015年1月元旦からの実施とする次第です。もっとも、初期の段階では「ひと言」的に考えて いましたが、日々のコラム編集記事のリンクを貼ることから長文になっています・・・。日々、何をした、何を考えた・・・と自身が記憶に留めるためにです。
                        2015年1月1日

                       編集者:吉田祐起
                

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2015.10.31.(土)
 な んともお粗末千万なことですが、昨夕まで気付かなかったことに、10月は31日があることを失念していました。大慌てで「10月31日のできごと」 編集を しているところです。イイ歳してですが、錯覚ってあるもんだなあと、ヘンなところで頭をかいています。と、そんなことから、本日の「できごと」で添付写真 の選択が後追い中ですので・・・★どうしたことか今朝早くからインタネット断絶状態が現在(22:45)まで続きました。よって、本日の取材は抜きにして 翌日への日付変更等に入ります。なお、XPパソコンのOutlook Expressは依然として接続不能状態です。(22:50)





 ふと、またまた目にとまった記事「「もやし」で36年連続黒字!強運社長の激動人生(DIAMOND Online)」。即決即断!「湯豆腐にプラスの茹でたもやし!い」。その分、多少の生野菜は少なくします。左側に家長・アーネルに画像を添えて購入依頼しました。前ブロしたように、タップリ食したブレンチの後のお腹の感触は従来の違和感とは全く異質!シメタ!って感じです。「きょうのできごと」編集が招来する予想以上の効果効用です。記事の主人公はそれを商政策に、ヨシダのそれは食生活改善に・・・って按配です。(11:50)


2015.10.30.(金)
 本日「10月30日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(10)1938年 - アメリカでオーソン・ウェルズ演出のラジオドラマ『宇宙戦争』が放送されるが、本物のニュースと勘違いされ、アメリカ中で120万人以上が大パニックに」としましょう。ヨシダが小学校入学した当時のこと。当時の日本では想像だにすることがなかった「宇宙戦争」というものが放送のネタだったことは、その分、当時の放送のあり方やリスナーの近代性には相当な日米格差があったものだな、と想像します★今日は10月の最終日。「・・・日々をかみ締めながら生きるから<光陰矢の如し>は無縁たる所以です・・・」というヨシダの言葉を評してハワイの友人がメールで曰く、「このヨシダさんのブログの中でみつけた言葉。私もそんな生き方をしなくては!と自分に言い聞かせました・・・」と★区切りで月末・月初めをかみ締めて生きることの大事さを再確認します。(5:55)
 「No.5820:老けない人は「腸の若返り」ができている!30代から進行する認知症はこう予防する東洋経済ONLINE2015.10.30.新谷 弘実・米国アルバート・アインシュタイン医科大学外科教授)」を 編集しながら脳に閃いたこと。それはヨシダが過去の自身の人生の節目ふしめでヒントを得て実践に移してかつ、継続してきていることです。ヨシダが自負する それは「意志の強いオトコ」に尽きると自負します。でも、一瞬先は闇というのが人間の一生。唯一の支えは、自己愛とかいったものでは断じてなく、「自利から他利」の精神がその努力の背後にあることだけは自負できると内心に秘めています。「秘めて?」でなく、こんな形でブログしている自身に苦笑いデス。(9:05)  
 さきほど、アーネルの養女・マローがにゅ~と部屋に入ってきて差し出したのが彼女愛用のスマホ。大きな日本語文字で「誕生日 おめでとうございます!」と。無論、スマホ翻訳のもの。チーキングして出て行きました。彼女は学校でも二度ほど「美人コンテスト」に優勝。先が楽しみです。貧乏だったアーネルの養子取りは「貧しさを分かち合う」だと早くに知らされました。日本での「養子縁組」は資産継承が背後に見え隠れするもの。打算でなく、援け合いの精神はフィリピン人のほうが上手と言えるでしょう。(9:20)

 「No.5821:『記者縦横』 平和の鐘 日米の懸け橋中国新聞「天風録」2015.10.30.東広島総局・森岡恭子)」の編集はヨシダの第二の故郷を想起するものがあります。「天風録」取材も何年ぶりかで実現できてウレシイです。(14:50)
 大チョンボしました!どうしたことか、本日が10月最後の日と見事に錯覚していまた!イイ歳して・・・と、自分ながら呆れかえっています。最大の難点は「10月31日のできごと」がまったく手付かず。逆に「11月1日11月2日のできごと」2編は完成して正味2日分のストックだ、と安心していました。今夜中に「10月31日のできごと」の編集を完了しなかったら、「男がすたる」デス。(19:45)

2015.10.29.(木)
 本日「10月29日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(15)1969年 - ARPANETによるコンピューター同士の接続が初めて行われる。」です。インタネットを開発したのは米国国防省だと認識していましたが、開発資金を負担したことを改めて知りました。曰く、「ARPANET(アーパネット、Advanced Research Projects Agency Network)は、世界で初めて運用されたパケット通信ネットワークであり、今日の世界的なインターネットの起源である。アメリカ国防総省の高等研究計画局(Advanced Research Projects Agency、略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービスとリンカーン研究所のローレンス・ロバーツの設計に基づいていた(ウィキペディア)」(00:20)
 鼻汁&咳が出始めました。ヨシダの経験から言うと、この種の風引きは内向して発熱する場合と対照的でイイほうだと割り切っています。なにせ、年中・24時間が「ステテコ&半そで」姿だけに、何時、どうして風引きを起こすのだろうか?・・と、なにやら不可解な気分(笑)。セニーが何時ものように気を利かしてホットレモンを差し入れてくれました。ボツボツ朝食(ブレンチ)の時間。今朝もたっぷりと味わいます。(7:15)
 「No.5818:「ひまわり」帰国長崎新聞「水と空」2015.10.29.信)」を編集しながらのヨシダの想いのひとつ。タイタニック号最期の生き残り人・故メルビナ・ディーンさんを横目に・・・。その間はブログし続けて・・・と。(11:10)
 「No.5819:フェルメール・ブルー福島民報「あぶくま抄」2015.10.29.)」 を編集しながら芸術家気取り(?)のブログをしました(笑)。おっと、英語の「Blue(ブルー)」の講釈をブログするほどの厚かましさのヨシダにはご寛 容のほど・・・★色気のないことですが、今朝からず~と「鼻水」だらけ。ティシュはトイレ用の巻紙。化粧ティシューだったら勿体無い!といった感じの激し さです。でも、既述したとおり、鼻水や咳の時のほうが内向して発熱するよりもはるかにイイ気分だと割り切っています。ヨシダ流の受けとめ姿勢です★セニー が実に舌触りのイイ、ホットレモン湯を差し入れてくれました。今朝の食事量が一杯過ぎたことで、夕食はなしで、と告げたところです。(13:05)
 「11月1日のできごと」編集に没頭しています。最終段階の「英語版の挿入」に入ります。 日本語版と重複するものは削除して、日本語版にはなくて、英語版にあるものをそのまま残して英語表示のまま掲載する、という仕組み★概して言えることは、 英語版のほうが圧倒的に件数が多いということ。時には、英語訳したものを加えるかな、と思うことがあるのですが、キリがないから止めときます★先ほど、ハ ワイの日本人奥さんで、旦那さんがアメリカ人というご人物から正月以来のメールをいただきました。嬉しくて、直ぐに返信しました。ハワイには大勢の親戚が 居りながら交流はありません。考えればこの年配で普通ならヒマを持て余す年代。格好の暇つぶしって気分でもメール交流ができないこともないのですが、血が 通っている分、逆に書きたいことも遠慮がちかもしれません。複雑な心境です・・・。(18:45)

2015.10.28.(水)
 本日28日でヨシダは満84歳丁度になりました!感謝の念を強くしてこの日を迎え過ごします。トップページの末尾に、この日の感想をブログしています★さて、本日「10月28日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(8)1886年 - ニューヨークの自由の女神像の除幕式が行われる。」、「(24)1962年 - キューバ危機: ソビエト連邦指導者ニキータ・フルシチョフキューバからのミサイル撤去を発表。」といったところです★前者は、ご存知のように、「アメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した。アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来絶えることなく世界各地からやってくる移民にとって新天地の象徴ともなっている。1984年にはユネスコ世界遺産文化遺産) に登録された(ウィキペディア)」★1993年に一ヶ月間の米国取材旅行をした折に当時ロスに住んでいた従妹夫婦と来るまでニューメキシコからカリフォル ニアをドライブ旅行した折に観光船で眺めただけしたがイイ想い出です。ヨシダの関心事は、その建設過程を知ること大です★後者は、一触即発的な緊張関係に あった米ソでしたが、ケネディー大統領の苦悩の様子が印象的でした。ホワイトハウス執務室の窓際に立ち、背をむけて考え込んでいる姿は印象的でした。 (7:00)
 早朝から笑い話をひとつ。今朝起きて部屋を出たら、セニーが「ハッピ バースデー!ダディー」と。思わず「誰の!?」と呟きました。その瞬間、そうだった!俺さまの誕生日だった、と(笑)。この間抜けなエピソードの理由をひ とことブログします。28日という「毎月のひと区切り」にばかり気をとられて、12回目のそれが「誕生日」ということへの意識を強くしませんでした。じじ つ、「本日で満84歳0ヶ月になりました!」という意識です。イヤハヤ、こんな体験は生涯初めてです。ま、一年に一度の誕生日を意識して生きるより、肝心 の誕生日を横に置いといて、毎月の28日の意義をかみしめながら生きるのもイイでしょう・・・。(7:30)
 「No.5816:沖縄への禁じ手朝日新聞「天声人語」2015.10.28.)」で大胆なヨシダブログを惜しみませんでした。各位のご批判ご意見を歓迎します。(10:15)
 「No.5817:中国は将来、必ず崩壊していく 欲望が自らを蝕む原理産経ニュース2015.10.28.石原慎太郎)」 を編集しながら脱線この上もなく・・・って按配のブログ。考えてみるに、ホントにストレスは溜まりません!書籍でもインタネット情報もですが、書いてある ことに多少でも疑義や反論したくなる問題に遭遇すると、そのことが内向してある種のストレスを招来します。その点、ヨシダはまったく逆でして、してやった りって自己満足もあり、精神衛生上でもイイ塩梅です★こんなコラムを開設したのは、今を去る2012 年3月9日で3年半以上も前のこと。当時のコラムを開いてみると、じつに幼稚って面が否定できないのが現在の編集者の弁。その分、「進歩」しているってこ とです。目下の想像は「No.6000」が何時のことになるかな~って、他愛もない空想。でもこれって、前向き思考もイイところですよね。ネギャティヴな 面に気をとられて思い煩うよりも、はるかにハッピーであり、建設的ですよね。YOUTH(青春の詩)」を朗誦する時、当該箇所にきたらこのほか強く意識します。(13:10)

2015.10.27.(火)
 本日「10月27日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(12)1936年 - ウォリス・シンプソンがイギリス国王エドワード8世との結婚のためアーネスト・シンプソンと離婚。」でしょうか・・・。王位を捨てて恋に生きたエドワード8世が主語でなく、恋人のウォリス・シンプソンが旦那と離婚した・・・という点でなんだか一瞬、戸惑いました。カップルそれぞれの人物像に好奇心を抱けど、グーグルで出てくる情報過多。またの機会まで預け・・・です。(5:55)
 このところ、「きょうのできごと」編集に関わる当該写真の選択やその量や大小に頭を抱えま す。一画面の編集許容量が1千KB(1MB)であることからですが、小さすぎては見えにくいし、さりとて数を少なくするにはむしろその選択肢で迷うなど、 想いは様々。時には赤文字で割愛を表示したり・・・と小さな悩み事★今朝の本トップページにあしらった<容量削減のため本サイトでの写真は削除していますが、左のリンクをクリックするとご覧いただけます。>をもって、解決とするかな・・・と、正直、思案投げ首です。それにしてもヨシダの凝り性も少し行き過ぎかな?・・・と反省中です。でもま、その分、ボケ防止には役立っていること抜群と自身をナットクさせています(笑)。(6:10)
 「No.5813国連70年の行動計画朝日新聞「天声人語」2015.10.27.)」を編集する過程でヒットしたのが「「絶望してはいけない」チャップリンの史上最高のスピーチ【独裁者】」です。価値ある収穫(副産物)と受けとめます。(8:50)
 「No.5814:ドイツ人、ハインリヒ・シュリーマンは伝説の都市トロイアの発掘者として知られる…千葉日報「忙人寸語」2015.10.27.)」を編集しながら禁じえない想いのひとつ。人類は所詮、何らかの理由で争い合うように仕組まれた宿命?といった感じです。どなたか、納得できる回答をお寄せくださいませんか?(9:50)
 「No.5815「読書人」と聞くと日本人ならば「読書好きな人」を思い浮かべる。しかし昔の中国…福井新聞「越山若水」2015.10.27.)」 を編集中のエピソード。あるテーマでグーグル検索してヒットしたのがほかならぬ、「ヨシダブログ」のひとつ。ひと昔前には「吉田祐起」で検索すると、数十 ページにわたって本コラム「ヨシダ著」がずら~と出たものでした。なにせ、その件数は当時ですら数千ページに及んだ大量のものだっただけに、グーグルに拾 われ過ぎたのでしょう。公平を逸するとでも思ったグーグル担当者が操作してその連載を止めたものでした。(11:05)
 久方ぶりにゴッホン、ゴッホンの咳が出だしました。先刻からその気配があったのですが、あまり気にもとめずにってところ。ヨシダは咳に弱いのが子供時代から。でも、咳が出る分、内向して熱が出ることがないのも体験上承知の上です★と、その気配を感じたお手伝いさんのセニーが熱いレモンティーを持ってきてくれました。チビリチビリと喉を潤すに、効果てきめん!今夕も用意して、と頼めばウレシイそうに頷きました。ちょっとしたことでも、多少、大袈裟に喜びを表現すると嬉しそうに反応するのがウレシイです★前回の本欄書き込みから6時間近くが経っています。その分、「10月29日のできごと」編集に専念していました。2日分のストックを回復しました。おっと、半時間くらいの昼寝もしました★明日(10月28日)はヨシダが「満84歳0ヶ月」を迎えます。この日をひとつのターゲットみたいな感じで毎月の28日を迎えてきたものです。なんでもないことのようですが、ヨシダ流儀の過ごし方です。(17:00)

2015.10.26.(月)
 本日「10月26日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(9)1881年 - 保安官ワイアット・アープとクラントン兄弟らアウトローカウボーイズ」がアリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル付近で銃撃戦。(OK牧場の決闘)」です。ヨシダが50歳時代に観た映画。もし、本コラム編集で得た知識をもって観ていたら、鑑賞度合いも格段の差があったと痛感します。古代の戦争映画もフィクションでなく、歴史観に基づいて製作された映画であることも併せてのこと。でも、遅ればせながらの歴史勉強機会を得て嬉しいです。(00:00)
 「No.5809:神風特別攻撃隊出撃の地、パンパンガ州で慰霊祭。約200人が戦争犠牲者の冥福と世界平和を祈願日刊マニラ新聞2015.10.26.押田健太)」の編集なかんずく、当該写真選択等に随分と時間をかけました。この国フィリピンで若い生命を特攻隊として身を挺した同胞になんとも言えない痛恨の心情を禁じ得ません。ヨシダがこの国に骨を埋める理由が自他共に一層の価値が深まることを確信します。合掌。(11:15)
 「No.5810:1911年、砂漠と高原が広がる中央アジアで、日本人青年が音信を絶つ。仏教遺跡…日本経済新聞「春秋」2015.10.26.)」を編集しながら半世紀近いひと昔のエピソードに想いを馳せました。石油王国アブダビの「オタイバ石油大臣」との「会見・談」エピソードです。ヨシダって随分と大胆な体験をしているでしょう!★ヨシダって、随分と大胆かつ、稀有なエピソードを持っているでしょう!英語ができるからチャレンジできたこと、できることにほかありません!ヨシダにとっての英語力は、過去から現在に至る華麗な(?)ヨシダ人生を築いてきたと自負します。ホント!(13:20)
 「No.5811:トイレが映すインドの苦悩と希望日本経済新聞2015.10.26.編集委員 梶原誠)」を編集すべきかどうか、チョッと迷いました。でも、人生って、きれいごとだけではすまない、済まされないのが現実。編集してヨカッタと思うのは、些細なことでもわが身に置き換えて考えることに意義があると考えた結果です。でも、流石に一旦はグーグルで観た当該記事関連の写真がありますが、添付するのは遠慮しました。(16:00)
 「No.581221世紀の民族大移動が始まった日本経済新聞2015.10.26.池上彰)」の掲載をちょっと躊躇しました。理由は少しばかり疲れを感じるからです。12時間以上のデスクワークだけに、です。ヨシダブログもそんなことから、舌足らずですが、ご寛容を。(20:45)

2015.10.25.(日)
 本日「10月25日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(21)1962年 - バレーボール世界選手権全日本女子チームが決勝リーグ全勝により初優勝。東洋の魔女と呼ばれる。」でしょうか。ヨシダが31歳の頃で人生第二毛作に突入した時分のこと。スポーツには疎い者でしたが、「やった~!」と声を上げたのを記憶します。過去の「できごと」を洋の東西古今の別なく編集する者へ与えられる喜びです。もっとも、殺戮とかいった暗い歴史も同時並行のことではありますが・・・。(00:10)
 お手伝いさんのセニー(家長・アーネルの姉で、旦那さん弟死去での故郷行きで留守中)に代わってアーネルが朝食準備。セニーより多少多くの野菜を綺麗に平らげてお腹をさすりつつ、満足の意を表したら嬉しそう。なにせ、ヨシダは人を喜ばすのが好きなタイプ。自分の楽しみより相手優先主義(?)。「自利から他利へ」はこんなところにも活きています★食事しながらのアーネルの話。毎日ジョギングを欠かさなず、最近は友人たちも引き込んでいる様子。曰く、73キロが65キロになった!と。事務所のスケールで毎日確認するのが楽しみだと。そう言えば、スケールがベッドの下に眠っていた!「俺には無用のスケール。お前さんのものに・・・」と渡しました。★彼が言うに、雨天ので時には室内で足踏みしているとか。ムズムズするのでしょう(笑)。実にイイ傾向です。ヨシダの口癖は、「効果が現れる前にギブアップするのが常。それを確認するまで続ければ、後はその醍醐味を失いたくない!」といった人間の心理を強調する次第★
こんなところでもヨシダは良き影響を与えつつある!とは自我自賛の弁★先ほど広島市で活躍する女性で、旦那さんは広島市に本社を持つ不動産会社のフィリピン子会社社長。来年はお子さんを連れてフィリピンに合流されるご家族。ヨシダの同女史の人物評は「女傑」のひと言に尽きます。お名前をブログすれば、「ああ、あの人!」と反応があるほどの人物。その方からのメールを受信して楽しく読みつつ、更なる尊敬の念を強める次第。(9:05)
 「No.5805オバマ氏、ついに怒る 夕食会で一変した対中戦略 (風見鶏)日本経済新聞2015.10.25.編集委員 秋田浩之)」 にある種の痛快感を覚えます。ヨシダはオバマ大統領ファンのひとり。「ヒバク市表敬を任期中にはする」と公言した大統領だけに、デス。その原質をとったヨ シダの原点はNHKインタビューの際の同大統領の言葉です。詳細は「いが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いた のが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)」をクリックしてご覧下さい。ヨシだの想像はその大統領の「男の約束発言」がマスメディアに「封印(かん口令?)」されて現在に至る、という憶測シナリオです。と、余計な方向にブログが向かってシツレイしました。(10:40)
 「No.5806:神君か腹黒いタヌキか朝日新聞「天声人語」2015.10.25.)」と、こんなデッカイ内容の記事にヨシダが登場するにはそれなりの意味があり、ニンマリ・・・って気分です。編集者の特権をこんな記事で、こんな形で出来る身の幸せ(?)を体感します。(12:10)
 先ほど傍らのXPパソコンが受信の気配。ふと目にとまったのはニューヨーク・タイムズ紙記事。曰く、「Maureen O'Hara, Irish-Born Actress Known as Queen of Technicolor, Dies at 95 」と。エッ?モーリン・オ・ハラさんって、まだ存命だったの?と、失礼ながら呟きました。天然色女優の異名もあった大女優さん。同記事の末尾の英語文章をそのまま添付します。「....Although Ms. O’Hara took on dual citizenship, she was intensely proud of her Irishness. She served as the grand marshal of New York’s St. Patrick’s Day parade in 1999. When a journalist asked her in 2004 how she remained so beautiful, she explained: “I was Irish. I remain Irish. And Irish women don’t let themselves go.”」★ふと、ヨシダが思うこと。「ヨシダさん、84歳とは思えないけど、どうして?」と問われたらのヨシダの答え。「ジャパニーズですから・・・」と(笑)。(17:45)
 直近の2編の編集記事を列記します 「No.5807:書店に行くと、所狭しと並んでいる。「○○したいなら□□せよ」と人を導く指南書…西日本新聞「春秋」2015.10.25.)」、「No.5808:幕末の蘭学者高野長英は、幕府の外国船打ち払い政策を批判したことで「蛮社の…岩手日報「風土記」2015.10.25.)」がそれです。ノーモア・ブログ!先にすすみますので、あしからず・・・。(18:00)

2015.10.24.(土)
 本日「10月24日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(14)1929年 - 暗黒の木曜日。ニューヨーク株式市場が大暴落し、世界恐慌が始まる。」です。添付した当該写真5枚の最後はオープンカーを囲んだ人たち。そのクルマのフロントグラスに貼ってあるのが、「このクルマ100ドルで売ります」というビラ。持ち主はさぞかし、莫大な資金投資家。株式大暴落の片鱗が窺えます★もうひとに、ヨシダが生まれた1931年の同じきょうの10月24日には、「(15)1931年 - アル・カポネがクック郡刑務所に入所。」があります。(00:10)
 ひと通りインタネット情報全てをチェックし終えましたが、これという記事にヒットしないこ とからちょっと、気分にゆとりができた感じ。そんな時につい手が出るのが本欄「ひと言ダイアリー」★当初このコラムを設定したおりは、「ほんのひと言」の ツモリでしたが、どうしてどうして、呆れるほどの「ひと言」になってしまいました。その最たる理由は、掲載した記事ごとに此処に(も)掲載しているからで す。なにせ、それがヨシダの主たる日常の過ごし方だけに、迷わずそれを記載し、併せて、「ヨシダブログ」では言及しなかったことで、後から気付いたことを 本ダイアリーに、という図式で★このところ、「きょうのできごと」編集で欠かせない当該写真のこと。歴史を学び、記述された出来事の内容を理解するために 生じるのが編集者自身の好奇心が招来するのが、複数の当該写真の選択肢。ために、「編集容量」が大きくなることです。一画面の許容量が「1MB=1千 KB」であることから、気付くにそれをオーバーすることが少なくありません。写真を可能な限り小さくしながらの作業ですが、その抜本対策は当面の課題と受 けとめています。ちなみに、このトップサイトの末尾にあしらっているのが、その「使用容量現在値」です。編集者の目安としています。(10:40)
 片方のパソコン(XP)に時おり入るメルマガ気配を横目に、ざっと目を通して削除さくじょ・・・。現在のヨシダのお仕事は「10月26日のできごと」編集。かの「OK牧場の決闘」という西部開拓時代の名画の舞台関連写真を追いながらロマンを追っています。当時の写真はことのほかリアルです。「(9)1881年 - 保安官ワイアット・アープとクラントン兄弟らアウトローカウボーイズ」がアリゾナ州トゥームストーンのO.K.コラル付近で銃撃戦。(OK牧場の決闘)」がそれですが、今から134年も前の出来事だけに、現存する当時の写真は貴重です。ふと、想いをめぐらすことは、その当時のニッポンはどんなものだったから、と。
 「No.5803成長フィリピン株に黄信号 海外勢15週連続売り越し 大統領選控え様子見日本経済新聞2015.10.24.マニラ=佐竹実)」を編集しながら思いました。「フィリピン!がんばれ~!」と。(12:50)
 「No.5804:「終活と介護施設」紀伊民報「水鉄砲」2015.10.24.翠)」を編集しながらヨシダの胸に去来することがあります。ヨシダの晩年人生の在り方選択肢。と言っても、計画的に云々ではなく、ごく自然の成り行きから、でした。エス・イスト・グート(es ist gut!)、これでよし!と。(14:40)

2015.10.23.(金)
 本日「10月23日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(14)1873年 - 明治六年政変。朝鮮使節派遣の中止が決定し、征韓論派が敗れる。西郷隆盛が当日、板垣退助らが翌日に参議の辞表を提出。」でしょうか・・・。「征韓論」と言えば、その根底にあるのは天下統一を果たした豊臣秀吉が「武士の失業対策」の延長線上に位置づけられたという考え方を抱いていた歴史オンチのヨシダですが、あらためてウィキペディアで学びました。以下はその一節です。「征韓論(せいかんろん)は、日本明治初期において、当時留守政府の首脳であった西郷隆盛板垣退助江藤新平後藤象二郎副島種臣らによってなされた、武力をもって朝鮮開国しようとする主張である(ただし、征韓論の中心的人物であった西郷自身の主張は出兵ではなく開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、むしろ「遣韓論」という説もある)。西郷隆盛の死後、板垣退助らの自由民権運動の中で、板垣の推進する征韓論は西郷の主張として流布され、板垣ではなく西郷が征韓論の首魁として定着した(ウィキペディア)★ちなみに、「留守政府」は、ご存知、岩倉使節団岩倉具視木戸孝允大久保利通らが留守だったこと。海外事情を肌で感じた使節団は征韓論は時期尚早としてこれに反対、岩倉の意見が明治天皇に容れられ、遣韓中止が決定された結果、西郷や板垣らの征韓派は一斉に下野(征韓論政変または明治六年政変)し、明治7年(1874年)の佐賀の乱から明治10年(1877年)の西南戦争に至る不平士族の乱自由民権運動の起点となった・・・というものです。ハイ!これはヨシダのグーグル大学による歴史勉学のひとコマです(笑)。(00:15)
 このところ、「きょうのできごと」編集で欲張りすぎて過多の写真を添付しがちです。ワン・サイトの編集許容量が「1MB(1000KB)以内」であることから、それ以上になると編集画面が開けなくなります。本日のトップ画面がそれでして、やむなく、「できごと関連写真」一部を削除しました。その手法も同トップ画面を一旦コピー取りした編集画面から削除の上、本来のトップサイトと差し替えるという手法です。これも生活の知恵って按配★なお、「当該リンク」をクリックすると全体サイトがご覧いただけます★今後の編集手法として、同コラムの末尾に(○○○KB)と表示してオーバーしないように心掛けることにします。これも編集技術一歩前進とばかりに、ヘンなところでガッツしています。この辺りがヨシダのイイところ、と自画自賛するオッチョコチョイの編集長です(笑)。でも、ボケ防止にはもってこい、デス★今朝一番の仕事は「10月24日のできごと」編集完成でした。貯金が正味1日分。インタネット接続状況不良で時おり消滅するトラブルがその背景。コピー取りを頻繁にすることで対応していますが、余分のものではあることを認識しながらも「リスク・マネジメント」精神は旺盛です。(11:10)
 「No.5801:花街福島民報「あぶくま抄」2015.10.23.)」を編集しながらひと昔前のエピソードに浸りました。記事本文より量的に大きなブログになりました。添付写真の選択を考えつつ、実に楽しくひと昔の郷愁に浸りました。本コラム編集の間接的醍醐味でもあります。(13:55)
 「No.5802:バイデン氏、守れなかった息子の遺言(真相深層)米大統領選出馬を断念 「クリントン氏優勢」受け入れ日本経済新聞2015.10.23.ワシントン=吉野直也)」を編集しながら深く、しんみりと想うことがありました。バイデンさんは遠い別世界のご人物。でも、本記事は妙にヨシダに感じさすものがあります。今後の同氏の姿をテレビで観る時には、本記事で感じたことをダブらせて観るつもりです。(16:20)

2015.10.22.(木)
 本日「10月22日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(17)1962年 - キューバ危機: ジョン・F・ケネディ米大統領キューバ海上封鎖を表明。」です。この事件が起きたのはヨシダが14年間続けた職人自営業にピリオッドを打って、当時の家内の養父母経営だった小規模の運送事業を継承させられた大転換期時代。世界の情勢に目を向ける余裕もないほどの時代でしたが、テレビに観るケネディー大統領の苦悩振りが印象的でした★オバマ大統領による「米・キューバ59年ぶりの首脳会談」もあったことだし、今回のこの「できごと」編集を機にチョッとだけキューバの歴史を学びます。

    「米国・キューバ地図」の画像検索結果   「オバマ大統領の対キューバ政策転換」の画像検索結果      「オバマ大統領の対キューバ政策転換」の画像検索結果    「オバマ大統領の対キューバ政策転換」の画像検索結果 「オバマ大統領の対キューバ政策転換」の画像検索結果   「オバマ大統領の対キューバ政策転換」の画像検索結果
★もう一つのできごとを拾うとしたら、「(24)1987年 - 広島東洋カープ衣笠祥雄がこの日のシーズン最終戦をもって引退。当時の世界記録であったプロ野球連続試合出場記録は2,215でストップした。」ですね。野球オンチのヨシダですが、衣笠さんの人柄に接したある経験からのこと。同選手の後援者人物の部屋で懇談していたときの事。衣笠さんが「おやっさん・・・」と何やら用をもって入ってきました。と、その時のくだんの人物は客のヨシダの手前を意識してか、殊更に選ぶって、ドエライ横柄な態度で応じました。対する衣笠さんは冷静な態度をキープしていたのが印象的でした。野球オンチのヨシダが著名なカープ野球選手を目の当たりにしてしばらくの時間を過ごした最初で最後の体験でした。(00:10)
 ただいま、午前9時過ぎ。ひと通りレギュラー・サイト全部に目を通した中で、ヨシダがこれっと感じた記事にヒットしないことで、なにやら、ホッとする感じがしないでもありません。その分、目下、編集中の「10月24日のできごと」に傾注できるからです。ストック編集を常に心がけているからです。仕事に追われるでなく、仕事を追う立場のほうが心にゆとりが持てることは間違いありません★ふと、いま気付くに、直近の記事掲載が落ちていました。「No.5798:米国映画の傑作の一つと言われる「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の公開から…岩手日報「風土記」2015.10.21.)」がそれです。と、重複するような編集スタイルですが、編集者の存念はどのサイトを覗いても可能な限り多くの情報提供を自他ともに可能とする意図からです。独りよがりの編集スタイルだけに、これでヨシ!って気取りです(笑)。(9:30)    
 「No.5799:習主席も止められない 中国ビジネス、腐敗の現場日本経済新聞2015.10.22.(19日付:広州=中村裕)」を編集しながら感じることは、どうしょうもない中国・・・と絶句です。「・・・腐敗は中国の文化・必要悪なんです・・・」でもう一つの絶句!(13:10) 

2015.10.21.(水)
 
 本日「10月21日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(13)1944年 - 第二次世界大戦: 神風特別攻撃隊が初出撃。」、「(20)1970年 - 佐藤栄作首相が日本の首相としては初めて国連総会で演説。」で す★前者の特攻隊員初出撃で想い出すのは信州上田市にある「無言館」を拝観した時のこと。多くの若いあどけない少年達の姿をオーバーラップしながら編集しました★後者の佐藤栄作首相(当時)の国連演説は当該写真の選択過程で「3分○○秒」だったと知りました。安倍総理の45分間(米上下議員総会)とはドエライ格差です。無理もありません、前者は敗戦25年と70年後の差は否定できないでしょう。(00:15) 
 「No.5798米国映画の傑作の一つと言われる「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の公開から…岩手日報「風土記」2015.10.21.)」のヨシダブログは際どいですよ!公私両面にわたって、です。好奇心旺盛な方は是非ともご一見を!★なによりもヨシダが興味を抱くのは、本記事文中に出てくる「ファックス」のこと。今から16年も前に業界誌に掲載された論文「レタックス営業のすすめ 文章力は営業力」 (物流ロジスティックス誌1999年10月号)」は先見の明のヨシダと自負します。(12:40)
  先ほどまでの「10月23日のできごと」を90%ほどまで進めていたところ、コピーファイル分も含めて大半が消滅!インタネット接続状況が異常なほどスローになっているのも介せずにすすめていたのですが、どうやら、作業は中止したほうが賢明のようです。なにせ、この編集作業がヨシダにとっては最小かつ最大のものだけに、つい欲張るのです。でも、今後は接続状況が異常にスローな時は、我慢して作業を断念することにします。ふと、思うに、もしヨシダの体調体力が年齢相応のものであったら、直ぐに手を休めて休憩に入るところ。元気が良すぎる!と変なことを考えたり、です。でもま、22日の分まではストックがあるから、まいっか!でいきます・・・★ふと、今気付くに、直近のコラム「No.」金。(14:25)

2015.10.20.(火)
 本日「10月20日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(5)1944年 - 第二次世界大戦フィリピンの戦い: ダグラス・マッカーサー率いるアメリカ軍がフィリピンレイテ島に上陸。レイテ島の戦いが始まる。」です★グーグルで知るマッカーサーとフィリピンの関係に興味を抱きます。以下にウィキペディア「フィリピン生活」を引用します。1935年に参謀総長を退任して少将の階級に戻り、フィリピン軍軍事顧問に就任した。アメリカは自国の植民地であるフィリピンを1946年に独立させることを決定した為、フィリピン国民による軍が必要であった。初代大統領にはマヌエル・ケソンが予定されていたが、ケソンはマッカーサーの友人であり、軍事顧問の依頼はケソンによるものだった。マッカーサーがアメリカ陸軍でする仕事はほとんど無くなり、ケソンの求めに応えてフィリピンへ赴いた。そこで、未来のフィリピン大統領から「フィリ ピン軍元帥」の称号を与えられたが、この称号はマッカーサーのために特に設けられたものだった。なおこの頃もアイゼンハワーはマッカーサーの副官を務めて いた。マッカーサーはフィリピンの軍事顧問として在任している間、現地の最高級ホテルでケソンがオーナーとなっていたマニラ・ホテルスイート・ルームを住居として要求し、高等弁務官を兼任して高額の報酬を得ると共に、フィリピン財界の主要メンバーとなった。また、アメリカ資本の在フィリピン企業に投資を行い、多額の利益を得ていた。1936年1月17日にはマニラでアメリカ系フリーメイソンに加盟、600名のマスターが参加したという。3月13日には第14階級(薔薇十字高級階級結社)に異例昇進した。1937年4月にケソンに伴われて、日本を経て一度帰国した。ここで2度目の結婚をして再度フィリピンを訪れ、それ以後は本土へ戻らなかった。1937年12月にアメリカ陸軍を退役。後年、アメリカ陸軍に復帰してからもフィリピン軍元帥の制帽を着用し続けた事はよく知られている。」(ウィキペディア)★もう一つの戦時中におけるマッカーサーとフィリピンのエピソード。日本軍が進駐して同元帥が退去を余儀なくした時のこと。日本軍が同元帥の執務室に入ったら、壁に掲げられていたのが、かのウルマンの詩「YOUTH(青春)」だったとか。それが発端となって同詩が日本の経営者層で有名になったのは後年のことです。かくいうヨシダの愛唱する詩文の一つになって現在に至ります。(00:10)
 今朝一番に目にとまり、そうだろう、そうでしょう!と思わず相槌打ったのがヨシダが尊敬してやまない鈴木幸一御大の弁です。同志を得た!って心境でさえあります。「No.5795「一億総活躍」だって?(鈴木幸一氏の経営者ブログ)日本経済新聞2015.10.20.鈴木幸一)」がそれですが、日本政治はママゴトって感じさえして寂しくなります。同記事にもブログしましたが、こんな政策「一億総○○」を大真面目で母国でやている、とは恥ずかしくて此処フィリピンでは口にできません!トホホ・・・です。日本人固有の「言霊信仰」も、此処までくれば・・・絶句です。(8:55)
 皮肉ブログを惜しまないヨシダにとって、格好の記事にまたまたヒットしました。「No.5796:「偽」という漢字は何とも不可解である。「人の為」と書くのだから良い文字に違い…福井新聞「越山若水」2015.10.20.)」がそれですが、日本語漢字に対するヨシダ流儀の皮肉に力がこもる一幕です。(10:15)
 「No.5797:バチカンに響く被爆者の歌長崎新聞「水と空」2015.10.20.信)」 を編集しながら、またまたヨシダの皮肉ブログを余儀なくしました。願わくば、このコーナーが中国新聞さんの目に届けばな~・・・と。どなたか、同社担当者 に「耳打ち」してくださいませんか?中国新聞さんとは過去において少なくない縁をいただいた立場の者だけに、正直言って、なんだか寂しい気がしないでもあ りません。インタネットそのものが「最先端を往く開示情報源」。その画面がすべて「コピー取り不可!」とは???です。(11:50)
 午後からはず~と「きょうのできごと」編集。時おりのストレッチングで体調バツグン!「10月22日のできごと」を編集し終えて、正味2日分のストック。「10月23日のできごと」 に着手★添付写真はギリギリの大きさを維持してインタネット容量を抑えています。添付写真の目的は「文字によるできごと」 を「目でみるできごと」に近づけるのが目的だけに、当該写真資料等の選択肢には殊のほか時間をかけています。その間は、ヨシダにとって、歴史を学ぶ格好の ひと時です★日付変更は可能な限り深夜前後を心がけていることから、ヨシダの睡眠時間は不定期的です。加えて、ヨシダの休憩はストレッチングと相場が決 まっていることから、深夜でも気が向けばフロアにゴロリで楽しくストレッチングって図式です。そんなことから、現在時点で、本日の活動時間は12時間を突 破!でも、体調バツグンを体感しつつ感謝の限りです★日付変更前の仕事は翌朝第一番の「ひとことダイアリー」。ボツボツ、そのほうへシフトします。(17:30)

2015.10.19.(月)
 本日「10月19日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(20)1954年 - 世界第6位の高峰チョ・オユーが初登頂」と、「(26)1972年 - フィリピンルバング島で地元警察が元日本兵2人を発見し銃撃戦に。小塚金七元上等兵が死亡、小野田寛郎元少尉は逃走」 です。前者の理由と言えば他愛も無いことですが、日本語版も英語版も登頂人物名が表示されていないことから不満を感じて英語版グーグルから手繰ってゲットしまし た。三人の登山家の写真もゲットして編集者はご満悦です★後者は舞台がフィリピンであることが最大の理由。この事件が発生したのは1972年は終戦後27 年も経ってのことだけに信じられない感じです。この時の戦死者・部下の小塚金七さんは「最後の戦死者」★小野田さんはその後は1974年3月までの通算 30年間近い孤独と戦いながらのことだっただけに、フィリピン在住の同胞として感無量です。孤独との戦いのほうが戦闘より激しかっただろうと・・・★その小野田さんは日本に帰国しても大きく変貌した日本社会に馴染めなかったなどで帰国の半年後に次兄のいるブラジルに移住して小野田牧場を経営で成功。さらに・・・・と広がるのがグーグルの関連記述。小野田さんの帰国後の活動を知らないのはヨシダだけ、といった声を意識してピリオッドとします。(00:10)
 「No.5793:がん死亡率:青森県が全国最悪 11年連続毎日新聞2015.10.18.(17日付))」を編集しながらのこと。しみじみと自身の置かれた生活環境を感謝します。補そう具ストレスからの開放感と、何といっても「半そで&ステテコ」姿が24時間・年中であることがその背景と感謝に耐えません。感謝の気持ちの向かう先にあるのが、共同生活するフィリピン人家族の将来像。「自利から他利」の心を一層強めるに相応しい記事として編集しました。(9:25)
 「No.5794「初心の人、二つの矢を持つ事なかれ」とは、『徒然草』に兼好法師が記した…東京新聞「筆洗」2015.10.19.)」を編集しながら苦笑いしました。ヨシダって、随分と皮肉屋に転じたもの・・・です★日本には二度と戻ることはない、と自身に言い聞かせての離日だったからでしょう。ヒバクシャ者証言とて然り。4歳下の弟 (故人)がよく言っていました。「兄ちゃん、ヒバクシャの人が東京でなにやら個展でヒバクシャ証言活動をしていたけど、右翼の圧力で閉じた例もあるの で・・・」と★ところで、インテリほど定年後のあり方に問題意識を強くする感じです。義兄のひとりに大手新聞社の支局長体験者が居ました。当時、新幹線や 飛行機の総理大臣を掴まえて「インタビュー」を遠慮なくした人物。テレビニュースを観ながらブツブツとなにやら呟いていました。「・・・何を言ってるん だ・・・」ってな雰囲気★対するこのヨシダは、ご覧のような歯に衣着せぬ「論評」をブログする(できる)立場。義兄みたいな風情は微塵も見せません。皮肉なブログもお構いなしでスカッとした表情そのものです(笑)★先ほど、どうしたことか、トップページの大半が編集中に消滅!慌てることなく、あっという間に修正しました。 コピーを何時も備えているからです。用意周到って按配です。(11:55)
  ここ数日間、雨が降ったりやんだり。ふと、CMMテレビで 'Philippines' という声を耳にして振り向いて観るに、先にフィリピン北部に上陸した台風24号が未だに居座っている感じ。雨量はなんと1メートル!の大洪水状態。前代未聞といった想像を絶する雨量。2万3千人が避難中。脚の不自由なヨシダにとって、この種の天災にはどうしょうも処す術がありません。全てを天に任すしかない、と常日頃から覚悟して生きています★「10月21日のできごと」編集を終えて、「同月22日のできごと」に入っています。ネヴァー・エンディングって感じの仕事ぶりですが、勉学機会ととらえて楽しんでいます。編集中に安心感と達成感を覚えるのは英語版の挿入です。同プロセスではゼッタイに「消滅」することがないからです。多くの写真を添付するプロセスで生じるのかどうかは不明ですが、時おりの消滅でガッカリって気分になることがあるのですが、コピー保存で切り抜けています。・・・と、こんななんでもないことをブログするヨシダの胸中は、ボヤ~としているよりマシだ、に尽きます。確実に言えることは、ヨシダの脳は活き活きと活動している、ボケる間なんて無いさ!です(笑)。(19:20)

2015.10.18.(日)
 本日「10月18日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(9)1867年 - アラスカが、ロシア帝国からアメリカ合衆国へ720万ドルで売却される。(アラスカ購入)」です。今から148年も前のこと。日本では「大政奉還・王政復古」の時代。政治経済の当時の日米格差は想像を絶するギャップです★ちなみに、この出来事をグーグルであらためて学びます。「・・・この条約は4月9日アメリカ合衆国上院で批准されたものの、当初スワードは「巨大な保冷庫を購入した」などとアメリカ国民に非難された。しかし、1896年にはアラスカで金鉱が発見されるなど資源の宝庫であることが判明した他、軍事上においてもアラスカの位置がベーリング海峡北極海を挟んでロシアと直接国境を接することから、特にソ連との間で発生した冷戦期には極めて重要な役割を果たすなど、スワードのアラスカ購入に関する評価は高いものに変わった。現在アラスカ州ではアラスカ購入に関して2つの記念日が設けられている。1つは、1867年10月18日にアラスカの所有権がロシアからアメリカに正式に変更されたことを祝うアラスカ・デー(10月18日)。もう1つが、スワードを記念するスワード・デー(3月の最終月曜日)である(ウィキペディア)★台風がマニラを通過した感じです。当地は小雨程度で幸いでした。考えてみるに、此処「ベルエア」というヴレジ(日本で言えば住宅団地)での生活は5年余になりますが、地震もなく、洪水も体験していません。脚の不自由なヨシダにとって、相応しい住環境と感謝します★家長・アーネルの姉セニーの旦那さんの弟さんが病死。よく耳にするのが日本で言えば「若死」に類するフィリピンの人たちの実情が目に付きます。朝食からでも油揚げ食品が珍しくないのを垣間見ますが、どちらかと言えば脂っこく、濃い味のフィリピン食。その辺りの改善が必要ではないのかな、と思わないでもありません★外は小雨。くだんの「両膝屈伸運動4百回」は当面、お預けにします。先日は室内でしましたが、欠かさず実践しています。今日は日曜日。でも、ヨシダは「月月火水木金金」です(笑)(7:25)
 ブレンチを食してデスクに戻りインタネットで台風の現在位置を確認。「台風情報」の修正です。先ほど何時ものように、真っ先に「日刊まにら新聞」サイトを開いたら台風速報が出ました。「<台風ランド(24号)>18日午前1時すぎ、アウロラ州北部に上陸。同州とイサベラ州に警報4が発令中。首都圏にも同2。[ 2015.10.18 2:37 更新 ]」と。(8:30)
 ふと、フィリピンの国土地図を見ながら常日頃からヨシダの脳裏にある「フィリピン国土形状観」をご披露します。下記添付の写真は左から、フィリピン国土全体地図、今朝早朝に上陸した台風ランドの位置図(赤印、以下同様)、首都圏マニラの位置図、右端はヨシダ在住のラグーナ州(マニラから50キロ程度南)を示すものです。興味ある「ヨシダのフィリピン国土形状観」をご披露します。乞う、ご期待(!?)です(笑)。(8:55)
 「フィリピン・首都圏地図」の画像検索結果「フィリピン・アウロラ&イサベラ州」の画像検索結果「フィリピン・首都圏地図」の画像検索結果「フィリピン・サンタロサ地図」の画像検索結果「世界の国土形状でモノに見立てる例」の画像検索結果「タツノオトシゴ」の画像検索結果「イタリア国土形状・長靴形状」の画像検索結果「長靴みたいな形の国」の画像検索結果
  ヨシダの「フィリピン国土形状観」を一席・・・。まずは左端の全体像をとくとご覧ください。「何かの形」を想像されるでしょうか?実はヨシダがフィリピン を 終の棲家と定める以前からのこと。なんとなく胸に描いていた「フィリピン国土形状のイメージ」があります。ズバリ言えば、「人間が立て膝で両手を前に出し てフロアに座っている姿」 です★後頭部がでっかく、おヒップの見事な(?)人間さまの横姿、と言えばどうでしょうか?さらに、大事な点は、「なにかに祈っている風情&恭順の意を表 しているみたい!・・・」といったイメージです★フィリピンに移住してから、その概念を強くして現在に至ります★ちなみに、国土の形状をモノに見立てて知 られるのは「イタリアの<長靴イメージ>」があります。添付した末尾のビールジョッキはイタリアでのもの。イタリア人自称の長靴イメージと言 えるでしょう★さて、肝心のフィリピン国土形状に関する「ヨシダ推理の弁」をひとつ!この国土形状をみて「人類の神に祈る・恭順の姿」を連想します。国民 の大多数がローマカトリック教徒(系)であるのが、偶然かその背景、と概念付けるのです。家長・アーネルに問い質すに、そういった概念付けは初めてです、 と微笑みます。悪い気はしないハズです。失礼ながら「ブーツ」に見立てられるイタリアよりはマシです(笑)。ちなみに、日本国土の形状は「タツノオトシ ゴ」って見方もある感じですね・・・。・・・と、こんな他愛もないことに時間とエネルギーを投じるヨシダ。まだまだ、気分は若いでしょう!(9:50)
 「No.5791:中流のはずが…下流老人転落はなぜ起こる 藤田孝典・NPO法人ほっとプラス代表理事に聞くDIAMOND Online2015.10.18.聞き手/ダイヤモンド・オンライン編集部 津本朋子))」 を編集しながら痛切に感じることに、芸(ヨシダの場合は英語力)は身を助くではありませんが、私利私欲に溺れることなく、誠意をもって生きてきた者に与え られる「ごく自然のながれから到達する最終人生選択」だなあ・・・デス。しょっちゅう引き合いにする「自利より他利」の精神が招来する結果でもあると痛感 します。(12:05)
 「No.5792老後「移住したい」、19%にとどまる 内閣府調査日本経済新聞2015.10.18.(17日付))」を編集しながら正直、あほらしくなりました。これ以上のブログは出てきません!本日の取材はこれにてストップ!「10月20日のできごと」編集に精力を傾注します。(13:20)

2015.10.17.(土)
 本日「10月17日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(4)1597年慶長2年9月7日)- 慶長の役稷山の戦い:黒田長政軍を撃退する。」、「(26)1973年 - アラブ石油輸出国機構 (OAPEC) の緊急閣僚会議で原油生産削減、供給制限を決定。第1次オイルショックの発端。」です★前者に関しては、歴史をまともに学んでいないコンプレックスのヨシダ。「きょうのできごと」ではしょっちゅう出てくる戦国時代から明治にかけての日本の朝鮮出兵に対する疑問を抱いてきただけに、この際、遅ればせながら、チョッとお勉強。学校では教えてくれない秀吉が朝鮮出兵した理由」にヒットしました★後者に関しては、第一次オイルショック時に地価ブームで個人購入の広い住宅宅地を銀行借り入れ返済2か月分を残して即時に売却。地価下落を予想して、ピーク時に売却益を沢山出しました。会社の資本金を倍額増資、自家用給油所の建設投資、創業者夫婦の大きな墓、余った分で山肌沿いの別荘地取得・・・と、一気に投資したものです。地価はその後に下落したのはご承知の通り。先見の明を行使したものです★今朝4時ごろに右肩に若干の不快感を感じて、すぐさまフロアに身を移してゴルフボールのご厄介でスッキリです。シーソーゲームみたいな努力の先に明確に感じるのは、左肩がそうであったように、完治は間違いなし、です。楽しみがあるって感じのヨシダ流解釈です。(7:05)
 「No.5789かつては手を見れば分かった。西日本新聞「春秋」2015.10.17.)」 を編集しながら、ひと昔前のヨシダの「執筆体験裏話」を想起しました。そうだ、今、想起するのは、「書くこと」に関して言及したひと昔前の著名人の弁! え~と・・・、たしか、「(順不同ですが)読むことは・・・、書くことは・・・、話すことは・・・」と続く格言をよく引用したもの。ど忘れしているので、 グーグルで検索してみます・・・。ご存じの方はメールをくださいませんか?★(数十秒で)見つかりました!「読む・書く・話すに関する有名人の格言」でイ ンプットしてキャッチしました!なんとも懐かしい人物格言でしょう!★曰く、♪読むことは人を豊かにし、話すことは人を機敏にし、書くことは人を確かにす る(Reading maketh a full man, conference a ready man, and writing an exact man)さらに、沈黙は愚者たちの美徳である(Silence is the virtue of fools)♪と。(フランシス・ベーコン名言・格言集より)でした!!!★現役時代には講演などで実によく引用したものでした。古き良き時代を想起する瞬間でもありました。ウレシイ!です。本コラム編集の醍醐味でもあります。(13:50)
                           「フランシス・ベーコン」の画像検索結果
                     フランシス・ベーコン (哲学者)



2015.10.16.(金)
 本日「10月16日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(11)1916年 - マーガレット・サンガーニューヨーク州ブラウンズヴィルにおいて、産児制限を指導する診療所を開業。」と「(28)1987年 - 満18ヶ月の「みんなの赤ちゃん英語版ジェシカ・マクルーア英語版が、58時間ぶりに地中のパイプから救出される。」です★前者の産児制限で有名なサンガーさん関連写真をグーグルするなかで、同女史がオープンカーにヒトラーと並んで乗っている光景や、コメントに同女史はナチだった・・・といったものが目にはいり??と。合成写真も珍しくないグーグル写真群だけに、なんだか頭が混乱します。確認するべく長文の同女史のグーグルをみるに、ヒトラーと名が出てきはするのですが、確認するまでいっていません★後者の地下パイプに落っこちた赤ちゃんの救出状況。ひと昔前のことながら、溜め息混じりに編集しました★・・・と、そんなことからですが、この当該写真を選んでレイアウトする作業は随分と時間がかかります。英語訳しながらインプットしてヒットする場合が多く、その分、夢中になれるモノがあってイイさ、と割り切っています。(00:10)
 「No.5787:ギリシャと日本毎日新聞新聞「発信箱」2015.10.16.論説委員・福本容子)」の 編集には随分と時間をかけました。吟味して選択した写真を添付しました。その分、世界観の一端を広げた想いすら抱けるのが、難民の皆さんを横目に、せめて もの幸せを感じます★ところで、この記事の筆者・論説委員・福本容子さんには平素から尊敬と敬意の念を 深くしているヨシダ。今回、同氏のご実績等をグーグル検索して殊のほか「ヤッパシ!」と一層の尊敬の念を深めるヨシダです。後ほど同ブログ&添付写真を追 加します。そうだ、本記事内に「筆者紹介(ヨシダ引用)」を挿入します!★ちなみに、グーグルにみる同氏のキャリアは以下の通りです。「1987年毎日新聞社入社。英字新聞記者、経済部記者を担当した後、マサチューセッツ工科大学へ留学し1992年に同修士課程(政治経済学)修了。復職後は欧州総局特派員として欧州・英国経済全般やOPECWTOなどを担当した後、2005年から2008年まで経済部副部長(デスク)を務める。2008年からは毎日新聞経済部編集委員 兼 論説委員。2009年よりTBSひるおび!」金曜コメンテーター。(ウィキペディア)」★著書になぜ世界でいま、ハゲがクールなのか」があります。ユニークな内容とみます。(11:20)
 「No.5787ブリヂストン、英語を社内公用語に 中期経営計画発表 日本経済新聞2015.10.16.)」を編集しつつ、大変に失礼なブログを余儀なくしたことを禁じ得ません。ヨシダが尊敬していたご人物の「英語観」に正直、呆れてモノが言えない心境を禁じません。ま、本欄はヨシダのブログしたい放題のコーナーですので、ご容赦のほど・・・。(17:35)
 本日最後のヨシダお気に入り記事は、楽しく生活させていただいている此処フィリピンの大統領選挙候補者を巡る楽しいもの。「No.5788吹くか「ポー旋風」 フィリピン大統領選、早くも過熱日本経済新聞2015.10.16.佐竹 実)」がそれですが、日本では味わえない感じの明るさです。ポーさん、頑張れ!です。(20:00)

2015.10.15.(木)
 本日「10月15日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(30)1975年 - 広島東洋カープが球団創設から26年目でリーグ初優勝。」、「(40)2002年 - 北朝鮮による日本人拉致問題: 北朝鮮に拉致された日本人5人が帰国。」と言えるでしょう。前者はヨシダの郷土広島市の出来事。後者はヨシダの大ファンだった小泉純一郎首相(当時)が背景にあったからです。手前みそで恐縮ですが、同首相を引き合いにしたひと昔前の拙著がありますのでご覧ください。題して「『有言実行居士』のひとり言」(SAM NEWS, Spring,2003)です。(00:05)
 さきほど、ブレンチを大いに楽しみました。新しいメニューになったベーコンのお陰!かの  「No.5777世界最高齢の女性が毎日食べているのは......とても意外な物だった朝日新聞「国際」2015.10.10(8日付: | 執筆者: Ed Mazza)」 が動機でしたが、「ハムからベーコンへのシフト」がかくもヨシダに大きな感動を与えるなんて、ヨシダって随分と単純な性格なんだな~、と苦笑い。ああ、美 味しい!と食しました。さぞかしヨシダの胃袋さんも満足しているでしょう。セニーにウィンクして親指を出したら嬉しそうに頷きました。彼女も嬉しいハズで す。むっつりと黙って食するのとは料理する者にとって、ドエライ格差であるからです★なにせ、従業員を抱えた経営者人生を半世紀以上も務め上げた人間で す。その辺りの気配りは人後におちません★同じことで、アーネルのジョギング習慣にもエールを送ることを忘れません。ヨシダからみれば小さな決断実践です が、相手のことを想い計っての気配り激励の姿勢。誇らしげに、2時間ジョギングしましたよ!に対するヨシダのエールは(も)親指を突き出して、「Good Good! I'm proud of you!」です★さて、本日の取材活動はどんなものになるでしょう・・・。(8:40)
 「No.5784:突然、仙人が現れる。路上生活で食べ物にも困っていた若者が大金持ちになり…日本経済新聞「春秋」2015.10.15.)」 を編集しながらの編集者の弁は、「これでヨシ!」です。これって、自分自身に対する言葉に過ぎませんので・・・。満84歳を間近にするヨシダのハンブルか つ、満足的な心境です。わが人生に微塵も悔いや後悔を感じないどころか、ウルマンの詩「青春(YOUTH)」を日々味わっているところです。(9:55)
 先ほどバスルームで歯を磨きながら頭をかすめたことの一端。経営者の端くれとして抱いてきた自分なりの経営者哲学のひとつに、「経営とは環境即応業なり」でした。苦笑いですが、まさに現在のヨシダがそれを実践中!って図式です。変化する環境に対応しないから、できないから人間は不満が生じるのですよね。ハイ、ヨシダ式人生論のひとコマです。(10:15)
 「No.5785:「昭和天皇」紀伊民報「水鉄砲」2015.10.15.倫)」 編集のヨシダブログでは言及しなかったことをひとつ。沖縄基地問題でゆれるなか、終戦間もない頃の沖縄基地問題に関しての昭和天皇のお言葉が現在にして鮮 明です。「(沖縄基地は)それでよい・・・」のお言葉だったこと。どのマスコミも言及しませんが、「ミカドの肖像」著者・猪瀬直樹氏(元・東京都知事)が 出版記念雑誌インタビュー週刊誌記事で口にされたことを目ざとく見つけたのがヨシダでした。爾後、封印されたかの如き日本歴史上の事実ではあります★戦後 の当時、マッカーサーから封印された「地政学」ですが、誰もが到達するのが「沖縄基地の地政学的価値」ではあるというのが、ヨシダの気持ちです★沖縄総合 開発庁初代長官の山中貞則さんの言葉を想起します。「沖縄には何をしてもこれでよりということはない・・・」という趣旨の言葉が鮮明です★かの猪瀬さんの もう一つの言葉を鮮明に想起します。曰く、「日本は戦争をしまくってきた・・」がそれ。「しまくって」は「やりたい放題に」に通じますよね。日本は他国を 侵略したことはない、といった歴史観は通用しませんよね。(11:35)
 ふと、想い出したことに、「No.5782:豪放磊落な印象が強い文豪ヘミングウェーは、いくら深酒をしても、夜明けとともに…東京新聞「筆洗」2015.10.14.)」 のヨシダブログで大事なことをブログしそびれたことがありますので、以下に「追伸」します:「(追伸)本記事主人公のひとりであるラグビー日本代表の「五 郎丸歩さん」で直感的に想起したのは同姓の「五郎丸敏子」さんでした。ほかでもありません、トラック運送事業経営時代のこと、最永年勤続無事故ドライバー 記録を持つ運転手が 信号のない歩道をいきなり飛び出した女性の足を弾き、切断手術した苦い経験です。切断手術直後に耳にしたことは、切断することなく、整形手術でカバーでき たものを・・・という一部の声でした▼経営責任を感じたヨシダは同女に精一杯の償いをしました。仲介の労をとった彼女の伯父さんがそれを察して言いまし た。「ヨシダ社長さん、被害者だからと言っても、限度があります。私が一芝居しますので・・・」と、彼女を逆に説得して当方の補償案を受け入れさせました ▼その後、彼女とはず~と文通したりして励ましたものでした。珍しい姓「五郎丸」だけに、本記事の五郎丸選手とオーバーラップしたものです。今ごろ、彼女 はどうしていらっしゃるやら・・・とはヨシダの本記事に接しての心情です。(12:30)
 「10月17日のできごと」 編集を終えて2日分の先取り編集。12時間近いデスクワークになりますが、不思議と疲労感がまったくありません。足が不自由でなかったら、外出して気分転 換でもするのが普通。幸か不幸か(?)それができないから、室内にこもって時間を過ごす・・・という図式です。でも、現在の心境は、万一、自力で外出でき るとしても、そうはしないだろうなと思います。その分、現状で満足しているのでしょうね・・・。便利な人間・ヨシダではありますネ(笑)。(18:40)

2015.10.14.(水)
 
本日「10月14日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(25)1958年 - 東京タワーが 竣工。」です。ほかでもありません、同タワーが竣工して間もない頃に、3歳下の弟(当時、神戸商大生)を従えて東京見物をした折に同タワーを訪れたからで す★ちょっとブログが長くなりますが、横浜YMCAで開催された中四国地区社会人英語弁論大会に出席した折に同館ホテルに滞在してのことでした。4位に留 まった成績でしたが、イイ体験をしたものです★3年半前ににジャパン・タイムズ紙(Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives') (AUG. 4 2012)にヨシダの大きな写真記事が出た折に添付された写真の一つが同YMCA本館前でその弟と一緒の小さな写真でして、此処に添付します★話が横道に そびれましたが、くだんの当時の東京タワーではエレベーター待ち客が長打の行列でした。最上階に行ったのはいいとして、帰りのエレベーター待ち時間に耐え られず、歩いて降りよう!と。タワーの外部にある螺旋階段をこの足で歩いて降りたのです!当時は補そう具は未だ縁のなかった時代。今から思うに、よう頑 張ったわい、です。左手にステッキ、右手で階段の手摺りとバランスがとれたせいでした★その弟・祐司は兄貴によく言っていたものです。「兄ちゃんには世話 になりっぱなし。兄ちゃんの老後は女房を質に入れてもボクが面倒を看る・・・」が口癖でした。「バカ言うな」でしたが、兄貴より早くに他界しました。吉田 家三姉妹・三兄弟で唯一の生き残り長男ユウキですが、人生って不思議なものですネ~★
                The young Yoshida poses with his brother Yuji (left) outside the YMCA building in Yokohama after taking part in an English speech contest.
Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives')(AUG. 4 2012)より
 「No.5782:豪放磊落な印象が強い文豪ヘミングウェーは、いくら深酒をしても、夜明けとともに… 東京新聞「筆洗」2015.10.14.)」 を編集するに、随分と時間をかけました。凝り性編集長のすることです。でも、凝っただけの成果を体感するヨシダです。下手な文章でも、これだけ大量のもの を短時間でこなすには、応分の「才能」(?笑)を要します。最大の報酬はボケ防止に繋がるという歴然とした事実であり実感です★ちょっと、ユーモラスな話 題をひとつ。小生、この最近、大きな声が出るほどの「欠伸(あくび)」がしょっちゅう出ます。不快感どころか、快適と言えるほどの規模です。でも、気にな るのでグーグルしました。曰く、「・・・息を吸い込むということはそれだけ 酸 素を取り込む、酸素を必要としているからではという説が一般的で、脳の活動が低下した状態を改善しようと一時的に多く の酸素を取り入れようとする生理反応と考えられます。大きく口を開ける動作は口周りや顎の筋肉を動かすことで、脳への刺激に繋がっていると考えられま す・・・」と★そこでヨシダ流儀の解釈が出ます。ヨシダの場合は「脳の活動が低下状態を改善・・・」でなく、「吸収中の知識を消化するための脳の働きを活 発にする」がヨシダのあくび原因であり、目的だとの解釈。憶測することは、「高年齢に基づく現在の過大の仕事量消化を可能にする脳の動きメカニズムを大あ くびで補充する生理的現象」と(笑)。と、こんな解釈すると、あくびが出るのは大歓迎!この際、歓喜の大あくび!といきましょう。題して「ポジティヴなあ くび」デス。(12:30)
  本日は直前の「No.5782」1編で終わりになるでしょう。残った時間は「10月17日のできごと」に一点集中します★ところで、このところ、食生活の変革を機に、「健康食」への関心を強めています。去る10日付け記事「No.5777世界最高齢の女性が毎日食べているのは......とても意外な物だった朝日新聞「国際」2015.10.10(8日付: | 執筆者: Ed Mazza)」を手始めに、「ハムからベーコンへのシフト」を行ってご満悦のヨシダ。今後はキムチへの再認識による常食度合いの強化です★多くの受信メルマガに「辛いものを食べる人ほど死亡リスクが低い」 (日経Gooday:話題の論文 拾い読み!)が目にとまり読みました。ヨシダのブレンチ用一連の食品メニューにあるのが、「キムチ」。シメシメとばかり に、今までの「ひと切れ」から「三、四切れ」にシフトしました。イイ感じです。「良い」とされるものには直ぐにでも手を出して実践。反対に、良くないとさ れるものは、躊躇なく、即時ストップ!これはヨシダの特技みたいなもの。意志の強さがその背景です。エッヘン!(笑)(15:35)
 「No.5783シリア難民400万人、欧米はこの難題をいかに解決するのか? オバマの無作為が、事態を最悪なものにしたと共和党、ペンタゴン宮崎正弘の国際ニュース・早読み20115.10.14.宮崎正弘)」を大急ぎで編集掲載しました。移民・難民受け入れ反対論者必読の記事ですぞ~!(18:10)
2015.10.13.(火)
 本日「10月13日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(34)2010年 - チリの鉱山落盤事故で、地下に閉じ込められた作業員33人の地下坑道からカプセルを使っての救出が始まる。(コピアポ鉱山落盤事故)」 です。テレビに釘付けになって見入ったものですが、当時のことを偲びながら多くの写真を添付しました★「33人は地下700mに69日間の長きに渡り閉じ 込められ、最初の2週間は食料が欠乏する中を生き抜いた。全員が無事に救出された理由としては、パニックに陥らず、死の恐怖に直面しているにもかかわらず 秩序が維持されたことが大きいとされる」と認識します。しかし、「33人のうち5人以上が無気力状態から抜け出せず就業していない。」とも。詳細は「チリ鉱山の落盤事故・奇跡の生還から3年 当事者たちの今」 をクリックしてご覧ください★昨夜、アーネルから知らされたことは、かのジョギングはカップルで実践するようになったとかです。快適感で止められない!と も。ヨシダが感化した人物が増えました。ヨシダの黙々と努力する姿勢に感化されたのです。「目は口ほどにモノを言い」ならぬ、「実践・努力する姿は観る者 を感化する」と言えるでしょう。そう言えば、お手伝いさんのセニー(アーネルの姉)が片言英語で言いました。「ダディー、私もジョギングし始めたよ!」 と。「ヨシダ旋風」って感じです(笑)★ところで、あれから(昨日夕方頃)右肩の小さなコリによる不快感が失せた感じです!嬉しくて堪りません!この上 は、手を抜かずに、徹底した「ダメ押し」のストレッチングに励みます。何せ、一旦、凝り固まった筋肉は、元の状態に戻ろうとする生理的現象があることを身 をもって体験しているからです。ちなみに、左の肩はかなり以前からその状態を脱皮していることが何よりです。遠からず、右肩もそれに倣うでしょう★ついで に言及ブログします。長年の ステッキ使用は左手でした。つまり、体重を左肩に受けることから、常識的に考えると左肩にコリが生じると考えられるのですが、事実はその逆でした。猛烈な 痛みを右肩に感じ始めたのが補そう具装着への動機でした。あの痛みは忘れることができません。ヨシダ人生で難儀した1ページです。でも、完全にクリアした ことを心底喜んでいます。「ヨシダは努力の人」を自他共に実践してきたことをシンミリと偲びます。(00:10)
 「No.5780欧州難民危機は対岸の火事か 思考停止状態に陥る日本の難民政策
DIAMOND Online2015.1.13.ジャーナリスト・嶋矢志郎)」のヨシダブログの末尾の弁はヨシダ特有の皮肉ってところ。84歳直前のそれは頑固親父の戯言とでも解してくださって結構です。でも、真実を皮肉に突いていると自負しますよ。さて、あなたはどう思いますか!?(10:30)
 今日13日は新聞休刊日だった~!なにやらホッとしないでもありません。その分、「きょうのできごと」編集先取りができるからです。昨夜遅くには「10月15日のできごと」を終えました。いまから、「10月16日のできごと」 に入ります★くだんの右肩の状態を報告します。「不快感」からは脱却できた感じを喜んでいます。でも、微妙な「違和感」みたいな感触は多少時おり残ってい る感じ。ま、時間をかけてクリアを期します★適当な時間をデスクワークで過ごすと「注意信号」みたいな不快感でしたが、それが無くなった分、無理に過ぎる ことへの注意が大事と心得ます。何ごとも前向き思考のヨシダが考えることですよね。(11:45)
 「No.5781:一億総活躍長崎新聞「水と空」2015.10.13.智)」 を編集しながらヨシダはホントに皮肉屋だと苦笑いです。ま、思うままにキーボードを叩くから欲求不満にならずに、元気がイイのだと自身に言い聞かせます。 ストレス皆無!って按配です。あしからずご容赦のほど・・・★おっと、右肩の問題。ホントに長時間仕事の後でも不快感がなくなりました。半歩一歩前進って 感じです。なにごとも辛抱強く、継続は力なり、が肝心とうけとめ一層の精進をします★今朝も野外で4百回の両足ひざ屈伸運動をする折のこと。心の中で回数 を唱えると同時 に出てくるのが「神様への感謝の心」です。時間にしてわずか4,5分の間に4百回も感謝の意を捧げる勘定です。心から自然に湧き出る感謝の念ですが、その 想 いが多少のシンドさを帳消ししてくれることを体感します。何ごとも発想次第ですよね。(19:40)

2015.10.12.(月)
 
本日「10月12日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(11)1928年 - ボストンの病院で人工呼吸器「鉄の肺」 が初めて使われる。」です。ヨシダが二十歳の誕生日のこと。当時中国新聞記事が「アメリカ人女性が鉄の肺に身を置いたままで、それに取り付けられた電機タ イプライターを利用している写真。「口にくわえた棒でキーボードに触れる姿写真」でした★同記事の主人公はどうやら、当時市場に出て間もない「電気タイプ ライター」って感じ。ヨシダの関心はポリオ同病の誼としての関心。新聞社経由で文通が始まりました。彼女の地元の新聞がエピソードとして数度記事にしまし た★彼女はノースキャロライナのグリースボロというところに住んでいたアメリカ人女性(Mrs. Ann adams)で結婚後にポリオに罹病。一児の男の子を持つ身で離婚した女性。「鉄の肺」で生きている人でした★ちなみに、当時のヨシダは通信教育で「英文 タイプライター」を学んでいました。紙製のキーボードが教材。当時学んだ「指の使い方」が現在にして存分に活かされています★1950年代のエピソードで すから・・・と、ブログすれば長くなるので端折っての話、ヨシダの二十歳の誕生日祝いにといって、彼女が贈ってくれたのがジュラルミン製のステッキ。それ まではひどいびっこをひきながら、まがりなりにも歩いていたヨシダがステッキを使うようになりました★何時となしに文通が途絶えた後のこと。1993年に 一ヶ月間の米国取材旅行をした際に、フロリダ州のジャクソンビルの彼女の居所を確認したのですが、数年前に亡くなっていることを知りました。彼女が送って くれた写真の一つに、一人息子のケニーというの可愛い坊や。開業医になっていることを知り、電話しました。無論、彼は何も知りませんでしたが、ヨシダとの エピソードを話す中で、墓参りしたいけど、時間がないので・・・と言ったら、I really appreciate your kind....と彼が答えてくれた丁重な言葉が印象的でした。彼はDr. Kenneth P. Adams でして、本日のこの想い出ブログを機にメールを送ってみたいとも思っています★「鉄の肺」がヨシダの若かりし頃の日米親善交流時代を想起させました。もう少し想い出を追いたい一心ですが、この程度に留めます。(00:10)
 故郷ニッポンは3連休最後の日。連休のためか、全ての情報を検索するに、これっと思う記事にヒットしませんでした。ひと息入れようと受けとめながら、その一方では「10月14日のできごと」 を仕上げて、次にチャレンジ中。エンドレスって調子(笑)★ふと、気付くことがあります。あしかけ7年もの歳月をかけて両肩のコリ解消努力をして現在に至 るのですが、そのお陰で、現在は右肩にごく小さなコリを残すまでに解消してきている肩こりのこと★一旦、石みたいに硬くなった筋肉や筋は、並みのことでは 元に戻らないことを体験上悟ってきています。シーソーゲームみたいなもので、一旦は柔らかくなっても、放っておくと直ぐに元に戻るのが「筋肉のメカニズ ム」と受けとめ、根気よく努力を重ねてきたものです★しばらくの間、デスクワークを重ねると、右肩付近がこわばる感じになり、痛みでなく、ちょっとした不 快感に発展することを体験してきています。改善されている証拠と受けとめ、根気よくそのシーソーゲームにチャレンジするなかで、今朝 の状況が変わってきていることを自覚します。朝から現在までの長時間作業でも不快感的なものが皆無。その分、ぶっ通しの作業になっています★ふと感じるこ とは、極小になった部位がノーマ ル状態になったのではないかな?という期待感。ちなみに、左の部位はとっくにその不快感が解消して、残すは右肩極小部位といったことから、ひょっとして、 「解消」に漕ぎ着けたのかな?と、なにやら期待感で胸の膨らむ想いなのです★・・・と、こうしている中でも、一息いれて、「ダメ押し的なストレッチング」 をしてみようかな、と思っています。もし、予想通りの結果になれば、大福音デス。前述したように、左肩はクリアした状態だけに、期待感で胸が膨らみます ★こんな私的なことは胸に収めるのが常の人生。ヨシダの場合は、こんな形でブログするのですから、努力の成果を発表して喜びを共有できるのです から、喜びは倍加します。ひょっとして、今から数時間の経緯は、ヨシダの7年間に及ぶ独特の自助努力の成果が与えられる喜びと感謝の瞬間になるかもしれま せん!!!!。そうだ、今日は「体育の日」。それに相応しい結果を神さまがヨシダの7年間の自助努力に免じて与えてくださるのかもしれません!★これっ て、ヨシダ人生に大きな転換期を与えるに相応しい出来事ならぬ「ヨシダの記念すべき<きょうのできごと>」足り得るでしょうよ!感謝、かん しゃ、カンシャの瞬間を迎えることを密かに念じます。(15:10)
  や~!嬉しくなります!嬉しくってしかたがないほどです!先ほどトライした従来のストレッ チングですが、局部への感触が今までとはガラッと変わった感じ です★具体的には、小さな凝り局部目がけて「ゴルフボール」をあてがい体重を掛けると、的確にゴルフボールがそれを捕らえて今までみたいに、クッリと逃げ ないのです。その 分、確実に凝り固まりがときほぐされてきている感じです★ヨシダの直感は見事に当たりました!ドクター顔負けのシロウト治療法ですが、自分の身体は自分自 身が誰より も鋭く分析していることを再認識します★このうえは、気をゆるめることなく、「最後の詰めを」する決意です。ちなみに、「ヨシダ自己流儀のストレッチン グ」は目下検索中の長文のエッセイに書いていますので、見つけたら此処にリンクしますので、クリックしてごらんくださいませんか?お役に立つと確信します ★ふと、くだんの長文のエッセイを探す過程でヒットしたのが、「日本は戦争をやりまくった・・・」という拙著小文。クリックしてごらんください。これって、ヨシダの弁でなく、日本人だったら知らぬ者はいないほどの有名人が言った(書いた)言葉です★見つかりました!「私の健康維持方法ノウハウの実際 その動機と効果をご参考に供します」(2011.1.12.)と、「肩こり解消の自助努力法を伝授します」 (2012.3.24.)がヨシダの自助努力記録。どうやら、その続編たる第3編は最終編で、「7年間の歳月をかけて解消した根深い肩こり解消方法を伝授 します」でも題して執筆するか・・・です★それにしても思うことは、「体育の日」に相応しい出来事!「きょうのできごと」最高の出来事!と感じます。 (16:30)

2015.10.11.(日)
 本日「10月11日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(11)1931年 - ドイツナチス国家人民党鉄兜団など右翼保守勢力が「ハルツブルク戦線英語版」を結成。」でしょうか・・・。ほかでもありません、日本も同じような時代を体験したからです。軍国主義ニッポンの台頭です。国民総ぐるみの軍国主義ニッポンを構築したものです。古今・洋の東西を問わず、歴史は繰り返す・・・を強く感じます★今朝初めての編集記事は「No.5778ベネチア映画祭受賞映画「ブランカ」の主演の盲目の比人ギタリスト死去。長谷井監督が緊急来比日刊まにら新聞2015.10.11.立田成美)」です。ヨシダが愛するフィリピンでを舞台にした日本人の手による映画とそのベネチア受賞。主人公の故・ブランカさんには弔意を、製作監督の長谷井監督には敬意とエールを送ります。(12:35)
 「No.5779きょうは三連休の真ん中。ひなびた湯治場あたりで秋の一日をのんびりすごせれば…日本経済新聞「春秋」2015.10.11.)」を編集しながら、ヨシダのひと昔前の良き想い出にふけりました。なにせ、この歳ですから、人生体験は人一倍です。イイこともイイことでもないことも全ては良き人生体験として前向きに受けとめて現在に至るヨシダです。(15:35)
  「10月13日のできごと」 編集を終えてホッとしたところ。正味二日分の貯金ってな感じですが、もうひとふん張りして3日分の余裕を持ちたいもの★さきほ ど、フィリピン女性でコンピューター技師のメルディーさんがひょっこり子たちを連れて来訪。イイところへ来てくれたとばかりにXPの調整を頼んだところ、 あっという間の手際の良さでやってくれました。女神さんみたいに感じます(笑)★それにしても思うことに、フィリピン女性って西欧的で魅力的だというこ と。でもイイ歳のヨシダの爺ちゃん、ニンマリムードでウォッチングでご満足ってところです。さあ、ボツボツ一休憩かたがた、フロアに這いつくばってスト レッチング体操とします・・・。(18:55)

2015.10.10.(土)
 本日「10月10日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(24)1964年 - 第18回夏季オリンピック東京オリンピック開会。(10月24日ま で)」です。当時のヨシダは人生第二毛作のトラック運送事業経営に取り組んで間もない33歳時代。家にはテレビがありながら、仕事夢中時代のことだけに、 まともに観ることをしませんでした。鮮明な記憶は、戦時中から近所付き合いもあった大きな電気店に立ち寄った時のこと。被爆以来の再会だっただけに店主の 岡崎さんが言いました。「ゆうきさん!随分と立派になられて・・・」と。ムリもありません、最後にあったのが、原爆前のことだけにでした。当時乗っていた クルマは三菱デボネア新車。颯爽としたヨシダでした。その店で目にしたのが、かの東京オリンピックの入場式の場面。かの「ブランデージ国際オリンピック委 員会会長が挨拶し、最後に昭和天皇に日本語で開会宣言をお願いした光景は印象的でした。更なる強い印象は「入場行進曲」オリンピック・マーチでした。作曲 は古関裕而さんのもの。感動を覚えたものでした。(00:10)
 「No.5777世界最高齢の女性が毎日食べているのは......とても意外な物だった朝日新聞「国際」2015.10.10(8日付: | 執筆者: Ed Mazza)」 を編集しながら日頃のわが想いを強くしました。・・・と言っても、自身だけの云々でなく、共同生活して貧困から脱却さすことを約束しているヨシダにとっ て、長生き努力は自身のためでなく共同生活するフィリピン人家族のため、という大義名分があるからです。神様にはそのことはお見通しと確信するヨシダが嬉 しくなるような記事です★本コラムでなんとNo.5777!ひと口に5777編目、と言っても大変な数字です!ヨシダの駄洒落は「5777」とかけて何と 解く?ハイ、イイな~あ!その心は「ラッキーセヴンが3つもあって!」と、これはフィリピン人家族向けのことですので、誤解のないように・・・。 (11:40)
  先ほど、このトップページを開いてみたら、なんと、 大半が消滅!!!! すぐさま、あっという間に修復しました。絶えずバックアップでコピーを作っているからできたこと。気付かずにいたら・・・と、チェックは大事だと痛感しま す。それにしても、インタネットって複雑ですよね。まるで生きものみたい・・・。ちなみに、ただ今の本サイトのインタネット使用容量は881KBで余裕が あります。(13:10)
 さきほど、またまた、このトップページの大半が消滅しました。接続スピードが極端に低下しているときには編集作業は禁物だと気付きます。つい、欲が出て・・・といったところ。ヨシダって、まだお若いでしょう・・・(笑)(13:35)
  インタネット接続状態が遅くて不安定な時の過ごし方に気付きます。パソコン作業中のことですが、本欄「ひと言ダイアリー」に思いつくままにインプットする ことです。容量そのものが少ない本サイトだけに、消滅する可能性は今までありません。思っていることを気軽に書き留めるって按配のもの。その内に何か閃く ものがあれば、編集本体に備えるって按配。キーボードを叩いている時がヨシダの幸せ時間(!?)って感じで苦笑いです★そうだ、今日は土曜日。多くの人が 自宅にこもってインタネットに接続中(?)。そのために、接続時間が遅くなっているのかな、と。企業用パソコンには独自の接続仕組みがあるから、家庭用に は関係ないのかな・・・?とは、ヨシダの想像です。To be continued.....


2015.10.9.(金)
 本日「10月9日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(9)1888年 - ワシントン記念塔が一般公開される。」、「(18)1952年 - 黒澤明監督の映画『生きる』が封切り。」、「(38)2012年 - パキスタンターリバーンを批判し、女性の権利向上のために活動していた少女マララ・ユサフザイが ターリバーンとみられる男たちに銃撃され、負傷。後にターリバーンが犯行声明を出した。」・・・でしょうか・・・。先を急ぐのでヨシダブログは省略しま す。でも、一つだけ。「ワシントン記念塔」の建設工程は興味です。1993年の「一ヶ月間単身米国取材旅行」の際に、同塔のふもとまで行きながら、内部の 見物は断念しました。でも、国会議事堂の大きな階段玄関にペタンと座って暫しの間、見とれたのを想起します★今朝は今までず~と「10月11日のできごと」を編集中でした。同コラム常時貯金3日分を目指しています。さあ、ボツボツ、本業(?)の情報収集に入ります。今日はどんな記事にヒットするでしょう・・・?★ふとみるに、このトップページのインタネット使用量は659.35KMB。最大許容量1千キロメガビットまでに充分余裕があるのでアンシンってところです。(10:05)
 ひゃ~!とんでもないことをディスクローズする結果になりました!「No.5775:【ノーベル賞】被爆者ら有力と予想 平和賞で報道産経ニュース2015.10.9.)」のヨシダブログがそれです! 重複することは避けてのこと、ヒバクシャに関するとてつもない計画に真剣に取り組まれた人物のことに言及を余儀なくしたのが本記事です。うっそ~、と思う方はクリックしてご覧になりませんか?(12:05) 
  直前にブログした、とてつもなくデッカイ計画の後日談をもうひとつ。主人公の松村さんはひと昔前に得られた多くの著名人知己の中から当時の日本人政治家後 継者諸氏のコネをもって、霞ヶ関の自由民主党議員会館をご一緒に訪れ、当時から現在に至るある著名な政治家先生を訪問しました。お名前は伏せますが、事務 所が狭いので会議室でと、弟さんの秘書も同席されてのこと。かれこれ3時間という長時間にわたって相談に乗ってくださいました。日本を代表する著名な大企 業経営者への接触を目前でされて、運動資金拠出の話までされたほどでした。・・・と、これ以上の裏話は遠慮しますが、ン億円もの巨額資金の受け皿極秘がで きないことから立ち消えになったのが裏話です。うっそ~!という声も意に介せずの裏話・秘話の一端です。とうとう、此処までブログしてしまいました。で も、このブログが滅多に他人の目に触れることはないだろう、というブロガー・ヨシダの気安さからのことです。お陰で、なにやら、胸につかえていたことが開 放された感じ。産経さんの記事編集がご縁でのことでした。(13:20)
 ひと通り情報源チェックは済みました。どうやら本日は1編のみ。ふと、ヒットしたのが「手嶋龍一オフィシャルサイト<スティーブンズ・クラブ>」。ほかでもありません、「北国新聞<時鐘>」 の姉妹編(?)と思しき「北国新聞<北風抄>」というコラムがあることから、同紙サイトで検索するにヒットしません。そうこうしていたら、上 掲のサイトにヒットしたのです。元NHKで活躍された手嶋さん独自のものと知り、登録しました★ちなみに、前出「時鐘」のこと。文章全ての漢字がカッコ内 ひらがな表示でうんざりして敬遠パスしているのが実情。そんなことから、トライしたのですが、全容がまだ分かっていません。ともあれ、著名人のコラムだけ に、今後の本欄ネタの一つになるでしょう。ヨシダの根性ってすっごいでしょう(笑)。飽くことを知りません、この歳で、です。(14:45)
 「No.5776:「腰痛人生よ、さようなら」 しつこい腰痛はヨガで治すDIAMOND Online2015.10.9.竹下雄真 [デポルターレクラブ代表] )」 をニヤニヤ気分かつ、ロマンチックな心で編集しました。イイ歳して、と笑われるのを覚悟の上の、本記事のこんな編集の仕方がヨシダ流ってところです★「腰 痛」と言えば、ヨシダは補そう具を着けない(くるま椅子)生活に入った数年前は今から一年前のこと。慣れない車椅子生活の影響もあって、自己流体操が疎か になったことがあります。その時分に腰痛を体験しました★ヨシダの特技で、そんな時には即座に反省して次の行動に転じます。すなわち、40歳から継続して きている「自己流ストレッチング体操」への猛烈な回帰でした。歯をくいしばっての腰痛との対決。痛くても我慢して屈伸運動を復活継続することでした。ちな みに、40年間以上継続しているヨシダ流の独特のストレッチング体操ですが、「肩コリ」解消に専念したために、大半のヨシダ流ストレッチング運動が留守に なっていたのです。とりわけ、腰まわりの運動に気付いてのシフトをしたものです。あっという間に腰痛を克服したものでした。(17:00)

2015.10.8.(木)
 本日「10月8日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(8)1862年 - オットー・フォン・ビスマルクプロイセン王国首 相となる。」です。恥を承知の告白ですが、ヨシダは世界史に限らず日本史もろくに組織的な勉強をしていません。生活力把握が最優先の宿命でした。ですか ら、この「できごとコラム」は現在にしてヨシダの格好の勉強の場でありますが、オットー・フォン・ビスマルクという傑物の片鱗に触れました。かつて経験し たことのないほど長文の人物像をグーグルに観ます★同コラム編集体験で痛感するのが、世代を問わず権力者の末期は概して悲劇に終わります。「暗殺」という 暗い側面を歴史上の人物にはよくつきまといます。権力を長期間欲しいままにすれば、その分、反対勢力の恨みをかうのでしょう。ビスマルクもその一人になり かけた人物ですが、犯人からピストルを取り上げて難を逃れた辺りは(も)異例の存在です。その巨大人物の現在にして存在する「小さな動く映像」は興味です ★さて、本日の「情報探索・取材」はどんなものになるでしょう?ヨシダのささやかな楽しみです。(8:30)
 「No.5772「説得力のある話し方」、どうすればできる?アナウンサー+人気落語家の「秘訣」教えます東洋経済ONLINE2015.10.8.魚住 りえ :アナウンサー)」はヨシダに得難い機会を与えてくれた感じです。ほかでもありません、かの著名な「魚住りえ」さんはヨシダ郷土広島県が誇る(輩出した)人材!今までにヒットしなかったのが不思議な感じです。必読の価値ある記事としてご推薦します!(11:25)
 「No.5773:ノーベル賞期待のハルキ文学、原文とは違う英訳本の魅力読売新聞2015.10.8.東京学芸大学准教授 小澤英実)」を編集しながら自身の無知を恥じる想いを禁じえないのが本記事の言わんとするもの。どなたか無知なヨシダに教えてくださいませんか?・・・(12:55)
 「No.5774TPPのメリットとデメリットをあらためて整理するDIAMOND Online2015.10.8.高橋洋一 [嘉悦大学教授] )」 を編集しながら思うこと。ホンに国際協調って難しいもの。でも、何ごとにもプラスマイナスは同居するもの。イイことずくめがあるとしたら、そのトバッチリ を受けて損するセクトが不可避です。・・・とすれば・・・ですが、その選択肢も与野党・賛否両者があるから厄介ですよね★ま、そんな世界に身を置きたくな いというのが、門外漢であり海外居住の高齢ニッポン男児のヨシダの言い草ではある感じです。無責任発言と言われるかもかもしれませんが、応分の苦労を母国 で惜しまずしてきたヨシダの言い草とご寛容のほど。(15:10)

2015.10.7.(水)
 本日「10月7日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(46)2014年 - 青色発光ダイオード(LED)に関する研究により、赤崎勇名城大学終身教授、天野浩名古屋大学教授、中村修二カリフォルニア大学教授のノーベル物理学賞の同時受賞が決定。」です。ほかでもありません、昨日「北里大学の大村智特別栄誉教授(80)」と物理学賞に梶田隆章・東京大学教授!」 のお二人の受賞発表があったことからです。なお、中村修二教授のことに関して印象強くしたことが背景にあることからでもあります★それは当時のお勤め先会 社とのトラブルがあったことからのことです。事がなにやら拗れた背景には双方に何がしかの問題があったことを想像したヨシダでしたが、ヨシダの弁は「中村 先生、日本を捨ててアメリカへ行きなされ・・・」でした。当時のヨシダは日本を捨てて(?)フィリピンに渡って間もなくのことだっただけに、でした。「日 本を捨てて」と表現したらなにやら物騒ですが、ヨシダの場合は「なすべきことは悔いのないだけ母国でやった。これからは異国の世界で・・・」といった気分 に過ぎません。(7:30)
 昨深夜過ぎに「日付変 更等」をしたなかで、ふと、気付いたことは、トップページのインタネット容量が1千MBオーバー!慌てて写真削除しました。消滅しなくてヨカッタです。 もっとも、万一のこともあって、絶えずコピーをとっていることから問題はないのですが、リスク・マネージメントは応分に心がけています。「10月8日のできごと」編集終了で余裕はありますが、先取り精神だけは昔の経営者時代のヨシダです。「10月9日のできごと」に向かっています。こんな調子ですから、この歳にしてなお意気盛んです。(8:30)
 ひと通り全部の情報源をチェックするに、圧倒的に今回のノーベル章受賞者三人の方々の朗報情報。かくいうヨシダは一昨日、昨日と早々と本欄でブログしたので、本日のコラムの取材情報にはしません。どうやら、久々に開店休業(?)と決めて、ここは一番「きょうのできごと」編集に一点集中します。古今洋の東西を問わぬ歴史のひとコマを悠然と(?)勉強することに徹します・・・。(13:05) 
 「10月9日のできごと」から「10月10日同」 に進んでいます。どうやら、本日の勉強(古今、洋の東西歴史の一端)はこの辺でジ・エンドにしましょう。ヨシダの休息は自己流ストレッチング体操をしなが らのテレビ鑑賞。これって一石二鳥どころか、三鳥って感じ。本日も大変に有意義な一日でした。・・・と、こんなことをブログすると、読む人は???と首を 傾げられるだろうな・・・とはヨシダの想像★深夜前後にムックと起きてデスクに向かいます(笑)。(20:30)

2015.10.6.(火)
 
本日「10月6日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(41)2010年 - ノーベル化学賞鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。」です。ほかでもありません、昨日発表されたのが「2015年のノーベル生理学・医学賞を、寄生虫による感染症に大きな効果を上げている治療薬の開発に貢献した北里大学の大村智特別栄誉教授(80)と 米ドルー大学ウィリアム・キャンベル名誉研究員、中国・中医科学院のト・ユーユー終身研究員兼首席研究員に贈ると発表した。日本人のノーベル賞受賞は昨年 の名古屋大学の天野浩教授らに続いて2年連続・・・」とあるからです。日本人で最初にノーベル賞を受賞したのは1949年の湯川秀樹博士。爾来、今回の木 村智博士で23人目。めでたし、です。(00:10)
                     「北里大特別栄誉教授の大村智」の画像検索結果
 ・・・ふと、時計をみると午前10時過ぎ。かれこれ2時間もデスクにかじりついていました。先取り編集中の「10月8日のできごと」で「(8)1862年 - オットー・フォン・ビスマルクプロイセン王国首 相となる。」で足止めになっています★まともな世界史を(も)勉強していないこれはヨシダの告白ですが、かの有名な「ビスマルク」の人間像に魅せられた格 好です。例によりグーグルで観るに実に長文にわたるもので、過去にこれだけのボリュームのグーグル説明に接したことはありません★今 回はビスマルクが「首相就任」という極めてスポット的なできごとですが、その前後の彼の業績への認識なくしては適切な評価や評論はできません★世界史なか んずくドイツの歴史の一端を学ぶことをこのコラム編集が与えてくれつつあることは感謝に耐えません。「きょうのできごと」編集の格別の醍醐味を味わいつつ ある今朝のひとコマです。さて、同編集作業を中断して、何時ものようにインタネット情報を手繰ります。(10:30)
  「ビスマルク」人物像の追記:異例と言えるほど超長文の「ビスマルク人物像関連グーグル記述」から彼の末期の実像に関心を強めました。ほかでもありませ ん、「きょうのできごと」編集で編集者のヨシダが関心を抱くのは「当該人物の末期」。時の権威者・征服者は「殺戮」の繰り返し。それだけに、末期は暗殺と かいった悲劇に終わるのが少なくないからです。★ビスマルクの人物像を知る意味でも、彼の末期前後の歴史を知ることに興味を抱きます。下記はグーグルから 拾った当該記述です★「・・・1894年11月27日に妻ヨハンナに先立たれると生への倦怠感を強め、肉体的な衰えが激しくなった。ビスマルクは妻の死に 関して妹へ宛てた手紙の 中で「私の残されていた物、それはヨハンナだった。(略)民が寄せてくれる過分な好意や称賛に対して私は恩知らずにも心を閉ざしてしまうようになった。私 がこの4年間それを喜んでいたのは彼女もそれを喜んでいてくれたからだった。だが今ではそのような火種も徐々に私の中から消えようとしている」と書いてい る。血行障害であまり身体を動かさなくなったことで片足が徐々に壊死していき、しばしば激痛に悩まされるようになった。1897年秋以降には車椅子生 活になった。1898年7月30日23時前に息を引き取った。主治医によると死因は肺の充血だったという。息子ヘルベルトの妻によると最期の言葉は「私の ヨハンナにもう一度会えますように」だったという。ビスマルクの希望で彼の墓石に刻まれた言葉は「我が皇帝ヴィルヘルム1世に忠実なるドイツ帝国の臣」で あった。また『コロサイの信徒への手紙』第3章23節にある「汝等、何事を為すにも人に仕えるためではなく、主に仕えるために行え」という言葉が刻まれている。これはビスマルクが16歳の頃より愛していた言葉だった。ビスマルクの訃報に接してヴィルヘルム2世は10日間の廃朝を決定し、陸海軍も7日間に服して業務を停止した。民家も次々と弔旗を掲げた。国葬に付すべきとの意見もあったが、生前ビスマルクが派手な葬儀を嫌がっていたことから遺族が断り、フリードリヒスルーの邸宅の後ろの小丘に葬られた・・・(ウィキペディア)」。(11:00)
 「No.5769健康管理と体力維持のためウオーキングを日課としている。野鳥がさえずる春、…千葉日報「忙人寸語」2015.10.6.)」 を編集しながらヨシダの「旧き良き時代」を想起します。ほかでもありません、足が不自由なヨシダは商店街を「ショッピング&ウォーキング」はしたくても出 来ないことでした★第一次オイルショックを機に、「省エネ」を自他共にするべく、折りたたみ自転車をクルマのトランクに潜ませて、至るところでその利便性 を味わいました★商店街には足の不自由な身で入れなかったヨシダが自転車でスイスイ!目線の大革命って感じでした。「わ~!こんな世界があったんだ!」が 率直な感想でした。それができるスステムを商店街経営者もユーザーも真剣に検討して共存共栄を模索すべきですぞ~!。(12:05)
 「No.5770世界各地で起きた独立紛争の中でも、とりわけ悲惨といわれたビアフラ戦争。西日本新聞「春秋」2015・10.6.)」 を編集しながら、キーボードを叩く指に震えを禁じ得ませんでした。でも、こんな時に何時も想いを得ることは、その分、裏返せば、人々がハッピーに感じると きには、我がことのように嬉しくなることです。逆に不幸な出来事だった、人一倍かつ、自分のことのように胸を痛める、痛むのが常のヨシダです。どんなこと があっても、不満を感じないことがそうしたヨシダに与えられている「特権&宿命」のように感じる昨今です。(13:25)
 「No.5771秋田市立千秋美術館で今月12日まで「秋田蘭画の世界」展が開かれている。…秋田魁新報「北斗星」2015.10.6.)」 の編集で一番時間を要しながら、結局は見つからなかった写真。それは主人公の「」の写真です。時おり同じようなケースに出会うのですが、意図的に写真を非 公開されていると思しきケースがあるのですが、本記事主人公の「武塙林太郎氏」の写真にどうしてもヒットしませんでした・・・。(15:45)
  先ほど、アーネルが「ウォーキングに出ましょう!」と誘うのにのって出ました。ヨシダは車いすのままで、押すほうのアーネルがウォーキング効果という図 式。何時もより長道を歩くなと思ったら案の定、彼曰く、「ダディー、今日はチョッと遠くまで・・・」と★ヨシダは内心微笑みました。その分、彼は何時もの 距離に慣れてもっと、という欲求を持ち始めたこと。即座に反応を示したヨシダは「Good!!!」と多きな声で反応を示してやって、ひとくさりの「健康談 義」★なんと、帰宅したらアーネル曰く、「ダディー、ちょっとジョギングしてきます・・・」と。歩けば体調が良くなることに気付きを生じたのです。一気に ジョギング欲求とは、と内心ほくそ笑むことシキリってのがヨシダ。笑顔一杯で見送ってやりました。ひとりの人間に影響力を与えたことに大満足するヨシダで す★「ヨシダは40歳から始めたから、お前さんには40になるまでの猶予期間を与えるぜ」がヨシダ・ダディーの言い草。それより早くに実践にうつった彼に 最大のエールを惜しみません。イイこっちゃ!です。(18:15)
 日本人ノーベル賞受賞 者第2人目!「物理学賞に梶田隆章・東京大学教授!」。
おめでとうございます!

                      「ノーベル物理学賞に梶田隆章東大教授」の画像検索結果
★ 先ほどアーネルが帰ってきました。頼んでいたものを買ってきてくれながらニコ ニコ顔で曰く、「これ見て、ダディー!この汗を!」と。シャツがグッショりと汗で濡れているのをみて叫ぶように言ってやりました。「Arnel, Good! I'm proud of you!」と。ニコニコしながら「明日もまたね!」と言って部屋を出ていきました★ちょうど、この画面のままでしたので、これ見ろよ!お前さんのことをブ ログしたところだぜ!また、書き増しだ・・・と。嬉しさ一杯の「運命共同体同士」って按配です。(18:25)

2015.10.5.(月)
 本日「10月5日のできごと」でヨシダが特にマークするのは、「(26)1962年 - 映画007シリーズ第1作『007 ドクター・ノオ』 がイギリスで公開。」です。ほかでもありません、同映画の日本語タイトルの「007ドクター・ノオ」の「ノオ」で、?と、しばらく考え込みました★笑い話 になりますが、英語タイトルをみて苦笑い。「ノオ」は「No」でして、日本語カタカナ表示では「ノー」が普通であるからです。殊更に「ノオ」としたには、 翻訳者が固有名詞扱いにするためにそうしたのかな、と。「ドクター・ノー」では「ドクター、だめですよ」ってな感じになるからかな、がヨシダの推理★こ れって、単純なことですが、通常、日本人は気付きません。英語を理解し、かつ英語発音の日本語カタカナ表示のあり方で何時も問題意識を持つヨシダだからで す★英語レッスンみたいで恐縮ですが、折角あるカタカナ文字でありながら、日本人が苦手とする英語発音を殊更に変にしていることを指摘しているからです。 最たるものはメイジャー・リーグがジャー・リーグ、ベイスボールがベースボール、肝心の「ドクター・No」は「ドクター・ノオ」でなく、「ドクター・ノー」でもなく、「ドクター・ノウ」 と表示すべきです★日本人の苦手発音の最たるものは「エイ・オウ」です。そうだ、気付きにもうひとつ。二重母音の「オウ」は英語のHopeで顕著に見られ る誤発音。「ホウプ(Hope)」が「ホップ・ホープ」になっているのが顕著です★厄介なことは、新聞社協会とやらが、変なカタカタ表示に「統一」申し合 わせしている事実!英語レッスンみたいになるのでやめときま~す!★ふと、気付くに、このトップページの容量表示が「946.99KB」!限度が 1000KBでした!それをオーバーすると相当部分が消滅するのです。危ないあぶない・・・です★ところで、ヨシダのウェブサイトは「縦長型」でして、画 面両サイドに別項目のリンク表示が普通。かっこいいレイアウトではありますが、その分、観る(読む)方は、左右に目を向けることを怠ると見失い兼ねませ ん。ヨシダウェブサイトは単純行動で「上から下へ」で、お見落としはゼッタイにありませんので・・・。加えて、可能な限り、こまめにリンクを張っています ので、お気に召すままに・・・です。これって、計画的ではなくって、ウェブサイト編集用ソフトを使わずに編集しているド素人が到達した自然の結果です。こ れでヨシ!って自己満足の勝手をお許しください。早朝から(と、実際は昨夜遅く)こんな余計なことをブログして・・・。でも、キーボードを叩くのが痛快で す!(6:10)
 先ほどアーネルと顔を合わせて彼曰く、「ダディー、きのうは出 来なかったけど、今夕は ウォーキングを!」と。即座に大きな声で「OK!」。ニヤニヤしながら彼に言いました。「・・・そうだろう、ウォーキングの醍醐味が分かるようになったん だろう、イイこっちゃ!」と。大いに頷きながら満足そうな表情をみて安心したのはほかならぬ、ダディーのヨシダ。「俺自身が40歳でスタートした自己流体 操。お前さんにもそれまでの猶予を黙認するぜ・・・」と言ってきたヨシダだけに、一年以上前に気付き始めたことを内心、大歓迎ってところです。ヨシダが影 響を与えた人物になること必至です。さあ、外に出て彼を手を振って見送ってやります。(7:00)
 「No.5767:努力するのは当たり前。でも、努力してもできないことはある。恥じる必要はない熊本日日新聞「新生面」2015.10.5.)」を掲載して昨日の4編をデリートしてホッとします。1画面1千KBが限度ギリギリだったためです。昨日の4編をデリートして本編を掲載した現在の使用容量は「770KB」に一気に減ってホッとします。(11:15)

2015.10.4.(日)
 本日「10月4日のできごと」でマークするのは、「(15)1927年 - ガットスン・ボーグラムラシュモア山の大統領像の彫刻を開始。」と、「(31)1988年 - ベトナムホーチミン市で二重体児・ベトちゃん・ドクちゃんの分離手術。」 です。前者は漠然と想像してはいた光景ですが、写真を見て感動を覚えました。後者のベトちゃん・ドクちゃんの分離手術を可能にした当時の日本の医学技術力 は大したもんだとあらためて思うと同時に、可愛く成長している二人に何とも言えない愛くるしさに感動です★ふと、現在の両君の現状をとグーグルして知りま した。「2006年12月16日、ドクはボランティア活動の際に知り合った専門学校生のグエン・ティ・タイン・テュエンと結婚。このことは日本でも大きく 取り上げられた。結婚式では「将来は障害者も働ける旅行会社を設立したい」と語っており、簡単な日本語を話すことができる。また、結婚後に兄ベトを引き取 り夫婦で介護していた。2007年10月6日1時(ベトナム標準時)、兄のベトが腎不全と肺炎の併発により26歳で死去。2009年10月25日、ドクの 妻テュエンがツーズー病院で男女の双子を出産。それぞれ富士山と桜にちなみ、男児はグエン・フー・シー、女児はグエン・アイン・ダオと命名。ドクは来日を 重ねており、2012年8月には東北を訪れ東日本大震災で被災した障害者たちと交流した(ウィキペディア)」★このできごと、とりわけ、ベトさんが 2007年に亡くなったことは知りませんでした。グーグルで多くの写真から2枚だけ添付します。左はドクさん家族。右はベトさん葬儀のドクさん夫婦。日本 を離れて久しいタイムトンネルを感じる一幕です。(00:45)
                    「現在のベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果 「現在のベトちゃん・ドクちゃん」の画像検索結果
 「No.5761:おいしゅうございます長崎新聞「水と空」2015.10.4.信)」 を編集しながらのこと。本文記事よりはるかに長いブログになってしまいました。なにせ、この年齢ともなれば、その分、人生を広くかつ深く過ごして現在に至 ります。その分、ブログしたくなるのが編集者の心境。でも、天国の姉が喜んでいるかも知れません。なにとぞご寛容のほど。(11:40)
 「No.5761:おいしゅうございます長崎新聞「水と空」2015.10.4.信)」、「No.5762:移民政策琉球新報「金口木舌」2015.10.4.)」を編集しながら、それぞれへのヨシダブログを歯に衣着せぬかたちで果たしました。文章は下手でも、わが想いや意志が自分流であっても迅速にできることを心底喜んでいます。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」は何時ものブロガー・ヨシダの心です。(13:20)
 「No.5762:移民政策琉球新報「金口木舌」2015.10.4.)」、「No.5763:太平洋戦争末期、東北から召集され、フィリピン・ルソン島で多くが戦死した「もや・いふ…岩手日報「風土記」2015.10.4.)」を編集しながら痛感します。ヨシダって、歯に衣着せぬブロガーだなあ・・・と。14:00)
 「No.5764社の副安全運転管理者になっていて、先日、法定講習に行った。そこで見せられた…茨城新聞「いばらき春秋」2015.10.4.仁(本 紙本文のリンクは本日限りですので、青色の編集サイトをご覧ください。)」を編集しながら痛感しました!「昔とった杵柄」とはこのことだ!と。それにても 執筆作品等全てのヨシダの「実績」をウェブサイトに掲載しているから出来得ること。過去の執筆実績を単行本に編集したら数十冊相当になrんだぞ~!とは、 他愛もないヨシダの自慢ならぬ、「自負」です。まさか、昔とった杵柄がこんなところで役立つとは・・・と、ホントに呟きます。(14:40)
 「No.5764社の副安全運転管理者になっていて、先日、法定講習に行った。そこで見せられた…茨城新聞「いばらき春秋」2015.10.4.仁(本 紙本文のリンクは本日限りですので、青色の編集サイトをご覧ください。)」を編集しながら痛感しました!「昔とった杵柄」とはこのことだ!と。それにても 執筆作品等全てのヨシダの「実績」をウェブサイトに掲載しているから出来得ること。過去の執筆実績を単行本に編集したら数十冊相当になrんだぞ~!とは、 他愛もないヨシダの自慢ならぬ、「自負」です。まさか、昔とった杵柄がこんなところで役立つとは・・・と、ホントに呟きます。(14:40)
 ひゃ~!一気に4編も編集しました。「No.5765:描くこと、生きること宮崎日日新聞「くろしお」2015.10.4.)」で、ヨシダの場合は描くではなく、書く(ブログする)ことの喜びとスリルを新たにする気分です。少年のような心の弾みを体感します。日々の朗誦のひとつである「YOUTH(青春)」を「地で往く」心境です。本欄編集しごとが一層、楽しみになる感じです。(15:30)
 No.5766:目が不自由だったことが、どれほど事故と関係しているのか。不自由でなければ、…徳島新聞「鳴潮」2015.10.4.)」 は、ひと昔前にヨシダが手掛けたトラック運送事業経営やドライバー教育等の時代を想起させます。トラックがバックするときのブザーのスイッチが切れていた とかが盲導犬と目の不自由な方が犠牲者となったという痛ましい事故。元クライアント社長にも送って参考に給します。なお、本日は日曜日でありながら、編集 者のヨシダは超多忙。ま、「月月火水木金金」って按配の日々ですから・・・。(17:30)

2015.10.3.(土)
本日「10月3日のできごと」でヨシダがマークするのは、「(12)1932年 - 満州開拓武装移民団第 一陣416人が日本を出発。」でしょうか・・・。ヨシダが生まれた1年後のこと。添付写真を選ぶ中で、少年たちのけなげな姿が愛おしくてなりません。運送 会社経営時代に従業員で元満州開拓移民団員だった人が居ましたが、実に根性の座った人物だったのが強い印象でした。(00:05)
 早朝からインタネット情報収集に入ると、当日のコラムが昨日のままというケースが少なくありません。記者さんも人の子(?)。多少の融通はあってもイイでしょう。かくいう取材側にあるヨシダはそうしたことを「見通して」早くから取材には入りません。その分、「きょうのできごと」編集に貴重な時間を使います。先ほど「10月5日のできごと」編集を完了しました。貯金が一日分に減っているだけに、気になるので一気に仕上げました。4時間ストレートの作業でしたが、別段、疲労感はありません。さて、ボツボツ、取材にはいることにします。(12:10)
 「No.5760105歳のレジェンドが出した世界新産経ニュース2015.10.3.京都総局 河居貴司)」を編集しながら無性に心の安らぎを感じました。波乱万丈(大袈裟な!)とも思えるヨシダ人生を振り返って「これでヨシ!」(Es ist gut!)と自身に言い聞かせることができることをこのほか喜んでいます。自利から他利」に詳細に記述しているヨシダの存念の一端です。本日の「取材」は本編一本で満足って気分ですが、さてさて・・・?(14:10)
 予想通りに、本日の取材記事は1編のみでした。その分、「10月6日のできごと」 を編集完了しました。この編集仕事は気が抜けません。なにせ、派手なコラムですから。写真は多く、できごと件数も多く、しかも朱文字の英語がやたらとあ%E